すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 (光文社新書)
- 光文社 (2017年3月16日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334039745
感想・レビュー・書評
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「学び」とは没頭である。脇目も振らず没頭し、がむしゃらに取り組むことのすべてが学びとなる。学校では、そこに通う人間を規格通りに仕上げようとする性質があるという。しかし、インターネットが普及した現代では、これまで以上に自由があると考えて行動してもいいのではないかと本書は訴える。自分自身の時価総額をあげることができれば、いまこの瞬間も、自分がワクワクすることに時間を使えるのだろうと思う。本書では「貯金型思考」から「投資型思考」へと考え方をシフトさせることで自分の価値を最大化できるとあった。本書を読み、現状に対して思考停止になっている自分に気付かされた。
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書名は過激ですが、内容は過激でなくまっとうなものでした。
「~するな」とか「~はダメ」とか禁止の多い学校教育は害悪でしかなく、これからの時代は「没頭」することが大事でそれが「遊ぶ」「働く」「学ぶ」の三位一体につながるということでした。
ネットが発達し、AIが人間が嫌う仕事をやってくれる時代が来つつあり、もう苦しい仕事をすることが美徳な時代ではないんですよね。まず、没頭できるものを見つけることが大事だとわかりました。 -
産業革命に起源を持つ学校は、工場労働者の育成機関。知らないうちに自分たちは国にとって都合の良い人材に育て上げられていた。
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何かに没頭すること。没頭する何かを見つけること。それが一番大事だ。
簡単なことだと筆者はいう。私も簡単だと思っていたが、実は見つけられない人が大勢いることを知った。
それはやはり、学校や親に洗脳されているからなのではないかと思う。学校の勉強以外のことに興味を持つことは悪であるという洗脳。
これを抜け出すには、まずは洗脳に気付くこと。そして少しずつ現状からは見だしていくことなのだろう。 -
教育の現場で働いている者としては、正直辛い部分もあったが、学校はこのままで本当にいいのかと思っている自分にとっては、考えさせるきっかけとなった。
教員や学校の価値観を子どもに押し付ける洗脳。
こんな児童は素晴らしい、こうあるべきだと語ることが本当にその子のためになっているのか。
最近本当に考えさせられる。
全ての教員に読んで欲しいと思った。
しかし、私は学校という組織が不要だとは思わない。
それは少しずつ教育も変わっているからだ。
先生が一方的に話し、知識を入れ込むような教育は今や古い。
学校現場では、これからの時代を生きる子どもを育てている。
古い考えの教員がいるとすれば、本当に勉強してほしいし、子どもに失礼だと感じている。
自分の価値観を子どもに押し付けていないか、常に考えるようにしているが、これからも大切にしたい。 -
学校教育の当たり前を振り払い、自立に向かうための本である。堀江さんらしい毒づきも見られるが、大半が本質を突いている。ただ批判的に語るだけでなく、作者自身が理想の学校を設立する行動力に感服する。私自身も捉えたものをアウトプットする習慣をつけたい。
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自分の今のちょっとした生きづらさのようなものの原因が学校にある、とスパッと整理できたのが大きな収穫だった。
これから子どもをどう育てていけばいいか、最近はそのことにしか興味がない。自分はまさに学校教育の洗脳を受けて、いまだその洗脳が解けず、従順さに磨きがかかっている状態。しかし、子どもは環境や親の姿勢で洗脳されない状態にすることはできるかもしれない。学校教育や中学受験、大学受験文化がそのような洗脳を作っている気もする。自分の子どもには他と同じような道を進ませるのではなく(他人がやっているからうちも、というように中学受験をさせ、難関大学に進ませるというような普通の道ではなく)どこか尖って、他とは違う、大多数の子どもが進む道とは少し違う道を本人の興味関心に合わせて選んであげることも大切だろう。禁止令が本人の没頭する力を奪っていることを肝に銘じなければならない。そして、客観的な評価(偏差値や学校名)ではなく、本人や家族としての主観として幸せに生きていくにはどのような部分で力を伸ばしてあげればいいか、を真剣に考えたいし、見極めてあげたい。