目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書)

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著者 : 伊藤亜紗
  • 光文社 (2015年4月16日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334038540

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目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書)の感想・レビュー・書評

  • ソーシャル・ビューに興味あり!

  • 見えない人は、認知の仕方が違う。大岡山の傾斜を「丘」であると捉え、富士山は二次元ではなく三次元で捉える。ブラインドサッカーや美術館を見える人見えない人の複数でツアーする「ソーシャルビュー」など、これまで気の毒だと「腫れ物」に触るように接してきた障害者への想像力をかきたてる一冊。遠ざけるのではなく、想像しよう。著者はそう言いたいのだと思う。彼らは劣ってるわけでもなく、そして優れているわけでもない。お隣さんとして「そっちの世界も大変だね」と奇しくも見えない人が発した言葉が、気づかせてくれることは多い。障害の「害」をひらがなにすることが何かの解決には、決してならない。子供にも読ませたい名著です!

  • 世の中の大きな誤解。目の見えない人への配慮として「点字をつけてあげればいい」というもの。
    点字が読める視覚障害者は1割ほどしかいないということ。
    私の知人の視覚障害者が点字ではなく、普通の文字を目を凝らして読んでいるのを見ていたのに、気づかずにいた事実です。
    目の見えない人への「配慮」が「健常者様の世界を見せてやる!」になっていないか。
    自分はそうした配慮をできていると思う人ほど読んでほしい。
    生まれた頃から全盲の人でも好きな色がある、という話にも驚かされた。
    たまたま視覚を使ってないだけで「見える」ことには変わりないのかもしれない。

  • 目の見えない人はこうやっていて凄い、ではなく。目の見えないそっちの世界を面白く読ませてくれる本。

    余白があって俯瞰して構成して物事を見る。
    私はすごく視力低いので、裸眼の状態だと耳を頼りにしている感じはある。
    ぼやけるからだれが喋っているか、声を覚える!

    物がいつも同じ場所に無いとき、絶対眼鏡ないと探せないのもね‥
    ほんの少しだけ見えない人の世界に共感してしまったですよ‥見えてしまうから同じでは無いと思いますが。


    絵の鑑賞方法で、見えない人にわかるように絵の状態を言うの楽しそうでした。

    過剰な善意の意味がわかりました。

  • ●:引用、→:感想

    ●事故や病気によって何らかの器官を失うことは、その人の体に、「進化」にも似た根本的な作り直しを要求します。リハビリと進化は似ているのです。生物は、たとえば歩くために使っていた前脚を飛ぶために使えるように作り替えました。同じように、事故や病気で特定の器官を失った人は、残された器官をそれぞれの仕方で作り替えて新たな体で生きる方法を見つけます。→「「退化」の進化学」で読んだ”進化の反対が退化ではなく、進化と退化は同時に起こる”に通じる。
    ●足で対象を触覚的にサーチしながら、見えない人は道路を歩き、階段を登ります。さぐりながら進み、支えながらさぐる。(略)つまり、同じ「歩く」でも、見える人と見えない人では異なる運動をしているのです。第2章で、目以外の器官を使って「見る」方法についてお話しました。外見上は見える人と同じ「手で触る」行為が、見えない人においては「読む」役割を果たしていた。ここでも同様です。見えない人の足は、「歩く」と同時に「さぐる」仕事も行っているのです。
    ●実際、ブラインドサッカーでは音の出るボールを使いますが、葭原さんによれば、ドリブルしてシュートするのに本当は音なんかいらないのだそうです。音が必要なのはトラップのときだけ。それ以外の動きに関してなら、サッカーは視力を使わずにできるスポーツだということです。逆に視力を使わないことが、プレイの幅を広げることもあります。第1章で分析したとおり、見えない世界には死角がありません。つまり、自分の体が向いている前方と同じように、背中方向にいる後ろの選手の動きもよく分かるのです。
    ●つまり美術鑑賞にかぎらず、ふだんから断片をつなぎあわせて全体を演繹する習慣がついているのです。パーツいうと単純に組み合わせていくようですが、実際には、ある部分についてより解像度をあげた説明が加わったり、時間的な変化についての言及が追加されたりもします。それができるためには、新しく入ってきた情報に合わせて、頭の中で理解している全体のイメージを柔軟に変えることができなくてはなりません。つまり、見えない人の頭の中のイメージは、見える人の頭の中のイメージよりも「やわらかい」のではないか。そう感じることがあります。
    ●序章で、健常者の善意がかえって障害者に対して壁を作ってしまう、というお話をしました。よく分からないからこそ、先回りして過剰な配慮や心配をしてしまう。「何かしてあげなければならない」という緊張で、障害のある人とない人の関係ががちがちに硬いものになってしまうのです。障害者に対する悪意ある差別はもってのほかですが、実は過剰な善意も困りものなのです。

