社会主義の誤解を解く (光文社新書 507)

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  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (278ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334036102

感想・レビュー・書評

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  • なんとなく、経済成長やお金儲けばかりを追求する資本主義的な世の中、どんどん小さな国家へと突き進もうとするこの国にほとほと嫌気が差していて、そんな中で「あんまりよくわかってはいないけど社会主義ってどうなんだろう?」と思うようになってきた。
    でもなんか社会主義ってやばそう。。みたいなちょっとネガティブなイメージもちょっとあって、「社会主義の誤解を解く」おー!まさしく!と思い読み始める。

    社会主義は資本主義への批判的な立場から生まれたものであること、社会主義も資本主義と同じようにひとつの観念・思想・理論であること、なるほどなーと読む。

    社会主義と共産主義、なにがちがうのか。それらがどういった意味付けをされてきたのか、など、改めて問われるとよくわかっていなかったようなことが腑に落ちていくようなそんな感覚。「なるほどなー」のオンパレード。。

    社会主義がどういう背景から生まれて、どうやって動いてきたのかが記されていた。はずかしながら全然知らなかったことだらけ。
    この本は極めて冷静に淡々と社会主義の歴史が記されている印象。やたらと美化したり、歴史を修正してはいけないという著者の芯を感じる。(当たり前のことなんやけどね。。)
    結局犠牲になるのは貧しい庶民なのだよね。暴力革命には限界がある。というか間違っている。。
    暴力革命に対してきちんと批判している著者にものすごく安心を覚える。。。

    生活が苦しい労働者は目の前の生活がいちばんで、目先の利益を優先したというのは当たり前。
    今の社会においてもそういう風潮はある、気がする。
    ただ、理論的に社会主義を唱える社会主義運動と、目先の利益を求める労働運動とが、なかなかうまくかみあわないのがポイントというか。それが現実というものなんだなあという印象。

    たとえ思想や信念が正しいものだったとしても(社会主義が手放しに正しいという話ではなく)、そのやり方を誤ると、本来と異なる印象を人々にあたえてしまって支持を得られない。とはいえ、正しいやり方がなんなのか、なにが正しいのかも答えはでないけれど。
    だから、私たちは過去から学ばねばならんのだなあ。

    そう思うと日本の社会主義的政党がいまいち信用を得られていないというかそういうのもちょっとわかる気がした。(私が信用していないという話ではなく。)共産党ってやっぱり名前で損してるなあとも思う。。まあ変えたところで……なんやけど。

    うまくいけばもっとスムーズに回りそうな気もするんやけども、現実はなかなかそうもいかない。
    一番大事なのは命やけども、一番大事な目的を見失ってしまったりしがちで。

    どうしても、エリートから、上から与えられる(押し付けられる、ポジティブにいえば導かれる?)という感じは否めない。
    そういう意味でも、社会主義、共産主義と全体主義の親和性、みたいなものには注意が必要だなと感じる。

    でもやはり、いまの社会の仕組みにもう限界があることは間違いない気がする。競争競争で人を蹴落としてちょっとでも上に上に。というのはあまりにも。

    この本では、リベラルとソシアルという立場が記されていた。
    たしかにリベラルは自由だし、ソシアルは社会だし。そう考えるとすごくわかりやすい。
    そう思うと今の自民党はまさしくリベラルやんね。。
    そう思うとよく言われる今の「リベラル」とか「保守」とかっていう立場付けもなんかちぐはぐな感じもするなあ。。

    社会民主主義ってむずかしいのかなあ。

    答えはでない。一気に社会は変わらない。革命起こしても結局同じ。ちょっとずつよくしていくしかない。
    考え続けることが大事。
    だれかに乗っかるのではなく、個々が考えて社会を作っていくことが必要。

    革命的な共産主義ではなくって、ソシアルな考えが浸透しているヨーロッパを始めとした国々がうらやましい。。
    この本では「日本には、ヨーロッパ型の社会主義政党など存在しない」と書かれているけれど、きっと。きっと。。。

