社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学

  • 紀伊國屋書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (616ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784314011174

感想・レビュー・書評

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  • 田舎在住ですが、最近都市からUターンで戻ってきた年配の方が、地域の祭りや習慣を否定する発言を繰り返し、コミュニティが混乱しているところです。
    家族以外の集団が価値観を共有するための仕組みとして機能してきたものが否定されていくと、その先には繋がりの崩壊もあるのかもしれません。
    個人的にはリベラルな考えをもっていると自覚していますが、道徳的な価値について考えるよい機会になりました。

  • 素晴らしい。素晴らしく読むのに時間が掛かった。それくらい、まどろっこしい論旨になっているが、通読するとなぜこういう構成になっているかが腑に落ちる。それくらい、価値観や道徳観、支持政党の問題は根深い。

    小生による理解では、書き手の主張はおおむね以下のようになる。
    - 「まず直感、それから戦略的な思考」・・・人は道徳的なイシューに出くわすと、まず直感で良し悪しを判断する。そのうえで理由づける。理由付けに失敗しても判断を変えることはない。
    - 「道徳は危害と公正だけではない」・・・本書では6つの道徳基盤が存在し、その強弱がその人の道徳観を形作っているとする。左派は「ケア/危害」「自由/抑圧」の2つの基盤に重点を置き、他の道徳基盤「公正/欺瞞」「忠誠/背信」「権威/転覆」「神聖/堕落」に対する感度が低い。保守は6つの道徳基盤に対してバランスよく取り入れる傾向がある。
    - 「道徳は人々を結びつけると同時に盲目にする」・・・人間は利己的でありながら集団を形成するホモ・デュプレックスである、とする。文化のみでなく遺伝子レベルで共進化しており、人が集団に属しようとする欲求は非常に強い。私は2つの道徳基盤だけでなく、6つ全部に目配りします、といった頭で考えてサインしたところで何の役にも立たない。

    欧米的な個人主義の価値観にさらされていると、リベラル的な(下手するとリバタリアン)こそが真っ当な価値観と洗脳されがちであるが、筆者は異を唱える。中国の陰陽の考え方を持ち出し、左派も右派も政治を真っ当な方向に進めていくために必要な考え方とする。右派は道徳基盤の毀損に気づきやすく、左派は現体制で虐げられている迫害に気づきやすい。非常に真っ当な結論だ。

    結論だけ読みたければ、Conclusionの項目を読めばよろしい。が、原題 "Why Good People are Devided?" を知りたい人はじっくり腰を落ち着けて読んでみることをおススメする。良書。

  • 「幸せ仮説」が、すごく面白かったジョナサン・ハイトの2冊目。(多分。。。少なくとも翻訳は2冊目)

    前回は、幸福系の話題だったので、いわゆるポジティブ心理学的な人かな、と思ったのだが、道徳心理学がメインのよう。あと、進化心理学みたいなところにいて、ポジティブ心理学とは関係あるものの、やや関心の向きは違いそうですね。

    本書は、そういうハイトの専門領域である「道徳」に関するところで、かつ政治的な意見がどうして対立して、そこをなかなか乗り越えることができないのか、心理学的な構造を解明する。

    そんなに難しい内容ではないし、面白いのではあるが、なかなか読み進まず、読んでは止めを繰り返して、1年以上、読了にはかかってしまったかな?

    なので、正確な内容はあまり頭に入っていないのだが、リベラルな多元主義的な人が、保守的な人が大切にしている価値を理解していない、という構図はとてもよくわかったし、自分的にも痛いところだなと思った。

    先日読んだ、ウィルバーの「万物の理論」でしつこく書いてあった多元論の問題性と繋がって、納得の度合いがたかまっった。

  • リベラル、左派的な見解かなぜ日本人に嫌われるのか知りたくて読んだ。道徳心理学で一定程度分析できるけど、これだけでは足りないように思う。アメリカの大衆についての研究だからかもしれないが、日本の左派には独特のエリート主義、大衆蔑視、客観性の欠如があると思う。参考にはなったが、すごく役に立ったわけではない。
    他方で、人間の政治的な選択か直感の先行するものであることなど、今後の自分の活動に有効な分析も多かった。
    これを生かして、自分なりのやり方を見つけたい。

  • とても面白かった。我々は感情を理性で正当化するし、それを前提に政治的党派性を見ればリベラル勢力は保守勢力よりも感情に訴える基盤に偏りがあり支持を広げられないとするのも理解できる気がした。

  • 「まず直観、そのあと合理的説明」といった道徳心理学の話で有名なジョナサン・ハイト。
    そんな道徳心理学者が6つの道徳基盤に関する一連の研究を踏まえた上で、保守主義とリベラルの特徴解明に迫る。
    道徳性の視点から、政治や宗教の在り方を考えるのは斬新で面白く、私のこころの扉を少し開けてくれたように思う。

