社会主義の誤解を解く (光文社新書 507)

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  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (278ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334036102

感想・レビュー・書評

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  • 主に英仏独ソの社会主義運動の展開を論じた本。理論についてはあまり触れていない。
    どの国でも、エリートによって上から作られた運動が挫折、妥協、分裂などを経て広がっていった様がよく理解できた。

  • 社会主義と共産主義の違いを説明できる大人ですか?
    多種多様になって理解困難な「社会主義」を再確認しよう。


     学校の授業でもわかりづらいのでサラッと習う社会主義。再理解。

    _____
    p31 イギリスから
     社会主義の発端はイギリスから。資本主義が初めに始まったのもイギリスで、実践面では労働運動そして思想面では社会主義がそこに付随して生まれたのである。

    p38 初出
     1822年頃からイギリスではロバート=オーウェンらによって社会主義という言葉が使われ始めた。そして1830年半ばから英仏で広がり始めた。
     フランスでもサン=シモンやシャルル=フーリエらによって社会主義が広められた。彼らの初期社会主義は空想的社会主義と言われた。

    p44 共産主義
     広辞苑による共産主義の定義
    ①私有財産制の否定と共有財産制の実現によって貧富の差を無くそうとする思想、運動。古くはプラトンにも見られるが、主としてマルクス・エンゲルスによって体系づけられたものを指す。
    ②プロレタリア革命を通して実現される、生産手段の社会的所有に立脚する社会体制。
     この定義は日本語の意味としては正しいが、社会科学的には間違っている。順番が間違っている。
     マルクスはプラトンの考えより新しいものを考え出したのだから、順序を逆に考えたらダメだということ。

    p49 含む理想主義
     プラトンら社会主義という言葉のなかった時代の実質的な共産主義は、私有財産無き理想郷的な社会を望むものだった。しかしマルクスらの考える共産主義は違う。だから後世混乱が生じた。ポル=ポトらのように統制国家が無理に理想国家を作ろうとして制度破綻を迎えたように。

    p53 王政の中の社会主義
     英仏では王政下において積極的な貧民救済が施されていた。そこに自由や平等と言った価値基準はないが、ノブレスオブリージュによる実質的な社会主義があった。
     とくにイギリスでは早くからエリザベス一世の救貧法などが有名である。

    p61 労働者困窮の社会問題
     イギリスでは産業革命の結果、諸産業の発達と富の急速な増大が成されたが、それに伴って貧困や不健康や風紀紊乱が慢性化するという社会問題が発生するようになった。こうした時期に社会主義が生まれたのは必然である。この頃の労働者階級の身体的、知的、道徳的荒廃が社会の存立に関わるほど悪化していたがゆえに社会科学が発生したのだ。

    p73 私的援助
     新興勢力のブルジョワジーも慈善活動をしていた。しかし、それはノブレスオブリージュというよりも保身行動としての慈善活動だった。
     19世紀中期のロンドンだけでも640団体もあったらしい。その私的援助額は公的援助額を上回るほどだった。しかし、慈善活動は場当たり的対策であることを否めない。貧困は個人の道徳的責任と考えられ、徳の高い者が低い者へ施しを与えるという考えだったのである。
     根本的解決をする気は無いブルジョワの偽善でしかないのが慈善活動である。
     
    p116 人口シェア
     イギリスでは1840年代に都市人口が農村人口を上回った。その結果、産業革命が起きえたと言える。
     フランスは1901年になっても農村人口は54%を占め、そのため産業革命が遅れた。伝統的農業国であるフランスが近代化が遅れたのはそのためである。フランスはその都市労働者不足を移民で補てんした。
     低賃金の外国人労働者は自国民の賃金水準を下げる疫病神だったため、フランスの労働者たちが一丸になれなかった理由もここにある。

    p126 労働運動≠社会主義
     1864年にロンドンで結成された第一インターナショナルは労働者の同盟であり、社会主義者の同盟ではなかった。第一インターナショナルはナポレオン三世が労働者の票を集めるために後援した組織であり、その成員は熟練労働者らだった。だからマルクスの考えていた社会主義団体ではないのである。
     本来の構成員たるべきは困窮する底辺労働者らだが、彼らの知的レベルでは組合を組むことも難しかったのである。
     スタート時点で社会主義はカオスを産んでいる。

    p164 フェビアンとチェンバレン
     ボーア戦争を指揮したイギリスのジョゼフ=チェンバレン、彼の中には社会主義と帝国主義が同居していた。
     これを社会帝国主義という。国内で社会主義政策を維持するには植民地政策による財源が欠かせないという理論である。
     この考え方はフェビアン協会も持っている。当時のイギリス人にとって植民地は当然の物で、愛国主義と帝国主義は正義だった。植民地を土台にした社会主義がイギリスで起った初期社会主義なのである。

