- Amazon.co.jp ・本 (555ページ)
- / ISBN・EAN: 9784314004855
作品紹介・あらすじ
進化論といえば、まず問題になるのが、適応とか自然淘汰という概念である。一体誰にとっての適応であり、誰にとっての自然淘汰か。ここでドーキンスは、従来の常識に反し、革命的な主張をする-それは、自己複製子としての資格をもった利己遺伝子である、その意味では、生物個体はヴィークル(乗物)にすぎない、と。知的興奮を呼び起すスリリングな科学読物。
感想・レビュー・書評
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『利己的な遺伝子(増補新装版)』の「一九八九年版へのまえがき」に、「おそらくは私の今後書くもののなかでもっともすばらしいもの」と書いてあったので、読んでみようと思った。「まえがき」に「…おもに想定している読者は、私の専門での同僚たち、進化生物学者、動物行動学者や社会生物学者、生態学者、さらに進化の科学に興味を抱いている哲学者や人文科学者であり、そしてもちろんこれら全学問分野の大学院生や学生たちをふくんでいる。そういうわけで、…読者が進化生物学とその学術用語についての専門的知識をもっていることを前提にしている。」と書いてあるのでかなり心配になったが、それに続けて「とは言うものの、たとえその専門とかかわるわけではなくとも、見物人としてある専門書を楽しむことはできる。」と書いてあるのを頼りに読み始めた。しかし、これはさすがに歯が立たない。特に第1章から第10章までは、何が書いてあるのか全然分からなかった。ただ、本題の部分(第11章から最後の第14章まで)は、読んでいておもしろかった。「見物人として」、十分楽しめたと思う。遺伝子の表現型は、その遺伝子が物理的に存在する細胞や体の中で発現するだけでなく、生物の行動や造作物という形で体の外でも発現する。細胞や体の中での表現型発現が多数の遺伝子の相互作用に依存するように、体の外での表現型発現も多数の遺伝子の相互作用に依存する。その多数の遺伝子は、ある生物個体の中にだけ存在しているとは限らない。同じ種に属する多数の生物個体の中に分散して、または、異なる種、門、界に属する多数の生物個体の中に分散して存在しているかもしれない。さらに、ある生物個体の中に存在する遺伝子の表現型は、同種かどうかを問わず、他の生物個体の中で発現することもある。遺伝子の表現型は、その表現型が自然淘汰の対象になる限り、どこへでも延長される。『祖先の物語』、『虹の解体』の参考文献。
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『利己的な遺伝子』の概念を更に推し進めた作品です。遺伝子の影響が本質的には生物個体に制限されていないことがわかりやすく説明されています。
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ミームって何だろうね。