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この作品からのみんなの引用
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要は、自ら「濁れる世」の只中をうろつき、危険に身をさらしつつ、しかも、批判的な姿勢を崩さぬことである。対象と深く関わり全面的に没入すると同時に、対象を容赦なく突き放し切って捨てること。同化と異化のこの鋭い緊張こそ、真に知と呼ぶに値するすぐれてクリティカルな体験の境位(エレメント)であることは、いまさら言うまでもない。簡単に言ってしまえば、シラケつつノリ、ノリつつシラケること、これである。
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いたるところに非合法の連結線を張りめぐらせ、整然たる外見の背後に知のジャングルを作り出すこと。地下茎を組み合わせ、リゾームを作り出すこと。
そのためには、ゆっくりと腰を落ち着けているのではなく、常に動き回っていなければならない。ワイズになるのではなく、常にスマートでなければならない。スマート?普通の意味で言うのではない。英和辞典いわく「鋭い、刺すような、活発な、ませた、生意気な」。老成を拒むこの運動性こそが、あなたの唯一の武器なのではなかったか?
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常に外へ出続けるというプロセス。それこそが重要なのである。憑かれたように一方向へ邁進し続ける近代の運動過程がパラノイアックな競争であるのに対し、そのようなプロセスはスキゾフレニックな逃走であるということができるだろう。このスキゾ・プロセスの中ではじめて、差異は運動エネルギーの源泉として利用(エクスプロイット)されることをやめ、差異として肯定され享受されることになる。そして、言うまでもなく、差異を差異として肯定し享受することこそが、真の意味における遊戯にほかならないのだ。
みんなの感想・レビュー・書評
日本におけるポストモダンの代表作、1983年に上梓された「構造と力」。学生時代はチンプンカンプンでしたが、今読み返すととても面白いです。まあ、とはいえ、読み返した今でも僕には難しすぎてついていけない所も多々ありましたが。 なんか記憶ではチャラチャラした本というイメージでしたが、そうでもないですね。定型的で閉塞感のあった60年代、70年代の日本の価値観から自由になろうという浅田彰のまじめさが伺... 続きを読む »
イロニーではなくユーモアを。沼から砂漠へ。クラインの壺からリゾームへ。
「ぼくは時代の感性を信じている」
「同化と異化のこの鋭い緊張こそ、真に知と呼ぶに値するすぐれてクリティカルな体験の境位(エレメント)であることは、いまさら言うまでもない。簡単に言ってしまえば、シラケつつノリ、ノリつつシラケること、これである」
EXCÉS=生きた自然の織り成す有機的秩序(ピュシス)からのズレ(単純すぎるが)。ピュシスからの追放。方向=意味(サンス)の過剰は、まず、恣意性のカオスとして現れる。コスモス(人間が知覚する自然の秩序)とノモス(人間が知覚する社会の秩序)からなる象徴秩序。
- コード化の原始共同体
プレモダン
- 超コード化の原国家
- ツリー
モダン
- 脱コード化の近代国家
- クラインの壺
ポストモダン
- リゾーム
『構造と力』って、じぶんらよりひと世代上には必読書みたいな扱いで、その余韻はぼくが大学生になるくらいにもまだちょっと残っていた。で、いままで読まずにいたので、どんなものだったのか読んでみたい、と思って探してみると、これ、文庫になっていないのか。なんでだろう。
錯乱せる自然。エントロピーという地の上に、矢印という図が現われた。これが生命である。矢印が安定した方向を指し示すように、生命は調和した。人間とその社会は、調和を追放されたところから出発した。調和しない人間は、それゆえ文化の秩序を打ち立てなければならない。絶対の必然性をもって立ち現われる文化の秩序は、まるで箱に詰められた風船のようだ。
25年前大学4年の時に一度読んでました。あらためて読み直していろんな発見がありました。ドユルーズもガタリも故人となってしまってます。
今開いても小難しい(笑)。
たぶん、大学時代にレポート書くために実家の書庫から引っ張り出して来たような記憶があるが、定かではない。
手製の装丁が施してある。母の仕業か??
ニュー・アカデミズムの火付け役となった本。岩井克人や柄谷行人の貨幣論などの、わが国におけるポスト・マルクス経済学の成果の上に立って、ドゥルーズ=ガタリの資本主義分析の有効性を考察している。 現象学的なまなざしは、サルトルが描き出したように、他者との間でどちらが相手を対象化して〈主人〉の坐につくことができるかをめぐる相克を生み出す。この相克を乗り越えて社会的秩序を編成するために私たちは、あらゆ... 続きを読む »
専門用語のオンパレードで初心者には難しい。
大学生に向けて書いているようだけれど、
パラフレーズ(この言葉すら知らなかった…)すると言いつつ、
全然パラフレーズされていないように思う。
一方、
図解は非常に簡潔だったので、
難しい文章との落差はいわゆるギャップ萌えを狙ってのことだろうか。
そのうちもう一度読もう。
あとがきにも書いてあるのだが、同じような内容が何度も繰り返されるのでくどく感じた。だが、全体の内容としてはわかりにくいようで思ったよりもわかりやすい部分が多いと思う。ラカンの章はよくわからなかったけれど。最後の章に書いてある、ニーチェがらみのユーモアに関する話は個人的に気に入った。全体としてドゥルーズ=ガタリがかなり高く評価されているし、主に話の核になっていた。
絶対に学生のうちに読んでおくべきだった。
いまさら読んで後悔。
現代思想というのは面白いけどほとんどわからない。
浅田彰も時代のあだ花みないなものだと思っている。
それでも、読んでおくべきだったと思ったのは、「序にかえて」。
無邪気に知と戯れる、ということをこれだけ肯定的に表現した文章もあまり見たことない。
ものはどうあれとにかく知のジャングルに飛び込んで徹底的に駆け回ること。
当時の僕には(今の僕にも)そういうものが全然足りていなかったように思う。
あのころ読んでいたら、いまとは違った方向に進んでいたかもしれない。
進んでいないにしてももっと目一杯学生時代を楽しめたかも。
あくまで、”かも”の話だけど。
遊園地という場所に曰く言い難い違和感を覚えるようになったのはいつからだろう。チケットを買って囲い込まれたら「さあ楽しみなさい」とばかりに様々な遊具をあてがわれる。そう、まるで涎掛けやオムツのように“あてがわれる”というこの感覚。娯楽欲求は受け皿がなければ“失禁”してしまうしかないものなのか。遊園地に限った話ではない。人間の欲動が遍く資本経済に絡め取られ、ハムスターの回し車のようにグルグルと消費の連... 続きを読む »
哲学本。
私が最近影響を受けている「中原圭介氏」と「苫米地英人氏」が大きな影響を受けた本ということで買ってみた。これから読む。
チラっと見ただけでもかなり難解な本であることが分かる。
中原氏の言うとおり、脳ミソを鍛える目的で、
何度か繰り返し読むつもり。

新人類の旗手として、面目躍如な本。





