図説 ロシアの歴史 (ふくろうの本)

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (183ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309762241

感想・レビュー・書評

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  • 画家V・ヴァスネツォフ(1848-1926)の絵が印象に残った。
    「イーゴリ公遠征物語」(1185遊牧民族ホロヴェツと戦い敗れる)1880 トレチャコフ美術館蔵


    メモ
    <ロシアという国>
    歴史には正しい冷静な判断が必要。
    1 広大なロシア
    領土:1707万K㎡(世界第1位) アメリカ・カナダ、中国の約1.7倍 日本の45倍
    人口:1億200万人 多民族国家
    位置:ほとんどが札幌のある北緯43度以北
    資源:石油 天然ガス 森林 縦横に走る河川が交通路として利用されてきて、南北東西の移動と植民活動は国土の急速な拡大を可能にした一要因。 

    2 歴史の特徴
    ・時代により異なるロシア
    ・遅れて出発したという意識~これが今日にいたるまでロシア人の心に重くのしかかる一種のコンプレックスになっている。
     :スラブ人の歴史への登場は紀元5,6世紀。そのころ南ではビザンツ帝国(東ローマ帝国)、西では西ローマ帝国の遺産を継承しながら各地で国家形成を始めていた。
     ・ロシア人はやっと9世紀になって建国を始めた
     ・鷹揚なキリスト教:ギリシャ正教を受け入れ、キリスト教国家になった点が重要。これによりヨーロッパ文化圏に属することになった。
     ・専制と民主的伝統:ロシアは都市を中心に発達した国。軍事指導者である公は居住区を区切る防御壁(最初は木造)を築き支配拠点とした。この木柵で囲まれたところを「ゴロド」=都市と表現してきた。物事は公はじめ住民が集まる民会で決められた。モスクワ大公国によって統一されてゆく14,5世紀までは保たれていた。

     ○最高権力者の力が強大な理由:モスクワ大公国(大公)、ロシア帝国(皇帝)、ソ連(書記長)、現ロシア(大統領)
     1 つねに外敵に囲まれ、侵入の脅威にさらされていた。・・ポーランドやウクライナもそうだが?・・
     2 また国内諸勢力(正教会の聖職者、都市民、力をつけた農民、コサック、近代労働者)の側が、君主権や政治的強者を効果的に制約できなかった。

     ・革命と上からの改革:改革が上からだった
      西ヨーロッパなどのように経済活動の中心である都市が発達し市民(ブルジョア)階級が発達していたところでは、改革は国の主導というより、「下から」自然に出てくるほうが多かった。
      しかしロシアでは、後発国一般の特徴でもあるが、改革は「上から」、為政者自身、支配階級の主導で行われることが多かった。
      
     ・多民族の存在と開かれたおおらかな気質
      多民族の構成では国家経営は容易ではない。「諸民族の牢獄」
      おおらか・・17世紀のモスクワ国家の貴族層(915家)の出自:ロシア出身210(23%)、外国出身608 うち西ヨーロッパ出身229(25%)、ポーランド・リアオアニア出身223(24%)、タタールその他東方156(17%)、不明97(11%)

     3 ロシアとヨーロッパ
      ・「ユーラシア国家」であるが関心はヨーロッパに向けられている。
       「ユーラシア国家」~地理的なものだ
        ・まずは「ヨーロッパの東」で産声~地理的には最初からユーラシア的だった。
        ・しかしキリスト教を受け入れ、ヨーロッパ文化圏に参入
        ・モンゴル(タタール)の侵入を受け注意は「東」に向けられるが「タタールのくびき」を振り払った後は正教王国として確固たる地歩。
        ・16C後半、ヴォルガ川中流域のイスラム国家カザン・カン国を征服するやわずか100年足らずでウラルを越えオホーツク海に及ぶ。
        ・これはロシアが半アジア化したのではなく、ユーラシアに君臨したのであって、正教帝国を維持した。

    4 日本とロシア
    1804 レザノフが長崎に来て始まる。
     
     日本とロシアは多くの点でまったく異なっているが、近代以降、主としてヨーロッパやアメリカとの関係で自己を位置づけ、歴史を歩んできたという共通性がある。

    <2 キエフ・ロシア(キエフ大公国)> 
     ロシアからは、キエフ公国の建国で始まる
     ウクライナからは、キエフがあくまでもウクライナ史の始まりであって、ロシア史はそれよりずっと遅く北東ロシア地方で始められた。
     しかしこれは単に首都が移転しただけと考えたほうがよい。ロシア文化はキエフの伝統を受け継いでおり、文化的精神的にはロシア史はキエフから始めるのが適切。