    なんせ私はアホなので、読むのにすごく時間がかかってしまったけれど、めちゃくちゃ勉強になりました。読んでよかったです。


  •  日本では,「冷戦終了によって社会主義は終った」みたいな誤解があるが,欧州などでは社会主義は健在。19世紀中ごろから20世紀中ごろまでの社会主義の歴史を見ながら,誤解を正し,誤解の原因を探っていく。
     筆者は社会主義を「生産活動が私的なカネ儲けの手段と化さないよう、それを理性的な意思決定の下に統制すること」と説く。私有を制限するのは,あくまでも「生産手段」についてであって,「生活手段」ではないとこがポイント。ポルポト政権による惨劇などはここを誤解したために起こった。
     純然たる資本主義は,実際に生産活動を行なう人間を脇役に追いやってしまう。これをマルクスは「疎外」と呼んだ。産業革命後の19世紀欧州では,非熟練の工場労働者がまさにそのような境遇に置かれていた。これを見かねて社会主義の思想が発展してゆく。
     1830年代にイギリスやフランスで社会主義思想は生まれた。初期のものはマルクスやエンゲルスから「空想的」と批判されたが,本質的に異なっていたわけではない。別に私有財産制の否定を夢見る共産主義も出てきたが,こちらは物欲を不道徳として糾弾する非現実的なユートピア思想だった。
     アメリカの奴隷制は悪名高いが,実はイギリスの工場労働者の方が不遇だったといえなくもない。奴隷は個人の財産であるから大事に使わなくてはならないが,労働者は市場で売り買いされる労働力にすぎない。資本家としては,酷使することが合理的であった。
     しかしやはり労働者の貧窮は社会問題となり,資本家に主役を取って代わられていた旧支配層は,工場規制や公的な扶助を画策する。資本家としては国家の介入は好ましくない。そこで哀れな貧乏人たちに施しをしてやろうというチャリティのしくみが生まれ,広がっていく。
     慈善・チャリティというと良いイメージしかなかったが,その起源は公権力の介入を防ぐための偽善っぽいとこにあったりするのね…。ともあれ,19世紀半ばには,資本家と労働者の対立関係が成立していくが,労働者も熟練・非熟練・移民など様々で,単一の「労働者階級」ではなかった。
     実際の社会主義運動は,決して単純なイデオロギーに基づいて行なわれてきたものではない。現実は複雑で,様々な紆余曲折があった。普仏戦争後のパリコミューンは,マルクスが絶賛して「神話」が作られた。社会主義の大義のために自己を犠牲にした英雄たちという神話。
     パリコミューンは,72日間パリを支配するが,結局は政府軍に殲滅されてしまう。初等教育も受けられなかった庶民たちが,学識エリートたちに乗せられて政府に抵抗し,最後には弾圧され殺されてしまったというのが実相に近い。その上偉大な英雄として長い間宣伝材料にされてしまう…。
     19世紀後半,社会主義者たちは労働運動を指導したり,次第に影響力を増していく。世紀末までには,イギリスで帝国主義と社会主義的福祉政策が結びついた国の運営が確立してきた。本来の社会主義は,国境を否定するものだが,人々に受け入れられやすい愛国心の方がより現実を動かす。
     社会民主主義と共産主義は,前者が穏健なフェビアン流の改良主義,後者が急進的なマルクス流の革命主義と思って大きな間違いではないようだ。そのマルクス主義的革命は,最初に労働問題が起こったイギリスでも,二月革命やパリコミューンのフランスでもなく,遅れたロシアで起こった。
     日本はどうか。明治維新から間もない日本にも,社会主義思想が流入してきていたが,やはりその理解は薄っぺらだった。社会主義者も政府側も,社会主義の中身を深く知ることもなく,消化不良の舶来思想に振り回されていただけだった。当然のこと,一般の民衆にはもっとチンプンカンプン。
     1922年に日本共産党が発足するが,これも良く事情がわからないので,コミンテルンという権威についておけば良いだろうという考えの産物だったようだ。そしてこういった経緯が敗戦を超えて尾を引き,日本の社会主義勢力は単なる抵抗勢力に堕してしまい,雲散霧消してしまった。
     著者は,日本に社会主義が根づかなかったのは,それを消化するだけの土壌がなかったためだと言う。確かにそうかもしれない。ただ,思想というものはそれが生まれた国の環境と密接不可分だから,これは仕方のないことなんだろう。でも今から誤解を正すことはできるし,それは有意義だと思う。