    p168 本家か元祖か
     社会主義と共産主義の違いは「本家vs元祖」ののれんバトルと同じようなもの。この二つののれんからどちらが先に始まった物かはわからない。そして内容の違いが何かはわからない。
     マルクス・エンゲルスが共産主義という名前を使い始めたのは、フーリエ派の社会主義との区別のためであった。言うなれば「元祖社会派の我々は共産主義です!」みたいな。

    p173 倒しやすかっただけのロシア
     マルクスの目指した社会主義革命は、イギリスなど資本主義の十分発達した国で実現されるべき思想だった。
     しかし、実際に革命が起きたのは王政が残った当時の後進国ロマノフ王朝のロシアだったのだ。第一次大戦までに国民の求心力を失ったロマノフ王朝は簡単に打倒できた。ロシアの社会主義革命は、労働者らの市民による総意の改革ではなく、一部の社会主義者が楽して手に入れた政権でしかなかったのである。

    p197 第二次大戦は低評価
     ヨーロッパ人にとって史上最大の戦争は第一世界大戦だった。ユダヤ人のホロコーストなど、非人道的な事件や日本の原爆被害などのせいで日本人の認識は第二次大戦の方が悲惨だが、より多くの戦死者を出したのは第一次大戦で、アメリカに至っても第二次大戦よりも南北戦争の方がひどい被害を出している。
     こういった認識が今の世界の考え方の違いの一因になっている。

    p198 日露戦争の裏
     日露戦争中の日本軍はロシア国内の反帝国勢力を支援していた。明石元二郎というスパイが有名である。
     その支援された組織がレーニンの社会主義団体であった。そのようにロシアでは社会主義団体を支援した日本政府も、国内では治安維持法によって幸徳秋水らの組織を潰しにかかっている。

    p200 二月革命
     1917年の二月革命は社会主義者の指導による革命ではない。第一次大戦が長引いて国民の生活が困窮し始め、さらに悪いことに大寒波が襲来して食糧難が発生した。それが最大の理由としてロマノフ王朝の信用が底をついた。レーニンやトロツキーやケレンスキーはそれに便乗しただけなのである。

    p202 識字率
     1850年頃のロシアの識字率は10%程度かそれ以下だったと言われている。それが20世紀初めに、近代化も遅れているロシアで劇的に改善されているとは思えない。
     そういった民衆の知的レベルなのに、社会主義の理解をもって王政打倒をしたいと国民が一致団結したとは考えられない。
     たとえ社会主義の旗のもとに参集したとしても、それは扇動を受けただけで、正しい知識を理解はできていなかっただろう。

    p205 レーニン帰国する
     レーニンはドイツの支援を受けてロシアで革命を実行した。当時のドイツがレーニンの社会主義思想に賛同していたわけではなく、たんに敵国ロシア国内を乱す策略として唾をつけたレーニンに革命を実行させようとしただけである。
     こういった背景をもって、レーニンは四月に帰国し、もはや時代遅れの王朝政府を打倒した二月革命を社会主義革命に仕立て上げるための活動を開始した。それが「四月テーゼ」である。

    p209 十月革命
     二月革命で王朝が打倒され、ケレンスキー臨時政府が作られた。しかし、その政権も急づくりの物で土台が安定していなかった。それをレーニンらの社会主義革命勢力が妥当し、政権を強奪したのが十月革命である。
     この革命は小規模な武力衝突はあったものの、国を挙げての紛争も起きず、政権の首がいつの間にかレーニンらの物になっていただけという大層なものではないのである。

    p212 ロシアの社会主義
     ロシアの社会主義革命は労働者や農民が自ら立ち上がってブルジョワ支配を打倒したものではない。誤解を恐れずに言えば、レーニン派は弱体化した臨時政府方政権を奪取し、その権力(秘密警察も含めて)を行使しながら国民大衆を社会主義国家に従属させていったのである。
    実際、ボルシェビキにとって、時の政権を打倒することよりも、自分たちに逆らう国民を鎮圧する方がはるかに困難な戦いであった。
     だからと言って社会主義という主義思想が間違っているなんてことは別問題である。
     ロシア革命という事案だけを見て社会主義という物を評価しようという考え方の方が愚かな考えである。それを理解することが何よりも重要なのである。

    p215 エーベルト
     第一次大戦中におきたドイツ革命で帝政ドイツは倒れ、社会民主党のフリードリヒ=エーベルトが政権を取った。エーベルトは第一次大戦の参戦に賛成した人物だったのに、帝政終了後の初代首相になるなんて、うますぎる。