     「過ぎし年月の物語」(ロシア原初年代記)
      ・862年リューリクが、海の向こうのヴァリヤーギのルーシから3兄弟とともにやってきた。北部ノブゴロドを中心に北ロシアを支配。
      リューリクの死後一族がキエフ公国を建てた。
      キエフ大公国 980-1054の治世が最盛
      12世紀 10を超える分領国制へ モスクワのあるウラジミール・スーズダリ公国が栄える
      1147年 モスクワの名が年代記に初めて現われる

    <3 タタールのくびき(モンゴル支配下)>
      1237 チンギス・カンの孫バトゥがロシアを襲う

    <4 モスクワ大公国~ユーラシア帝国への道>
      1473 ノブゴロド公国はモスクワに降伏。以後周辺公国もモスクワに併合される。
      イヴァン3世(1462-1505在位)の時最盛。
      1480 貢納を迫るキプチャク・カン国が侵入したが破る。
      イヴァン4世・雷帝(1533-1584)ツァーリとして戴冠。(リューリク朝)
      1598 リューリク朝断絶
      1613 ロマノフ朝の成立 ミハイル帝(1613-45)

    <5 近代ロシア帝国① 貴族と農奴のロシア> 
      ロマノフ朝
      イヴァン5世(1682-96)弟ピョートルと併置
      ピョートル大帝(1682-1725)
      1694 ピョートル大帝の統治始まる 97年に300人からの「大使節団」をヨーロッパへ派遣し自らも偽名で参加し、ロシアの西欧化=近代化を図る。

      ピョートル3世(1761-1762)妻エカテリーナ2世
      エカテリーナ2世(1762-96)(ドイツ人) 対外進出が本格化。ポーランドの分割。
        臣下ポチョムキン(1739-1791)1762年ピョートル3世を殺害してエカテリーナ2世を即位させる陰謀に加わったことから、エカテリーナ2世に認められた。70年からエカテリーナ2世に接近して絶対主義の強化に尽力、プガチョフの乱を鎮圧したり、ザポロージエのコサックの本拠を解体してウクライナにロシアの農奴制を導入した。83年にはクリミアのロシアへの併合を実現した。

      アレクサンドル1世(1801-25)
      ニコライ1世(1825-1855)
       1853 クリミア戦争

    <6 近代ロシア帝国② 苦悩するロシア >
      アレクサンドル2世(1855-81)
      アレクサンドル3世(1881-94)
      ニコライ2世(1894-1917)


    著者:栗生沢猛夫 1944生 一橋大学経済学部卒業 北海道大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学 小樽商科大、北海道大学大学院文学研究科教授 現在北大名誉教授 専門はロシア中近世史

    2010.5.30初版 2014.10.30増補新版 図書館

  • 2023年度【国際学部】入学前知トラ「課題図書」推薦作品

    OPAC(附属図書館蔵書検索)リンク
    https://opac.lib.hiroshima-cu.ac.jp/opac/volume/339679?locale=ja&target=l

  • ロシアの歴史の概略が分かった。

  • 近頃のロシアとウクライナの争いが気になるので手に取った。その件は、ロマノフ王朝以降の歴史を見ていくのかなと思っていたが、読み始めると、もっと昔のモンゴルに占領されていたことや、ギリシャ正教を受け入れたことなどがこれらの国のミステリアスな部分を作り出していることに惹かれた。10世紀に4つの国から宗教の売り込みがあった。つまり、カトリック、ギリシャ正教、イスラム、ユダヤ教のなかから選んだとのこと。作り話だろうが、そういう環境のなかで国ができたんだなあと納得する。

