わたしの台所 (光文社文庫)

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  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (301ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334740863

感想・レビュー・書評

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  • 完璧、
    女優でありながら、とにかくすごい
    ここまで春、夏、秋、冬と季節を愛し
    料理を愛し、生き方として最高
    頭が上がらない。
    鏡、お手本、
    普通ここまでできない
    古き日本のお袋、母

    学ぶことが多い作品、手元に置いて
    いつも学びたい
    時代は変わり
    もっと便利になる
    やり方は変わるかもしれないが
    心は失いたくない。

  • 数年前に購入した本ですが、読み始めてピンと来なくて積読になっていました。でもこの冬読み出して、時代や若い人と自分の乖離について描かれた部分に共感し、ぐんぐん読み進めることが出来たのは、良いことなのか寂しいことなのか…(苦笑)
    元々料理の描写が大好きであるから、この本が気に入らないわけはなく、五目豆や糠漬けなど、できそうなものはやってみよう、と誓った新春でした。

  • 懐古主義になってしまうんだろうか、
    でも、沢村さんみたいな考えで生きる人が増えれば、世界はもっと温かい場所になる気がする。

  • 人生を上手に生きてく為の手引きのような一冊。
    お料理の心得、身だしなみを整える心得、人付き合いの心得、休むこと、歳をとるということ、一所懸命幸せを掴むこと。
    いつの時代も「これだから若い人は……」って言われるてるのがおかしかった笑。
    とてもおすすめ。

  • 沢村貞子さんのことは殆ど知らず、入院中の暇つぶしに…とコンビニの文庫コーナーで本を物色していて「わたしの台所」という題名の響きにふと惹かれて購入。
    なのでそこまで期待せず、気楽に読めたら…と思って読み始めたのですが、とても面白かった。
    同じようにはきっと出来ないけれど、私もこんなふうに心持ち良くシャンと暮らせたらいいな、と沢山の学びがあったエッセイでした。

  • NHKの番組の「365日の献立日記」から、貞子さんのエッセイを読んでみたくなって。
    お料理のこと、日々のこと、お仕事のこと。貞子さんの視点から書かれる文章は、とても、すぱーん!としていて気持ちがいい。

    今の時代よりも、生きやすそうなこともあれば、生きにくそうなこともあり、ぽこっ、と今の時代にいらっしったら、いいわね〜。というところもあるだろうし、でも、それは一人の「生活」として考えたら、対して変わらないことなのかもしれない。
    江戸時代から、突然現代にきたら、文明の違いにくらくらしそうだけど、自分が生きてきたくらいの日数だったら、徐々に適応していけるのって、おもしろいな。

    インターネットがどかーん。となったのも私が20歳くらいのとき。携帯電話は大学のとき。それが今ではスマホだものねえ。おばあちゃんになったときは、どんな世界になっているのだろうな。

    貞子さんの時代も、冷蔵庫が当たり前になってきたり、でも、冷蔵庫は過信しすぎちゃだめよ、ちゃんと腐るのよ、みたいな失敗を、私もやる。当時よりも、長く鮮度は保てるようになっているのだろうけれども、どの時代(それは、貞子さんの時代よりももっと昔からの時代とか)も一緒。とふふっ。となる。

    どんなに時代が流れても、見た目が変わったり、とても便利になっても、生活の根本的なことは変わっていないのだろうな。便利に浸っても。浸らなくても。たまーに浸っても。自分にとって、大事なことは見失わず、自分の思うままに。
    ああ、”生活をする”、っていいな。

