教室内(スクール)カースト (光文社新書 616)

著者 :
制作 : 解説・本田由紀 
  • 光文社
3.30
  • (43)
  • (132)
  • (170)
  • (56)
  • (19)
本棚登録 : 1734
感想 : 203
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (308ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334037192

作品紹介・あらすじ

スクールカーストとは、主に中学・高校のクラス内で発生するヒエラルキーのことで、小学校からその萌芽はみられる。同学年の子どもたちが、集団の中で、お互いがお互いを値踏みし、ランク付けしていることは以前から指摘されており、いじめや不登校の原因となるとも言われてきた。本書では、これまでのいじめ研究を参照しながら、新たに学生や教師へのインタビュー調査を実施。教室の実態や生徒・教師の本音を生々しく聞き出している。生徒には「権力」の構造として映るランク付けが、教師にとっては別の様相に見えていることも明らかに…。本書ではまた、中学生への大規模アンケート調査結果もふまえながら、今後の日本の学校教育のあり方に示唆を与える。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 3つのアンケート調査(中学生、大学1年生、教員)から、教室内カーストの実態を検証しようとする試み。

    カーストが存在し、いじめの温床になると説く。
    カーストランクは、学校内にいる限り変わらないという。
    また、カーストに入らない最下層もあるとか。

    教師は、スクールカーストを受け入れて、利用している。
    カースト把握が、学級運営に重要なのだ。

    <アドバイス>の項がある。

    昔のテレビドラマのような熱血教師は、もういない。
    子どもたちを、個性と見るのか?教室を社会の縮図として運営するのか?

    下層の生徒は就職しても困るだろう。
    私もそう思えた。

    • vilureefさん
      こんにちは。

      以前からクラス内の派閥やランク付けはありましたよね。
      私は“スクールカースト”と言う言葉が定着しつつあることに嫌悪感を...
      こんにちは。

      以前からクラス内の派閥やランク付けはありましたよね。
      私は“スクールカースト”と言う言葉が定着しつつあることに嫌悪感を覚えるのですが・・・。
      最近やけに目につくもので。
      2014/08/19
    • だいさん
      vilureefさん
      コメントありがとうございます。

      >定着しつつあることに嫌悪感

      おっしゃるとおりと思います。
      大人(たぶ...
      vilureefさん
      コメントありがとうございます。

      >定着しつつあることに嫌悪感

      おっしゃるとおりと思います。
      大人(たぶん教師)が作った言葉なのではないでしょうか?

      子どもの社会の中にも、「好き嫌い」や「駆け引き」はあったし、あることが普通だと思います。しかし、それは子どもたちが解決することがベストだと思います。
      (出来ない。または「いじめ」になるから社会問題になるのかもしれないですが)

      教育者と呼ばれる方々が、言葉を定義し、良策はこうですと提示する。
      何か間違っていると感じます。
      専門家を信じきってはいけないと思います。

      ただ、問題提起にはなったかな?
      2014/08/19
  • 内容は、基本的にインタビュー・アンケートの内容を要約して次へ、要約して次へ、の繰り返しに過ぎず、問題への踏み込みがあまりにも浅い(著者も認めていますが)。
    一番問題だと思うのは、インタビューのスクリプトの使用を承諾した教師が、著者の知人の20代男性教師4人しかいないこと。さらに言えば、下位スクールに居た私の嗅覚が「こいつら全員、学生時代は上位カーストに居た」って言っている(多分あっている)。こんなインタビューじゃ正しい現状把握は不可能。
    しかしスクールカースト、リア充/非リア(こういう言い方は本の中では一回もしていませんが)の構造に焦点を当てた研究っていうのは今までなかったわけで、パイロットスタディとしてかなりの意義があるんじゃないかとは思う。この分野の研究をひたすら進めていただきたい。

  • 教室内(スクール)カースト (光文社新書) 新書 – 2012/12/14

    同年齢の学校内のクラスという中でも対等な関係というものはない
    2016年6月3日

    鈴木翔 による 著作
    1984年秋田県生まれ。
    群馬大学教育学部卒業。
    東京大学大学院教育学研究科博士課程に進学。
    現在 web で見ると秋田大学で助教をしているようだ
    本書は鈴木氏の学術論文を一般向けにわかるように改めて加筆再構成した本である

