新書で名著をモノにする 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 (光文社新書)

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著者 : 牧野雅彦
  • 光文社 (2011年4月15日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (187ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334036201

新書で名著をモノにする 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 (光文社新書)の感想・レビュー・書評

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  • これは久々に大ヒットの新書。

    僕らみたいな素人の問題は、原著を読んでも「世界観」がつかめないところにある。専門の人には「ご承知のように」「言うまでもないことだが」という世界観が見えないので、本の内容が理解できない。

    本書は、ウェーバーの「倫理」の周辺を見事に描写した本である。硬派な本でもある。ニーチェ、マルクス、シェークスピア、シュミットと「倫理」の関連が説明され、つながっていくような快感が楽しい読書であった。

  • 新書文庫

  • 欧米人の基盤というか本質を為す環境の理解が深まる。キリスト教、ユダヤ人という存在の大きさを改めてわかった。
    西洋思想、西洋史はなんとも理解しずらいとずっと思っていた。明らかに根幹が異なっており、表面的なことを教わっても本質が見えてくることは無かった。本書ではその点に資本主義、キリスト教、哲学の面から切り込んでいる。
    特に欧米では、過去を批判し、言い換えることで歴史は進んできたが、結局は根っこは変わっていない。明らかに見た目も違う多様性を持った人達が集まる欧米では、集団の形成や離散は頻繁に起こる。その際にその理由を宗教や哲学に求めているようにも見える。
    こらまでは、その切り口についての知識がなく漫然としか理解していなかったが、欧米と日本の違いを理解するためのひとつの視座として理解した。

  • ○この本を一言で表すと?
     「プロ倫」だけでなく、マックス・ウェーバーの考え方やそれにまつわることについて解説した本


    ○考えたこと
    ・「プロ倫」をわかりやすく説明するだけでなく、「プロ倫」に対する当時の解釈や批判と、現代の解釈や批判なども掲載されていてかなり多面的に解説されていました。

    ・「プロ倫」以外のマックス・ウェーバーの著作についても適宜関連するところは取り上げられていて全体像がつかみやすくなりました。それでもつかめたかというと自信はないですが。

    ・注釈がその見開きのページ内に書かれてあったので順に読んでいけて楽でした。また注釈がかなり詳しかったのでそれ自体読み応えがありました。

    ・マックス・ウェーバーの考え方に対して様々な意見があり、その妥当性の問題があり、邦訳においても翻訳者の考え方や背景によって記述が違ってくるというのは、かなり複雑な話になるなと思いました。

    ・アダム・スミスの「労働価値説」からマルクスの「剰余価値は労働の産物であるから資本家は労働者を搾取する」という話に繋がるというのは、分かりやすい「資本主義の問題」だなと思いました。(第一章 資本主義という問題)

    ・資本主義の起源について、貨幣の蓄積と考え、それが大資本からと見たり中小資本からと見たりする視点があること、シェークスピア等の戯曲や小説に書かれる資本家の姿から資本主義の起源を類推することなど、なかなか興味深いなと思いました。後者は金至上主義やそうではない人々がともに描かれたりしていて、複雑な存在になっていて、それがマックス・ウェーバーのかんがえる資本主義に近いというのも興味深かったです。(第二章 近代資本主義の起源)

    ・フッガー家のヤーコブ・フッガーとベンジャミン・フランクリンが同じように金銭を追求しつつも、前者は金の亡者、後者は求道者として語られることが多いというのは面白いなと思いました。ベンジャミン・フランクリンの教えで勤勉・節制・正直という徳目があり、当然に自己啓発的な原則でありながら、それが金銭の追求にも繋がるというのは面白い視点だと思いました。(第三章 「資本主義の精神」という問題)

    ・カルヴィニズムの「予定説」が労働や資本蓄積を認める考え方で、経済行為については同じ宗教改革のルター派と正反対の方向に進んだというのは面白いなと思いました。禁欲と「資本主義精神」が問題なく一個人に並立するというのは、ただ金もうけに走るよりも資本主義世界において強固な人間になりそうだと思いました。(第四章 「資本主義の精神」と禁欲的プロテスタンティズム)