  • ①ぼくがロシアを好きな理由はまず、あまりにも、あまりにも悲惨だから……。しかもロシアは広大に悲惨なのだ。さらにロシアははるか昔から悲惨なのだ。
    ②二つ目にぼくがロシアを好きな理由は、あまりにも、あまりにも、アホだから……。それも広大に、しかもはるか昔からアホなのだ。
    ③最後にぼくがロシアを好きな理由は、たまに凄いことをやってのけるから。ナポレオンやヒットラーを退散させたり、人類史上最高の文学者たちを輩出したり。
    ………ロシアがなぜそんな国なのかは謎だ。ここではその謎に少しでも迫るために、その悲惨でアホで偉大な歴史を振り返っておこう。
    ――――――――――――――――――――
    ■9世紀……ロシア揺籃の地はキエフ大公国。当時は他にも多数の(大)公国あり。それぞれがクレムリン(城塞)を持っていた。
    ■13世紀……西からはドイツ・フィンランドが、東からはモンゴル帝国(キプチャク・カン国)がキエフ大公国に迫る。西には抵抗するが、モンゴルには2世紀にわたる間接的な支配を受け入れる(タタールの軛)。
    ■14世紀……モスクワ大公国の台頭。逆に内紛で疲弊するキプチャク・カン国とはクリコヴォで戦闘、モスクワ側の勝利。
    ■15世紀……モスクワ大公国、イワン三世が周囲の諸公国を併合。キプチャク・カン国の貢納を拒否してタタールの軛を終わらせる。モスクワのクレムリンはほぼ今日見られるような姿になる。
    ■16世紀……イワン四世(雷帝)、公式にツァーリを宣言。行政、法律、軍隊の改革を断行。東、南のカン国からは領土を奪うも、西、北のヨーロッパ勢には苦戦する。愛妻(アナスターシャ=ロマノフ家)を毒殺された(?)ことで君子豹変、オプリーチニナを作って、貴族や民衆の弾圧、処刑を繰り返す。
    ■17世紀……イワン雷帝死去。偽のドミトリー事件や、スウェーデン軍・ポーランド軍の襲来でクレムリンにまで入城され、モスクワは大混乱に。のちに義勇軍によってクレムリンは解放され、アナスターシャと血縁関係にあるロマノフ家出身者が初めてツァーリに。スウェーデン、ポーランド、ウクライナコザック、ドンコザックら周辺との関係は時局に応じてくるくる変わる。農奴制が法律により完成。経済政策の失敗により暴動が多発。軍備の拡充。オホーツク海まで領土を広げる。
    ■17世紀末……皇妃ソフィアが異母弟のピョートルを追いやり一旦は実権を握る。が、クリミア遠征の失敗により修道院に幽閉され、ピョートル1世の時代が始まった。
    ■18世紀前半……ピョートル一世(身長2m、ツァーリではなくイムペラートル)の性急な近代化。1700年北方戦争でスウェーデンを破りサンクト・ペテルブルクを建設。軍備に力を入れ、各地コサックなどの反乱を抑えて地盤を強固に。一方でそのために無理な増税、ロシア正教を軽んじ繰り返される乱痴気騒ぎ、拷問、処刑などあたりまえ(皇太子までもその犠牲に)。農奴制は強化されて、もはや奴隷制なみに。周辺諸国との小競り合いは繰りかえされている。ピョートル一世が急死、それを継いだのが娼婦あがりの正妻マルタ(エカテリーナ一世)→アンナ(イワン五世の娘)→イワン六世(生後2ヶ月の赤ちゃん)→エリザヴェータ。
    ■18世紀後半……「ペチコート作戦」でフリードリッヒ大王を追い込んだマリア・テレジア、ポンパドール夫人、エリザヴェータであったが、エリザヴェータが急死。しかし後任のピョートル三世はフリードリッヒ大王に忖度してロシア軍を引き揚げさせる。引き続きピョートル三世は妻ゾフィを排除しようとするが返り討ちに会い、ゾフィ(エカテリーナ二世)が即位。彼女はボルテール、ディドローとも文通する啓蒙型専制君主。近代化を急速に推し進めるが、過酷な農奴制に反対して各地で動乱が起こる――中でも有名なのがプガチョフの乱。露土戦争では勝利してクリミアを併合。ポーランドの一部とベラルーシも併合。独立戦争ではアメリカを支援。フランス革命、ナポレオンの登場でヨーロッパに衝撃が走る。
    ■19世紀前半……1812年祖国戦争。ナポレオン軍61万人にモスクワに攻め込まれるも、モスクワをもぬけの殻にして退却、ナポレオン軍を兵糧攻めにして勝利する。これによってエカテリーナ二世の孫、アレクサンドル一世の名はヨーロッパに轟き、ウィーン会議でも指導的役割を果たす。しかしエルバ島を脱出したナポレオンをウェリントンが下したこと(ワーテルロー)で一気に影が薄くなる。
