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この作品からのみんなの引用
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けれど、自由の怖さや自由が内包する不自由さを自覚しない人間は、ただの愚か者とわたしは思います。
― 118ページ -
未曾有の悲劇のただなかで、小説が一体何の役に立つのか。そんな無力感に包まれている作家もいるでしょう。小説なんかよりも、今ここにある危機を乗り越えるための具体的なハウツーやオピニオンを備えた本こそが必要だ。そう考える人もいるでしょう。でも、わたしは物語には弱った心を支える力や現実に吹き消された希望の灯りをともし直す力、自分とは違う誰か、此処とは違う何処かに思いを寄せるための想像力を培う役目があると信じています。
― 230ページ -
つまり、プロの書評には「背景」があるということです。本を読むたびに蓄積してきた知識や語彙や物語のパターン認識、個々の本が持っているさまざまな要素を他の本の要素と関連づけ、いわば本の星座のようなものを作り上げる力。それがあるかないかが、書評と感想文の差を決定づける。
― 109ページ
みんなの感想・レビュー・書評
【読みやすい新書】
書評と感想文の違いは何ですか?書評家だけでなく、書評ブロガーが多数存在する今、この答えは如何に。これからの書評界を支える人たちが、読者から生まれることを著者は大いに期待している。
書評を生業にしているブックレビュアーという肩書きを持つ豊崎由美による、書評に関しての考察。 批評は作者・著者を、書評はこれから本を読もうとしている読者を対象に書かれている文章であるという基本的な定義の基、「ネタばらし」「援用」「粗筋」に焦点をあてて、日本と海外、プロとアマチュアの文章を比較することで「良い書評とはどのようなものであるか」を明らかにしている。 ネットにアップされている素人の書... 続きを読む »
著者の文体は気を楽にして読める。「~なんですの」や「~じゃねーよ」などちょっとユーモラスにとんだ文章が好きだ。
ギュッと詰まった充実のボリューム。自分の語彙の貧弱さ、表現力の欠乏がわかってしまうが、書評は読むものだから(書くわけじゃないから)いいんだもーん。
快調、トヨザキ社長節。ブログで読書感想文を書く身として襟元を正したくなる本でした。匿名じゃなくライターとして筆一本で食っている人の覚悟や矜持に小生感服致しまして候。これに噛み付く人が匿名で何か言ってたって説得力数割引きだと思うのだが。豊崎さんの著作はお金払って買いますよ、これからも。「炎上」に負けずに頑張れ!
この本は皆さんが読んでいるという理由で読みました。筆者がamazonやブログの書評にあれだけ噛み付くのは自分の飯の種がなくなりつつあるという「焦り」からくるのでは?と考えたのは僕だけでしょうか? もしかしたら、というか僕も筆者の言うところの「一億総書評家」の内の一人かもしれません。僕も、正直な話、「いい書評」と「悪い書評」の区別なんて言うものはつきせんし、まぁ、どこかで特集されていたり、もし... 続きを読む »
読もうかどうか迷ったときに書評を参考にすることはある。アマゾンの書評などはくだらないものも多いが、新聞の書評などは気になる。読み始めてから書評とは違うなと感じて止めることもある。
この本には松岡正剛の「千夜千冊」の話は出てこない。松岡正剛は”これは書物案内で書評ではない”と言っている。僕には書物案内と書評の違いは判らないが、まさに”知の巨人”が書いている。
無責任な素人書評氾濫への嫌悪に共感。確かに「書評」ではなくて自分の博識を披瀝したいだけの「自己表現」は多い。【4000字のバックボーンがあり、そこから泣く泣く削り落とした800字】と【ただ思うまま書き並べただけの800字】とは明らかに違うはず。「反論されればいつでも受けて立つことができる」という気概のある書評が良い。頑張って欲しい。
書評とは、『大八車を、後ろから押す』と見つけたり。(ただし、現在はという留保付き)
という著者の主張は判りやすく、そのほかの書評にまつわる事毎も、全くもって明快そのものです。
そんなに割り切ってもいいの?と聞き返したくなるぐらいに簡明で力強さがありました。
豊崎先生頑張ってください、としか言い様のないすっきりさでした。
