- Amazon.co.jp ・本 (645ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334751463
作品紹介・あらすじ
神学校を足がかりに、ジュリヤンの野心はさらに燃え上がる。パリの貴族ラ・モール侯爵の秘書となり、社交界の華である侯爵令嬢マチルドの心をも手に入れる。しかし野望が達成されようとしたそのとき、レナール夫人から届いた一通の手紙で、物語は衝撃の結末を迎える。
感想・レビュー・書評
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下巻の後半は凄かった。
読んでいて思わず「えーっ!?なんで?嘘やん」って声が出る事、数回。あまりに劇的な展開の為、読む速度が加速した。エンタメ小説では?と思うぐらいだ。
ジュリヤンが、レナール夫人と別れた後、出会ったのが侯爵令嬢マチルダ。サロンの男達を従え、革新的な考えの持ち主。
ジュリヤンとマチルダ、
自尊心の高い者同士の駆け引きが、理解不能である。
うーん、恋なのか…?
ジュリヤンはレナール夫人の時と同じく、マチルダを落とす事に意義を感じていそう。マチルダも初めての恋に混乱し、言動が支離滅裂。でも、ラストに彼女が取った驚くべき行動により、ジュリヤンを本当に愛していたのでは?と感じさせられたり、王妃マルグリッタに自己投影しただけかもしれない、とも捉えられ、解釈が分かる。
レナール夫人のその後については、短い文章で書かれているだけなのに、だからこそ余計に悲しみを誘い、彼女の愛は本物だったと確信できた。
正反対の2人の女性から愛されたジュリヤン。激しすぎる人間であるがゆえに、自ら破滅へと向かう事になる。
彼の人生は一体、何だったのだろうか。
製材職人の息子に生まれ、金持ちを蔑み、成り上がろうとする野心にまみれる。一方で、頭脳明晰、美青年、周りの人に恵まれ、貴族社会の中で重宝される運も持つ。もっと上手く立ち回る事ができれば、十分に富と名声を得られただろうに、あまりにも不器用過ぎた。
ジュリヤンの人生にも赤(栄光)と黒(影)がある。
題名の持つ意味を読後にもう一度考えてみるが、
いろいろな捉え方ができそうだ。
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19世紀フランス、主に復古王政期から七月王政期に活躍した作家スタンダール(1783-1842)の代表的長編小説、七月革命を挟んだ1830年に執筆・刊行。副題は当初は「一九世紀年代記」だったが、執筆中に七月革命が熾きたことから、作品とフランス社会史との同時代性をより強調するために「一八三〇年代記」と付け加えられたとされる。作家自身は、政治的である以上にロマン的であるが故に、共和主義者であったようだ。
フランス革命によって近代ブルジョア社会というものが本格的に立ち現れてしまった。如何な反動的な復古王政を以てしても、もはや旧体制へと時計の針を巻き戻すことはできない。人生は、個人のものとなった。それは支配階級/平民階級という身分=生まれによって決まってしまうのではなく、自己の才覚と行動次第によって階層間を上昇していくことができる社会だ。その象徴が一介の軍人から皇帝にまで上りつめたナポレオンだと云える。身分によって個人の生が固定されていた静的な社会から、能力によって階層移動が可能になった動的な社会へ。ロマン主義的な心性の持ち主であったスタンダールにとって、身分制によって惰眠が保証されているかの如き聖職者・貴族ら支配階級の俗物どもが跋扈する欺瞞と倦怠の裡に堕落した"社交界・サロン・上流社会"を軽蔑・嘲笑しながら自己の「立身出世」の踏み台にしていこうとする強かで情熱的なエネルギーを帯びた平民出の青年は、19世紀という新しい社会の英雄であったのだろう。作家は、そんな上昇への情熱と野心に憑かれた主人公ジュリヤン・ソレルを造形した。
然し、このジュリヤン・ソレルが志向したその上昇の先には何が在ったのか。彼は何処へ向かおうとしていたのか。それが物語を読んでいて全く判然としないのだ。彼の、現状からの脱却を目指す上昇志向には、現在の彼の生に対する彼自身が抱いている不全感があるのは間違いない。卑しい平民出身であることに対する強烈な劣等意識が貴族階級への憎悪となって、憑かれたように彼は上へ上へと走り続ける。上昇の為なら、信仰心など持ち合わせていなくても聖職者になろうとするのが彼である。まさに偽善者そのものと云っていい。彼はかのタルチュフを師と仰いでいる。目的達成の為には手段の道徳性を問わないマキャヴェリスト。初めから価値基準などというものを彼は持っていなかった。「利益」と「力」という即物的な無-価値観が、彼だけでなく、社会全体を支配するようになっていた、それが当時の時代状況である。ニヒリズムの到来だ。彼は「走る」。その行動それ自体に、スタンダールは英雄を視た。しかしジュリヤン・ソレルが上へ上へと向かうその「上」に終わりは無い、絶対的終結は無い、他者との比較に於いて相対的に位置が変位し続けるばかりだ。「上」の彼方のその無限遠にあるのは、虚無だ。何も無いところへ向かって彼は走っているのだ。内実無き上昇志向、即物的無思想。スタンダールとその時代は、幸いにもまだそのことに対する幻滅には到っていないであろうと、この作品からは読める。