  • 「社会主義」という言葉が日本において(そしてアメリカでも)与える漠然たるイメージ、それはひとことでいうと「だめなもの」というイメージだが、それは誤解であるというのが本書のテーマ。とても面白く読めた。

    そもそも、ソシアルであるとはどういうことか、という根源的な意味から議論し、その理念と歴史的な変遷を細かく解説していく。社会主義も共産主義も、社会民主主義もその時、その場所において異なる文脈で異なる使われ方をする。一意的なユニバーサルな「社会主義」という平たんな理解をすると、歴史をうまく理解できない。またそれは「今の目」で歴史を評定する、コモンな誤謬の土壌になる。

    マルクスの考えた「社会主義」、そして共産主義の解説。それが現実世界でどのような作用を与えたかというリアルな説明。それが後の神話となって「どのように説明されていたか」という誤謬の指摘(例えば、フランス二月革命におけるマルクス)が次々と指摘される。正直、文章と構成がやや煩雑でついていくのは素人の僕には大変だったけど、集中して読めば面白いものであった。ドイツ、フランス、イギリス、そしてロシアにおける「社会主義」をめぐる歴史のクールでリアルな分析と単一的な神話的な見方への批判は厳しい。平坦な二元論で社会主義や「赤」を断罪するアメリカ、そしてその自由市場主義経済に著者は批判的である。ソシアルな価値を認めているのだ、かといって既存の日本共産党と社会民主党にはさらに批判的で「トンチンカン」である、と一刀両断である。著者はソシアルという概念が今の世の中でどのように用いられるべきかに注目しており、そこに党派性や政治が感じられないのが(例えその言葉が厳しいものであったとしても)潔いものに(僕には)感じられる。

  • いまさら社会主義だとか共産主義だとかっていうのは時代遅れなのかもしれませんが、そう思う人にこそ読んでもらいたい一冊です。こんなまとめ方では著者に対して大変失礼ですが、「資本主義から社会主義になって、更にそれが発展して共産主義になる」と思い込んでいた、信じ込んでいた、理解していたあたしには、その誤解を解いてもらっただけでも一読の価値ある本でした。薄ぼんやりと、昨今のヨーロッパにおける社会民主主義勢力の台頭を、なんでだろうと感じていたので、本書は社会主義を理解するだけでなく、ヨーロッパ政治史を知るにも格好の一冊だと思います。

  • 主に英仏独ソの社会主義運動の展開を論じた本。理論についてはあまり触れていない。
    どの国でも、エリートによって上から作られた運動が挫折、妥協、分裂などを経て広がっていった様がよく理解できた。

  • 社会主義と共産主義の違いを説明できる大人ですか?
    多種多様になって理解困難な「社会主義」を再確認しよう。


     学校の授業でもわかりづらいのでサラッと習う社会主義。再理解。

    _____
    p31 イギリスから
     社会主義の発端はイギリスから。資本主義が初めに始まったのもイギリスで、実践面では労働運動そして思想面では社会主義がそこに付随して生まれたのである。

    p38 初出
     1822年頃からイギリスではロバート=オーウェンらによって社会主義という言葉が使われ始めた。そして1830年半ばから英仏で広がり始めた。
     フランスでもサン=シモンやシャルル=フーリエらによって社会主義が広められた。彼らの初期社会主義は空想的社会主義と言われた。