    率直に言って学生、大学院生などの一部の人間しか読めないようなものよりも広く世の中一般に訴えかけるべき内容の学術論文も数多くあると思われる。
    本書はそのうちの一つであると思える。

    結局同世代の人間を集めた学校内のクラスという中でも対等な関係というものはないのだ。
    対等な島宇宙が存在するのではないとする指摘は重要だ。
    宮台真司氏(制服少女たちの選択 講談社 1994年)への反論と言える。

    これまでにも学生生活でグループ分けに人間を分類したような話は多く語られてきた辛酸なめ子氏による女子の国はいつも戦争によると自分の合ったグループに入って生活しようと提唱している
    それ自体が間違いではない。
    しかしそのグループ間に上下関係があること。
    権力などが違いがある。
    また一番下の受け皿層に所属する生徒達にとってはあまり気分よく過ごせる環境ではない。

    個人的に小中高時代を振り返ってみてもクラス内の力関係が平等ではなかったと思う。
    ただ一番上の層の子達が周りに配慮できるなどがあれば状況は大きく異なる。
    小学校時代はガキ大将と仲良くしていた為、グループ間で阻害されることもなく過ごせた。
    高校時代もあるにはあったものの大学受験に向けて必死になり、あまりそこまでグループ間うんぬんどころではなかった記憶がある。
    受験勉強の影響もこのクラス内でのカーストに多大な影響を与えているのではないか。
    もっとこの辺はつめてもらいたい。

    スクールカーストの順位が対して変わらないという本書内の指摘については噂や情報が学年間で共有されていることに加え、本人の能力、性格、資質も影響するからだろう。
    教師側がカースト構造を能力によって出来ていると見る考えはある程度正しいと思える。

    鈴木翔氏の研究はまだはじまったばかりと言える。
    本書内でも認めているように
    研究対象事例が少ない。
    特に教師側への取材は不十分に感じた。

    いじめにせよ、それをうむ土壌たるスクールカーストにせよ固定されたクラス制度があるが故の問題である。
    だからゼロにするのは難しいだろう。
    しかしある程度の緩和策をうっておくべきではないだろうか。
    教師側も本書からグループ間の力関係など複雑に絡まる生徒たちへの配慮をしつつ共同作業、グループ学習をさせてやって欲しいと思えた。

  • スクールカーストは生徒・教師の両面から異なるメカニズムで維持されている。いまや市民権を得ている「スクールカースト」という言葉ですが、この本が出版された2012年12月時点では、言葉じたいはあったものの、社会学・教育学の対象にはなっていませんでした。なので、スクールカースト研究の先駆けみたいな本。本書は筆者の修士論文を再編集したものというから驚きです。

    この本では、生徒(中学2年生)へのアンケート調査と大学生10人、現役教師4人へのインタビュー調査をもとにスクールカーストについて論じられています。スクールカーストとは、クラスのなかのグループにランク付けがされ、下位のグループは上位のグループに逆らえない雰囲気が醸成される。1軍、2軍、3軍みたいな区分けがされるわけです。しかもこの上下関係は学年が上がってクラス替えがあっても固定化するといいます。たまにランクが落ちることはあってもめったに上がらない。勉強やスポーツだったら自分が頑張ればなんとかなる部分はありますが、スクールカーストでは、いっかい下位グループになってしまうとそこから自力で改善していくことができない。しかも明文化されない理屈で上下関係が決まってくるため、厄介なのです。

    生徒側と教師側のインタビューの中では、スクールカーストに対しての捉え方の違いが見えてきます。生徒にとってのスクールカーストは、逃れがたい「権力」として映ります。下位グループは上位グループに逆らえない。上位グループはやってもいいことの権利が多い、と捉えている生徒もいました。
    他方、教師にとってのスクールカーストは、その生徒の「能力」を基盤として成立したもの、というように映っているようです。上位グループにいる人たちは、コミュニケーション能力とかリーダーシップに長けているからそのポジションにいるんだ、というわけ。だから、学校運営にうまく利用しようとする。場合によっては上位グループの生徒にすり寄って、仲良くします。生徒へのアンケート調査では、教師との仲の良さは「成績」も「クラスでの地位」も正の相関が見られたのですが、成績よりもクラスでの地位の方がその傾向が強く出ています。
    したがって、生徒側・教師側の両面からスクールカーストは維持されることになります。ただ、生徒側と教師側の認識には差があり、教師側が「能力」という捉え方で構造の維持を図ることが生徒のためになっているかは疑問です。