  • 推薦者 バイオ環境化学科の教員

    *図書館の所蔵状況はこちらから確認できます。
    http://opac.lib.kitami-it.ac.jp/webopac/catdbl.do?pkey=BB50108335&initFlg=_RESULT_SET_NOTBIB

  • ブログをこちらに書きましたので、宜しければお読みください。

    http://sommelierofbooks.com/politics/howtoseebyblindpeople/

    『目の見えない人』たちが見る世界は
    『目の見える人』たちの世界とは違うのか?
     
    『目の見えない人』たちはどうやって運動するのか?
     
    そんな疑問に答えてくれる本です。

  • ただのメモ
    ・本より
    ★私見
    ---
    ・福祉ではなく身体論について
    ・4本足の椅子から1本足を取ったら(目が見えなくなったら)倒れるが、元々3本足の椅子もある
    ・生まれつき目の見えない人は、赤いものの集合(トマト、りんご…)から「赤は暖かい色」と理解している
    ・白と赤を混ぜるとピンク、のような混色はイメージできない。机と椅子を混ぜるようなもの
    ・見える人は富士山を平面の三角に、見えない人は立体の円錐にイメージしている。見えることで余計なバイアスがかかってしまうことも多い。
    ★育児をきっかけに他者視点を意識するようになった
    ★この本も他者視点で、他者への理解を促す本
    ★この本より濃かった本で『ぼくには数学が風景に見える』も自分とは違う考えを見れるので面白い

  • 福祉や下手な人間論に惑わされる事無く
    1冊を綺麗に美学と云うジャンルから
    生物学も交えて語るという素晴らしい書き手。

    いつも見る度モヤっとしてきた「障碍者」「障がい者」
    という表記に関してのまとめも同感。

    完璧な人など居ないと謳いつつも
    社会の壁を作っては添えない人をいとも簡単に
    「障害者」として差別化している事に
    気が付けると思います。
    同調圧力の恐ろしさよ。

    そして人間の身体能力や可能性の素晴らしさよ。
    空間で捉えてみているという下りは
    目から鱗でした。ブラボー。

  • 目で見ることばかりに頼るのは、その分だけ、世の中を狭いものにしてしまうのかも知れない。実際、目で見る世界とは異なる広い世界(これは目以外の感覚で把握している世界という意味で)があることを本書で知ることができました。

  • 最近読んだ本の中で最も面白い内容だった。
    まず、目が見えない人の方が晴眼者よりもものを空間的に捉えていること。見える人は二次元、見えない人は三次元に見ている傾向があること。
    例えば、「月」。見える人が月をイメージするとそれは、空に浮かんだ円だったり、半円だったりするが、見えない人は球体など立体的に想像するようだ。
    富士山も例に挙げられている。
    確かに、それらを想像するときには、平面的である。
    見える人、見えない人の捉え方以前に、自分がものを平面的に捉えていることに気付かされ、驚いた。
    見えない人の方が俯瞰的にものを捉えていて、見える人はかえって視覚に邪魔されて、ものの本来の姿を捉えられていないのかもしれない。

    見える人と見えない人が一緒に美術鑑賞する「ソーシャル・ビュー」も興味深かった。
    見える人が、絵を見た感想や印象を言葉にして、見えない人に伝える。相手に伝えるためには、抽象的な表現では足りない。
    そのため、具体的に相手に伝わるようにしなければならず、結果としてその分鑑賞が深まるのである。
    これらは、見える人見えない人双方にとってとても有意義で面白い試みだと思う。