    p44 共産主義
     広辞苑による共産主義の定義
    ①私有財産制の否定と共有財産制の実現によって貧富の差を無くそうとする思想、運動。古くはプラトンにも見られるが、主としてマルクス・エンゲルスによって体系づけられたものを指す。
    ②プロレタリア革命を通して実現される、生産手段の社会的所有に立脚する社会体制。
     この定義は日本語の意味としては正しいが、社会科学的には間違っている。順番が間違っている。
     マルクスはプラトンの考えより新しいものを考え出したのだから、順序を逆に考えたらダメだということ。

    p49 含む理想主義
     プラトンら社会主義という言葉のなかった時代の実質的な共産主義は、私有財産無き理想郷的な社会を望むものだった。しかしマルクスらの考える共産主義は違う。だから後世混乱が生じた。ポル=ポトらのように統制国家が無理に理想国家を作ろうとして制度破綻を迎えたように。

    p53 王政の中の社会主義
     英仏では王政下において積極的な貧民救済が施されていた。そこに自由や平等と言った価値基準はないが、ノブレスオブリージュによる実質的な社会主義があった。
     とくにイギリスでは早くからエリザベス一世の救貧法などが有名である。

    p61 労働者困窮の社会問題
     イギリスでは産業革命の結果、諸産業の発達と富の急速な増大が成されたが、それに伴って貧困や不健康や風紀紊乱が慢性化するという社会問題が発生するようになった。こうした時期に社会主義が生まれたのは必然である。この頃の労働者階級の身体的、知的、道徳的荒廃が社会の存立に関わるほど悪化していたがゆえに社会科学が発生したのだ。

    p73 私的援助
     新興勢力のブルジョワジーも慈善活動をしていた。しかし、それはノブレスオブリージュというよりも保身行動としての慈善活動だった。
     19世紀中期のロンドンだけでも640団体もあったらしい。その私的援助額は公的援助額を上回るほどだった。しかし、慈善活動は場当たり的対策であることを否めない。貧困は個人の道徳的責任と考えられ、徳の高い者が低い者へ施しを与えるという考えだったのである。
     根本的解決をする気は無いブルジョワの偽善でしかないのが慈善活動である。
     
    p116 人口シェア
     イギリスでは1840年代に都市人口が農村人口を上回った。その結果、産業革命が起きえたと言える。
     フランスは1901年になっても農村人口は54%を占め、そのため産業革命が遅れた。伝統的農業国であるフランスが近代化が遅れたのはそのためである。フランスはその都市労働者不足を移民で補てんした。
     低賃金の外国人労働者は自国民の賃金水準を下げる疫病神だったため、フランスの労働者たちが一丸になれなかった理由もここにある。

    p126 労働運動≠社会主義
     1864年にロンドンで結成された第一インターナショナルは労働者の同盟であり、社会主義者の同盟ではなかった。第一インターナショナルはナポレオン三世が労働者の票を集めるために後援した組織であり、その成員は熟練労働者らだった。だからマルクスの考えていた社会主義団体ではないのである。
     本来の構成員たるべきは困窮する底辺労働者らだが、彼らの知的レベルでは組合を組むことも難しかったのである。
     スタート時点で社会主義はカオスを産んでいる。

    p164 フェビアンとチェンバレン
     ボーア戦争を指揮したイギリスのジョゼフ=チェンバレン、彼の中には社会主義と帝国主義が同居していた。
     これを社会帝国主義という。国内で社会主義政策を維持するには植民地政策による財源が欠かせないという理論である。
     この考え方はフェビアン協会も持っている。当時のイギリス人にとって植民地は当然の物で、愛国主義と帝国主義は正義だった。植民地を土台にした社会主義がイギリスで起った初期社会主義なのである。

    p168 本家か元祖か
     社会主義と共産主義の違いは「本家vs元祖」ののれんバトルと同じようなもの。この二つののれんからどちらが先に始まった物かはわからない。そして内容の違いが何かはわからない。
     マルクス・エンゲルスが共産主義という名前を使い始めたのは、フーリエ派の社会主義との区別のためであった。言うなれば「元祖社会派の我々は共産主義です!」みたいな。

