中世の覚醒: アリストテレス再発見から知の革命へ

  • 紀伊國屋書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (502ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784314010399

作品紹介・あらすじ

12世紀、イスラーム世界で受け継がれてきたアリストテレスの著作がキリスト教徒に再発見される-合理的な思考様式を備え従来の世界観を覆すその思想は、キリスト教世界に大きな衝撃を与え、信仰と理性、正統と異端をめぐって、教会と大学を論争の嵐に巻き込んでゆく。神は理性で説明できるのか?宗教と科学の調和はどこまで可能なのか?「アリストテレス革命」とも呼ぶべき、中世ヨーロッパの知の覚醒を鮮やかに描く西欧精神史。

感想・レビュー・書評

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  •  万学の祖とまでいわれる、アリストテレス。その著作が西ヨーロッパに再登場してからというもの、後世いかなる発見とも異なるインパクトもって社会の文化、制度に大きな、革命的な変化を与えることになった。
     
     近代哲学の祖である。フランシス・ベーコン、ルネ・デカルトが科学革命を宣言するおよそ400年以上前から、近代的みなしうる合理的、現実主義的、経験主義的思想が席巻し、文化戦争の火付け役となっていた。
     
     近代より前のこの「中世ルネサンス」こそ西ヨーロッパを覚醒したことによると唯一の転換点であったと認識してそう大過ないと思う。こうした見解はいまだ広く認知された歴史的パースペクティブとなってはいないものの、なるほど中世の覚醒とは、アリストテレス科学の受容と排斥をめぐるキリスト教徒との論争によってもたらされたものであり、知の歴史を決定的に方向付けた重大な出来事であったということがわかる。

     結論からいえば、つまり神学は信仰と理性の調和を達成し得なかった。アリストテレス的キリスト教は二つの異なる宇宙観の対立を解決することはできなかったが、両者の間に創造的な緊張をもたらした。アリストテレスの伝統が廃れるにつれて、西ヨーロッパの文化はいつしか、論理的に思考する頭という理想と、情熱的に追求する心という理想に、しだいに引き裂かれることになった。

  • いわゆる「12世紀ルネサンス」本かな?あるいは「普遍論争」の本?

    と思いながら、読み出した。

    そういう話はもちろんあるのだが、基本はサブタイトルのように、中世におけるアリストテレスの再発見と受容と拒絶、変容と発展についての本。

    12世紀、いわゆるレコンキスタで、キリスト教勢力が、スペインなどのイスラムに支配されていた地区を「回復」するなかで、キリスト教圏では失われていたプラトンやアリストテレスをはじめとしたギリシア・ローマの古典群、そしてそれに対する注釈の文献が「発見」される。そして、ギリシア語やアラビア語の古典のラテン語への翻訳センターがつぎつぎに生まれ、当時のヨーロッパの知識人がこぞって、失われていた古代の知識の読解にはまる。

    10数世紀前の古典が、当時のヨーロッパの知識レベルをはるかに超える水準にあったということ自体がまずは驚きなわけで、わたしがときどき思い出したように「12世紀ルネサンス」の本を読むのもこの素朴な驚きの感覚があるから。

    で、この本の中心はアリストテレス(前4世紀)。

    アリストテレスといえば、中世のスコラ哲学の中核で、たとえば、アリストテレスの本に記載のある天動説などの誤った知識が、コペルニクスの地動説などの弾圧につながったみたいなイメージがある。15世紀にコンスタンチノープルの陥落で「発見」されたプラトン・新プラトン主義の古典がイタリアルネサンスに影響を与えたこともあって、12世紀にアリストテレスが発見され、15世紀にプラトンが発見されたみたいなイメージを持っていた。

    が、この本によると中世のキリスト教神学の基礎を作ったアウグスティヌス(4〜5世紀)は、新プラトン主義を理論的な背景にもっていたようだ。現実世界とは別のところに「イデア」な世界があるというプラトンの思想とキリスト教の思想の親和性があったということであろう。

    アウグスティヌス自身は、プラトンやアリストテレスなどのギリシャ古典はある程度理解したうえで、理性よりも信仰を重視するかたちでキリスト教神学を整理した。

    その後、信仰に集中するなかで、ギリシア・ローマ期の知識は、キリスト教圏では失われていった。(昔のローマ人の学者は、ギリシャ語は翻訳なしで読めたので、ギリシャ古典のラテン語訳はなされなかった)