  • い図。トットちゃん!をみて以来、沢村さんの著作が気になって。朝起きて夕飯の献立を考えるのが日課だなんて、食事は大好きだけれど、食事を大切にしようという気持ちはその日その時でまちまちの自分には、すごいなぁと思えた。天ぷらの話が一番好き。夏の夕方の風がそよぐ台所で、サクサクの天ぷらをご主人が気持ちよさそうにほおばる様子を、沢村さんも微笑んで見つつてんぷらを上品に食べていられる様子が、その温かい爽やかな空気が、眼に浮かぶよう。里帰りが終わったら、おチビもいるけどてんぷら揚げたいものだ。2018/2/13
    ◆引用
    p18…そう言われてみれば、家事は私にとって、ちょうどいい運動になっているのかも知れない。(中略)家の中で母に仕込まれた掃除、洗濯、水仕事は、いっこう苦にならなかった。はげしい運動は出来なかったけれど、こまめに身体を動かすことは、辛いどころか気持がい、ということを、小さい時から知っていた。
    おかげで、いまだに腰が軽い。雨戸をあける途中で、桟にホコリが溜っている、と気がっけば、すぐ台所へかけ出して雑巾バケツをもってくる。ついでに桟おとしの小さい穴のホコリをピンセットでつまみ出す。(中略)病気らしい病気をしないで今日までなんとか働いていられるのは、多分そのせいかも知れない。〈家事こそ、私の美容体操〉ハッキリそう思うようになってからは、家の中の仕事が、前よりもっと楽しくなった「美容、美容,美容」口の中で三度唱えれば、たちまち身体が動くからおもしろい。

    →これ、いい。やってみよう。

    p91…大ぜいの人にまじって仕事をすれば、とかく心にしこりが出来やすい。そんなとき、帰るとすぐ着物をきかえ、タスキ前かけ姿で台所に立つ。庖丁を握るのは私の気晴らしのひとつである。

