蔵書の苦しみ (光文社新書)

著者 :
  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334037550

感想・レビュー・書評

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  • とにかく恐ろしい本です。本の重さで床が抜けてしまった話や、地震によって家のなかがカオス状態になった話など、これまで目を背けていたことに直面させられるわけですから、じっさいのところ、読んでいてこんなに怖い思いをした本はありません。

    「ふつう、家を建てる場合、床の積載荷重(床に負荷がかかる重さの許容範囲)をだいたい一平米当たり百八十キログラム以内、と見積もります」「大雑把に四六判の単行本一冊の重量を四百グラムとして、コクヨのスチールの本棚五段に収納できるのが約二百冊。それだけで八十キログラム。前後に列に並べるとその倍。本棚そのものの重量が別にかかる」というくだりを目にした時には、ほんとうに冷や汗が出る思いがしました。

    本書に登場する猛者たちにくらべるならば、私自身の蔵書量はまったくささやかなものにすぎませんが、そうはいってもやはり心配になってしまいます。これはもちろん蔵書家たちへの敬意を込めていうのですが、自分は絶対にここに書かれているひとたちのような羽目には陥らないようにしようと、心に誓いました。

  • 著者は主に書評や古本に関したコラムを書くライターである。
    そして職業柄かなりの蔵書家でもある。
    その数2万冊超、いやひょっとすると3万冊を超えているかもしれないという。
    通常1万冊あれば1軒の古本屋が開けると言われているので、その数がいかに凄いかがよく分かる。

    本が増え始めたのは、大学に入学して一人暮らしを始めてから。
    以後引っ越すたびに数が増えていった。
    理想の読書環境を手に入れたと思っていたはずが、本が氾濫し始め、足の踏み場もなくなってきた。
    そして今では探している本が見つからず、あるはずの本をまた本屋で買いなおすという有様。
    災害の域にまで達するような状態になってしまったのである。
    まさに「蔵書の苦しみ」である。
    その行きつく先がどういうことになるか、様々な例を引いて書いている。
    まず木造アパートの二階に住んでいた人が、本の重さで床をぶち抜いた話。
    同じような話として串田孫一や井上ひさしやマンガ家の米沢嘉博などの例を挙げる。
    またこの本にも書かれているが、図書館でいっしょに借りた関川夏央の「文学はたとえば、こう読む」の中にも、これと似たような話として「本の山が崩れて遭難した人 草森紳一とその蔵書」があった。
    草森の著書「随筆 本が崩れる」のなかに書かれているもので、3万冊以上の本で埋まった自宅マンションで風呂に入ろうと浴室に入った時、ドアの前に積んであった本の山が崩れてドアが開かなくなり閉じ込められてしまったという話である。
    ひとり暮しをしていたため助けを呼ぶことも出来ない。
    それをどうやって脱出したかが、詳しく書かれている。
    笑うに笑えない話であるが、もうこうなれば事件である。災害である。
    これは特殊な例かもしれないが、たとえば地震が起きて本棚が崩れ、その下敷きになることはあり得ることだ。
    けっして珍しいことではない。
    もちろんこの本なかでも、阪神大震災や東日本大震災の際に、蔵書がどうなったか、様々な蔵書家のケースをあげて書かれており、本棚がいかに地震に弱いか、そしてこうした異変の際には本は凶器と化すのだ、ということを書いている。

    蔵書家は本に対する愛着は人一倍強い。
    どの本も限られた小遣いのなかから、買おうかどうしようかと煩悶しながら、それでも「これはどうしても買っておこう」と決意したうえで手に入れたものばかりである。
    「事情が許せば、買った本は全部そのまま残しておきたい。それが本音だ。」
    「それでも、やっぱり本は売るべきなのである。スペースやお金の問題だけではない。その時点で、自分に何が必要か、どうしても必要な本かどうかを見極め、新陳代謝をはかる。それが自分を賢くする。蔵書は健全で賢明でなければならない。初版本や美術書など、コレクションとしていいものだけを集め、蔵書を純化させていくやり方もあるだろうが、ほとんどの場合、溜まり過ぎた本は、増えたことで知的生産としての流通が滞り、人間の身体で言えば、血の巡りが悪くなる。血液サラサラにするためにも、自分のその時点での鮮度を失った本は、一度手放せばいい」
    そのような結論に至った著者の蔵書減らしの悪戦苦闘が、そこから始まるのである。