    ・精神なき専門人、心情なき享楽人である「末人」が自惚れる中で、貶められ辱められている「ルサンチマン」の精神が「資本主義の精神」に繋がるというニーチェの考え方とマックス・ウェーバーの考え方を結びつけているのは面白いなと思いました。(第五章 「資本主義の精神」と「鉄の檻」)

    ・プロテスタントがカトリックからユダヤ教への回帰である、というのは旧約聖書も重視するという姿勢と矛盾がなく、そういった視点もあるのかと感心しました。(第六章 ユダヤ教とプロテスタンティズム)

    ・「再洗礼派」などのカルヴァン派以外のプロテスタントの思想の背景などが詳しく説明されていて面白かったです。(第七章 原始キリスト教と「再洗礼派」)

    ・資本主義だけでなく、イギリス革命も同じ論理でプロテスタンティズムとしての行動原理が働いていたというのは、後者は歴史の教科書などでも当然のこととして繋げて書いていますが、資本主義がプロテスタンティズムと繋がるなら当然これらも繋がってくるなと思いました。(第八章 プロテスタンティズムとイギリス革命)

  • 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の解説というスタンスで出版されているが、内容は濃い。

    「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を分解するにあたって、プロテスタントに関する歴史解釈が非常に興味深かった。
    少々長いが、以下は引用。

    「ローマ・カトリック教会の伝統を打破する宗教改革の試みはルターに始まって、カルヴァンや禁欲諸教派の「宗教」によって徹底されて、これはやがて宗教・教会だけではなく政治体制そのものの変革に結実する。
    イギリスのピューリタン革命から名誉革命、フランスの大革命はその実現であったという理解はわれわれヨーロッパ史・世界史の常識的な理解とも対応します。
    これに北アメリカに渡ったピューリタンによる民主主義の実検、そして北アメリカの独立革命がひるがえってフランス革命に影響を与え、このフランス革命がヨーロッパさらにはラテン・アメリカ諸国へと波及する「環大西洋革命」へとつながる観点を入れたとしてもウェバーの見方はこれとさほど大きな齟齬無く適合することになります」

    今日われわれが自明のものとしている近代世界の成果である、自由や平等、あるいは民主主義をはじめとする理念やそれに基づくさまざまの政治制度や文化的事物は(もちろん古代ギリシャ・ローマの遺産や様々な要素ですが)その多くはキリスト教、とりわけプロテスタンティズムに起源をもっている

    以上が、マックスウェバー・ニーチェ・カールシュミットらが一致しているプロティスタンティズムに関する価値評価である。

    では、プロテスタンティズムとは何か?それを端的に表しているのが
    「ユダヤの神観念を再興することによって、呪術(カトリックにおける秘蹟)の復活に終止符を打った」ということである。
    つまりプロテスタンティズムはカルヴィニズムに代表される禁欲的プロテスタンティズムは「世界の魔術からの開放」という古代ユダヤ教に始まる宗教史的過程の終着点として位置づけられる。

    「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の改訂時に大幅な加筆がなされたのが「世界の魔術からの開放」であるため、Mウェバーの重要な論点のひとつと考えられるのである。


    ニーチェの「ツラトゥストラ」との対応もよく言われるようですが、
    「かなしいかな。やがてその時は来るだろう、人間がもはやどんな星も生み出さなくなる時が。ななしいかな。もっとも軽蔑すべき人間の時代が来るだろう、もはや自分自身を軽蔑することのできない人間の時代が来るだろう」

    ニーチェの言葉を自著の「自分たちこそが人類最高の段階に達したと自惚れる末人」に対応させているということから、ルサンチマンに見られる心の疚しさを、カトリックにおける「罪の感情」に対比させつつ、それらとの対決の糸口を「世界の魔術からの開放」に求めたのではないか?というのがこの本の主題となっている。
    「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」というと、プロテスタントの歴史や考え方を解説している部分に重きを置いているように錯覚する方も多いと思うが、
    ここではきちんと宗教的態度や、倫理的精神的態度こそが本旨といえます。