    さて、この先は私見ですが、会社でも同じようなことはあります。仕事やコニュニケーションという意味で「デキない」人は地位が低い。ただ会社は逃げ場があるけど(異動とか転職とか)、教室は逃げ場がないんですよね。カネのためだ、と思えば割り切れるし。そこが事態を深刻化させている要因だと思います。

    別の見方をすると、スクールカーストの存在は「空気の安定化」につながるので、クラスメイトにとっては「楽」なんじゃないか?みんな平等だと、「空気の探り合い」をしなきゃいけなくて疲れるし、意見の対立も起こる。いや、意見の対立が起きるのは大いに結構なわけですが、日本社会は意見の対立を嫌いますからね。しかもある程度「デキる」やつが上位グループにいて、「空気」を醸成してくれる環境にしてくれるんであれば、それって効率的とも言えますよね。だから、問題こそあれど、スクールカーストは生き残っているんではないかと思います。

    それと、機能としては年齢による上下関係だって同じようなものではないか。年齢のほうは昔から染み付いた習慣なので、異を唱える人は多くないと思います(ぼくは大嫌いですが)。ただ、年齢は地位の上下がはっきり明確(誕生日を聞けばわかる)だし、誰しも時間が経てば「上位」が回ってくる「平等感」があるから受け入れやすい。スクールカーストはその理由がよくわかんなくて、不平等でしょ。そこに不満がたまるという要因もあると思います。

  • 読みやすい。とりあえずまとめだけ読んでいけば趣旨は把握できる本。インタビュー部分は読まなくても、ほぼ同じ内容を著者が代弁。かなりの飛ばし読みができる本。

  • <閲覧スタッフより>
    「格付けし合う子どもたち」。クラス内の地位やランクといったヒエラルキー。子どもたちは自ずとそれに見合った行動をとる。統計やデータ、インタビューに基づいたエピソードの数々がその実態を浮彫りにします。
    -------------------------------------------
    所在番号:新書||371.3||スス
    資料番号:10218602
    -------------------------------------------

  • 教員たちの考え方にショックを受けた。「一人でいる」人に対してなぜこんなに警戒感を抱くのだろう?グループを作ることになぜそんなに熱心なのだろう。

    こうした上下関係はもちろん昔からあった。ただ「ギャル」が最上級ということが問題なのだと思う。それは「気分」でしか行動しない人たちだから。騒がず静かにしていたいということがそんなに悪いことだとは思わない。常にバカ騒ぎをして盛り上げ、イベントを組まなければ何もしないという雰囲気がおかしいのではないだろうか?

    子供の歌にまで愛だの恋だの持ち込む風潮も私は好きではない。そうやって盛り上げても出生率は下がる一方で結婚する率も減少している。

    ノリノリで学生時代を過ごし、ヒップホップを踊ってバンドでアイシテル~と歌う茶髪にピアスの先生じゃしょうがないか。地味系おばさんは何にもいう気分になれないね。だって無駄じゃん。

  • 「スクールカースト」と呼ばれる、同学年の児童生徒の間で共有されている「地位の差」について、インタビューとアンケートで実態を明らかにしている。
    あとがきの謝辞を読むと、著者が東京大学大学院教育学研究科に提出した修論がベースになっていると分かるが、本編を読んでいても論文っぽさをあちこちに感じる。インタビューは必要箇所を書き起こした上で、その回答の意味するところを一字一句誤りなく引用しながら解説していく辺りとか、すごく論文っぽい。でもそのおかげで、理解はスムーズに進む。とても分かりやすい。