    アリストテレスの「自然学」的な記述には今読めば間違いがたくさんあるわけなのだが、大事なのはそれを考える合理的な思考プロセス。

    (個人的にはアリストテレスの本って、プラトンの対話篇などにくらべると圧倒的に読みにくい。よくこんな面白くないものにみんなハマったな〜と思うのだけど、「アリストテレスを読むのは、藁を食べているみたい」と言った人がいて、共感した)

    アリストテレスがもたらした合理主義は、なかなか信仰を中心とした宗教とは両立しがたい。とくに人格神の一神教のキリスト教やイスラム教ではなかなか難しい関係になりがち。

    アリストテレスに影響をうけた哲学者・神学者は、しばしば異端として破門されたり、追放されたり、場合によっては処刑されたり、大変な目にあう。(アリストテレス的合理主義とは全く逆なルートだが、神を直接体験した神秘主義のエックハルト・トールも異端になって、失意のままなくなってしまう)

    が、それでも、その影響は徐々に浸透していき、アンセルムス、アベラール、トマス・アクィナス、ドゥンス・スコトゥス、オッカムのウィリアムとなだたる思想家が生まれ出てくる。

    これらの思想家の命の危険があっても理性でもって世界を探求する勇気に感嘆するとともに、「世界の不思議を理解したい」というのは、人間の本質的な欲求なんだな〜と思う。

    これらの思想家は、キリスト教を信じていて、その範囲のなかでの思考なのだが、常に「信仰」と「理解」の両立に苦労する。

    が、徐々にその分裂は避けられなくなり、「宗教」と「科学」として、分離していくことになる。そして、中世の神学は、「「地球は丸く自転している」と考えたほうが説明が簡単である、が、星の動きは相対的で絶対的起点はないので、天が回っているということが誤っているとまでは言えない」というところまで到達する。もう、地動説まで、あと一歩のところである。

    人間の理性って、すごいな〜!

    著者は、中世史とか、哲学史の専門家ではなく、国際紛争解決が専門。(「解決」といっても"international conflict resolutionという分野は、なんか「解決」することはないですね。基本、国際紛争についての研究分野ですね)

    専門領域でないがゆえに、哲学・宗教その他でしばしば複雑になりがちなこの領域をかなりわかりやすく解説してくれている印象。

    それにしても、どうしてこんな本を書こうと思ったんだろう?

    関心はそっちのほうに向かう。

  •  世界史の授業で、中世のあとに突然ルネッサンスが始まって、それまで神への信仰が中心だった世界観から、人間中心のものの考え方に180度転換して、地球は太陽の周りをぐるぐる廻り、コロンブスは新大陸を発見し、マルティン・ルターは活版印刷で聖書を誰でも読めるものにした、と習いましたよね。
     でも、なんだか変だと思いませんでしたか。なんで「暗黒の中世」が終わってばら色の「ルネッサ〜ンス!」が突然始まるのか。その謎が、この本を読めばわかるんですね〜。いや、ものすごく面白い本でした。ほんと、買ってよかった。最初、新聞広告で「中世の覚醒」なんて、かっこいい!と「中世」って言葉がタイトルに入ってるというだけで「欲しい本」リストに入れていたんですが、いざ本屋で手にとって見ると難解な内容っぽかったんでいったん怖気づいたんですが、「本棚に飾っておくだけでもいいや」と思って買って、途中で投げ出すのを覚悟で読み始めたら、思いのほか読みやすくて面白かったので、うれしい誤算としかいいようがありません。
     さて、内容ですが簡単に説明すると「12世紀にムスリムの支配から解放されたスペインで見つかった、アリストテレスの知に初めて触れた西ヨーロッパの知識人たちが、このことを知ったために『信仰と理性』の問題についててんやわんやした」ということが書かれています(ざっくりとまとめすぎですが)。
     そこに登場する人物は、さながら歴代異端ヒーロー列伝と言ってもいいくらいで、かっこいいです。「異端」というと、我々日本人はすぐ「悪魔崇拝」だとかドラキュラだとか思い浮かべますが(え?私だけ?)、実はローマカソリックに都合の悪いことを説いて回った修道士や神学者がほとんどだったようですね。本書には「異端オブ・ザ・異端」のカタリ派も登場しますし、教え子のエロイーズちゃん(16歳くらい)と「いけないお勉強」に耽って、妊娠までさせてしまったため彼女の親戚から寝込みを襲われて、大事なアソコをちょん切られてしまったアベラールも出てきます。(どんなエロゲのバッドエンドだよ!って思いましたが、アベラールは別にこれで死んでしまったわけではありません)。
     そのほか、ロジャー・ベーコン、アウグストゥス・マグヌス、トマス・アクィナス、ウィリアム・オッカムなんていうどこかで聞き覚えのある人たちも登場します。
     キリスト教の「三位一体」というのは、汎神論を伝統的に受け入れている日本人である私には、どうもよくわからない概念で、なんでそんなことにこだわるのかすらよく理解できないんですが、逆に言うと「そこのところ」にずっと悩み続けたから西洋文明というのは今日のような発達を遂げたのかな、と思います。でもそれは、西洋のキリスト教世界ではとっくに忘れられていた古代の哲学者アリストテレスの膨大な著書の写本が、ムスリム(イスラム世界)によって、守られ研究され、翻訳されたものに出会えたからこそ芽生えたもので、そのことを西洋キリスト教世界が黙っていたというのは「ちょっとずるい」と思いました。
     今回「神学とアリストテレス哲学」というまったくの未知の分野の本と出合ったわけですが、私にとって新しい世界が拓けました。読んでよかった。秋の夜長にオススメの一冊です。