    1825年、ニコライ一世の即位当日に、専制打倒と農奴解放を目的に貴族や将校らが決起(デカブリストの反乱)。ニコライ一世は反動で、より専制君主となり文化人などを弾圧(ベリンスキー、プーシキン、ゴーゴリ、ドストエフスキー)。しかし産業革命を経験したイギリスとの差は開くばかりで、農奴に無理を押し付ける政策はもはや限界に。
    ■19世紀後半……1853年、対オスマン帝国のクリミア戦争では仏・英軍とも戦い、大きな損害を出して敗北、南下政策失敗、世界にロシアの後進性をさらけ出したうえ、その後ニコライ一世も死去。
    1861年アレクサンドル二世、農奴解放令を発布。しかし解放された農民の生活環境が急に改善するわけはなく、失望感から各地で暴動が頻発。一方でロシア版の産業革命、工場、鉄道が広まる。アレクサンドル二世による大改革が多方面で実施されるも、皇帝による専制主義は大前提なので改革は中途半端に。民衆のあいだに自由思想が醸成される。1866年、カラコーゾフの銃撃による皇帝暗殺未遂事件発生。1881年、手投げ爆弾により、ついに皇帝暗殺される。
    次のアレクサンドル三世は父が暗殺されたことにより超保守派に、自由主義者たちを掃討する。経済的には未曽有の発展を経験する。
    ■20世紀初め……ニコライ二世(皇太子の時に大津事件)即位。父の専制主義を受け継ぐ。経済は発展するが労働環境は劣悪なまま。農民生活は窮迫し騒擾は収まらない。一方でニコライ二世の弾圧は強くなるばかり。政治家を狙ったテロ、ユダヤ人へのポグロム、各地でゼネスト。日清戦争で日本が得た遼東半島を還付させ満州に進出。1904年、旅順のロシア艦隊を日本が奇襲して日露戦争。多大な損害を出して敗戦。1905年、サンクト・ペテルブルクではデモ隊に発砲、数百人の死者を出す「血の日曜日」事件。ポチョムキン号で水兵が反乱。全国にゼネストが広がり、国民生活はしばらくは麻痺状態に(第一次ロシア革命)。
    1914年、英仏露三国協商vs独墺伊三国同盟の第一次世界大戦。戦局はドイツに押され、内閣は分裂、ラスプーチンの暗躍、都市での食糧危機。
    1917年2月、女性労働者の「パンよこせ」デモが拡大、学生も決起、一部の軍人も反乱を起こしついに革命(第二次ロシア革命/二月革命)へと発展、首都は完全に無政府状態。ニコライ二世が退位して帝政崩壊。メンシェヴィキのチヘイゼが労働者・兵士ソヴィエトを結成。あと、臨時政府(ケレンスキー)、ボリシェヴィキ(レーニン)、エスエル、ソヴィエト、軍(コルニーロフ)などによる激しく入り乱れた権力闘争。
    同年10月、レーニンのボリシェヴィキが武装蜂起(十月革命)。臨時政府のケレンスキーは逃亡。ジェルジンスキーによる秘密警察”チェカー”の創立。継続中の第一次世界大戦は講和を結んで戦線から離脱。
    同年4月、トボリスクで軟禁状態だったニコライ二世とその家族全員がヤコフ・ユロフスキー率いる銃殺隊によって殺害される。
    混乱に乗じてフィンランドが独立成功、しかしウクライナの独立は阻止される。全工業を国有化、全穀物の国家独占、土地も教会も国有化。我慢の限界を超えた農民対ソヴィエト軍の熾烈な内戦、都市部でも食糧難による反乱、他国からの干渉戦(日本によるシベリア出兵など)により大混乱、何万人もの戦死者、餓死者、処刑者。以後、政府の譲歩(新経済政策・ネップ)により少しは落ち着きを取り戻し経済も持ち直す。レーニン、脳梗塞で死去。反対派(トロツキーなど)の排除によってロシアはスターリンの手に落ちる。
    ――――――――――――――――――――
    ※これまでロシアは相当悲惨な歴史をたどってきた。しかしそんなの全て前座。これから真打ちスターリンの独壇場、本当の地獄が始まる……。
    ――――――――――――――――――――
    ■富農たちの根絶(数百万人)と農民の性急すぎる強制的な集団化(コルホーズ送り)。それに対する農民の抵抗と家畜の死による生産性の激減。結果、数百万人の餓死者(1933年ウクライナのホロドモールを含む)。
