いまこの国で大人になるということ

著者 :
制作 : 苅谷 剛彦 
  • 紀伊國屋書店
3.22
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本棚登録 : 221
感想 : 26
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  • Amazon.co.jp ・本 (348ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784314010054

作品紹介・あらすじ

さまざまな分野の第一線で活躍中の著者たちによる、"大人になる"ということをキーワードに、自分なりの視点から現在の若者を囲む情況を浮き彫りにした、ポジティブな考え方・生き方につながるメッセージ。

感想・レビュー・書評

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  • 摂南大学図書館OPACへ⇒
    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB00151278

  • 高校生や大学生に向けて書かれた本だけど、
    社会人になり数年たって読み、響く言葉が多々ありました。
    もっと若い時に出会いたかったなと思います。
    でも、今の自分だからこそ、響いたり考えることをする必要があったのかとも思う。

  • ☆信州大学附属図書館の所蔵はこちらです☆
    http://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BA76712636

  • 大人になるということはどういうことなのか?について理解をする・知識をつけるというよりも、それぞれの道を辿っている人間がそれぞれの視点で同じテーマを考えているのを、自分の中の価値観と照らし合わせることで自分の今の立ち位置を探っていくようなイメージで読むことを意識した。

    この人の言ってることはよくわからない、この人の主張には反抗心が芽生える、この人と同じことを考えていることがある…
    など、自分の中の、未だ固まりきっていない思想(固めることをゴールと思っているかは別として)の写し鏡のように見ていくと、
    今後深掘りたい考えや読みたい著書が増えたり、専門家であるとしても人の意見を鵜呑みにすべきではない、と感じたり…

    結局正解というものは分からないのだが、自分の人生について考える枠組みや視座を与えてくれた。

    同じように悩んでいる同世代の人にも勧めたいと思う一冊だった。

  • 果たして自分はいつ「大人」になったんだろうか?

  • 「大人になる」というのは、余りにも漠然とした問いで、多分正解はない。しかも、先の問いは、年齢の如何を問わず、「成熟」という問題意識で常につきまとうことでもある。そうだとすれば、自分なりの正解を、その時々で見つけていく必要があるが、そのためには先人の知恵を借りるのが簡便だ。場合によっては、あるいは時期によっては、その知恵に乗りかかっても構わないとも言える。本書は、多様な経歴、立場にある人達が、「大人になるということ」をテーマに語っていく。成熟という切り口で見れば、何れの年代でも楽しめる書と思う。

  • 今日少し争ったら、明日は社会に巻かれればいい。そんな感じか大切。

  • 久しぶりに読書記録。

    苅谷剛彦先生を中心に、さまざまな方面の第一線で活躍する16人が「いまこの国で大人になること」について言及している。

    2006年発行だが、どの寄稿を読んでも微塵も古さを感じない本質を突いた書籍だ。

    著者ごとの専門や普段見ているものによって語り口や切り口が異なるから大変面白い。

    ただ、数人の記述に共通していえるのは、近代以前の「家業を継ぐ=大人」という図式が、近代以降は技術革新により保てなくなり、それまで身体的には大人(一人前)でなくとも仕事を手伝えるから半分は大人(半人前)と捉えられていた青少年たちが明らかに「子ども」になりさがったということだった。これがフィリップ・アリエスのいう「子どもの誕生」だ。

    子どもたちを過酷な労働に晒していた近代以前の反省から、世の中は人間が大人になるまでの猶予期間をどんどん伸ばしていった。

    家庭内で行われていた教育のほとんどは家業を継ぐための職業教育であり、ある意味で家庭が教育機関を担っていたといえる。
    しかし、近代以降は、家を出て、家業とは異なる職業(今でいうと圧倒的にホワイトカラー)に就くことが主流になってくるため、家庭内では能力の育成が不可能となった。したがって、学校にその役割が求められてきたわけだ。職業選択するまでの間に、基礎となるであろう力(読み書き計算)やプラスαのそれが教えられる。

    …と、私が思ったのは、大人になるまでの猶予期間が長ければ長いほど、いったい学校は社会に不適合な人間を一定数つくってしまう可能性があるということだった。
    まぁ、どこかで折り合いをつけるしかないね。
    長くなってしまいそうだから、それはまた別途。

    いやはや、だから、どうして、「30歳成人説」とか「35歳成人説」とか巷では諸説語られているわけだけれども、平均寿命も伸びて、結婚年齢も高くなって、子どもをもたない人も多くなって、自分が大人であることを感じる実感をもちにくい、特に現代のこの東京という都市は「大人」を語るにはあまりにも複雑すぎる。
    杓子定規には語りきれないよなと思うし、私自身が大人という感覚を持ち合わせていない気がする。
    それは、後輩があまりいないなどの立場的な要因もある。
    やはり役が人をつくるという側面は大きいと思う。

    皆さんはどう思うのだろう。


    本の話に戻るが、個人的には斎藤環さんのサブカル節炸裂トークが非常に面白かった。
    ガンダムとかエヴァンゲリヲンとか、考察が楽しすぎる。

    茂木健一郎さんの、大人こそ子どものものの見方を忘れちゃいけないという語り(ちょっと湯本香樹実の『夏の庭』っぽいあれ)が茂木さんらしいと感じた。

    小谷野敦さんは相変わらずひねくれて吠えてて、人間そのものが愛らしいけど、ちょっと面倒臭い(笑)
    (飽くまで「ちょっと面倒臭いから愛らしい」というわけではないかも…笑)

    また時間をおいて読み直したい一冊。

  • 豪華執筆陣による16の章立て構成。
    それぞれ「いまこの国で大人になるということ」について
    独自に論じられ、読みごたえある本です。

    この本を読んでから、「オトナとしての自分」についてしばしば考えます。
    吉澤夏子先生の「理不尽な現実をどう受け止めるか -男/女になるということ-」の章では、大きくふたつに分けて
    (1)ジェンダーが規範であることを「知る」ことによって「大人になる」ということ。
    (2)たとえば<恋愛という経験>をとおして「大人になるということ」。
    について論じられています。

    (1)「私たちは社会化によって人間=大人になる。だからただ生まれただけでは、男/女になることはできないのだ」。
    このようにジェンダーを相対化する視点が重要なのは、
    「人間が一人一人異なった性的存在であるという端的な事実を知ることができる」
    「そしてそのことは自分を解放し他者を認めることに繋がる」。

    男/女であることを自明視し絶対化することは、無意識のうちに他者を傷つけている場合もあるそうです。

    (2) この章のトビラのページには、本文からこの議論の一部が以下のとおり抜粋されており、その一文を読んだだけで、泣けます、私。

    「私たちが痛切に思い知らされることがある。それは、ある人が自分にとってどれほど特別な存在であったとしても、その人にとって自分が特別な存在だとは限らない、ということだ」。

    まさに「理不尽な現実をどう受け止めるか」という、容赦のない命題が導かれ、大人になる、ということは、絶望から希望へのモメントになりえることを予感させてくれます。

    (2006年12月作成レビュー)

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著者プロフィール

1955年生まれ。専攻=憲法。東京大学法学部助手、筑波大学教授などを経て現在、中央大学法科大学院教授。
主著として、『差別的表現』『教育の権利と自由』(ともに有斐閣)、『社会権の歴史的展開』(信山社)、『憲法解釈の論理と体系』『民主政の欠点』(ともに日本評論社)、『表現・教育・宗教と人権』(弘文堂)など。

「2012年 『人権の精神と差別・貧困』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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