ひきこもり文化論

著者 :
  • 紀伊国屋書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (262ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784314009546

作品紹介・あらすじ

「ひきこもり」の社会的背景から、「甘え」文化との関連・欧米・韓国との比較、サイバースペースの特質、治療者としての倫理観にいたるまで、縦横無尽に展開してきた文化論・社会論的考察を収録。

感想・レビュー・書評

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  • さまざまに書き込んできたものをあつめた。
    文化論というよりも、
    よせあつめかも。

  • ひきこもりは現象であって、病名ではない。直ちに治療を必要とするものではない。
    医療以外の二つの方法。追い出すか現状の全面的肯定。この二つ以外の方法をとる必要がある場合にのみ、治療は有効。放置しても離脱は起こりにくい。
    ひきこもり離脱支援団体のいかがわしさ。ルールの存在しない善意による暴力にある。

    ひきこもりの心のうち、焦燥感と惨めさで充満し、誇大な自我理想をもつことでようやく自分を支えています。激しい空虚感、絶望的な怒りがたびたび襲ってくる。いつかは自力で立ち直ることができるというプライドにしがみつくために、他人に助けを求めることはおろか、治療機関を受診するなど思いもよらない。

    万能感の排除の失敗。
    母子の共依存の問題。
    インターネットはむしろ有用。ただし、会話が最も有効。情報のやりとりではない、無意味性。会話の生命はこの無意味性に支えられている。

    ひきこもりと世代論。
    おたくが生じた新人類あたりから、ひきこもりかが取り沙汰されるように。

    失われた孤独
    孤独でいられない若者たち。孤独、ひきこもりにこそ、思索はある。

    偶発的な出会いこそ人を成長させる。そこから心を閉ざしてしまっては、ひきこもりからでれなくなってしまう。

  • Ⅳ「甘え」文化と「ひきこもり」という章がとくにおもしろかった。
    かねてから「甘えてあげる/甘やかさしてもらう」という考え方を一部採用しているので、甘えることと甘やかすことが対になっていると書かれてあるところなど、我が意を得たりという感じがした。
    甘さでべとべとにならないうちに、「あきらめ」を知ることとして去勢の問題に入っていくなど、うまくバランスが取れていると思った。
    配慮にあふれた説明は読んでいて気持ちいい。

  • 定言命法がその妥当性を失い仮言名法が幅を利かせる中で、さらに人の欲求が減退すればするほど仮言命法の「○○したければ~」が薄くなる。その結果○○せよという環境が整わない。簡潔に分かりやすく説明した文言だと思った。
    どうりで今の世の中は引きこもりだらけなわけだと、妙に納得した。

  • 図書館で借りました。相変わらず難しいですね。
    でもなんとなくですが言葉にはできないけど自分の中でゆっくりと消化できてきてる気がする。
    少なくとも読む前よりは知識がついてるからいいと思う。以下目に止まったフレーズ。

    「善意、純情の犯す悪ほど困ったものはない。第一に退屈である。さらに最もいけないのは、彼らはただその動機が善意であるというだけの理由で、一切の責任は解除されるものとでも考えているらしい。悪人における始末のよさは、彼らのゲームにルールがあること、(中略)・・・ところが前任のゲームにはルールがない。どこから飛んでくるか分からぬ一撃を、絶えず僕は恟々としておそれていなければならぬのである。」 『悪人礼賛』より

    「子供は成長とともに、父親をはじめとする他者との関わりを通じて、『自分が万能ではないこと』を受け入れなければなりません。この万能性の断念が『去勢』と呼ばれています。ですから去勢とは、簡単に言えば『あきらめを知る』ということになるでしょう。』

    現在、ひきこもりの約八割は男性であるらしい。それは上記の去勢を否認することが影響しているのだとか。男性は現代日本の社会状況において期待度が女性に比べて高いですよね。だから就職や就学できる率は高い。でも女性は「女の子」として扱われ、早い時期から「あきらめ」を受容させたれている、そのような社会システムが女性を「去勢」させることに成功しているらしい。なるほどと思った。
    去勢ができていない人間は「価値観の狭さ」と「自己中心性」が特徴であり、それはしばしば典型的な偏差値エリートと一部の登校拒否児≒ひきこもりとの共通点だという。

    「私たちはよく、会話が成立しない場合に『話題がないから』と言い訳します。しかし実は『話題』を問題にする人ほど、コミュニケーションに苦手意識を持っていることが多いのです。(中略)おそらく会話の生命は、この『無意味な部分』によって支えられているのでしょう。その典型的な例は『挨拶』です。(中略)挨拶をする。そこにはじめて、対話の『コンテクスト』が生まれる。」

    これもすごい印象的だった。最近の自分は、日常会話にですら意味を求めようとしている感じがあったから。それで大げさに言えば「あいつと話しててもつまらない」といった難癖つけて縁を切るみたいな。この言葉は響きましたねー。

    「ディスコミュニケーションの痛みが、あたかも免疫反応のようにして、人を創造へと向かわせるのです。言い換えるならば、コミュニケーションにおいて痛みを感ずることなく、常に仲間の承認に取り囲まれていれば、人はなにも高度な想像力や創造性を必要としないのかもしれません。」

    「トラウマはむしろ人を過剰に活動的にする。青年がおそれているのは、トラウマではなく、社会に参加することによって、妹の記憶がトラウマ化されてしまうことではなかったか。妹の記憶を封印し、引きこもることで時間を止めてしまえば、リアルな妹の現前性は保たれる。もしトラウマになってしまったら、その喪失は決定的なものになってしまうだろう。だから彼は身動きが出来ない。彼は妹の記憶にみずから望むようにして呪縛され続けるほかはないのだ。」

  • 総合的なひきこもり論。斎藤環の入門書として。

  • エッセイに使用。筆者さんはとても優しく、芯のある方だなと思いました。ひきももりという複雑で未だ明確な答えのない問題に、真摯に向き合っているお姿がよく伝わってきました。分かりやすく、おすすめの1冊です。

  • ひきこもりというものを、理解していなかった事を、認識させられる。
    僕にとってはすごく衝撃だった。

  • 「ひきこもり」という言葉が市民権を得たのはバブル崩壊と同時期か。それは病名ではなく、システムだと言う。社会と自分との間にできるこの亀裂は、海外で英訳されることなく「hikikomori」と綴られるという指摘に愕然とした。「母と息子の密着」「去勢否認」「身内意識」というキーワード。ひきもりは圧倒的に男性が多く、その誘導者は「母」であるという統計には参った。

  • 「ひきこもり」の社会的背景から、「甘え」文化との関連・欧米・韓国との比較、サイバースペースの特質、治療者としての倫理観にいたるまで、縦横無尽に展開してきた文化論・社会論的考察を収録。

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著者プロフィール

斎藤環(さいとう・たまき) 精神科医。筑波大学医学医療系社会精神保健学・教授。オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン(ODNJP)共同代表。著書に『社会的ひきこもり』『生き延びるためのラカン』『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』『コロナ・アンビバレンスの憂鬱』ほか多数。

「2023年 『みんなの宗教2世問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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