いつも「本の雑誌」でこの人の書評を読んでいるから何とはなしになじみがあって、さらに「本の雑誌」のなかでこの本がお勧めされていたので読んでみた。実は、以前読んだ書評にどうしても気になる記述があって、いまいち好きになれなかった人ではあるんだけど、この本を読んで書評を書くことに対する覚悟のようなものを強く感じて見直しました。
『Amazonのカスタマーレビュー』の項を読み、たなぞう時代に「読んだ時間を返してくれ」という読書ノートを作っては気に入らない本をくさしていた私は少し恥ずかしくなりました。
2011 9/15パワー・ブラウジング。筑波大学図書館情報学図書館で借りた。 作家と批評家が「小説を乗せた大八車の両輪を担う」もの、編集者(出版社)が前でひくものであるとすれば、書評とは後ろから押す役目を担うものである・・・としつつ、いくつかの切り口から書評について書いていったエッセイ。 元は雑誌連載であるとのことで語り口はかなり軽め。 書評ブログやAmazonレビューに対してかなり「お... 続きを読む »
WEBの時代は「プロ」がたいへんだとあらためてかんじてます。トヨザキさんも 匿名=無料のブロガーの書評家と勝負しなければならない。選ぶ側にとって無料、有料の違いは大きい。トヨザキさんが匿名=無料ブロガー書評を酷評しても、無料ブロガー書評を参考、あるいは読み物として読む人は、私も含めて減らないのでは。
私は、いろいろな人のレビューを興味深い読みます。 誰が正しいかでなく。同じ本を読んでも受け止め方はいろいろあるな、理解の仕方もいろいろあるなと、楽しんで読んでます。芸術では、作り手の思いがうまくつたわらなかったり、別の解釈がひろまっったりすることはよくあることで。本が一人歩きするのは仕方ない。ガリバー旅行記、古典ですが、当時の風刺を理解できる人が、今いますか、でも作品として、いまでも古典として認められている。トヨザキさんがおっしゃる作品の理解度とは?
書評とはどういうものかの歴史もわかるし、ああ、この本をこう読んだのかとわかることもあるし、これが読んでみたいとも思うし、なかなかためになる本。とはいえ、ネット書評について、豊崎社長は批判的なので、ここでこうして読んだ上で大して意味もない書評とも呼べない雑文を書くのはどうかというところか。
トヨザキ社長がかなり毒舌の書評家だということは、『文学賞メッタ斬り!』とか、『百年の誤読』みたいな本で、なんとなく知っていた。ものすごく本を読んではる人なんやなーということも。 こないだ図書館でカードいっぱい借りたあとに、新着コーナーで見かけてぱらぱら…おー読みたいと思い、次の日に読んだ一冊を返しにいって、これを借りてきた。 私が今のところ定期的に書いてる本ネタ(「乱読大魔王日記」@『... 続きを読む »
私なんかもよく、本を読んだ後にブログで感想文なんかを書いています。あくまでもそれは“感想文”であって、書評とは言えないようです。
“感想文”と“書評”との間には大きな壁があるようです。
今後軽々しく
「ブログで書評を書いている」
なんて言えません。言ったことないけど。言わなくて良かった。ああ恥ずかしい。
そして今後は単なる“感想文”を“書評”レベルに近づけたくなりました。できるかのう?
さて、私も返り血を浴びる覚悟で言わせてもらいます。
【書評とアフィリエイト】
http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20110820/p1
自分が読書の参考にする書評はまず置いて、書評を読むという楽しさを味わった一冊でした。良い書評も、良くない書評も読むことが出来て面白かったです。特に、絲山秋子「ばかもの」の書評の3作読み比べは最高でした。豊崎さんが参ったという平田俊子さんの書評には私も感動しました。短い枠内での見事な書評に平田さんの知性とセンスに震えそうになります。しかし良くない書評というのは、こうも胸クソ悪くなるものなんですね。貶... 続きを読む »
途中まで読んで、図書館に返却。
機会があったらまた借りて読んでみよう。
何気なく目にする書評だけれど、いろんな事情や書き手の苦労があるんだなぁと思った。
小説を書くのもすごいことだけれど、“よい書評”を書くのもものすごい才能と努力がいる。

評家の著者が現代日本の書評事情について意見する。
「書評」と「批評」は同じようなものと思っていたが、定義が違うらしい。「書評」は基本として本の発売前に紹介するもので、「批評」は読後の評価である。書評...





