南アジア 世界暴力の発信源 (光文社新書 431)

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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334035341

作品紹介・あらすじ

インド、パキスタン、アフガニスタンを中心とした南アジア地域の不安定の背景には何があるのか-。近代国家が成立するまでの歩み、複雑な民族問題、周辺諸国やアメリカの思惑を辿りながら読む、国際情勢の行方。

感想・レビュー・書評

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    宮田律
    1955年山梨県生まれ。現代イスラム研究センター理事長。83年慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻修了。米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院修士課程(歴史学)修了。専攻はイスラム地域研究、国際政治。『黒い同盟 米国、サウジアラビア、イスラエル』(平凡社新書)、『武器ではなく命の水をおくりたい 中村哲医師の生き方』(平凡社)、『オリエント世界はなぜ崩壊したか』(新潮社)、『ナビラとマララ』(講談社)、『イスラムの人はなぜ日本を尊敬するのか』(新潮新書)、『石油・武器・麻薬』(講談社現代新書)など。


    アフガニスタンのイスラムは、パキスタンのイスラム、またインド亜大陸のイスラムと切り離して考えることはできず、これら三つの地域のイスラムは一つの統一性をもっている。この地域のイスラムは、一六世紀初頭に成立したシーア派を国教とするサファヴィー朝の成立によって、アラブ人が信仰する中東の主流のイスラムとの交流が遮断され、独自の教育や訓練を発達させてきた。

    パキスタン・タリバンの関心は現状ではアフガニスタンに向いているが、他方、パキスタンにはインドをずっと敵視してきたイスラム過激派の活動がある。南アジア最初のイスラム原理主義勢力である「イスラム協会」は、インドとの紛争に一九四八年にすでに民兵を送っている。それらの民兵の中にはパキスタンの正規軍に後に入隊する者もいたことからもわかるように、パキスタン軍には当初からイスラム的性格が強く備わっていた。

    首都カブールは、NATO軍を主体とする国際治安支援部隊(ISAF)の指揮下に置かれ、四〇ヶ国から五〇〇〇人が展開していた。しかし、この数も一九九六年にボスニアに駐留したNATO軍の五万四〇〇〇人に比較すると極めて少ない。ボスニアはアフガニスタンに比較すると、面積で一二分の一、人口で六分の一にすぎない。

    アフガニスタンはソ連軍が侵攻する以前にも世界で最も教育レベルが低く、最も貧しい国家の一つだった。ソ連軍の侵攻以前の状態にアフガニスタンを戻すといっても、その時代にはアフガニスタンの幹線道路は片側一車線しかなく、人口が現在の半分だった一九七八年には電力の供給は全家庭のわずか一〇%をかろうじて超えるという状態だった。

     アフガニスタンにはまだ未発見の天然資源が豊富にあるとされる。インドは、アフガニスタンのニムロズ州とイランの港湾であるチャーバハールを結ぶ道路を二〇〇八年九月に完成させた。これは一一億ドルにのぼる復興計画の一部だが、このプロジェクトにはパキスタンを排除しようとするインドの意図が透けて見える。

    パキスタンのインドに対する脅威は、インド軍がタジキスタンのファルホルに基地をもつことともあいまって増幅されるようになった。これはインド軍が初めて国外に持つ空軍基地となる。この基地によって、インドはアフガニスタンに人や物資を輸送するのが容易になったが、同時にこれは、インドの中央アジアのエネルギーに対する野心を表すものでもある。

    英領インド帝国の北部におけるムスリム国家の名称は、イギリスのケンブリッジ大学に留学していたチョウダリー・ラフマト・ハーンらによって考えだされた。彼らは、パンジャブ(P)、アフガニア(A:北西辺境州)、カシミール(K)、インダス(I)、シンド(S)の頭文字と、バローチスタンの「タン(TAN)」をとって、「パキスタン(PAKISTAN)」という名称をつくりだした。「パキスタン」とは同時にウルドゥー語で「清らかな国」を意味する言葉でもある。

    イギリスがインドを植民地支配する以前、インドはムスリムが支配者であるムガール帝国(一五二六~一八五八年)によって支配されていた。しかし、一八五七年から五八年にかけての反英闘争である「セポイの乱」が失敗に終わると、最後のムガール皇帝は放逐され、英領インド帝国が成立する。その後、それから三〇年も経ないうちにインド国民会議派は結成され、インド人を代表する政治組織となった。

    さらに、独立後のパキスタン経済は悪化の一途をたどることになる。インドの工場でつくられた物品がパキスタンに入らなくなり、パキスタンの産業、商業、農業は大きな打撃を被った。分離独立は数百万人にものぼる難民をパキスタン・インドにもたらし、独立後もムスリムとヒンドゥー教徒の 殺戮 の応酬は両国で見られ、パキスタンとインドは互いに憎悪や不信を高めていくことになる。

    パキスタン建国の父、ジンナーは一九四八年九月に他界する。独立からわずか一三ヶ月後のことだった。パキスタンが何とか独立を維持できたのは、ジンナーのカリスマ性と手腕によるところが大きかった。パキスタンは議会をもつ民主的な政治体制として出発したものの、重要な政治判断はジンナーが行うことが多く、議会や内閣はジンナーに従属していた。したがって、ジンナーを早期に喪失したことはパキスタン国家にとってその政治的進路を決定する上で大きな痛手となった。

