漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか? (光文社新書)

著者 :
  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334033422

作品紹介・あらすじ

かつて漢文は、東アジアのエスペラントであり、日本人の教養の大動脈であった。古代からの日本の歴史を「漢字」「漢文」からひもとくことで、日本人が何を思い、どんな試みの果てに、この国が築かれてきたのかが明らかになってくる。日本人にとってまだ漢文が身近だったころ、漢文の力は政治・外交にどのように利用されたのか?彼らは、漢文にどんな知性や思いを込めたのか?-日本の発展の原動力となり、その文化・政治力を支えた「漢文の素養」をもう一度見直し、日本文化の豊かな可能性を提言する。

感想・レビュー・書評

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  • 漢文を解説した非常に面白い本です。
    漢文に興味がある方には非常にお勧めです。
    本書を読み、日本語の文章は漢文を基本として成立したことがよくわかりました。

  • 日本人が漢字とどう向き合って来たかという切り口から日本の歴史の流れを古代から現代までを分析さたもの。先人が中国との距離を確保しながら漢字を自らの血肉に変えて行った過程が良く理解できる。

  • 言語とはその民族の文化そのものだと改めて認識した。日本人がどのように文字を獲得し、古代中国の深淵な哲学を自分たちの血肉にしていったのかが、丁寧に解説されている。古の日本人が中国と微妙な距離を取りながら、幸運にも恵まれて中国の属国化を免れた事情もよく理解できた。呉音と漢音は日本に入ってきた時代の差と勘違いしていたが、地域差(方言)だったのね。それも新しい知識となった。
    最後に著者は現代日本人が漢籍を学ばなくなったことを嘆いているが、中国古代語を学ぶよりも外国語を学んだ方が圧倒的に実利的なのだから、限られた授業時間を英語学習に充てるのは仕方のないことだろう。だからこそSBIの北尾CEOのように英語もできて、なおかつ中国古典にも造詣が深い人には憧れる。

  • ▼第5章 中世の漢詩文([小見出:]中世の漢詩文と僧侶階級)p.160-63.より

        (注)・・・[ ]:筆者注  【 】:筆者見出しor 惹句

    ◆中世僧侶[学問僧]の特性
     中国でも朝鮮半島でも、純正漢文のリテラシー能力を独占した士大夫階級(朝鮮のそれは両班 ヤンパン という)が、早々と階級闘争の勝者となり、そのまま近代を迎えた。
     日本では、500年も続いた階級間の競争の副産物として、世界的に見ても充実した中流実務階級が形成された。・・・
     武家も公家も、世襲の身分であったが、寺家は違った。妻帯を禁じられた僧侶は、子孫を残せない。僧侶になるのは、公家や武家、百姓町人など、雑多な階級の出身者である。いきおい、僧侶は、階級間の緩衝地帯の役割を担った。身分が低くても頭が優れたものには、寺に入って学才を磨き、僧侶となって権力者のブレーンになる、という道が開かれていた。
     僧侶は、国際派知識人でもあった。出家とは、・・・自分の「国籍」を捨てることも含んでいた。さればこそ、日中間の国交がなかった時代でも・・・宋の皇帝に拝謁することもできた。
     ・・・また、大名など武家の権力者も、僧侶を幕僚として、あるいは「使僧」(外交官のような役目を担う僧侶)して使った。・・・安国寺恵瓊や・・・天海僧正など、中世から近世初期にかけては、宗教者の枠をはみ出た僧侶が多かった。そして彼らはおおむね、漢文の素養を身につけていた。
     日本の僧侶階級の強みは、高位言語たる純正漢文の読み書きができることだった。・・・日本の「お経」はみな漢訳仏典だから、一定レベル以上の僧侶はみな漢文が読めた。とくに「五山」と呼ばれる格式のある禅寺には、漢詩文に堪能な秀才が集まっており、朝廷や幕府の外交文書を代作したり、仏教以外の学問知識の保存を役目もになっていた。中国や朝鮮半島では、こうした仕事は士大夫階級の職務だった。日本では、純正漢文を読める僧侶階級が、士大夫階級の機能の一部を代行していたのである。

