教室内(スクール)カースト (光文社新書)

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著者 : 鈴木翔
制作 : 解説・本田由紀 
  • 光文社 (2012年12月14日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (308ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334037192

教室内(スクール)カースト (光文社新書)の感想・レビュー・書評

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  • ヒエラルキーや階級社会と知っていたけど「カースト」というのは、なるほどなぁ…というネーミングだと思った。(複雑な思いになるけど…)

    スクールカーストを表現している作品に豊島ミホ、綿矢りさ、フルーツバスケット、桐島部活、やめるってよなどなどが例に取り上げられていて分かりやすかった。

    「桐島~」って、そういう話だったんだ。一度読んで「ぼやーとしていて何を言っているのかぴんとこないなー」と読むのやめたのでもう一度読んでみよう!と思った。

    小学校時は「仲裁者」がいるのに中学時からは、この「仲裁者」が一切出てこない、消えるというのが確かにそうだと納得し、なぜだろう…と。(仲裁するとやり玉に挙げられてしまうからか?)

    あと中学時代が人間一番、獣や犬の序列関係に近いのかもしれないとも思った。
    結局、男子はスポーツが出来るかイケメンか女子は容姿端麗、最先端ものやファッション重視またはギャル系がカースト上位。あと彼氏彼女の有無、カリスマ性など……という、確かにそうだけど…。実にシビアだ。

    辛酸なめ子さんの「女子の国はいつも内戦」よりソフトで切込みが甘い!足りないと思いつつ第5章の教師にとっての「スクールカースト」が一番ショック?(←あ、あったあったーと思いつつ)だけど、なるほどなぁ~と思う点も多々ありました。


    上位カースト内の熾烈な争いや下位カースト内の傷のなめあいみたいなことも、ツッコんで書いてほしかった。どこのカーストにも属さない子のエピソードももっと知りたかった。

  • 3つのアンケート調査(中学生、大学1年生、教員)から、教室内カーストの実態を検証しようとする試み。

    カーストが存在し、いじめの温床になると説く。
    カーストランクは、学校内にいる限り変わらないという。
    また、カーストに入らない最下層もあるとか。

    教師は、スクールカーストを受け入れて、利用している。
    カースト把握が、学級運営に重要なのだ。

    <アドバイス>の項がある。

    昔のテレビドラマのような熱血教師は、もういない。
    子どもたちを、個性と見るのか?教室を社会の縮図として運営するのか?

    下層の生徒は就職しても困るだろう。
    私もそう思えた。

  • 内容は、基本的にインタビュー・アンケートの内容を要約して次へ、要約して次へ、の繰り返しに過ぎず、問題への踏み込みがあまりにも浅い(著者も認めていますが)。
    一番問題だと思うのは、インタビューのスクリプトの使用を承諾した教師が、著者の知人の20代男性教師4人しかいないこと。さらに言えば、下位スクールに居た私の嗅覚が「こいつら全員、学生時代は上位カーストに居た」って言っている(多分あっている)。こんなインタビューじゃ正しい現状把握は不可能。
    しかしスクールカースト、リア充/非リア(こういう言い方は本の中では一回もしていませんが)の構造に焦点を当てた研究っていうのは今までなかったわけで、パイロットスタディとしてかなりの意義があるんじゃないかとは思う。この分野の研究をひたすら進めていただきたい。

  • <閲覧スタッフより>
    「格付けし合う子どもたち」。クラス内の地位やランクといったヒエラルキー。子どもたちは自ずとそれに見合った行動をとる。統計やデータ、インタビューに基づいたエピソードの数々がその実態を浮彫りにします。
    -------------------------------------------
    所在番号:新書||371.3||スス
    資料番号:10218602
    -------------------------------------------

  • 上手いネーミングだが、そういった表現を使わなかっただけで昔から階層は存在した。さも新しい発見のように事例を挙げるのみで、結論も意見も無いに等しいのは残念。本質は学校制度により作られる問題ではなく、そんな事ばかり意識する子供たちの価値観や倫理観の問題ではないか?。各々の成人後のカーストが参考資料であったら面白い。201412

  • アマゾンレビューを読むと、この本への否定的な評価はインタビューを受けている現役若手教師への非難と重なる部分が多いようだ。彼らを詰ることは容易いが、彼らが本音を吐露してくれなければ本書のいう「教師と生徒が共に認める構造としてのスクールカースト」が可視化されなかったのも事実。年長の教師らしきレビュワーは懸命に否定するが、20年以上前の評者の学生時代からそのような振る舞いを見せる教師はいたし、本書に登場する教師が取り立てて悪意ある存在とは思えない。
    近頃の教師がよく使う「学級経営」という言葉がある。学級をいかにスムーズに経営するかという発想に立てば、学級内の力関係=スクールカーストという「経営資源」を活用しない手は無いだろう。手腕に乏しい教師ほどそうした力学に丸乗りしてしまう状況は容易に想像できる。そうした丸乗りを肯定するものとして、「社会の縮図としての学校は自分の立ち位置を見つけ出す場であり、社会には能力に応じた立場の強弱がある」という論理が持ち出される。この論理はまた昨今の「人間力」「コミュ力」偏重の世の中とすこぶる相性がよい。
    本書に登場する教師たちが「子供らしくていい」「自分の思いを上手に伝える」と評価するカースト上位の子供たちもまた、学級内の空気を作るために日々演技に勤しみ、時に自らの意思でそこから脱落する者さえいる。いじめに発展しないまでも級友との毎日の関わりの中で自分の位置をはかり、相手の位置を操作する息がつまるような駆け引きを通してしか、世の中に出てからの自分の居場所を見出せないのなら、これほど過酷な通過儀礼は無いだろう。