    ■一方工業は5か年計画により躍進(資本主義勢は1929年に世界大恐慌)。……つまり農村(農業)が都市(工業)の犠牲にされていただけ。
    ■「ラップ(プロレタリア作家協会)の棍棒」により、ゴーリキーやショーロホフでさえボテクリこかされる(ゴーリキーは息子ともども毒殺される)。
    ■スターリンを頂点とする一元化経済はその名の通り根本的に豊かではない。宿命的に、スターリンの思惑を超えて膨らんではいかないものなのだ。
    ■農民は移動禁止で実質農奴に逆戻り。
    ■西にはヒトラーのナチス、東では日本が満州事変。
    ■「世界一民主的なスターリン憲法」発布。キーロフ暗殺事件を発端に大粛清の時代に。政治家の要人、ロシア正教の高僧、軍の英雄、バレリーナから名も無きお父っつぁん、おっ母さんまで……全階級の国民が見境なく、朝・昼・晩、とっ捕まっては処刑されていく。その家族、関係者も芋づる式に拷問、逮捕へ。はては大粛清の責任者エジョフでさえ最後は逆に処刑される始末。一連の大粛清による犠牲者は数百万人と見積もられている。
    ■ナチスドイツがオーストリアを併合、チェコも併合、ポーランドに侵攻。やっと英仏が宣戦布告して第二次世界大戦へ。
    ■ソ連は独ソ不可侵条約を締結のうえ、ポーランド(カティンの森事件)の一部とフィンランドの一部を占領。日本とは日ソ不可侵条約。
    ■大祖国戦争。レニングラード攻防戦、スターリングラード攻防戦。クルスク戦から逆襲に転じ、ソ連は東ヨーロッパに侵攻。ベルリンに入城して、ドイツ降伏、ヒトラー自殺。返す刀で満州へ、そして日本も降伏。
    なおソ連の戦争犠牲者は約2,600万人(ドイツは685万人、日本は310万人)。
    ■戦後。東欧諸国に対する鉄のカーテン。アメリカは西ヨーロッパにマーシャルプラン。結果、ワルシャワ条約機構対NATOの冷戦構造へ(朝鮮戦争、インドシナ戦争、ベルリン封鎖、キューバ危機)。なお、戦争終わってもスターリンによる弾圧は無くならず。
    ■1953年、脳卒中で突如スターリン死去。
    1956年、フルシチョフによる「スターリン批判」。スプートニクの打ち上げ、ガガーリンの有人宇宙飛行。フルシチョフとアイゼンハワー大統領との会談。ただしキューバ危機も。自主独立路線のユーゴスラビアと和解するが、中国はフルシチョフを修正主義者と批判。フルシチョフは農業政策の破綻で失脚。
    ■ブレジネフ、1968年プラハの春(ドゥプチェク)ではチェコに軍事介入。ソ連国内の反対派には弾圧を(ソルジェニーツィン、サハロフ(ソ連の水爆の父)ら)。ベトナム戦争、一方でデタント。社会情勢は比較的落ち着いてくる。
    ■アフガン侵攻によって新冷戦時代。軍備拡張。経済は停滞し社会不安がいや増すだけ。モスクワ五輪はボイコットだらけの大失敗。ブレジネフ死去、引き継いだ書記長は老人か病人ばかり……。
    ■1985年ゴルバチョフ(54歳)就任。1986年チェルノブイリ事故が契機にソ連の欠陥が世界に喧伝され、ついにペレストロイカが始まる。
    ――――――――――――――――――――
    ※チェルノブイリ事故という、またぞろ悲惨な出来事を経て、ついに私たちのロシアの、長~い、長~い夜が明けようとする!
    ――――――――――――――――――――
    ■グラスノスチにより、言論の自由、検閲の廃止、情報公開。ゴルバチョフはレーガン大統領とIMF(中距離核戦力)全廃条約調印。アフガン撤退し、冷戦終結宣言。10月革命以後初の自由選挙で民主派エリツィンが大統領へ。バルト三国独立。ソヴィエト共産党解散。ウクライナ、ベラルーシも独立して1991年年末、ソ連崩壊。
    ■エリツィンは新体制の成立、抵抗勢力との闘いに苦慮しながら、病気や身内の汚職事件のせいで一線を退く。彼が後任に指名したのがプーチン。
    ■プーチンはチェチェンのテロへの厳しい対応などで人気を得て政権は安定。メドベージェフとのタンデム体制で強いロシアを目指す。しかし反体制派ジャーナリストの毒殺(ノビチョク)や、憲法を改正して大統領の任期を延々長引かすなど年々独裁傾向を強めているし、クリミア半島併合などのあまりにも強硬なやり口からは新たな冷戦時代の到来が心配されている。