    ◆中世の日本では、僧侶が儒学[の研究と教育]をも担当していた。
     中国人や韓国人で日本史の勉強をする人が驚くことの一つに、中世の日本では、僧侶が儒学も担当していた、という事実である。本来・・・仏教と・・・儒教とは、水と油のようなイデオロギーであった。しかし士大夫階級が存在しなかった日本では、儒教の研究と教育も、僧侶階級が代行せざるをえなかった。・・・
     そして・・・中世の終了とともに、僧侶階級が高位言語を独占する状況は終わり、学芸の主流は中流実務階級の手に移る・・・。


    *1:加藤徹:かとう・とおる。1963生まれ、東京大学文学部中国語中国文学科卒業。現在、広島大学総合科学部助教授。専攻、中国文学。

  • 著者は、
    (以下引用)
    十九世紀までの漢字文化圏で、強力な中流実務階級が育っていたのは、日本だけだった。
    武士道的な行動倫理と、漢文的教養、そして「やまとだましい」という三点セットが、近代国家におしあげた。

    と言います。
    今の日本人には、行動倫理(行動規範と呼べるもの)も、漢文的教養も、ほぼありません。
    捨て去ったと言った方が正しいかもしれません。
    しかし、日本文化を形成する上で、漢文ほど、役に立ったものもありません。
    また、日本が近代化する上で、西洋の概念を理解するのにも、非常に役立ちました。

    今現在、漢文的教養、つまり中国古典等の知識を学ぶのは、
    「時代に合わない」と思われています。
    知識は、すぐに役立つもの、実学を重視するようになりました。

    しかし、すぐに役立つものは、すぐに役立たなくとも言えます。
    漢文のバックボーンとなる中国古典は、数千年の人間の知恵が詰まっています。
    すぐ役立たないかもしれないけど、長い目でみたら、
    これほど、役に立つものもないかもしれません。

    確かに、漢文の中には、難解な言葉や、思想、概念が多数含まれていて、
    とっつきにくい部分があります。
    ただ、そのとっつきにくい部分が、価値あるのかもしれません。

    日本は、昔、大陸から漢字を輸入して、自国の文化を作り上げました。
    そして、今は不幸なことに、
    東アジアの二国(中国、日本)は、互いに誹謗中傷、
    罵詈雑言を言い合うようになりました。

    自分は悪くない、相手が悪い。自分には関係ない。
    このような、一方的な言い分と価値観、そして、無関心と差別的感情が二者間の、
    基本的態度となりました。生産的な関係ではなく、
    いかに足を引っ張るかに、関心が向くようになりました。
    子供の喧嘩のように思えます。

    私は中国語を長年、学んでいますが、学べば学ぶほど、
    中国古典の知識が必要になると痛感しています。
    中国人の教養のバックボーンは、今も、昔も、古典に置いています。
    それだけ、古典(日本でいう漢文)に価値をおいています。
    今、日本には、そう呼べるものはありません。
    個人的非常に残念だと思います。

    加藤氏の漢文教育における並々ならぬ熱意(言ってみれば、絶対に学んだほうがいい!)を、
    この著作から、感じとれます(理系漢文の必要性にも言及しています)。
    「漢文を学ぶと良いことあるよ!」と直接言わずに、
    漢文が日本文化や日本人を形成する上でどれほど、役にたったかを、
    語っています。この著作を読むだけで、
    あっ、漢文って、面白いかもと思えます。
    その文章力には、やはり脱帽します。

  • 「漢文」について書かれているが、日本の歴史に沿っているので、とても読みやすかった。漢文なしに日本文化は成立し得なかったことがよくわかった。しっかり勉強しよう。

  • 分かりやすくて読みやすくて面白い!

  • 3年前から中国語の勉強を始めました。動機は色々あったのですが、勉強を始めてから気づいた面白さの一つに、漢詩があります。

    外資系勤務なので中国の北京や上海オフィスの同僚と話すことも多いのですが、彼らの殆どが漢詩の有名な部分を記憶しているのに驚きます。

    私の通っている語学学校でも漢詩の面白さを教えてもらっています。そんな私にとって、この本の表紙に書かれていたフレーズ「かつて漢文は東アジアのエスペラントであり、日本人の教養の大動脈であった」に惹かれました。かつて、日本以外にも、朝鮮(北朝鮮、韓国)・ベトナム・香港でも漢文が使われていたのですが、その行く末が異なったということも、書かれています。

    また、読み方が何種類もある漢字が存在して、覚えるのを苦労しましたが、これにも歴史がある(呉音、漢音、唐宋音、慣用音)があることを知り、少し親しみを覚えました。

    これを機に加藤氏の類書を読んでみたく思いました。読書の楽しみがまた一つ増えました、この本に感謝します。

    以下は気になったポイントです。

    ・アルファベットでしか書けない西洋語は、文字が発音の変化を忠実に反映しすぎて、綴りが100年単位で変動してしまうため、千年も経つと外国語になる(p12)