    p173 倒しやすかっただけのロシア
     マルクスの目指した社会主義革命は、イギリスなど資本主義の十分発達した国で実現されるべき思想だった。
     しかし、実際に革命が起きたのは王政が残った当時の後進国ロマノフ王朝のロシアだったのだ。第一次大戦までに国民の求心力を失ったロマノフ王朝は簡単に打倒できた。ロシアの社会主義革命は、労働者らの市民による総意の改革ではなく、一部の社会主義者が楽して手に入れた政権でしかなかったのである。

    p197 第二次大戦は低評価
     ヨーロッパ人にとって史上最大の戦争は第一世界大戦だった。ユダヤ人のホロコーストなど、非人道的な事件や日本の原爆被害などのせいで日本人の認識は第二次大戦の方が悲惨だが、より多くの戦死者を出したのは第一次大戦で、アメリカに至っても第二次大戦よりも南北戦争の方がひどい被害を出している。
     こういった認識が今の世界の考え方の違いの一因になっている。

    p198 日露戦争の裏
     日露戦争中の日本軍はロシア国内の反帝国勢力を支援していた。明石元二郎というスパイが有名である。
     その支援された組織がレーニンの社会主義団体であった。そのようにロシアでは社会主義団体を支援した日本政府も、国内では治安維持法によって幸徳秋水らの組織を潰しにかかっている。

    p200 二月革命
     1917年の二月革命は社会主義者の指導による革命ではない。第一次大戦が長引いて国民の生活が困窮し始め、さらに悪いことに大寒波が襲来して食糧難が発生した。それが最大の理由としてロマノフ王朝の信用が底をついた。レーニンやトロツキーやケレンスキーはそれに便乗しただけなのである。

    p202 識字率
     1850年頃のロシアの識字率は10%程度かそれ以下だったと言われている。それが20世紀初めに、近代化も遅れているロシアで劇的に改善されているとは思えない。
     そういった民衆の知的レベルなのに、社会主義の理解をもって王政打倒をしたいと国民が一致団結したとは考えられない。
     たとえ社会主義の旗のもとに参集したとしても、それは扇動を受けただけで、正しい知識を理解はできていなかっただろう。

    p205 レーニン帰国する
     レーニンはドイツの支援を受けてロシアで革命を実行した。当時のドイツがレーニンの社会主義思想に賛同していたわけではなく、たんに敵国ロシア国内を乱す策略として唾をつけたレーニンに革命を実行させようとしただけである。
     こういった背景をもって、レーニンは四月に帰国し、もはや時代遅れの王朝政府を打倒した二月革命を社会主義革命に仕立て上げるための活動を開始した。それが「四月テーゼ」である。

    p209 十月革命
     二月革命で王朝が打倒され、ケレンスキー臨時政府が作られた。しかし、その政権も急づくりの物で土台が安定していなかった。それをレーニンらの社会主義革命勢力が妥当し、政権を強奪したのが十月革命である。
     この革命は小規模な武力衝突はあったものの、国を挙げての紛争も起きず、政権の首がいつの間にかレーニンらの物になっていただけという大層なものではないのである。

    p212 ロシアの社会主義
     ロシアの社会主義革命は労働者や農民が自ら立ち上がってブルジョワ支配を打倒したものではない。誤解を恐れずに言えば、レーニン派は弱体化した臨時政府方政権を奪取し、その権力(秘密警察も含めて)を行使しながら国民大衆を社会主義国家に従属させていったのである。
    実際、ボルシェビキにとって、時の政権を打倒することよりも、自分たちに逆らう国民を鎮圧する方がはるかに困難な戦いであった。
     だからと言って社会主義という主義思想が間違っているなんてことは別問題である。
     ロシア革命という事案だけを見て社会主義という物を評価しようという考え方の方が愚かな考えである。それを理解することが何よりも重要なのである。

    p215 エーベルト
     第一次大戦中におきたドイツ革命で帝政ドイツは倒れ、社会民主党のフリードリヒ=エーベルトが政権を取った。エーベルトは第一次大戦の参戦に賛成した人物だったのに、帝政終了後の初代首相になるなんて、うますぎる。