    p146…夏まけには……
    額に汗の吹きでるような真夏の夕方、うちではよくてんぷらを揚げる。
    ぬるめのお風呂でサッパリ身体を洗ったあと、気軽な浴衣がけで揚げたての車えびやきすなど口にしたときのしあわせ……一日の疲れがスッととれるような気がする、と家人は機嫌がいい。魚ばかりとはかぎらない。あり合わせの野菜——さつま芋、にんじん、ごぼう、青紫蘇、茄子にピーマン、新しょうがなど、いろとりどりの精進揚げも喜ばれる。
    (中略)油は市販のてんぷら油にゴマ油をまぜている。好みやその日の材料にもよるけれど、三分の一から四分の一ほど合わせると、味も香りもいいような気がする。油の量は五人分でカップ二杯半——それより少ないとうまく揚がらない。てんぷら鍋がなければ、中華鍋でもフライパンでもいいけれど、なるべく厚手のものがいい。
    大切なのは油の温度である。煙が出るほど熱くしてはいけない。百五十度から百八十度ぐらいが適温とされているが、温度計で計ってもいられない。(中略)豆粒ほどのころもを菜箸の先きにつけて落とす方が分りやすい。すぐにきつね色に変ってパッと拡がるようでは熱すぎるし、そのままスーッと底の方へ沈むようではぬるすぎる。半分ほど沈みかけて、すぐ浮きあがるくらいが丁度いいようである。
    ころもはなるべく薄くすること。(中略)透きとおって中味がホンノリ見えるくらいの方が、軽くて口あたりがよく,たくさん食べられる。
    材料の魚や野菜は形よく食べやすく切って用意しておく。その前に、玉子1個をボールに割り、二、三倍(揚げる量によって)の水でよくといて、冷蔵庫で冷やしておく。冷たい水でといたころもは、軽く揚がる。
    いざ揚げるときにその玉子水を三分の一ほど他のボールにとりわけ、その中へ薄力粉を篩(ふるい)でふりいれ、箸の先きで十という字を五度描く——つまり、それほど荒っぽいまぜ方をするということである。白い粉が残っていてもかまわない。どっちみち油で揚げるのだから。粉の量はなんとか材料をくるんで、流れ落ちない程度がいい。ころもを一度にまぜておくとネバリが出てしまう。面倒でも冷蔵庫の玉子水は三、四回ぐらいにわけて使うと、あんまり失敗しない。
    材料の魚をきれいな布巾にのせて丁寧に水気をとり、薄いころもをまとわせて、鍋のフチからそっとすべりこませ,箸で中央へ送り出す。一つか二つずつ、油の中でゆうゆうと泳がせる気持である。素人のかなしさ、何だか油がもったいないような気がして、あとからあとから鍋を満員にしたら、
    たちまち油の温度がさがり、グシャッとした出来損ないばかりで困ったことがあった。
    といって、泳がしすぎ、揚げすぎると味もそっけもない干物のてんぷらになる。えびや白身の魚は、鍋のフチから入れて、真中までおくり出したら、もう揚がったと思え、と腕のいい板前さんが教えてくれた。たしかに、そのくらいの気持で、ころもの色によく気をつけて、一つ揚げたらまた一つ、と手順よく鍋におくりこめば、素人にしてはマアマアのてんぷらが出来上る。冷凍のえびもなかなか美味しい。
    (揚げながら、鍋の中に散ったころもの屑を網杓子でこまめにすくえば仕上りもきれいだし、揚げだまはまたの日に、うどんの汁や味噌汁に一つまみ入れたり、ほうれん草や小松菜とうす味で煮びたしにしたり、けっこう役に立つ)
    かき揚げも、ときには気が変って歓迎される。貝柱とみつ葉、芝えびとさつま芋、いかとねぎなどそれぞれ合性のいいものを、同じくらいの大きさに切って、まぜ合わせて揚げる。手近かの玉ねぎと桜えびも、パリッと揚げれば、洒落たおそうざいになる。
    かき揚げのときの油の温度は、てんぷらの時よりほんのすこし高めの方がうまくゆくようである。薄いころもをつなぎにして、一個分ずつたま杓子で鍋のすみから静かに入れ、菜箸でまわりのかたちをととのえながら真中へおくり出し、まわりが固まったらすぐ裏返して油の温度をすこしさげ、網杓子でおさえながらまわりを折るか、それともところどころ箸の先きで、小さい穴をあけると、火がよく通って、カラッと揚がる。たきたての丼ご飯にのせて天つゆをかければ、手軽な天丼が出来上る。
    天つゆ——てんぷらのつけ汁は、たっぷりの鰹節でとっただしカップ1杯につき、醬油とみりん、それぞれカップ四分の一をあわせて煮たたせる。大根おろしやすりしょうがを添えるのが普通だけれど、精進揚げは生醬油と大根おろしだけの方がサッパリするという人もいる。えびや魚など、塩とレモンで食べるのもいい。
    家庭のてんぷらは、毎日するわけではないから油を上手にもたせなくてはならない。揚げ終って火を消したら、すぐにたま杓子で油こし器にすこしずつすくいとり、キッチリ蓋をしめる。さめるまで放っておくと空気中で変質してしまうが、こうして熱いうちに始末しておけば、次に使うとき、半分から三分の一ほど新しい油を足せばいい。いためものには、そのまま用いる方が美味しいし、じゃが芋や茄子のから揚げ、トンカツ、コロッケの肉料理には、五度も六度もくり返し使える。わが家では二つの油こし器に、一度か二度使ったものと、何べんも用いたものをそれぞれ別に保存している。よくよく疲れたと思う油は、庭の隅の土に少しずつ沁み込ませている。下水に流さない方がいいような気がするけれ
    ど、どうかしら。
    それにしてもてんぷらはたしかにむずかしい。素人がどう工夫してみても有名店のようにはゆかない。けれど、好きなときに、誰に遠慮もない気軽な格好で、安直に揚げたてが食べられるところに、素人てんぷらの値打ちがある。多少のことは我慢しなければ......。
    食べる人が、「うん、うまい、この頃上手になったね」などと一言やさしくいたわってくれれば、作る人は、この次はもっとうまく、などといじらしい気持になり、面倒なことも忘れてしまう。料理好きは他愛がない。まあお互いにおだてたり、自慢をしたりしながら、せいぜいてんぷらを揚げて、今年も夏まけを防ぐことに致しましょう。

    p260…「さあさあ、もう勉強はそのくらいにして,台所を手伝って頂戴な、太郎も花子も。これは頭もやすまるし、丁度いい運動にもなるのだからね」
    お母さん方、どうぞそうおっしゃって下さいな。
    そういうふうに育てられた子供さんたちは、大人になって家庭をもっても、サッサと二人で料理をこしらえて、セッセとお互いの仕事に打ちこんで、人間らしく明るい暮しが出来るだろう、と私は思うのだけれど……どうかしら。