  • ふくろうの本、写真や絵が多いので気に入っています。

    ロシアの歴史というと、「ロシア→ソ連→ロシア」と誰でも思いつくと思うのですが、
    この本をあけてびっくり
    なんとウクライナの首都キエフから始まるんです!
    これって、日本史が韓国や台湾から始まるみたいなものじゃないですか?

    そして、この本は2010年に初版発行、
    2014年にその後の約4年間を8ページプラスしているんですが、
    そしたら、ウクライナ問題で終ってしまったんです!

    ロシア史の最古の時代はロシアはキリスト教の導入により「ヨーロッパ」の一員となりました。
    しかしその後ロシアは帝国としての歩みを始めるとともに、しだいにヨーロッパへの対抗意識を強め、
    「ロシア対ヨーロッパ」ないし「ロシアかヨーロッパか」という構図で語られるような事態となりました。
    それを如実に表しているのがウクライナ危機なのではないでしょうか。

  • EVERNOTE登録済

  • 学校の資料集の感覚ですらすら読めて、ロシア史の入門編としてうってつけ。

  • 図書館で。
    ロシアの歴史が初心者でもわかりやすい本無いかな~と借りてみました。この薄さでなんと2014年のクリミア事件まで反映させてる!すごい!ただその分駆け足なので手元に置いて調べなおさないと頭に入ってないなあと思いました。買おうかな…
    もう一つ言わせてもらうと最後に索引があるとありがたかったですね~ そして日本との関係ではなく世界歴史との年表があると良かったのにな。

    スターリンの事、何も知らないな、と借りてきた本でしたが結構最近まで…と言ってももう半世紀以上前ですが…までご存命だったとは。それほど昔の話じゃなかったんだな、という事にびっくりします。今もトルコと緊張関係が続きますが戦争に発展しないと良いなあ…。

  • 著者の主張が前面に出ている珍しい書き方の歴史書と思ったが、図表が豊富で本文とピッタリ合っていて各場面をイメージしやすく、読みやすかったし理解しやすかった。特に、農業生産についての疑問が解消できたのは良かった。

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著者プロフィール

1944年岩手県生まれ。北海道大学名誉教授。
著書:『ボリス・ゴドノフと偽のドミトリー──「動乱」時代のロシア』(山川出版社、1997年)、『タタールのくびき──ロシア史におけるモンゴル支配の研究』(東京大学出版会、2007年)、『図説 ロシアの歴史』(河出書房新社、増補新装版、2014年)、『『ロシア原初年代記』を読む──キエフ・ルーシとヨーロッパ、あるいは「ロシアとヨーロッパ」についての覚書』(成文社、2015年)、『イヴァン雷帝の『絵入り年代記集成』──モスクワ国家の公式的大図解年代記研究序説』(成文社、2019年)、『世界の歴史(11)ビザンツとスラヴ』(共著:井上浩一、中央公論社、1998年/中公文庫、2009年)
訳書:A・Ia・グレーヴィチ『歴史学の革新──「アナール」学派との対話』(吉田俊則と共訳、平凡社、1990年)、R・G・スクルィンニコフ『イヴァン雷帝』(成文社、1994年)、モーリーン・ペリー『スターリンとイヴァン雷帝──スターリン時代のロシアにおけるイヴァン雷帝崇拝』(成文社、2009年)

「2022年 『『絵入り年代記集成』が描くアレクサンドル・ネフスキーとその時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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