自由論 (光文社古典新訳文庫)

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  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (271ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334751197

作品紹介・あらすじ

簡潔にして明解な訳で甦るイギリス経験論の白眉。「自由」の本質を理解するために。

感想・レビュー・書評

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  • 日経BPクラシックス版(2011.9)
    https://shop.nikkeibp.co.jp/front/commodity/0000/P48570/

  • さらっと読んだ。ひっかからない。
    そこに興味がわく。
    西洋の歴史にも、ミルという人物にも。

  • 最初に、岩波文庫の「自由論」を読もうと手に取ったのですが、言葉の言い回しが難解で非常に分かりづらい印象を受けたので、こちらの光文社の新訳文庫を選んで読み始めました。こちらの方が読みやすい現代語で翻訳されておりストレスはないと思います。本書は19世紀の本ですが、示唆に富んだ数々の発言の内容は、多くの教訓を与えてくれます。例えば、「自分の意見に反駁・反証する自由を完全に認めてあげることこそ、自分の意見が自分の行動の指針として正しいと言えるための絶対的な条件なのである」この言葉には、含蓄があると思います。「他人の意見と対照して、自分の意見の間違いを正し、足りない部分を補う」これは、ぜひ習慣化したいところです。

  • 大学新入生に薦める101冊の本 新版 (岩波書店/2009) で気になった本。

  • w

  • 自由がなぜ大事なのかについて語っている。意見の自由な表明が抑圧されると社会にとってどれだけマイナスかといった話だとか、官僚組織に優秀な人が集まり過ぎて起きる弊害だとかは100年前の本とはいえ今にも通じるものだと思う。

  • その干渉が正当かどうかを決める絶対的な原則を主張することに(この小論の目的が)あるのだ。その原則はこうだ。人間が個人としてであれ、集団としてであれ、だれかの行動の自由に干渉するのが正当だといえるのは、自衛を目的とする場合だけである。(p.27)

    自分の正確に適した人生を計画する自由、自分が好む行動をとる自由であり、その結果を本人が受け入れるのであれば、他人に害を与えないかぎり、他人には愚かな行動、不合理な行動、誤った行動だと思われても、他人に妨害されることなく自由に行動できなければならない。(p.33)

    誰でも自分が間違える可能性があることは十分に知っているのだが、自分が間違える場合に備えておく必要があるとは、ほとんど誰も考えないし、どのような意見も間違いである可能性があるとは認めても、自分が確実だと感じている意見がその一例かもしれないとは、ほとんど誰も考えないのである。(p.45)

    人がある問題の全体を知っているといえる状態に近づくためには、その問題についてさまざまな首長に耳を傾け、それぞれがその問題をどのようにみているかを研究する以外に方法がないと感じているからだ。(p.52)

    どのような意見をもっている人であっても、反対意見とそれを主張する相手の実像を冷静に判断して誠実に説明し、論争相手に不利になることは何ひとつ誇張せず、論争相手に有利な点や有利にみられる点は何ひとつ隠さないようにしているのであれば、その人にふさわしい称賛を与える。以上が、公の場での議論にあたって守るべき真の道徳である。(p.124)

    人間の能力は近く、判断力、違いを見分ける感覚、思考力のいずれも、道徳感情すらも、選択を行うことによって鍛えられる。それが慣習だからという理由で行動する人は、選択を行わない。(中略)他人が信じているからという理由で他人と同じ行動をとっていては、人間の能力は鍛えられない。他人がそうしているからという理由である意見を信じる人が能力を鍛えられないのと同様である。(p.132)

    社会は教育の権限をすべて握っているうえ、主流の意見がもつ権威によって、自分でものごとを考える能力がそれほど優れているわけではない人に対して圧倒的な影響力をつねにもっており、主流の意見に反する行動をとれば、周囲の人たちの嫌悪と軽視という自然な罰がふりかかってくるのは避けられない。社会はこれらの武器をもっているのだから、そのうえ、各人の個人的な関心事についてまで、命令をくだし、服従を強制する必要があるなどと主張してはならない。(p.184)

    賛否両論ある問題で、政府が国民の結論をどちらかに導こうとするのは、すべて害悪である。しかし、考える価値のある問題について自分で結論をくだすのに必要な知識を各人がもっているかどうか、国が確認し証明しようとするのは、適正だといえよう。(p.237)

    市民としての能力を育てる訓練、自由な国民の政治教育のうち実地訓練の部分であり、個人や家族の利己的で狭い世界から抜け出して、共同の利益の理解と共同の問題の処理に慣れるようにするものである。つまり、公共的な動機かそれに近い動機で行動する習慣を育て、個人が孤立するような目的ではなく、団結するような目的に向かって行動するように導くものである。こうした習慣や能力がなければ、自由に基づく政治体制はうまく機能しないし、維持できない。(p.241)

    (訳者解説)強制というと相手の意向を無視した、一方的で高圧的な強制といったものがすぐに頭に浮かぶが、ミルは、相手のことを慮る善意の強制についても、それが不用意に個人の自由に干渉することを許さない。(中略)善意の強制といえども、個人の「絶対的な自主独立を」、個人のもつ自分の体と心にたいする「主権を」侵す恐れが十分にあるからだ。(p.260)

  • 自由とはなんであるか、そして今語られている「民主主義」「○○の自由」について、だいたい答えが書いてある。まるで、教科書のよう。

    彼は東洋と西洋を対比し、「教育」「交通の発達」「そもそも自由度の発達に差があった」と説明している。これも大体あてはまっていよう。

    かつ、宗教観の対立は「宗派の教理の矛盾が生じない程度」に互いに自由を尊重すべきであるとする。宗教の教理は組織の問題であるようで、習慣の問題であるのだ。

    あとは、愚行権の問題であるとか、自由と財産の問題であるとか、ありがちな議論だ。とにかく一度通読すると、「このときから人間は変わっていないし、議論の主題も大して変わってない。」と痛感させられる。

  • 11/08/08。

  • 2011/04/26 kuro<br />岩波文庫版もあり

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