ブーバー対話論とホリスティック教育―他者・呼びかけ・応答 (教育思想双書 8)
- 勁草書房 (2007年3月20日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784326298808
作品紹介・あらすじ
教育関係論の基本テキスト!「全体性」と「聖なるもの」に正面から向き合い、ロマン主義を踏み越えてブーバーによる出会いと対話の人間形成論の深層に迫る。
感想・レビュー・書評
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以下引用
信仰とは、人間の心の中のある感情ではなくて、現実性の中に歩み入ること、つまり、一切の省略や還元や抽象化のない、全体としての現実性の中に入りこむことである
教育的な関係は純然たる対話的関係である
なにか体系的な知識に支えられた、あるいは確固とした教義や経典に依拠したり、絶対的なものに安住することは決してなかった。そうではなくて、じつに不安定な足場を探りながら、それでも聖なるものを求めて、歩き続けた。右手にも左手にも、峡谷の危険な深淵をたえず意識しつつ、自問と対話を重ねた
すべて真に生きられる現実は出会いである
出会いとは、人生の物語の筋書きにはなかった予想外の出来事であり、その瞬間には「確かだったはずの物事の連関が揺さぶられて緩み、満足感よりみむしろ大きな問いを後に残して、それまでの確信が動揺する」
物語は、世界や人生の成り立ちや展開を時間軸に従って分節し、様々な出来事を筋立てて一貫した意味のまとまりを与えたもの
出合いは、確かだったはずの意味の連関や秩序は揺らぎ、きしみ、ときには破綻する。わかっていたはずの自分のアイデンティティも問いに付され、自らを物語る言葉を失う
出会いにおいて人はmず語る言葉を失う。沈黙させられてしまう深い瞬間から、しかし再び物語る言葉がよみがえる。
汝への沈黙、まったく言葉を失ってしまう沈黙、言葉が分節され形を与えられて声になる以前の、ひたすらに待ち望む沈黙こそが、汝を自由にする
独白することは、自分の物語の強化にすぎない
語られる言葉はmむしろ私が間と名付ける、個人と個人との間の波打ち振動する場に生起する。
人間が語るのではなく、間の場が語り掛ける言葉。それはまたロゴスである
肝心なのは、私がその語り掛けを引き受けることである、
言葉を失った沈黙の静寂のなかで、いま一度新たな言葉が届くのを耳をすませて待った
言葉が人間のなかに宿っているのではなく、人間が言葉のなかに立って、言葉のなかから語る
個人主義-人間の一部分の実を捉えているにすぎない
集団主義ー部分としての人間を捉えているにすぎない
向かい合うは、対立と超越の二種が含まれる
腹離隔は、他者や世界から距離を取り自立化することである
人間の個性化の厳格さと深さ、を前提にした他者性
自己を滅して他者を取り込むのではなく、互いの異質性を積極的に認めつつ、対話的な関わりに入る
距離をとること、関わることが共同して、向き合える
援助的関係における相互的な対等性の限界
親称で呼び合うような親しい友愛関係が、我汝関係とは限らない。
★心理療法も教育も同様に、活き活きと向かい合って関わり合いつつ、しかも距離をとりつつ関りに入る
自己と他者の区別を失って融合的関係にあるのではない、原離隔を可能根拠として、
わたしに対して、他者が他者自身の自己に成るための前提
★援助者には相手との関係に埋没したり依存したりしていないこと、その意味で相手に先立って自立しているという事が要請される
人間が他の人間に影響を及ぼそうとする状況は、恐ろしいものになりうる
★権力意志やエロスに基づくものではなく、謙虚さや高度の禁欲を伴ったものであるべき
潜在力は自己とは異なる他者性を介した他者に固有の仕方で実現していく力であり、援助者は、他者とそのつど向き合うときに将にここで生成しようとする、その系勢力を確かめてこそ、それに応答して援助することができる
ぶーばー:人間の本性はただ単に開放されるならば方向を失って混沌に陥る可能性を併せ持つ、それゆえ現実化しつつある力の方向性を見極める確証の重要性を指摘した
見せかけ、仮面を克服。
★教育とは、自分によって決定的な影響を受けてしまう可能性のある存在に対して影響を及ぼそうとする職業
生徒の現実性に基づいてなすのではなく、生徒についての自分の考え方や自分自身を基準にして遂行してしまう危険にさらされる詳細をみるコメント0件をすべて表示