    スクールカーストにまつわる発見がいくつかあった。

    「『スクールカースト』で下位に置かれている生徒が、『クラスメイトに馬鹿にされている』と感じる傾向が見て取れます。一方で、全体的に見ると、男女ともに中位の生徒が馬鹿にされていない傾向があるだけで、上位の生徒もある程度『馬鹿にされている』傾向がある」(p110)

    「もともとハルキらが所属する『イケてないグループ』のメンバーが、みんなを盛り上げるようなエンターテイナー的な素質や能力を持ち合わせていないわけではない」(p128)

    「彼女は上位のグループに入ったことで、『〈1軍〉の義務として』権利を使わなければならず、そのことに重責を感じていたということです。
     先に示したとおり、彼女は、上位のグループに所属するということは『与えられる権利の数』が多くなることだと解釈しています。その権利は、与えられているだけで使わなくてもいいのではなく、権利があるからには使わなければならないのだと彼女は考えています。
     そしてそれは、『〈1軍〉の義務として』権利を使わなければ何も進まないのであって、クラスの方向性や雰囲気を決めていくために、そうした権利を使うことは、彼女にとっては重責であったようです」(p137)

    「たとえば吉田先生は、『スクールカースト』の下位に位置づけられる生徒は『100%将来使えない』と考えています。なぜならば、吉田先生は、勤務校の中で今年の就職の結果が芳しくないのは、『スクールカースト』の下位に位置づけられるような『気の弱いオタク』の生徒であり、企業はそのような人材は求めていないと考えているからです。
     一方、たとえば就職の採用結果が芳しくなかったとしても、吉田先生が『強い系』と呼ぶような『スクールカースト』の上位に位置づけられる生徒のことは、それほど心配はしていません。というのも、彼らは『生き方』が『うま』く、『ゴマすり』などもでき、人間関係をうまく構築していけるため、たとえ仕事を辞めたとしても、『そんなに心配ではない』と吉田先生は考えているからです」(p246-247)

    「松本先生も、『スクールカースト』による『地位の差』を、『なきゃいけない』ものだと考えています。松本先生も、『スクールカースト』は、『コミュニケーション能力』により成り立っていると考えており」(p261)

    「一方、小林先生は、加藤先生や松本先生と違い、『スクールカースト』による『地位の差』を、『リーダー性』によるものだと考えています。『リーダー性』は、良い意味で利用している生徒も、悪い意味で利用している生徒もいますが、小林先生はそうした『リーダー性』を持つ生徒は、『才能』や『資質』がある児童だとみなしており、努力で得ることの難しい潜在的な能力だと解釈しています」(p261)

    「生徒と教師は、ほぼ同じ状況を見て、生徒間の『地位の差』、すなわち本書でいうところの『スクールカースト』を把握していますが、その解釈にズレが生じているということです。
     生徒が『権利の多さ』を軸とする、『権力』構造として『スクールカースト』を解釈しているのに対し、教師は『能力の高さ』を軸とする、『能力』のヒエラルキーだと解釈しています」(p273)

    高校時代を思い出しながら読んだ。振り返れば、自分はスクールカーストでいえば中位から下位の人間だったと思う。上位にはかなり苦手意識のある人もいて、怒りを覚えたこともあった。敵意を見せることはなかったけど。
    また自分の学校の場合、学園祭や体育祭などはスクールカーストがあいまいになりやすい時期だったように思う。自分も上位の人から一定の評価を受けたりするタイミングでもあり、そんな時は素直にうれしかった。
    一方で、スクールカーストに関係なく自由にフラットな人間関係を構築する人もいた。いまでも親しく付き合っているのは、そんな人だったりもする。

  • 文章は平易で語り口も優しいが、内容はずっしり。だが最後まで読み終わって、書き方の工夫にやっと気がついた。このタイトルだもの、当事者である児童生徒が手に取る可能性も大いに有り得る。
    ちなみに、使われているインタビュー調査はなかなか生々しくエグい。思うところのある人は覚悟して読んだほうがいいかもしれない。

  • sc
    堅くなくて読みやすい。専門的なものを欲している人には向いていない。
    教師の話はなんかなぁって思った。

全203件中 1 - 10件を表示

鈴木翔の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
朝井リョウ
ジャレド・ダイア...
古市 憲寿
三浦 しをん
佐藤 優
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×