  • ・心は<乗り手(理性にコントロールされたプロセス)>と<象(自動的なプロセス)>という二つの部分に分かれる。<乗り手>は、<象>に仕えるために進化した。
    ・誰かが道徳的に唖然としているところを観察すれば、<乗り手>が<象>に仕えている様子を確認できる。何が正しく、何が間違っているのかについて直観を得たあとで、その感覚を正当化しようとするのだ。たとえ召使い(思考)が正当化に失敗しても、主人(直観)は判断を変えようとしない。
    ・社会的直観モデルは、ヒュームのモデルから出発して、さらに社会関係を考慮に入れる。道徳的な思考は、友人を獲得したり、人々に影響を与えようとしたりする、生涯を通じての格闘の一部と見なせる。つまり「まず直観、それから戦略的な思考」である。道徳的な思考を、真理と追求するために自分ひとりでする行為としてとらえる見方は間違っている。
    ・したがって、道徳や政治に関して、誰かの考えを変えたければ、まず<象>に語りかけるべきである。直観に反することを信じさせようとしても、その人は全力でそれを回避しよう(あなたの論拠を疑う理由を見つけよう)とするだろう。この回避の試みは、ほぼどんな場合でも成功する。p97

    この効果は「感情プライミング」と呼ばれている。というのも、最初の単語が引き金となって、ある一定の方向に傾くよう、その人の心を準備させる感情の突発が引き起こされるからだ。p107

    覚醒を引き起こす文化心理学の力に関して、シュウィーダーは1991年に次のように述べている。
    「私たちは他人のものの見方をほんとうに理解するとき、自分の理性の内部に秘められた潜在的な可能性の認識に至り、...そのような見方が、初めて、あるいは再び重要なものとして立ち現れ始める。私たちの生きる世界に、均質的な「背景」などない。私たちは生まれつき多様なのだ。(Shweder, R. A "Thinking Through Cultures: Expeditions in Cultural Psychology", 5p)

    道徳心理学の歴史を通してもっとも簡潔で先見の明に富んだ文章で、ダーウィンは道徳の進化の起源について次のように述べている。
    「最終的に、私たちの道徳的な感覚や良心は、高度に複雑化した感情の形態をとる。社会的直観に端を発し、おもに他の人々の称賛によって導かれ、理性、利己心、そしてやがては深い宗教感情に支配され、教育や習慣によって確たるものになる。」p305

    さて、私の提起する道徳システムの定義が、次のようになる。
    :道徳システムとは、一連の価値観、美徳、規範、実践、アイデンティティ、制度、テクノロジー、そして進化のプロセスを通して獲得された心理的なメカニズムが連動し、利己主義を抑制、もしくは統制して、協力的な社会の構築を可能にするものである。p416-417

    イデオロギーに関するもっとも基本的な問いに「現行の秩序を維持するのか、それとも変えるのか?」というものがある。1789年、フランス革命時の国民議会で、現状維持を支持する者は部屋の右側に、変革を求める者は左側に座った。それ以来、右と左は、保守主義とリベラルを意味するようになった。p426

  • 波頭亮さんが大絶賛していたので読んでみた。
    未だに整理できていないのが左とは右とは何ぞやという事。自分の中で右は英訳でrightounesであるように唯我独尊というイメージ。ただ経済では保守だったり政治だと革新にいく人もあるので単純にあの人は右だとか左だとか言っても意味がない気がした。
    正義は人それぞれの道徳に基づいている筈で筆者の分析によるとそれを「ケア/危害」「公正/欺瞞」「忠誠/背信」「権威/転覆」「神聖/堕落」の6種類に分類されるという。それは育った環境・教育・文化・脳内ホルモンの完治状態によって人それぞれ変わるものなのだ。
    いわゆるリベラルの人は前者2つだが、保守の人は全てをバランスよく重視する。保守の人は軸が多く向社会性だが反対に権威主義や全体主義、軸が多すぎてまとまりがつかない感じになるのだろう。リベラルの人は軸が少ない分最適化で物を考える人が多い気がする。いわゆる成功者はリベラルの人が多いんで、それに影響されて社会に出ると保守の人が多い事、多い事。
    ただ上記の「忠誠」「権威」「神聖」も確かに社会の秩序を保つのにはある一定の役割をしているのでリベラルの人も保守の人を完全に存在を否定すべきではないという事。多分左も右もうまくバランスが取れているのが良いんだろうなと思う。あと右とか左とかはいつもどっちがどっちかわからなくなる、この辺はまた勉強したいと思った。

  • 道徳心理学の本。
    右左については、ケア/危害、公正/欺瞞、忠誠/背信、権威/転覆、神聖/堕落の五項目の道徳の基盤に依存している。
    そして、政治、宗教の対立は、「私たちのこころは、自集団に資する正義を志向するように設計されているから」である。
    と説く。

著者プロフィール

ジョナサン・ハイト(Jonathan Haidt)
ニューヨーク大学スターン・スクール・オブ・ビジネス教授(倫理的リーダーシップ論)。1992年にペンシルバニア大学で社会心理学の博士号を取得後、バージニア大学で16年間教鞭をとる。著書に『社会はなぜ左と右にわかれるのか:対立を超えるための道徳心理学』(紀伊國屋書店)、『しあわせ仮説:古代の知恵と現代科学の知恵』(新曜社)がある。

「2022年 『傷つきやすいアメリカの大学生たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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