    p230 ファシズム
     ファシズムは強い民族主義を持った社会主義思想のことなのである。しかし、自国民の生活を保障するために他の民族を犠牲にするという極論が通るから悪者になってしまった。
     愛が強すぎるゆえに歪んでしまった社会主義がファシズムだと考えてよい。

    p235 無知のヒトラー
     ムッソリーニは読書家で、高い知識と教養をもってファシムズの必要性を説いていたが、ヒトラーはムッソほどの知識は持ち合わせていなかったようだ。ただその思想に便乗して独裁政治を断行した、歪んだ劣等感と権力欲の持ち主だったのである。
     第一次大戦に敗れ莫大な賠償金に苦しめられたドイツ国民は、さらに国際経済の変動でさらなる困難を強いられる。そういった祖国の窮状を何とか打開すべく生まれた強い正義感が、歪んだ正義を生み出したと言える。やっぱり、世界の経済のバランスが悪いから生まれてしまったのが、可愛そうなヒトラーなのだと思う。

    p254 世界はソシアルである
     近代を経験した私たちの社会はほとんど社会主義を導入した社会の中にいるのである。だから、社会主義を悪者扱いするような人間もいるが、そういう人は現代の社会福祉のある国家を否定しなければならない。
     すでに我々は多かれ少なかれソシアルな世の中に生きているのだ。だから社会主義という考えは決して遠い存在でも空想的思想でもなんでもないのだ。
     
    p257 皆保険の前提
     国民皆保険はたしかに優秀な制度かもしれない。しかし、それがどんな社会でも成立するわけではないということを知らずに、当たり前のように享受している人が大半だろう。
     皆保険は国民の大半が安定した収入を持ち、社会保険料を納められるだけの経済力と整った行政組織が無いと運営できない代物なのである。それが欠けているのに皆保険を運営しようと思ったら莫大なコストがかかってしまい、手薄い保障になる。または、保険洩れになる人が大量発生してしまうようになる。

    p261 日本国憲法の成り立ち
     日本国民が誇る日本国憲法ってその成り立ちを冷静に考えれば大したものじゃないと思うんですよね。
     日本国憲法はGHQが一週間で作った草案をもとに、日本の意思は無視してつくられたものである。
     この憲法を護持したい人は、アメリカ様にへりくだっているようなものなんだという認識はあるのだろうか。
     確かに平和憲法は貴いものだろうが、それ以外は屈辱の憲法だと認識する者は少ないだろう。ただ、いまの日本はその武装を持たないというのを外交カードにしている面もあるので、頑張ってはいると思う。

    p266 日本の社会主義
     日本の社会主義は凋落している。それは、日本の社会主義勢力がただのリベラルの対抗勢力でしかなかったからである。本当の意味での社会主義を理解し、実現しようと純粋に集まった組織ではなくなってしまったのが悲しみである。
     なんていうか、日本に限らずどこの国でも社会主義は「所詮対抗勢力」にしかならないから駄目なんだよな。これからは社会主義を咬ませ犬みたいな扱いではなく、キチンと政事理論として理解していくことが大事。

    _____

     社会主義の誤解は

    ●社会主義はイギリスなどの進んだ資本主義国で革命されるべきものだが、後進国で革命の建前にされたから邪悪なイメージがついちゃった。
    ●社会主義は全体主義と不可分な物じゃない。社会主義は政治理論として、資本主義社会のバランスを取るためのアイテムとして適宜使うのが正しい用法。
    ●社会主義がすべてを解決するというのは、ただの妄想で社会主義でもなんでもない。

     イスラム教と同じで、変な悪いイメージがついてしまったからいけない。格差が広がる現代の資本主義社会。唯一の社会主義の成功国といわれる日本でもそうなっている。ただしく社会主義を教えること、大事。

  • 社会主義を定義から振り返り、それはどのような歴史的意味を果たしてきたか、そしてその変遷とは何であったか、現代も行き続ける左派政党についても書き上げた作品。だが、歴史の資料集みたいなところがあって、ちょっと切れ味が悪いところが難なので、☆3つ。

著者プロフィール

1961年大阪市生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程中退(教育社会学)。京都大学教育学部助手を経て現在帝塚山学院大学教授(社会学)。主な専攻分野は、社会学理論、現代社会論、民主主義研究。主な著書に『禁断の思考:社会学という非常識な世界』(八千代出版)、『民主主義という錯覚』(PHP研究所)、『社会主義の誤解を解く』『日本語の宿命』『日本とフランス 二つの民主主義』(以上、光文社新書)、『政治家・橋下徹に成果なし。』(牧野出版)、『ブラック・デモクラシー』(共著、晶文社)など。

「2017年 『「文明の衝突」はなぜ起きたのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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