    ・日本国内でも、外国人社長と重役は純正英語を、中間管理職はカタカナ英語、平社員は日本語を、という三層構造が見られる。近代以前の日本も、上流知識階級は純正文語、中流実務階級は、口語風にくずした変体文語、下層階級は文盲であった(p13)

    ・高位言語は、東アジアでは漢文、西欧ではラテン語、インドでは梵語、中東ではアラビア語、チベットからモンゴルにかけては、古典チベット語が、高位言語の地位を占めていた(p13)

    ・封建時代の日本は、公家・寺家・学者は、純正漢文の読み書きができた、中流実務階級の武家や百姓町人上層は、変体漢文を交えた文体「候文」、下層階級は、無筆(文盲)であった(p13)

    ・国民国家とは、国民・国語・国軍の三点セットからなる近代国家という(p15)

    ・東アジアで、日本がいちはやく近代化に成功した主因は、中流実務階級が、江戸時代に漢文の素養を身に着けたことになる(p16)

    ・北朝鮮、ベトナムは漢字を全廃、全廃予定していたのは、中国、極端に制限したのは韓国、簡略化して使ったのは日本、無制限に使っているのは、台湾・香港(p17)

    ・古代文明は、集約農業・都市・金属器・文字、の4点セットから成る(p30)

    ・表意文字である漢字には、よいイメージを持つ好字、悪いイメージを持つ卑字、がある(p39)

    ・和語では、言(こと)と、事(こと)を区別せず、すげての言葉には霊力があり、ある言葉を口にすると、実際にそういう事件が起きる、と信じられていた(p43)

    ・今では、大仙古墳の被葬者は不明で、少なくとも仁徳天皇でないと定説化されている、埴輪や須恵器の形式に着目して建造年代を推定した結果と、古事記・日本書紀が伝える歴代天皇の順番が合わないので(p47)

    ・608年の遣隋使(小野妹子を大使)において、天皇という称号を初めて使用した。天子とか、皇帝という言葉を使うと門前払いになると思い、変則的な称号を考えたのだろう、倭国王は中国の皇帝の臣下ではにない、というメッセージを婉曲的に示すための苦肉の策(p76)

    ・漢字文化圏の中で、漢文を訓読するのは、日本だけ。中国人は、現代中国語の漢字音で漢文を読む。韓国人もベトナム人も同様(p78)

    ・訓点により、日本人はほんらい外国語である漢文を、自国語の古典として読めるようになった、これは画期的な発明である(p86)

    ・飛鳥時代の日本は、外圧と、お雇い外国人、という二つの点で明治に似ていた。日本の大学の教員はお雇い外国人ばかりで、講義も西洋語で行われた。日本語で授業が行われるようになったのは、明治の後期から(p90)

    ・645年の「大化」という元号制定は、日本文明は中国文明(当時は唐)と対等の独立した文明である、という、独立宣言の意味合いがあった。現在も元号制度を維持しているのは世界で日本のみ(p93、94)

    ・新羅は日本よりも百年早く(536)独自の元号を使ったが、唐から詰問されて650年から唐の元号に従っている。それを廃止して独自の元号を使ったのは、日清戦争後の「大韓帝国」(1897-1910)である(p93)

    ・日本は、訓読みでは「ひのもと」「やまと」など読まれた、音読みでは、二ホン、ないし、ニッポン。中世において、呉音では、ニチホン、漢音で、ジツホン、と読まれたこともあった(p94)

    ・藤原京は、現在の橿原市にあり、中国の都城を模倣した、我が国最初の計画都市、面積は最近の調査では、平城京や平安京をしのぐ可能性がある(p101)

    ・藤原京の失敗は、漢文古典の理念を額面通り受け取って、王宮を中央に作ってしまい、大雨時には道路の測溝からあふれた汚水が王宮に流れ込む不都合があった(p102)

    ・702年の遣唐使では、改めて「日本」という新国号を伝えた、意外にも、中国側はすんなりと了承した。当時の最高権力者は、武則天(則天武后)でありk、中国史上唯一の女帝となった彼女は、破天荒で新奇なことを好んだためか(p107)

