今、生きる秘訣: 横尾忠則対話集 (光文社文庫 よ 10-2)

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  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (276ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334725938

感想・レビュー・書評

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  • 一言でいうと
    【科学で証明し辛い感覚の鋭さを垣間見える本】

    木村裕昭さん(医師)、加藤唐九郎(陶芸家)の話が私は秀逸だと感じた。

    最近、私は、科学的根拠とか、エビデンスとか、もちろん全てを否定する訳ではないが「頭」で考えてた事が前に出過ぎと感じていた。

    まだまだ不確実性を含むとりあえずの結論(科学的根拠)を信仰しすぎている。

    非科学で一見怪しい事ばかり話しているオッチャン達の常人にはない感覚の鋭さを垣間見える。

  • 横尾忠則と様々な分野の賢人たちとの対談集。
    この本での横尾忠則は聞き手(引き出し役)に完全に徹している。本書でも述べているが「横尾教」崇拝の横尾忠則が対談相手から、時には自分の意見をズバっと言いながらも、うまく誘導して知ろうとしている。それが私たち読者にも大変読みやすく、興味深いものになった理由になるだろう。

    この本は「瞑想(メディテーション)」がテーマとなっている。そのため、発行したときにはタイトルが「宇宙瞑想」だった。それが今回の文庫化に伴って「今、生きる秘訣」と改題された。その理由はこの本を読めばわかることだろう。

    気になったところを羅列してみる。

    最初の対談相手は岡本太郎。いつも思うがこの人の文、言葉というのは凄いパワーがある。それは紙を通してでも伝わってくるパワーである。その中でも特に考えたのがミロを巡る話。岡本太郎はミロは才能がある。だから感心することはない。才能のない表現、芸術しか認めないといっている。岡本太郎の思うことがうかがい知れた気がした。それと横尾が様々な画家を引き合いにだして例えるが岡本太郎がぜんぜん知らないというのも面白かった。結局は自分。

    次に今西進化論の提唱者の今西錦司。その中でも気になったのが、科学者は「なぜ」という質問を持ちすぎたため、それに答えようと現代文明を作って、核を作った。「なぜ」に答えられるものだけで築き上げたのが現代文明。答えられないものは捨ててきた。捨てられているもののほうが多いのではないか。とういう部分。

    次に「食物運勢学」の岩淵亮順。摂取するものによって手相などとは違い、運勢を変えることができる。それには理がある。病気になる原因は五欲からきている。
     
    山手国弘の瞑想の話は興味深い。hじめは体が灼熱のように熱いだとか・・・。

    最後の手塚治虫の自然は偉大なデザイナー、よい宇宙人は漫画にならないといった話も大変興味深かった。


    今はほどんどが亡き人となってしまった対談集。大変価値のある言葉が残っている。これを読み、創作意欲とともに活力をもらえる。私たちも読んでいるときにメディテーションさせてもらってるようなパワーのあある書。

  • 全然秘訣教えてくれないけど、対談が面白い

  • 【読書リスト8】横尾忠則『今、生きる秘訣』光文社。岡本太郎や今西錦司等9名との対話を収録。私は岡本太郎の「ぼくは才能のある芸術なんて認めないんだ。才能のない表現、芸術しか認めないんだ」という言葉や川島四郎の栄養学・自然な生き方に強く惹かれます。この親本が出版された時、私は9歳。

  • 今週おすすめする一冊は、美術家・横尾忠則の対話集『今、生きる秘訣』です。今から30年前の1980年に出版されたものの文庫版です。

    岡本太郎(21世紀の芸術)、今西錦司(目に見えない世界)、木村裕昭(病いは心のアンバランス)、島尾敏雄(夢体験)、加藤唐九郎(土と火の対話)、岩淵亮順(食物で運勢が変わる)、川島四郎(生きる秘訣)、山手国弘(カルマからの脱出)、手塚治虫(宇宙文明の夜明け)という構成で、文庫版解説を心理学者の河合隼雄が手がけるという豪華な布陣。

    70年代後半、当時、40歳になったばかりの横尾氏が師と仰ぐような方々を選んでの対話なので、今はもう全員が亡くなっています。文庫化に当って読み直した横尾氏自身が、一人一人の言葉が遺書の言葉に思えたと書いていますが、各界で独自の功績を残してきた方々が、横尾氏に問われるままに自らの精神世界を振り返って語った一言一言には、確かに遺書のような重みがあります。まさに「生きる秘訣」としか言いようのない、味わい深い言葉ばかりです。

    70年代の息吹を感じられるという意味でも興味深い本でした。70年代は、ローマクラブのレポートやオイルショック、それに公害問題などで、世界の有限性が初めて認識された時代です。その時に、人々の意識が向かったのが精神世界やスピリチュアリティでした。精神の彼方に無限を求めることで、有限の恐怖を超克しようとした時代。今振り返ると、それが70年代だったのかもしれません。

    そして、それから30年後。日本では、再びスピリチュアルがブームになっています。温暖化等の環境問題を通じて、世界の有限性に向き合わざるを得なくなっているという意味でも、状況は70年代に似ています。いや、問題が顕在化したのが70年代で、それをずっと誤摩化してやってきたけれど、いよいよ無視できなくなってきた、という見方のほうが正しいのかもしれません。繰り返しているように見える歴史の底で確実に潮流は変化していて、その潮目が70年代にあった。その新しい潮流とどう向き合うかが、今更ながらに問われている、ということなのでしょう。

    そう考えると、「文明はあるところまでくると繰り返してだんだん衰えてきて、自然にだめになっちゃうような気がする。(…)まだ地球的な規模の国家問題とか国家意識みたいなものがある間はだめで(…)鳥瞰よりもっと上の視点から地球を眺めたときに初めて気がつく人が出てくるんじゃないかと思う」と本書の中で語る手塚治虫の言葉が深い意味を持って迫ってきます。