    勝手に想像していた、見えない人の世界を少しだけ知ることが出来たような気がする。

  • 目が見えないからこそ気づいたことだとしても、
    目の見える人にも同じことが言える。
    この 見える人が失った視点 見えるゆえの盲目

    読みやすくて良かった〜〜

    下記メモ

    自立とは依存先を増やすことである

    特別視ではなく、対等な関係ですらなく、揺れ動く関係

    ユーモアは感情の節約

  •  変身するとは、そうした視覚抜きのバランスで世界を感じてみるということです。脚が一本ないという「欠如」ではなく、三本が作る「全体」を感じてみるということです。
     異なるバランスで感じると、世界は全く違って見えてきます。つまり、同じ世界でも見え方、すなわち「意味」が違ってくるのです。(p.31)

     視覚がないから死角がない。自分の立ち位置にとらわれない、俯瞰的で抽象的なとらえ方です。見えない人は、物事のあり方を、「自分にとってどう見えるか」ではなく「諸部分の関係が客観的にどうなっているか」によって把握しようとする。この客観性こそ、見えない人特有の三次元的な理解を可能にしているものでしょう。(p.74)

     視覚の特徴は、一周で全体を把握することにあります。それに対して触覚は、一般的な常識に従えば、直接接触している部分しか知覚しえない。(p.113)

    「波に乗る」は「電車に乗る」のと違って自然が相手ですから、相手に合わせられたときの醍醐味は格別です。視覚を排除したときに感じられる自然との一体感はたまらないものだ、と言います。もはや、全身が触覚、といった感じでしょう。(p.130)

    脳性まひの小児科医である熊谷晋一郎さんは、障害者の自立について興味深い定義をしています。すなわち、「自立とは依存先を増やすことである」と。自立というと、依存を少なくしていくゼロにすることだと思いがちです。しかし、熊谷さんはそうではないといいます。
    周りの人から切り離されることではなく、さまざまな依存可能性をうまく使いこなすことこそが、障害者の自立である、と。(p.135)

     印象派とは、事実として「湖と野原が似てくるような絵」なのです。「湖っぽい野原」なんて現実には存在しませんが、にもかかわらず印象派を知る上では、この間違いこそむしろ正解です。ただの「野原」ではなく「湖っぽい野原」であること。印象派の定義と言っていいほど、これは本質をついているのです。
    「この絵には野原が描かれています」という「情報」の説明があるだけ。それに対して「湖っぽい野原」というのは、見た人の経験に根ざした「意味」です。(p.168)

     鑑賞とは作品を味わい解釈することですが、鑑賞をさまたげる根強い五回に、「解釈には正解がある」というものがあります。多くの人が「正解は作者が知っている」あるいは「批評家が正解を教えてくれる」と思っている。もちろん、好き勝手解釈していいというものではないですが、だからといって自分なりの見方で見てはいけないと構えてしまっては意味がありません。
     大学で現代アートを教えるにしても、まずは学生に「武装解除」させることが必要です。特に現代アートは、感覚だけでなく知性にも重点がありますから、自分なりに能動的に解釈する姿勢が絶対に不可欠。受験勉強の延長で「この作品の正解は…」と構えてしまう学生の方の力を抜いてあげる必要があります。(p.178)

     序章で、健常者の善意がかえって障害者に対して過剰な壁を作ってしまう、というお話をしました。よく分からないからこそ、先回りして過剰な配慮や心配をしてしまう。「何かしてあげなければいけない」という緊張で、障害のある人とない人の関係ががちがちに硬いものになってしまうのです。障害者に対する悪意ある差別はもってのほかですが、実は過剰な善意も困りものなのです。(p.203)

    「誰が作っても同じ」であることが必要であり、それは「交換可能な労働力」を意味します。
     こうして労働が画一化したことで、障害者は「それができない人」ということになってしまった。それ以前の社会では、障害者には障害者にできる仕事が割り当てられていました。ところが「見えないからできること」ではなく「見えないからできないこと」に注目が集まるようになってしまったのです。(p... 続きを読む

