教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」 (光文社新書)

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  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334038632

感想・レビュー・書評

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  • 前半は小学校中心に行われている組体操と1/2成人式の問題、後半は部活動による事故と教員の働き方の問題を扱っている。
    それぞれデータに基づき論じられており、納得する。普段何気なく子どもたちを学校に送り出しているが、指導という名のもとにリスクが見えにくくなっている。これは教員だけではなく、保護者や地域の問題でもある。
    教育はなかなか当事者とならない限り、関心を持ってもらえないジレンマがある。
    柔道事故のように社会に広く問うていくなら、教育はより良い方向に行くことができるのではないかと希望を持たせる内容でもある。

  •  教育現場でのリスクは往々にして「善きもの」として、事故等が起こっても指導の一環の範囲内で処理されているとのこと。組体操は「感動ポルノ」とバッサリ斬っておられたのは爽快。そういえば私もピラミッドの1番上から後ろ向きに落ちたとき、教師は心配する一言もかけなかったことを覚えている。根性論教師め。上に昇るときも下の段の子から「痛い」と怒られ、連帯感が生まれるどころか関係がギクシャクした思い出がある。
     柔道の死亡事故やブラック部活動顧問、1/2成人式の件も教員はもちろん、私たち保護者側も問題をちゃんと認識し直視することが必要。

  • 教育とは子どものためを思って行われる営みであり「善きもの」としての性格があるゆえに、子どもや教員に生じるリスクを見えづらくしているという主張が、教育社会学の視点から書かれていました。具体的には、組体操・二分の一成人式・部活動を事例に、教育のリスクと向き合うために、まずはどのようなリスクがあるのかエビデンスをもとに明らかにされていました。

    この本の中で特に印象に残ったのが、感動がリスクを見えなくしているということです。運動会で子どもたちが必死になって人間ピラミッドをつくる様子を見た時や、二分の一成人式で子どもの成長を実感した時におこる感動。こうした感動に呪縛されることで、現実の危険性・問題を直視した議論が行われていないという筆者は主張していました。
    確かに、教育実習や社会教育において少しながら教育に携わった経験を振り返ると、子どもの姿に感動し、この感動があるからこそ続けていた自分もいます。しかし、教育者である側が感動すること自体を追い求めてしまったならば、それは教育という名を使って子どもを利用しているにすぎないことを改めて認識しました。日々、感動を求めることが教育に携わる目的になっていないか、自分を振り返りたいです。

    学校現場の状況を批判的に捉え直したい人におすすめですが、個人的には教育=子どものための善きものというように絶対視している人ほど読んでほしい本です。

  • 「善きもの」はほんとうに怖い
    学校、会社、国
    そして

    「善きもの」を振りかざし
    そこら辺のものをなぎ倒し
    傲慢になっていることに
    当人は 先ず 気が付かない

    「正しいことを言っている者には 気を付けろ」
    いつも思うことである
    「正義を振りかざす者には 気を付けろ」
    いつも思うことである

  • 巨大組体操、二分の一成人式、行き過ぎた部活動指導、教員のブラックな労働…など、学校の中に潜んでいる、あるいは堂々とまかり通っているリスクについて、エビデンスを用いながらわかりやすく解説されていた。

    エビデンスを用いながら検証していくと、実際に行われてることがありえないくらい高リスクなことばかりなのに、「教育だから」「子どものためだから」という理由で、それらのリスクが全く直視されず、対策も立てられていない。

    教育リスクの特質としては、
    ①リスクが直視されない
    ②リスクを乗り越えることが美談化される
    ③事故が正当化される
    ④子どもだけでなく教員もリスクにさらされる
    ⑤学校だけでなく、市民もまたリスクを軽視している

    と5つにまとめられる。

    ただ、だからといって学校を批判できない。自分も子どもの時に、組体操も、二分の一成人式も、部活もやっていた。その時は何の疑問ももたなかった。リスクを提示されて初めて気づく。

    学校という空間を客観的に見るとリスクを感じることができるけど、内部にいると「教育」という名のもとにそのリスクが見えなくなってしまうのもなんとなくわかる気がする。

    ただ興味深いのは、市民や保護者もリスクを軽視しがちだというところで、教員がやめたくても保護者からの要望があるという例。

    保護者が学校に求めているもの。
    学力は塾に通わせた方が圧倒的に身につく。
    だから、学力以外に関する要望が強くなったのでは?と感じた。
    組体操も二分の一成人式も、塾ではできない。
    学力は提供できないんだから、そういう感動くらい提供してくれ、とか。

    そうだとすると、一番置いてけぼりなのは子どもたち。
    子どもの意志は何一つ尊重されていない。配慮されていない。

    子どものためになるだろう、子どもたちにとってきっといいだろう、という根拠のない「だろう」ではなく、本当に子どもたちに必要なことなのか、子どもがやりたいと思うことなのか、という視点が欠けている。

    伝統だから、恒例だから、感動するから、ではなく、その活動を行う目的や意義と、伴うリスクはどのくらいなのか、その活動の内容や進め方が合っているのか、という所が大事だと思った。