    果たして理想の蔵書とは、どういったものか、そして貯まり続ける本の管理を世の蔵書家たちはどのようにしているのか、古今の蔵書家や読書家、身近な蔵書家など様々な事例のなかからそれを探ろうとする。
    登場するのは、先の串田孫一や井上ひさしに加えて、谷沢永一、植草甚一、北川冬彦、坂崎重盛、福原麟太郎、中島河太郎、堀田善衛、永井荷風、吉田健一といった文学者たち。
    加えて蔵書のために家を建てた人や、保管のためにトランクルームを借りた人など一般の人たちも数多く登場する。
    また「明窓浄机(めいそうじょうき)」という言葉が出てくるが、これは宋時代の中国の学者・欧陽脩(おうようしゅう)の言葉で、明るい窓、清潔な部屋に机と本が1冊あり、そこで読み書きをするというもの。
    究極の書斎であり、それを実現させたものに鴨長明の方丈記がある。
    さらにもうひとつの明窓浄机として刑務所があり、その実例として荒畑寒村の例を挙げている。
    こうした探索は映画に出てくる蔵書にも及ぶ。
    「遥かなる山の呼び声」、「ジョゼと虎と魚たち」、「愛妻物語」といった映画の中に見られるささやかで個性的な蔵書、さらには「いつか読書する日」の本がぎっしり詰まった「本の家」。
    そうした諸々の探索から導き出した結論は、「理想は500冊」というもの。
    その根拠となったのが、「書棚には、五百冊ばかりの本があれば、それで十分」という吉田健一の言葉。
    そして「その五百冊は、本当に必要な、血肉化した五百冊だった。」
    しかし理想と現実は大違い。
    2万冊を500冊に減らすのは、あまりにも至難の業。
    理想通りに運ばないどころか、逆に大量の本を処分した同じ日に、またまた古本を買ってしまうという始末。
    「バカだなあ、と自分でも思うが、この気持ち、わかってもらえる人にはわかってもらえるだろう。」と書く。
    コレクター心理の複雑なところ。
    「蔵書の苦しみ」とはいうものの、「本当のところは、よくわからない」のである。
    苦しんでいるようであり、楽しんでいるようでもある。
    結局「本が増え過ぎて困る」という悩みは、贅沢な悩み、色事における「のろ気」のようなものと結論する。
    「自分で蒔いた種」「勝手にしてくれ」というしかないのである。
    ましてや古本ライターを名乗る著者にとっては、こうした悩みはどこまで行ってもついて回る宿命のようなもの。
    「たぶん、この先も苦しみながら生きていく」と自虐的にボヤキながら筆を置くことになるのである。
    しかしそんなボヤキから生まれた本書の、何と面白いことか。
    時間を忘れて楽しんだ。

  • 断捨離にはまって処分(古本屋に売ってます)することに快感覚えるようになってから、本棚自体を持たない生活をしてますけど、本来は本がずらりと並んだ様が大好物です。本棚を見るのが好き。大量の本を積み上げた部屋を見るのが好き。だからこういう本には目が無いです。

    万単位の本を持つ蔵書家の方のぜいたくな悩み。「苦しみ」なんてタイトルになってるけど、自慢話でいいと思います。ニヤニヤしながら「いやぁ困った困った」って言ってるみたいな。実際、うらやましいもん。地下に書庫とか。あふれる本の山と格闘し、時に処分という悲しい別れも乗り越えて、知識欲に貪欲に本を買い続ける様は豪快で気持ちいい。こっちまで豊かな気分になります。欲を言えば、写真点数がもっと欲しかった。著者の本棚もっと見たい。