    30年前の本だけれども、全く古さを感じさせないのは、ここに出てくる方々が、「鳥瞰よりもっと上の視点から」世の中を眺める透徹した生き方をしていたからでしょう。

    30年ぶりに開いた遺書には現代のことが書いてあった。そんな目眩に似た感情を起こさせてくれる本です。是非、読んでみてください。

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    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

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    人間が生きている命に筋というのがあると思う。その筋を生まれたときからずっと持ち続けている人間と、しょっちゅう変えちゃったり、状況に応じて変えてしまう、そういう人間というのがあると思うのね(岡本太郎)

    昔から、無用の用ちゅうやろ。そやから本当に、学問でもおれは目的があって大学の教授になりたいとか文化勲章が欲しいとか、そんなことで学問はしとらへんな。これも若いときから考えてきたんやけど、十年間くらいぼくがカゲロウの研究をやってたときに、やっぱり自然と密着したけど、坊さんの心境てこんなもんやろかと思ったね。もう自然に入り込んでしもうて。そして無欲になったね(今西錦司)

    病気というものは、どうも繰り返すもんだ。肉体はまあ物質ですからね。それに対して、物質力で薬を与えたり、悪いところを取れば、もうその部分はなくなりますね。しかし、また別の所に病気が起こってくる。そうなると病気が起こる原因というものが、その部分にあるんじゃなしに、どっか、もっと別の世界、別の次元にあって、それが肉体に投影してくるのが病気であると、こう考えておったんですね(木村裕昭)

    陶芸に腹を決めるまで、いろんなことをやったが、やってもやっても道が開けないんですね。迷い迷っていろいろとやっとった。そのとき思ったんですが、世の中っていうのはいくら真面目にやっても誰も真面目を認めやしないと。いくら何をやっとっても、けっきょく自分のやりたいことをやっとったほうが勝ちなんだと思った。で、もう世間を相手にせずに、一人だけで作品を作っていったんです。そして、今度展覧会をやったらい、えらい人気で。二回とも日本一になっちゃったんです(加藤唐九郎)

    いい作品を残しておこうと思ったら、欲や迷いがあったらできない。思いきってぱっぱっと感じの悪いやつは割って捨てるだけの欲のない考えでいかなくちゃだめだ。でも、なかなか割れないものですよ。自分の焼いたものを割るということはね。けれども、そこを思い切って割ることの気持ちがないと、いいものは残らないですね(加藤唐九郎)

    私は四歳になる男の子と、それから、大型の猿を一緒に解剖したことがあるんですが、もうどっちが人間だか猿だかわかりません。かろうじて、こっちが毛が生えているから猿だと思うくらい、人間と猿の内蔵は変わってません。ですから、頭は進化してるんですけども、内蔵の構造なり配置、機構は変ってませんね。それを内蔵まで発達したと思って、今のように三度食うのがいいっていうのは、これは間違いなんです。あくまで自然に即して物を食う。それが、くどいようだけど、八十五歳の好青年をつくる原因なんです(川島四郎)

    何が退廃かしれないですけど、このような精神世界を求めるムーブメントが起こるということは、彼らがすでに絶望的な未来を読んじゃってるんじゃないかと思うんです。いい方を換えれば死の準備を始めているんじゃないかと。『チベットの死者の書』なんていう死の水先案内書に人気が集ったり…。(横尾忠則)

    滅びるというよりも何か自然に後退していくような感じでしょうな。本当に滅びてしまうとなると、イースター島の例じゃないけど、食糧危機とか、現実に生活に困ってしまって滅びるよりほかないと思うんですが、それ以外は、文明はあるところまでくると繰り返してだんだん衰えてきて、自然にだめになっちゃうような気がする。
    (中略)
    まだ地球的な規模の国家問題とか国家意識みたいなものがある間はだめで、これが地球外の天体に生命が見つかったとか、人間が地球から飛び出したときに初めて、鳥瞰よりもっと上の視点から地球を眺めたときに初めて気がつく人が出てくるんじゃないかと思う。(手塚治虫)

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    ●[2]編集後記

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    秋になって、木の実や果物の膨らみが目立つようになってきました。家の周りは何故か柘榴を植えている家が多くて、散歩するたび、柘榴の膨らみが気になってしょうがありません。子どもの頃、柘榴の大木がある家に棲んでいたことがあるのですが、あのほのかで甘酸っぱい味を最近とても懐かしく思い出すのです。

    そういえば柘榴が売っているところなんてあまり見ないなと思って、近所のスーパーに聞いてみたところ、柘榴は扱っていないとのこと。そもそも国内産が出回ることはまずなく、あってもアメリカ産だということでした。

    お釈迦様は、子どもをさらってきては食べてしまう鬼子母神に、子どもの肉の代わりに石榴を与えたという伝説があります。そのせいか、柘榴は人肉の味がする、と言われ、ご年配の方の中には、柘榴を嫌悪する方がいらっしゃいます。確かにざっくりと割れた身から覗くピンク色の実は、植物というよりも、動物的で、官能的です。

    実際、植物には珍しく、柘榴には人の女性ホルモンと同じ構造のエストロゲンが含まれているそうです。そういう意味では人肉に近い。女性ホルモンが摂取できるので、生理不順や抜け毛に効くそうです。最近、抜け毛が気になるのですが、柘榴を無性に食べたいことと関係があるのかもしれませんね。

    石榴、もう少しで食べ頃です。

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著者プロフィール

美術家、グラフィックデザイナー

「2017年 『現代作家アーカイヴ2』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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