    p230 ファシズム
     ファシズムは強い民族主義を持った社会主義思想のことなのである。しかし、自国民の生活を保障するために他の民族を犠牲にするという極論が通るから悪者になってしまった。
     愛が強すぎるゆえに歪んでしまった社会主義がファシズムだと考えてよい。

    p235 無知のヒトラー
     ムッソリーニは読書家で、高い知識と教養をもってファシムズの必要性を説いていたが、ヒトラーはムッソほどの知識は持ち合わせていなかったようだ。ただその思想に便乗して独裁政治を断行した、歪んだ劣等感と権力欲の持ち主だったのである。
     第一次大戦に敗れ莫大な賠償金に苦しめられたドイツ国民は、さらに国際経済の変動でさらなる困難を強いられる。そういった祖国の窮状を何とか打開すべく生まれた強い正義感が、歪んだ正義を生み出したと言える。やっぱり、世界の経済のバランスが悪いから生まれてしまったのが、可愛そうなヒトラーなのだと思う。

    p254 世界はソシアルである
     近代を経験した私たちの社会はほとんど社会主義を導入した社会の中にいるのである。だから、社会主義を悪者扱いするような人間もいるが、そういう人は現代の社会福祉のある国家を否定しなければならない。
     すでに我々は多かれ少なかれソシアルな世の中に生きているのだ。だから社会主義という考えは決して遠い存在でも空想的思想でもなんでもないのだ。
     
    p257 皆保険の前提
     国民皆保険はたしかに優秀な制度かもしれない。しかし、それがどんな社会でも成立するわけではないということを知らずに、当たり前のように享受している人が大半だろう。
     皆保険は国民の大半が安定した収入を持ち、社会保険料を納められるだけの経済力と整った行政組織が無いと運営できない代物なのである。それが欠けているのに皆保険を運営しようと思ったら莫大なコストがかかってしまい、手薄い保障になる。または、保険洩れになる人が大量発生してしまうようになる。

    p261 日本国憲法の成り立ち
     日本国民が誇る日本国憲法ってその成り立ちを冷静に考えれば大したものじゃないと思うんですよね。
     日本国憲法はGHQが一週間で作った草案をもとに、日本の意思は無視してつくられたものである。
     この憲法を護持したい人は、アメリカ様にへりくだっているようなものなんだという認識はあるのだろうか。
     確かに平和憲法は貴いものだろうが、それ以外は屈辱の憲法だと認識する者は少ないだろう。ただ、いまの日本はその武装を持たないというのを外交カードにしている面もあるので、頑張ってはいると思う。

    p266 日本の社会主義
     日本の社会主義は凋落している。それは、日本の社会主義勢力がただのリベラルの対抗勢力でしかなかったからである。本当の意味での社会主義を理解し、実現しようと純粋に集まった組織ではなくなってしまったのが悲しみである。
     なんていうか、日本に限らずどこの国でも社会主義は「所詮対抗勢力」にしかならないから駄目なんだよな。これからは社会主義を咬ませ犬みたいな扱いではなく、キチンと政事理論として理解していくことが大事。

    _____

     社会主義の誤解は

    ●社会主義はイギリスなどの進んだ資本主義国で革命されるべきものだが、後進国で革命の建前にされたから邪悪なイメージがついちゃった。
    ●社会主義は全体主義と不可分な物じゃない。社会主義は政治理論として、資本主義社会のバランスを取るためのアイテムとして適宜使うのが正しい用法。
    ●社会主義がすべてを解決するというのは、ただの妄想で社会主義でもなんでもない。

     イスラム教と同じで、変な悪いイメージがついてしまったからいけない。格差が広がる現代の資本主義社会。唯一の社会主義の成功国といわれる日本でもそうなっている。ただしく社会主義を教えること、大事。