    →好き。

  • 明治41年生まれ、名脇役、エッセイストとして活躍された方だそうです。
    私は沢村貞子さんという方を全然知らなくて、そして生きた時代が少し被ってはいるけど彼女の基礎を作った時代と私とは全然違うのに、古さなんてものは全く感じなくて、こんなにも可愛らしく素敵だと感じる事が出来るという事に、驚いてしまいました。
    「尊敬」というより、「憧れ」な感じ。

    毎日を丁寧に楽しんで、ちゃんと美味しいご飯を作って食べて、身の回りを小綺麗にこざっぱりとして、くるくる動いてちゃんと休む。
    その全ては、多分、「丁寧に」という事なのではないかしらと思う。
    時短、簡単、手軽、効率、便利…なんていうモノが重宝されて、それが一番の様な顔をしているけど、急いでは事を仕損じる…ではないけれど、結果だけに重きをおいて中身が空っぽであれば、結局はそら寒い人生になってしまうのかもしれない。
    とは言っても、日々身についている怠けグセ。一朝一夕では抜け出せない。
    畏れ多いけれど、こんな人になりたいなぁと、憧れだけはキラキラと抱いて、少しずつ近づけたら…という野望を持ってしまいました。

  • 料理の事、着物の事、暮らし方、家事の楽しみ、人生観などが綴られた毎日の暮らしを豊かに過ごす方法が伺えるエッセイ集。料理の常備菜のレシピも豊富で、こういう風に出汁から丁寧に料理を作る事、愛情という名のスパイスを最後に振りかける事は大事な事と教えてくれる。明治生まれの著者の下町育ちの粋が色々なところから垣間見える。お母様の厳しいが愛情のこもった教えを生かした暮らし方がとても素敵。ワタシもこういう風に素敵に「老い」を重ねていけたらなぁと憧れる。着物を日常着にして生活をしたいなと思った。

  • 明治に生まれ、4つの時代を女優一筋に生きた方とはとても思えない、私の知る昭和ど真ん中の主婦を感じさせるエッセイ。多くの人は未練と後悔を残してこの世を去るそうだが、彼女はきっと自分自身をよくやったと労い、穏やかに旅立ったはずだ。過ぎたことは良いも悪いも丸っと受け入れ、老いを当たり前のことと捉え、卑屈にならず無理せず日常を楽しむ。こんな老後が過ごせたら最高だと思いながら本を閉じた。
    何の変哲もない日常が描かれているが、「常に今が大切」と教訓を得る作品だった。

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著者プロフィール

1908年(明治41年)東京・浅草生まれ。俳優・エッセイスト。本名大橋貞子。日本女子大学在学中に新築地劇団に参加。前衛演劇運動に加わって投獄を経験する。34年、日活太秦現代劇部に入社、映画俳優としてデビュー。小津安二郎監督作品をはじめとした映画、舞台、テレビで名脇役として活躍した。生涯で出演した映画は100本以上。78年には、半生をとりあげたNHK連続テレビ小説「おていちゃん」が放送された。89年に俳優を引退。文筆にも長け、77年『私の浅草』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。ほか『貝のうた』『わたしの台所』『わたしの献立日記』など著書多数。96年(平成8年)没。

「2023年 『沢村貞子の献立 料理・飯島奈美3』 で使われていた紹介文から引用しています。」

沢村貞子の作品

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