  • 中世ヨーロッパが暗黒時代からルネサンスを以って近代へ変容する様は人類史上の奇跡といっていい。ヨーロッパを形成する思想は疑いようもなくキリスト教に根差したものだが、そこにアリストテレスの知的再発見を伴い、宗教との棲み分けと補正を伴い、科学的進歩と文化的成熟を遂げた。本書はその歴史とプロセスを描き検証する。

    とはいえ難解な本である。。。序盤のムスリムとの接触によるアリストテレスの再発見はダイナミズムを感じさせるが、全体を通して賢人アリストテレスがもたらした役割がいまいち読み解けなかった。トマスがアリストテレスの思考様式を再研磨し、オッカムが思考の剃刀により信仰と理性を断絶し、中世の知の覚醒をもたらした、ということか。

    近くに再読してきちんと理解したい。。。

  •  素晴らしい。イスラーム文化圏との接触により欧州で巻き起こった通称「十二世紀ルネサンス」。そこで再発見されたアリストテレス哲学が当時の哲学・神学、ひいては中世文化全体に与えた影響を時に俯瞰的に、時に微細に記しています。

     ギリシャ哲学が再発見され、知的格闘を経てヨーロッパの文化圏に取り込まれてゆくプロセスには興奮すること請け合い。著者の筆は明晰かつ流麗であり、ページをめくる手を休めることが出来ません。上質な翻訳も読みやすさに一役買っています。

     古代哲学、中世神学、そしてルネサンス期の科学革命。一見するとばらばらにしか思えないこれらが、アリストテレス哲学という糸で繋がっていることがよくわかる一冊です。また、中世(この用語も曖昧ですが)はキリスト教が支配する知的暗黒時代だった、という通念を見事にぶち壊してもくれるでしょう。

     なお、四〜五世紀、東ローマ帝国で脈々と受け継がれていたギリシャ哲学がいかにして失われたか、という点にも一章を裂いております。ここだけでも大変にスリリングなので是非ご一読を。該当章のタイトル「レディ・フィロソフィーの殺人」はミステリめいていてちょっと素敵ですね。

     類書で省略されがちな参考文献と注釈も完備。そのうえ文献の邦訳も網羅しているという仕事ぶりには頭が下がります。この分野に興味のある方はもちろん、とりあえず歴史が好きという方にも絶対のお勧めといえるでしょう。

  • ギリシア哲学の遺産が、一時期、失われ、アラビア哲学を経由して再度、中世の欧州で発見されていくというプロセスがかなり詳細に記述されていて、極めてドラマチック、ドキュメンタリー的に描かれている。神学と科学の乖離を必要以上に強調する考え方に異議申立てを行っている。

    もう一つ、個人的には、殊更に強調されがちなイスラームとキリスト教文明の違いのようなことに対する潜在的な異議申立てにもなっている。著者はそれほど強調しているわけではないが。両者は双子の文明なのである。一神教として同じ神を讃える啓典の民なのである。

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