    こうして東西格差が広がる中、アイユーブ・ハーン大統領は一九六五年の大統領選挙によってその任期を更新する。投票結果は僅差だった。アイユーブ・ハーンの対抗馬は、建国の父であるジンナーの妹のファーティマ・ジンナーだった。

    インド経済は独立後、農業や綿織物などの軽工業を主体に歩み始めた。また、ソ連と友好関係にあったことから社会主義型の経済計画を進め、製造業の充実、広い産業基盤の整備などが行われてきた。  しかし、一九九〇年代初頭にソ連が崩壊すると、インドは市場経済へ移行する。インドに数学や科学を重視する伝統的な教育があったことを背景に、九〇年代末には世界のハイテク技術の先端を歩むようになった。これに貿易・金融部門の発展が加わり、インドは中国やロシア、ブラジルなどと並んで新興の経済大国として世界的に注目を集めるようになった。

    インドと日本は文化的には仏教を介してつながっていたものの、直接の交流が生まれたのは明治期以降のことで、日本がインドから綿を買ったことがその発端で

    デオバンド派はパキスタンの最大宗派だが、パキスタンの急進的な神学校の教育もほぼ同様である。神学校の教師たちには教員資格というものがない。そのためにいくら急進的な思想をもっていても、神学校では教育できる。つまり、急進的な思想が拡大再生産される構造がパキスタンなど南アジアでは根強く備わっているのだ。

    二〇〇七年九月にパキスタンを訪ねた時、私たちの神学校は穏健な教育を行っていると教師たちが胸を張る神学校に行ったことがある。そこでは、数学やコンピューターサイエンスなど、将来のエンジニアになるための科目が備えられていた。パキスタンとインドはイギリス領インドの中で一つの政治的枠組みの中にいたように、パキスタンにもインドのような発展をもたらす人材は少なからずいることだろう。

  • アフガニスタンとアメリカ
    ・ソ連政権存続時は、アフガニスタンへの侵攻を「正義」の建前で援助をした。しかし、所詮は功利主義のアメリカは、ソ連崩壊後は、非民主主義が強まったアフガニスタンとは関わる利益はなく離れていった。
    ・パキスタンはその後1時的な友好を築いたが、ビン・ラディン潜伏の際に決壊。
    ・アメリカの上院にはユダヤ人が多くいるのでイスラエルとは友好関係を取り続けている。

  • 読み終わってすぐに、シク教徒がどうなっているのかという疑問がわく。それくらい半端に扱われている。
    世俗化して経済成長して福祉国家化すればおkといったような流れもちょっと短絡的すぎやしないかと。

    パキスタン、アフガニスタン、インドの戦後史を知るにはいいかもしれません。

  • [ 内容 ]
    インド、パキスタン、アフガニスタンを中心とした南アジア地域の不安定の背景には何があるのか―。
    近代国家が成立するまでの歩み、複雑な民族問題、周辺諸国やアメリカの思惑を辿りながら読む、国際情勢の行方。

    [ 目次 ]
    第1章 民族の博物館、アフガニスタンを読む(不安定な国家;かなえられない夢;「タリバン」という名の下に;インドの影響力)
    第2章 悲劇の国、パキスタンを読む(矛盾を抱える国家;国際社会の懸念;九・一一後の劇的な変化)
    第3章 アメリカの思惑がもたらしたもの(イスラム国家の創設;イスラム急進思想の発信地)
    第4章 南アジアの大国、インドの行方(近代国家の枠組み;経済発展の陰で;毛沢東主義、イスラム過激派、ヒンドゥー過激派)
    第5章 日本が果たすべき役割は何か(インドと日本、深まる交流;平和的関与)

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • アフガニスタン、パキスタン、インドの近代以降の歴史を概説し、アメリカの関与(あるいは不関与)を中心とした国際情勢を説明する。年表あり。

  • 著者は中東・イスラーム専門家。なのになぜ「南アジア」本?と疑問に思いながら読んでみると、案の定イスラーム圏のパキスタンとアフガニスタンに偏っていた。南アジアの過半数を構成するインドに関して十分な議論をせず、周辺諸国の不安定がインドにも及ぶだろう、というかなりいい加減な議論がなされている。固有名詞の使われ方を見ても、著者がインドに関する専門的知識を十分に持ち合わせていないことがわかる。書名が提示する「南アジア=世界における暴力の発信源」という命題が、本書で示されているとは言いがたい。パキスタンとアフガンの現状を手軽に理解するために役立つ本ではあると思うが、とにかく書名が悪い。

  • パキスタンはインドに対抗するためにアフガニスタンを取り組もうとした。第一次大戦時にインド人は傭兵としてイギリス軍に参加して戦った。
    独立後、パキスタンは貧しい不毛なエリアのみが与えられた。
    カシミールも住民のほとんどはムスリムなのに、領主がヒンドゥー教徒でヒンドゥー化して争いが始まった。
    インド人工の13%がムスリムだが、ヒンドゥー教の暴力の対象にされてきた。
    貧しいから神学学校に行き、そこでタリバンのような教育を受けざるを得ない。悪循環だ。
    またパキスタンが平和になることを祈る。

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著者プロフィール

現代イスラム研究センター理事長。1955年生まれ。慶応義塾大学大学院文学研究科史学専攻修了。UCLA大学院(歴史学)修了。専門は現代イスラム政治、イラン政治史。著書『現代イスラムの潮流』(集英社新書)『中東イスラーム民族史』(中公新書)『アメリカはイスラム国に勝てない』(PHP新書)ほか

「年 『集団的自衛権とイスラム・テロの報復』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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