  • 社会主義と聞くと日本人はあまり良いイメージを持たないけれど、その形態は多種多様。
    グローバル経済の弊害による不平等が叫ばれるようになった昨今、資本主義に対する代替案の1つとして社会主義的な発想の見直しを、肯定するでも否定するでもなく客観的で中立的な立場で提案しようとしている。

  • 社会主義を定義から振り返り、それはどのような歴史的意味を果たしてきたか、そしてその変遷とは何であったか、現代も行き続ける左派政党についても書き上げた作品。だが、歴史の資料集みたいなところがあって、ちょっと切れ味が悪いところが難なので、☆3つ。

  • 経済格差、飢餓、貧困、失業…
    今の世の中では、本当に多くの人々が苦しんでいるわけですが、
    私たちはこんな世界を作るために懸命に生きているのでしょうか?

    決してそうではありませんよね。

    では、どうすれば根本的に解決することができるでしょうか?

    寄付をしますか?
    ボランティアをしますか?
    NPO・NGOで働いたりしますか?

    そんな小手先の対応では何も解決できません。

    では、どうするか?

    社会構造や今の経済体制=資本主義を変えなければいけない。

    それこそが根本的な解決方法。

    変えるにはどうすればいいですか?

    対抗軸=代わりとなる体制、思想が必要ですよね。

    それが…


    「社会主義」


    だけど、社会主義に対する認識、知識が乏しいというのが現状。

    ということで、それを歴史を振り返りながら解説しましょう。

    というのが、この本の概要です。笑

    決して、社会主義を全面的に押し出しているわけではなく、
    バランスが大事だという話もしています。
    実際、今の資本主義社会も完全なる資本主義社会ではないですからね。
    詳しく知りたい方はご一読くださいな。


    個人的には、自由主義思想かな~と思うのですが、
    ま、それに関しては、また機会があるときに述べるとしまして…


    本書を読んで感じたのが、


    「言葉の意味の大切さ」。


    トルストイの人生論に、こんな一文があります。

    「『生命』という言葉はきわめて簡潔で、とても明快であるから、それが何を意味するかは、だれでも理解している。しかし、それが何を意味するかをだれもが理解しているからこそ、われわれは常にその言葉を、だれもが理解できるその意味で用いなければならない。」

    普段、私たちは何気なく言葉を発していますが、
    一つ一つの言葉の意味をきちんと理解して使用しているのでしょうか?
    「社会主義」という言葉も然り。
    今まで理解していたと思っていたこの言葉の意味が、本当は違っていたりして…泣

    痛い目を見るのも、恥ずかしい思いをするのも自分自身。
    読書するなり、人と話すなどして、言葉の意味をきちんと考えたいと思います。



    んー、今までは、言葉の定義というのは、各人微妙に違う、と考えていたのですが、
    その考え方は間違っているのでしょうか?
    それでは、本当に正しい言葉の意味というのは誰が知っているのでしょうか?
    広辞苑に載っている意味が理解すべき意味なのでしょうか?

    はてさて、分からなくなってきたぞ…笑


    例えば、「知り合い」「友達」「親友」という3つの言葉がありますが、
    皆さんが理解している上記3つの言葉の意味は何でしょう?
    全員が全員一緒なわけはないですよね?

    そういった言葉も正しく理解しなくてはいけないということなのか?
    それとも、共通認識しておくべき言葉とそうでない言葉があるということなのか?

    http://ameblo.jp/mizuki-nishida/ より抜粋

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著者プロフィール

1961年大阪市生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程中退(教育社会学)。京都大学教育学部助手を経て現在帝塚山学院大学教授(社会学)。主な専攻分野は、社会学理論、現代社会論、民主主義研究。主な著書に『禁断の思考:社会学という非常識な世界』(八千代出版)、『民主主義という錯覚』(PHP研究所)、『社会主義の誤解を解く』『日本語の宿命』『日本とフランス 二つの民主主義』(以上、光文社新書)、『政治家・橋下徹に成果なし。』(牧野出版)、『ブラック・デモクラシー』(共著、晶文社)など。

「2017年 『「文明の衝突」はなぜ起きたのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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