  • 面白かった!人の経験てほんとに他人事だから面白いし、参考にもなるね。自分で把握出来なくなったら手放すのも仕方ない。結局読み返す本て少ないんだよな。

  • 多すぎる本は知的生産の妨げ。自分の血肉と化した500冊があればいい。机のまわりに積んだ本こそ活きる。―2万冊超の本に苦しみ続けている著者が、格闘の果てに至った蔵書の理想とは?(アマゾン紹介文)

    居住空間を圧迫してるんだから、そりゃ家族だけじゃなく、本人たちにとっても「苦しみ」という面はあろう。
    だけれど、読んでいて違和感を覚える。どことなく楽しそうなのだ。つまりは著者の言う通り、「惚気」を読まされ知多からなんだろうな。

  • 書評家の著者が自身や知り合い、著名人の蔵書に関する苦しみの数々を披露。
    こんなに沢山本は持っていないけれど、同感する事が多くてニヤニヤしてしまいます。もと図書館員としては、図書館との関係にもニッコリしました。

  •  著者の来歴、というより蔵書形成(あまりに多すぎて本の山になる、床が抜ける。アパートの下の階の住人や大家から文句が出る)と、それらの処分歴(捨てるか売るか、残すかを逡巡しまくりなど)が面白すぎる。
     著者が本書で紹介する方々のそれも大爆笑を生むこと請け合いだ(ただし、戦災・関東大震災等で蔵書を焼失した方は除く)。
     そういう意味で、本好きなら絶対に頷くこと間違いなしの一書といえそう。

  • 2013.10.12.pm10:47読了。光文社のTwitterの宣伝に負けてついに購入。とにかく面白い。本好きにはたまらない一冊。思わず授業中も読んでしまった。口元が若干ニヤついていたかもしれない。共感できる部分が多かったので仕方ない。見られていませんように。なむなむ(笑)
    私の今年のベスト10に入ること必至。大げさなタイトルだが、内容は読みやすい。蔵書の苦しみではなく「惚気」を聞かされている気分になる。思い当たる節が多すぎるからにくめない。本の重みで床が抜けるってほんとにあるのね。古本市に行ってみたくなった。近所にあるかな。
    足の踏み場もないほど本が積み上がった部屋。壁一面に並ぶ本棚。うらやましすぎると思うのは私だけではないはず(笑)今のところここまで本を増やすつもりはないが、すごく参考になりました。本好きなひとにはおすすめ。著者の規模が大きすぎて若干引くひともいるかもしれませんが。本を読まない人にとってはただの馬鹿か気違いにしか見えないだろうな、と冷静になって思った。

  • 怖い程身につまされる。他人事ではない。でもこの本はとっておく。

  • そう、「本というのはフェティシズムの対象ですよ。」とある先生が大学の授業で発言していたのを思いだす。著者によれば男にはコレクターシップなる収集癖が女性と比べて強いらしい。


    個人的に心に残ったこと

    ・多すぎる本は知的生産の妨げになり、自分の周りに血肉と化した500冊があればよい。机の前割積んだ本こそ活きる。

    ・「三度、四度と読み返すことができる本を、一冊でも多くもっているひとこそ、言葉の正しい意味での読書家である」(篠田一士)

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著者プロフィール

岡崎 武志(おかざき・たけし):1957年大阪府生まれ。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町ライター」などの異名でも知られる。『女子の古本屋』『古本で見る昭和の生活』(筑摩書房)、『これからはソファーに寝ころんで』(春陽堂書店)、『人と会う力』(新講社)、『読書の腕前』『蔵書の苦しみ』 (光文社)、『古本道入門』(中公文庫)、『憧れの住む東京へ』(本の雑誌社)など多数。

「2024年 『古本大全』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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