  • 情報量が少なくなることでみえるもの。別の感覚、別の器官の使い方。
    芸術鑑賞におどろいた。

    章→空間、感覚、運動、言葉、ユーモア

    C0230
    蔵書

  • 非常にわかりやすく、的確な表現ばかりで、始まりから終わりまで驚きと納得の連続。
    普段なら視覚に頼りすぎている自覚はあったけれど、こんなにも見える世界が違うなら、まだまだ見える私たちの知らない世界を見せてくれるかもしれない。
    たった一冊の本で、見えない人をこれほど近く、親しく感じさせられては、これから先、彼らと接する機会を積極的に作って行きたくなってしまう。

  • 同じ情報でも受け取り方によってその意味が変わってくる。目の見えない人の「見方」が分かる興味深い本。

  • 「見えない」人達を障害も持つ人ではなく、違う身体感覚を持った人達として好奇心を持って探ってみると色々と面白い発見がある。

    興味深い話がいっぱいだが中でも見えない人達の美術鑑賞は非常に面白かった。

    「見える人」と「見えない人」ということだけが差異を生むのではなくそもそも人はみな違う感性を持っているということがわかってくる。

    例え見えていたとしても皆が同じものは見てないしだからこそ自分の感覚というのは人に簡単には伝わらないということも。

    余談だが「美学」という分野の学問があることははじめて知りました。

  • (6/28一読、7/9二読)

  • 人間の知覚は8割が視覚からだそう。視覚を失った人はかわいそうではない、というのが印象的。
    点字が読める人は12%だそう。

  • 目が見えないというのは、目が見える人にとって目を閉じて生活をするのとは根本的に違うという。引き算では無いという言葉。「そっちの世界」「こっちの世界」と同じ人で同じ地域に住んでいても、目が見える人との距離感を持っているといいます。

    人は90%の情報を視覚から得てるといいます。
    確かに何かを決めるときには、色や形(デザイン)を決めてになりますね。 

    音楽もビジュアルというジャンルが出るなど、視覚を意識したアーティストも大勢います。 

    まだ読み始めたばかりですが、とても興味深い内容であります。 

  • 引く或いは外すことによってできる空間や、完成したと思い込む前の可能性について、読みながら考えました。
    「見えない人」とタイトルで端的な表現を用いているように、文体は平易で読みやすく、それでいてハッとさせられる言葉の多い本です。

  • 視覚に頼らない、見えない人の世界の「見方」は、実はとてもとても豊かで彩りのあるものなのだ。
    美学という独特な研究に魅せられて、見えない世界の向こう側へと誘われてみてはいかがだろう?

  • 目から鱗なんて言葉で言ったら薄っぺらになってしまうんだけど、はっとするような、なんか、ぐりんって一回転しちゃったような、そんな感覚の連続でした。

    言葉や感触や音など様々な情報から、自分なりにその「モノ」や「土地」などを想像して自分の中に作っていくという感覚。それって大変だなあという感覚しかなかったけど、本当に「自由」で面白いことかもしれないって思った。
    自分で想像できる感覚としては読書に近いものがあるかもしれないのかな。

    そしてやはり「自分を客観的に捉えること」は万物において通ずる可笑しみ=ユーモアの根っこなんだな。

    すごいねえではなく、おもしろいねえ!何に対してもそうでありたいと思う。

  • 視覚障害者がどのように世界を認識しているのか、インタビューをもとに構成した身体論。障害者とは、健常者が使っている能力を使わず、健常者が使っていない能力を使っている人。耳や手で「見る」彼らのやり方を知ることで、世界の全く別の顔が見えてくる。

  • 自分も身体障害ではあるのだが目は見えるので
    視覚障害の方々がどのように空間や感覚を捉えているのがわかりよかった。健常者の世界を基準に考える、
    障害者の世界を基準に考えるではなく、対等の世界でもなく障害者と健常者の世界を行ったり来たりする揺れ動く世界と表現されていたことに共感を覚えました。
    また本に引用されていた障害者の自立=依存のスペシャリストという表現も印象に残った。

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