  • いまの日本の学校で
    あきらかにカースト制度が存在する。
    丹念にレポートしています。

  • おもしろかった。以下、漫ろ書き。まとまりなし!

    「カースト」というと、やはりヒンドゥー教のカースト制度を思い出す。
    確か「スードラ」が最下層に位置するんだったか。
    と思ってグーグルで検索したら、「アチュート」という「人間扱いされない人々」があった。
    日本でいう、「穢多・非人」の立場かな。

    とある人間・階層を貶める・下に見ることによって、自らの地位を優位的に確立する、ということは割によくあることだ。
    自分は違う、とは言えない。
    学生のときもしていたし、今も行っている。
    特定の人に対する蔭口とか、愚痴とかね。
    その人に対する申し訳なさはあっても、これからはそのような負の思いを全く抱かずに生活する!とは宣言できないほどだ。

    社会的・立場的な優劣を定め、かつそれを固定的なものとしたとき、それがどう社会に作用するか、しているか――という構造的推察がこのような場合気になるところ。

    先生たちのインタビューでは、「スクールカースト」を構造的な問題というよりも生徒一個人の問題、能力の問題だと思っている節があった。
    先生たちは「スクールカースト」及び「上位に位置する生徒たち」に対して肯定的で、そして学級経営をスムーズに行うためにその構造を利用している。

    教育の場でしっかり働いている教師に対して、その場にはいない私がそれを非難するのは躊躇われるけれども。
    30~40人という人間を一つのところに押しとどめ、その集団をこれといった問題・危機に陥れることなく上のクラスに押しやるのがどれだけ大変なのか、やってから文句言え、などと言われたらグゥの音も出ないけれどもさ。
    先生よ、本当にそれでいいのか、とは思ってしまった。

    最終的には、「スクールカースト」をどう解釈するか、ということだろう。
    本書を読むに、明確な回答を著者自身は示していないように思える。
    それでも、p275で「このままではマズいな」「上位の生徒にとっても、下位の生徒にとっても、学校生活を過ごすうえで、「スクールカースト」が負の側面を多く持ちうるものだ」と述べているように、「スクールカースト」を根本的な問題だと捉えているのは伝わってくる。

    と、自分で書きながら、この「根本」はどこを指すのだろう、と考えてみると、教育の場のみならず社会・集団にあてはまりそうな気がするな。

    また、解説(p303)で本田由紀さんが

    「「権力」とは、「とにかく相手に自分の言うことをきかせる力」のことですから、必ずしも正当性をともなっていないこともあります。しかし教師がとる「能力」という解釈は、地位の上下に対して、正当性の裏付けを与えるようにはたらきます。「人がその能力によって評価され、社会的な位置づけを得る」ということを、正しいこと、望ましいこととして広く強く受けれ入れている、社会の状況があるからです。
     このように「スクールカースト」を正当化する解釈図式を供給しているという点でも、教師はその維持に密接にかかわってしまっているといえるでしょう。」

    と述べていたけれども、むしろ逆なのではないかと思う。
    つまり、「能力」という解釈が「スクールカースト」を正当化しているということとは別に、そもそも「スクールカースト」そのものが「権力」の正当性の裏付けとして表れているのではないだろうか。
    本田さんが「「権力」とは」「必ずしも正当性をともなっていない」と言っている通り、力が行使されるには何かしらの裏付けは必要で、それが「相手を見下してもいいシステム」=「スクールカースト」という図式になるのでは。
    ううん、言葉にするとよくわからなくなるので、ちょっと保留。

    集団生活の中で、言ってみれば、「相手を見下してもいいシステム」があるということについて考えることが必要になるのかな。
    このシステム・構造は教育の場に限らず、というより、歴史的にも多く見られるものである。
    身分制度はその端だけど、いわゆる村八分やスケープゴートだな、つまり。
    社会的・集団的に暮らしやすいのは、階層を作り、それぞれがそれぞれの役割を果たすということ、なのだろうか。
    その場合、最下層と定められた人間は嫌な思いをするだろうに。
    あ、でも日常ではそうでも、非日常な場では立場がさかしまになったりするのか。
    その場合、トップの人間がスケープゴートになり、苛烈な方法で排除されることが多い。
    価値の転倒はダイナミックなエネルギーをはらんでおり、そのエネルギーによってその社会・集団は活性化される。
    カタルシス、ということなのだけど。
    うーん、わからないなー。
    山口昌男とか赤坂憲雄とか、折口信夫を読み直したい。

