- Amazon.co.jp ・本 (197ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334748609
作品紹介・あらすじ
「忘れるっていうことは、人間に大切なことですよ」「忘れることで頭の中はちょうどいいぐあいに片づけられるからね」「自然死(自殺ではなく)は人間にとって一番ありがたいこと」。四十歳を過ぎて小説『楢山節考』でデビュー。放浪の果ての農耕生活、作家としてのオンリー・ワンの生き方を貫いた深沢七郎。未発表作品集として刊行された話題の書が遂に文庫化。
感想・レビュー・書評
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ー おいらが気持ちいい事は、ちょっと、まあ、寂しいような時だ。シャーベットのような味がするんだ。寂しいって痛快なんだ。
楢山節考も深沢七郎もよく知らず、ただただタイトルの破壊力で購入した本を再読。旅中、手許に本がない手持ち無沙汰を埋めるに適した、詩的なエッセイ。例えるなら、旅先の居酒屋で隣り合わせた人情深いおじさんの話。
別に悟った感じでもないし、成功を語るでもなく、何より、成功より大事なのは、純粋な感性という語り口。ヌードは素晴らしい、三島由紀夫は気に食わない。アナーキストでもあるが、それ以上に自然体。シンプルに生きて良いんだなと、背中をぽんと。雑感から逃れ、思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「人間っていうのは、みんなうすぎたないやつだよ、みんな。権威にはウンと弱くてね。」
深沢七郎を知っているとか読んだことがあるとしたら、おそらくそれはよほどの年配の方か、それともかなりの邦画(日本映画のこと。彼の小説は市川崑・木下恵介・今村昌平という巨匠たちによって映画化されています)ファンか、あるいは先ごろ亡くなった緒方拳のファン(映画の主役!)かというところでしょうか。
深沢七郎といえば、今から54年前の1956年に、飢餓対策から長男の他は結婚を許されず、70歳を超えた老人は我が子に背負われて山に捨てられるのが掟だという、山の神さまを信仰して捨てられることが神に召されることで無上の喜びだという老婆と、母親を捨てることに矛盾と切なさで躊躇する息子の姿を描いた『楢山節考』という姥捨て山伝説を下地にした小説をひっさげて、彗星のように登場して文学界と市民社会に殴りこみをかけて来た人物です。
日劇ミュ-ジックホールにも出演したことがあるギタリストで天性の自由人である深沢七郎は、この小説で三島由紀夫をはじめとする名うての小説家や多くの読者に衝撃的なアッパーカットを食らわしたかと思うと、次に天皇や皇族が虐殺される場面を描いた『風流夢譚』という不穏な小説で重くて深刻なボディーブローをかましましたが、それは蒙昧果敢な右翼による出版元の中央公論社社長を襲撃する嶋中事件を起こさせ、その反動で著者自身に筆を断って放浪の旅に出ざるを得なくさせてしまいました。
庶民派といわれる彼ですが、とんでもない、彼こそ庶民の依拠する共同体=世間をもっとも忌み嫌い心底拒否する率直な、正真正銘の庶民そのものであるのかもしれません。 -
徹頭徹尾ざっくばらんで肩肘張らない姿勢が貫かれてる。でも、特に前半は下卑てて嫌だな。
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図書館で借りた本の隣にあった。タイトルに共感した。著者について存じ上げなかったのだが、おなじこと思っている人がいるんだと思えただけで、満たされた部分があった。
常に流れているひまつぶしの精神が心地よい。時代も場所も飛び越えて、友人の話をするかのような口調で、いきいきとしゃべりかけてくる。
自分は遺伝子や環境によって、できているから、なにかのミックスでしかないのだと考えている。それは変わらないが、ミックスは、それの元となっているものに、馴染むべきと無理していたことを、気づかせてくれた。
世間の常識や、共通認識みたいなものと自分の違いを意識すること、興味がないとか好きになれないと認めることで、自分が見えてくる。
劇的に著者と出会えて幸せです。
170711 -
「楢山節考」作者によるエッセイ。深沢さんの著書には前々から触れてみたかったが、想像通りの文体と考え方。軽快な口述でとても読みやすい。
「死を意識しながら生きていく」という思想はハイデガーにも通じるメジャーなもの。しかしこれを現実に他人に語ると変人扱いされ、場合によっては激怒する人もいる。そんな周囲を見てみると「誰もが死に恐怖しそれを紛らわすためにあらゆる物事に没頭している」という事実はまんざらお伽話ではないと想像できる。そんな人達と同じ生き方をしないことも孤立してしまう原因の一つでもあるのかもしれないが、そもそもそうした傾向が自由を否定し、さらに自分を苦境に追い込んでいる元凶なのではないかとも思う。「両極端を知る」か否かで、同じ行動でもその意義は大きく異なるのである。馬鹿騒ぎも楽しいが、何がそうした行動を起こさせるのかという構造をチラ見してからでも遅くはあるまい。
この世界はイヤなのだがそれでも生きていきたい。本書はそんな考え方に対して一つの「割り切り」的発想転換を提示してくれる。深沢さんの考えはニヒリズムではあるのだが、そこに暗さはない。小説をやり、音楽をやり、放浪をやり、農業をやった深沢さんの生き方は、今を迷走している人間にはとても参考になると思う。生きる元気が湧いてくる一冊。 -
庶民的な目線からの日常を描くこういう本が好き。皮肉を交えながら人生から距離を置いているようで、誰よりもまじめに向き合っているのだなぁと。
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人生、意味があろうがなかろうがいいじゃないか。やりたいことやって、最後は死んじゃうんだし。そういう意味での『生きているのは暇つぶし』です。
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深沢七郎のエッセイ集。裏表紙等の情報によると、未発表作品集として2005年に刊行されたようだ。文体から言って口述筆記か、インタビューから起稿した文章なのではないかと思うのだが、そのへんの事情はさっぱりわからない。巻末の白石かずこさんのあとがきはエッセイふうのもので、この本の成り立ちについては全く触れていない。困ったもんだなあ。
それにしても
「死ぬことは大いにいいことだね。ゴミ屋がゴミを持っていってくれるのと同じで、人間が死んで、この世から片づいていくのは清掃事業の一つだね。」(p13)
うーん、やっぱり深沢七郎はしびれる!
この人は何も衒うことなく、淡々と滅亡への視線をはなっているところが、唯一無二であり、凄く魅力的だ。 -
2012/2/8購入
2015/5/22読了