    教育、という名のもとに、リスクもそうだし、それを行う目的や意義もきっと曖昧になってしまっているんだろうな。

  • 私が内田良先生を知ったのは、部活動問題について真剣に考えたいと考えていた時期、たまたま、NHKで組体操の特集をやっていたとき。日本の学校での「教育リスク」。おかしいと思っていても、それがすでに日常となっているから声に出すのが憚られる。私たち若手教員となれば対外的にも(公務員は厚遇されていると考えられがち)対内的にも(上下関係が厳しい)声には出せる環境ではない。でもこれだけデータが提示されたことで、私たちは強力な後ろ盾を得た。この本で言及されている学校現場の常識、冷静に考えればおかしいことだらけだ。

    まず、中学部活動の調査。長時間・土日の部活動は生徒も教員も望んでいないとされているけれど、もう少し言うと「望んでいるのは少数派」とも言える。少数派である声の大きい教員、保護者、そして生徒の声で、その他大勢の声が掻き消されている状況ではないかと思う。その在り様が“正しく”そして“理想的”だから、理性的な反論ができない。

    そして柔道事故の章で述べられていた、死亡率の高い中1と高1。いきなり別世界に放り出された1年生は、加減を知らない。「こういうものなんだ」と思ってしまう。上級生も、下級生が「加減を知らない」ということがわかっていない。

    先輩である同僚の体育科教員は「大切なのは、怪我をしないこと!」といつも生徒に言い聞かせているらしい。個人的な実感としては、学校へのクレームが増えていると言われている今、体育科の教員だからこそ、そのリスクをきちんと認識できている人が多いのではないかと思う。だとすれば逆に、体育科以外で顧問をしている教員は?競技未経験の教員は?初任者研修も受けることが出来ず、教員採用試験の勉強をしながら毎日顧問をすることとなった講師の教員は、専門家である体育科教員ですら恐ろしいと思っているようなそんなリスクを背負っている…そういうことになる。

    繰り返される部活動事故。誰かが死なないとわからないのか…と言うどころか、怒りから敢えて乱暴な言い方をしてしまえば、「死んでも」わからないようだ。この「感動」で、命をどれだけ粗末にすれば気が済むのだろう。どれだけその姿勢を再生産し続けるのだろう。担任を何年か経験すれば、生徒が入院した、救急車で搬送された…ということは起こるもの。それだけでも大変な不安なのに、部活動で重大な事故が起こったらその先に何があるか、想像する余裕すらないのだろうか。教育現場の危険は、あまりに日常的すぎる。その想像を少しでもせねばならないと、改めて思った。

    現場に立ついち教員としてこの問題にどう向き合うか考えていたが、この本を読み終えて思ったことは、学校側の勇気が試されているということ。もし、保護者が…生徒が…と言って生徒を傷つけるような、あるいは危険な活動を続けてしまうというのなら、毅然とした態度で「これは生徒にとってこのようなリスクがあるので、やめます」と言えるようになれればいい。教員の労働環境も同じ。校長とそのさらに上が、そのバックアップをしてくれたらいい。あとは教員のリスクに関する知識だけだが、それはこの本があれば大丈夫。険しい道だけれど、道がないわけじゃない。

    若手には辛い状況だけれど、でも次に子どもを教育現場に預けることになる子育て世代として、私はこの状況を改善したい。なにより、この状況を「教員を目指します!」と言って卒業していった教え子の代までに持ち越すということを、私はしたくない。この問題に直面して自分のキャリアを考え直すより先に、まずはこの問題に当事者として関われることを喜んでみるのもいいかもしれない、と思った。

  • 柔道での死亡事故が多いという話が何年か前に話題になったことがあった。しかし、ここ数年、死亡事故は起こっていない。海外では前からない。リスクをしっかり意識するかどうかではっきりと結果は違ってきている。「スポーツにけがはつきもの」などと言って、少々ふらふらしていても練習を続けてしまう。試合のときなどは、それが美談になりもする。しかし、脳震盪を起こしたあと、ゆっくり休めば問題なかったものを続けたために死亡へ至るということが今までに何度も繰り返されてきた。そういった事実(エビデンス=科学的根拠)を著者は提示し、問題提起をしてくれている。運動会・体育大会の組体操もしかり。感動、クラスの一体感などを持ち出して、どんどん高いタワーへとエスカレートしていく。重傷を負う子どもがいても、次の年も同じように行われている。これには、学校側だけではなく、保護者や地域からの要望もあるようだ。体罰で生徒を死に至らしめた教員の罪を軽減してほしいとの署名をするという生徒・保護者がいる。人の命があまりにも軽んじられていないか。たまたまですまされていないか。周りの意識が少し変わっただけで、助けることのできる命ではなかったのか。これは、教員だけではなく保護者・学校に関わるすべての人に読んでほしい本だ。ところで、ツイッターで著者の写真を拝見しました。茶髪か…見た目で判断してはいけない。若い!(奥付に生年月日がない)

  • 客観的根拠に基づいて書いた、という割にデータの出所がまさかの著者のSNSに届いたDM。呆れて言葉も出ない。

  • プラットフォームがいる 世の中知らない人達だけに

  • SDGs|目標4 質の高い教育をみんなに|

    【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/745426

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著者プロフィール

名古屋大学教授

「2023年 『これからの教育社会学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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