    最後にルター派とカルヴァン派、それぞれの神の寵恩に対する考え方の違いをうまく整理してあったので、抜粋しておく。

    ルター派
    神の寵恩は、神の力強い働きに対する信頼と、それによる罪の感情の苦悩からの開放であって、人間の側の能動的な意思や信仰に基づく善行や功徳は何らかの意味を持たない。

    カルバン派
    人間の救済はあくまでも「神の栄光」のためである。神は自分の栄光を示すために世界の救済の計画をあらかじめ立てられた。人間のために神が存在するのではなく神のために人間が存在する。信徒はひたすら神からの救いを受動的に求めるのではなく、「神の栄光」のために神の僕となって働かねばならない。

  • ・原著である「プロティスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を歴史的な背景や他作者の分析から解説。
    ・宗教と資本主義がどのように結びついたのかをまとめる。
    ・ベースとなる知識や時代背景がないと、相応に理解するのは難しい。

  • 非常に面白いし分かりやすい。

    原本(翻訳版)が厚くて読む気がしなかったのでこちらを。
    経済も元をたどれば哲学とか宗教に基づく、
    というのがすっきり入ってきた。

    これ読んでから日本史を勉強し直すと色々気付けそう。

  • この本を読む前提としてマルクスやニーチェなどの思想、著作に関する知識と理解が必要なため、本書だけでプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神がなんたるかを理解するのはムリです。
    本書ですら自分のようななんの予備知識もない人には用語も文も難解の極みです。

  • ウェーバーのプロ倫かと思っていたら、その解説書だった。しかも、さほど分かりやすくもなかった…orz

    資本主義の起源というより、プロテスタンティズムを中心とする宗教の話が大半だった。
    ウェーバーをマルクス、ニーチェ、シュミットとの関連の中で語った部分は面白かった気がするが、あまり頭に残ってない上に、他はよく分からなかった印象。
    これは本物のプロ倫を読むべきか…。

  • 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』と言えばマックス・ウェーバー。
    世界史専攻だったんで、一問一答式にこの組み合わせは覚えました。それがなんなのかは知りませんし、当時から知る気もなかったと思います。
    ただ、なんか予期せぬところでこの単語と出会い、その度に、ところでこの本なんなの?と思ってました。良さげなの見つけて読んでみました。


    感想。結構面白い。でも前提知識が足りず、この本について語れるほどのモノは身に付けられず。あんま宗教のこと考えたことないし。一つ教養が身に付いたかも。

    概要。
    間違ったこと書いてたらごめんなさい。あくまでも私が読み取ったことです。

    まとめると、キリスト教の中でも禁欲的なプロテスタント。その主流派カルヴァン派。彼らの教義『予定説』。絶対的な創造者である神、神の被造物である人間(アダムとイブ)は禁断の果実を食べて追放される。神が人間を許しすか許さないか、救うか救わないかは、人間側の努力でどうにかなるものではない。誰を救うかは、絶対的な創造者である神の意志のみによる。神はご自分の栄光を示すため、堕落した世界の救済を計画し(予定し?)、それを神が選んだ一部の人間に携わせる。神の道具として選ばれた人間は、一生懸命働く。だから、信者は一生懸命働くことで、自分は神に選ばれている、救われていると信じるのだ。?。働く目的は神の栄光のためであり、私利私欲のためではない。だから、ただただ禁欲的に労働に従事する。結果として貨幣がたまる。でも禁欲的。たまった貨幣は神の栄光のため、労働の拡大に運用される。この精神?思考が資本主義の形成に影響を与えたのでは。ということ。
    以上が『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の概要で、それを他の学者との対比も含め解説している。
    あとがき、おわりにの著者の主張はよくわからない。

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