    ・元明天皇は在位8年であるが、後世に影響を与えた事業が数多く行われた。708年、和同開珎を鋳造、710年平城京に遷都、712年古事記(和化漢文)完成、713年全国の国名表記を、好字の二文字に改める。(p108)

    ・フン、カン、オン、を発音する場合、子音で止めずに、「母音イ」を添えて、フニ、カニ、オニ、と発音された。されに、フニ、と、カニは、音転して、フミ、カミと読むようになった。(p135)

    ・呉音は、5世紀から6世紀に日本に流入した漢字音を、日本語風になまったもの。ところが7世紀に唐が起きると、唐の都の長安(現在の西安)は、発音が異なり、日本で漢音と呼ばれた(p136)

    ・日本では、呉音・漢音のほかに、一部の漢字については、鎌倉室町時代の中国語音を反映した「唐宋音」や、日本人の誤解に基づく「慣用音」がある。行商(ぎょうしょう)は、呉音、旅行(りょこう)は、漢音、行脚(あんぎゃ)は、唐宋音(p139)

    ・最後の遣唐使(804)には、最澄・空海・橘逸勢(はやなり)が、渡唐した(p143)

    ・日本では個人の学才による競争主義より、血筋による序列を重んじる気風が強かった。低い身分で学才のあるものが出世するには、僧侶になるという道があり、科挙は日本に根付かなかった(p146)

    ・江戸末期には、下級武士のみならず、ヤクザの親分や農民までもが漢文を学んだ(p207)

    ・明治の頃は、学生・役人・軍人・新聞記者は、漢文訓読調の文体を書いていたが、大正時代になると、言文一致の口語体に変わるようになった(p217)

    ・昭和天皇があげた、戦争の敗因として、1)兵法の研究が不十分、2)科学力より、精神力を重視した、3)陸海軍の不一致、4)常識ある大物政治家がいなかった(p222)

    2015年6月7日作成

  • 日本人が中国から漢字を輸入し、それを自国の文化に昇華するまでの歴史を紐解いた一冊。
    漢字・漢文を通して日本がいかに中国という大国と向き合ってきたか、漢字・漢文が日本の発展にいかに貢献してきたか、その経過が分かりやすくる解説されている。同じ日本の歴史でも、「漢字や漢文」という普段とは別の視点から切り取って見てみるとまた違った見え方をするのが面白い。
    結局のところ、広い意味で国を発展させるのはこういった教養の蓄積なのかもしれない。教養とは直接何かに結びつくことがないという理由で無駄だと思われがち、軽視されがちだが、そういう一見して無駄とも思える教養が何か化学反応を起こして結果として役に立つものなのだろう。戦後に敗戦の理由として漢文の古典『孫子』の素養が足りなかったことを一番に挙げているというのもなかなか興味深い話だ(p222)。
    漢文というと現代ではほとんど関わりのないものに思えるが、日本人が遥か昔から密接に関わってきたという歴史を鑑みても、もっと漢文の意義が見直されてもいいような気がした。

  • 『貝と羊の中国人』(新潮新書)がよかったので続けて読んだが、これが全編あますところなくおもしろかった。「日本」とか「日本文化」が成立するうえでの「漢文」の役割を、漢字伝承の昔からさかのぼって検証していくというスタイルだが、トリビアのカタマリとも読める。

     そもそもヤマト民族は、漢字文化を吸収するで「日本人」になった。「日本」という呼称自体が和語ではなく、日本人の価値観そのものが漢文から多大な影響を受けている。
     考えてみれば今自分たちが使っている現代日本語の語彙のうち、「和語」の割合は「漢語」に及ぶべくもない。日頃あまり意識しない「日本」の輪郭、日常なにげなく使っている「日本語」の別の顔が、「漢文」の目を持つことでくっきりと見えてくる。

     たんに「漢文の歴史」を扱っているわけではなく、漢文を通じて日本とは、日本人とは、ということを理解しようという構成になっていて、著者のひろーい教養が惜しみなく繰り広げられている。使える「教養」の本として、中学生から老人まで強くおすすめ。

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著者プロフィール

1963年生まれ。明治大学法学部教授。専攻は中国文学。主な著書に『京劇――「政治の国」の俳優群像』(中央公論新社)、『西太后――大清帝国最後の光芒』(中公新書)、『貝と羊の中国人』(新潮新書)、『漢文力』(中公文庫)など。

「2023年 『西太后に侍して 紫禁城の二年間』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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