- Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334033781
作品紹介・あらすじ
儲かるなら何をしてもいいのか-経済倫理から問い直す。
感想・レビュー・書評
-
39038
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
資本主義とキリスト教の関係を理解するのに参考になればと思い読んだのですが、むしろマックス・ウェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で言う、宗教の世俗化が近代資本主義の前提となる職業意識を生み出したというロジックは、既に宗教改革の1500年も前に、世俗の生活を送りながら仏教の修行をすることができるという在家主義の形で、大乗仏教の中に見出すことができるという展開になっています。そして、ベンジャミン・フランクリンと二宮尊徳の労働観の類似性を指摘した上で、両者を決定的に隔てるのは、「忘己利他」の精神に基づく自己犠牲の精神、即ち、自らの身を切ることによって相手を心から共感させて共動するという点にあり、この二宮尊徳の思想は、アマルティア・センの厚生経済学の理論に通じるものがあると言っています。
それから、ひとつ面白かったのは以下の例えです。つまり、各宗教における「救済」とは・・・
・仏教:ローン返済型、即ち、家(悟り、往生)を我が物とするために、一心に住宅ローン返済のために働くサラリーマン
・神道:初めから持ち家であり、ローンを借りたり家賃を払ったりする必要はないが、家を維持するためには努力(祭りなどの神事)が必要
・ユダヤ教、キリスト教、イスラム教:棚からボタモチ型、即ち、神がいずれこの家をあげるから、それまで家賃(信仰、義務)を払いなさいと入居時に約束してくれる
更にこれを細分化すると・・・
1. キリスト教:家賃の支払いと神が家を下さることとは直接関係がない
2. カルヴァン派:神が誰に家をあげるかは予め決まっているがそれは秘密、但し、一生懸命家賃を払っていると何となく分かる
3. イスラム教:神との契約を実行すれば必ず家はもらえる -
キリスト教、イスラム教についてはわかりやすかったけど、仏教はよくわからず、日本教についてはもう宗教じゃないというか。■イスラム教の、第一に宗教があって仕事はその次、というスタンスはいいね。イスラム圏に行った時、街中でもお祈りしている人々を見かけたし、すごく暑いのにラマダンの間は水も飲まない。宗教というか自分自身の信条があって、仕事でそれらを犠牲にすることがない。過労死とか鬱病とか無縁なんじゃないだろうか。■商業に対する考え方も面白かった。日本はキリスト教に近い。やっぱり農業とか工業とか「ものづくり」の方に美しさを感じてしまう。士農工商って「実際には農民が一番苦しいから、地位を2番目にすることで自尊心をもたせている」って小学校で聞いたけど、嘘を教えられた気がする。単純に農業がそれだけ大事な仕事だったからじゃないんだろうか。
-
著者の守備範囲の話が多いが、経済という横糸で通して見ているので面白い。経済活動について、キリスト教では研究書も出ているけれど他の宗教ってあまり出ていないので参考になる。
-
同じ著者の政治の本と同様に、三大世界宗教と日本の宗教における経済活動・金融取引についての考えられ方が手頃に纏められていて良いんじゃないかな。
-
今日の商業ルールが、イスラームの高度な商業活動によって発展したことがよく分かる。
「隣人愛」ということで無利子が基本であった文化が、カルバンの解釈によって利子の取得を正当化した‥という話など、初めて知ることも多かった。
ビルゲイツ氏が引退後、資産の95%を投じて慈善団体に専念することは話題になってたけれど、キリスト教精神との関連性についてちっとも考えたことはなかった。
それにしても、いや〜凄い額だなぁ。 -
宗教って日本人が思う以上に世界では重要なもの。社会を読み解く新たな視点を得たカンジ。よい。