    以下は、せっかくなので「権力」を改めて明文化してみる。
    (参考資料:『地方公務員問題 上級 ’10』)

    〈権力(Power)とは、他者の初めの意思に逆らってまで、自己の意図したことを他者に行なわせる力を意味し、政治学において最も重要な概念の一つである。〉

    ○実体的権力論…権力者の「権力」は、何らかの「権力手段」あるいは「基底価値」の保有から生じるとする考え方。すなわち、地位、金、腕力、美貌などの「力(社会的価値)」の保有があれば、そこに「権力」があるとする、考え方である。イタリアのN.マキャヴェリ、ドイツのK.マルクス、アメリカの政治学者H.ラズウェルら提唱。

    ○関係的権力論…「権力」はあくまでも、受け手の認識に基づいて、成立するか否かが決まるとする考え方。たとえば、「地位」や「金」をちらつかせても、それに価値をおかない人にとっては、それが服従をを強いるものにはならないこともある。つまり、「権力」が存在するか否かは、命令する者(権力者)と受け手をとりまく人間関係屋状況に左右されるとする考え方である。権力の実態的権力論の限界をふまえて、登場した考え方であり、アメリカのR.ダール、T.パーソンズらが提唱。

    自分の中の整理としては。
    「スクールカースト」というものがある。
    それは「上位」の生徒と「下位」の生徒と分け、「上位」の生徒が「下位」の生徒に対して権力的な立場を示すシステムだ。
    どちらの生徒も、のみならず、教師もそのシステムを受け入れて学校・学級という共同生活を過ごしている。
    その「スクールカースト」というシステムが好ましくないと感じるのは、それが「理不尽」さを孕んでいるからであろう。
    「下位」の生徒は、「何もしてないのに」「ウザイウザイ」(p108)と言われる。何をもって「下位」とするのか、その理由も言ってしまえばあやふやだ。
    だがちょっと待てよ、ここには「理不尽」が「好ましくない」という価値観があるが、それは逆に言えば「理不尽」でなければ(階層・序列システムができるのも)「納得できる」ということか?
    となれば問題は「スクールカースト」の構造そのもの、ではなくて、それもあるとは思うけれど、「理不尽なシステム」がなぜあるのか、ということにならないのか?
    つまり、「理不尽だなぁと感じていることだけど、当事者はそこから逃れられない、しっかり社会に組み込まれているシステム」ということかな。

    「理不尽」という言葉もなぁ。ある時代・場所で変化する、明文化されない一つの概念だろうからなぁ。

    今後この問題がどのように扱われるのか興味深いところだ。

  • 最近ドラマで有名になったらしいスクールカーストについての学術書。筆者の東大院の修論を加筆修正したもののようです。

    学校のクラス内での順位付けがどのようにして決まるのか、そしてどのような影響力があるのかを説いた本です。

    気になった箇所は以下の二点。
    スクールカーストはクラス内の上位層、下位層どちらの生徒にとっても抵抗を感じるシステムであること。

    一方で、教師達にとっては能力、才能の差であり比較的受け入れられているという事。

    読みながらもジワリと汗を書いてしまうような話も多く、学校内に留まらず、社会での人間関係が発生する場所何処にでも起こりうる事なんだろうと思った。

  • 教員たちの考え方にショックを受けた。「一人でいる」人に対してなぜこんなに警戒感を抱くのだろう?グループを作ることになぜそんなに熱心なのだろう。

    こうした上下関係はもちろん昔からあった。ただ「ギャル」が最上級ということが問題なのだと思う。それは「気分」でしか行動しない人たちだから。騒がず静かにしていたいということがそんなに悪いことだとは思わない。常にバカ騒ぎをして盛り上げ、イベントを組まなければ何もしないという雰囲気がおかしいのではないだろうか?

    子供の歌にまで愛だの恋だの持ち込む風潮も私は好きではない。そうやって盛り上げても出生率は下がる一方で結婚する率も減少している。

    ノリノリで学生時代を過ごし、ヒップホップを踊ってバンドでアイシテル~と歌う茶髪にピアスの先生じゃしょうがないか。地味系おばさんは何にもいう気分になれないね。だって無駄じゃん。

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教室内(スクール)カースト (光文社新書)の作品紹介

スクールカーストとは、主に中学・高校のクラス内で発生するヒエラルキーのことで、小学校からその萌芽はみられる。同学年の子どもたちが、集団の中で、お互いがお互いを値踏みし、ランク付けしていることは以前から指摘されており、いじめや不登校の原因となるとも言われてきた。本書では、これまでのいじめ研究を参照しながら、新たに学生や教師へのインタビュー調査を実施。教室の実態や生徒・教師の本音を生々しく聞き出している。生徒には「権力」の構造として映るランク付けが、教師にとっては別の様相に見えていることも明らかに…。本書ではまた、中学生への大規模アンケート調査結果もふまえながら、今後の日本の学校教育のあり方に示唆を与える。

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