19世紀という近代市民社会勃興期には時代を卓越する者で在り得たジュリヤン・ソレルこそ、新自由主義によって世界が覆い尽されてしまっている現代にあっては、最も凡庸な俗物だ。それが、21世紀に於けるこの物語のつまらなさとなるのであろう。何故なら、ニヒリズムの自覚と、その帰結としての即物への頽落が、現代という問題の始まりであるのだから。
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「ヴェリエールの町ですべてを握る決定的文句はこれである――「利益をもたらす」」
「ぼくの役割が終わるそのときまで、世の中はこういうものなんだろう。まわりは本物の敵ばかり。それにしてもつねに装いつづけなくてはいけないとは、何と大変なことなんだ」
「ああ、いったい何という違いだろう! ここにあるのは何だ? ぎすぎすした、高慢な虚栄心、あらゆる色合いのうぬぼれ、それだけじゃないか」
「凡々たる人生の焼けつく砂漠を、苦労して横断する身としては、渇きをいやしてくれる清冽な泉に出会ったようなものだ! ・・・。人生というエゴイズムの砂漠では、だれだって自分が大事なんだ」
「そういう法律ができる以前には、自然なものといったらライオンの力か、それとも腹がへったり寒かったりする人間の欲求があるばかり。つまり一言でいって欲求だ・・・・・・」
「ぼくは真実を愛したはずだが……真実はどこにある?・・・・・・どこもかしこも偽善ばかり、そうでなければいかさまか。・・・。だめだ、人間には人間が信用できない」
「死の間際になって、自分相手に話している時でさえ、僕はあいかわらず偽善者のままなんだ・・・・・・。ああ、十九世紀よ!」 -
なにやってんだか、この二人!という恋の駆け引き。こんどは伯爵令嬢のマチルド。「もうあなたなしでは生きていけない!」「ふん、なによ、平民のくせに。」この繰り返し。貴族っていうのは暇なのか?この人たちまだ20代前半。そんなものかもしれないが、ジュリヤンの野望はほぼ実現されつつある。ジュリヤンが何であんな事件を起こしたか、私はいまひとつピンとこないが、最後はみんながかわいそうでならなかった。「赤と黒」が服の色で社会的存在を現したというのは映画の影響の俗説だそうです。大作。古典は読んでみないとわからない良さがある
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上巻であれだけ読むのに苦労したので、下巻はその分厚さに、読む前から尻込みしていた。
ところがである。面白い。下巻に入った途端、私のこの本への評価が一変してしまった。
舞台は、地方都市から大都会・パリの社交界へ。すると、それまでまどろっこしかったスタンダールの筆が、人が変わったように生き生きと感じられた。躍動感に溢れ、個性的で、したたか。フランスの歴史や当時の時代背景は全くわからないけれど、人間模様の面白さで惹きつけられる。
そして、侯爵令嬢マチルドとの、あまりに熾烈で、同時に凍りつくような恋。
主人公・ジュリヤンのあまりにも「感じやすい」激情と、マチルドの「高慢すぎる」退屈が、とんとん拍子に進むわけがない。駆け引きと打算、プライドと欲求、読んでいるこちらの方がひやひやする危なっかしさだ。
二人はお互いの中に恋を求めながらも、その中に自分しか見ていないのだと思う。だから恐ろしく計算的でありながら、同時に主観的だ。その相反する感情に引き裂かれながらも、ただただ自らの身を焼き尽くそうとするかのような二人の恋に、私はひどく同情してしまった。彼らを哀れだと思ったのである。
・・・というわけで、私はこの本は下巻の前半三分の二くらいをとても面白く読み、その評価を☆5にしたいくらいなのだが・・・
最後の最後の終わり方が意外にもあっさりしたものであったこと、レナール夫人の魅力がどうにも最後までしっくり来ず、いまいちその部分が納得できないこと、などを考えると、やっぱり☆4かなぁ、と思う。
けれど、前半であれほどげんなりしたのに下巻でこんなにスリリングな読書ができたので、途中で放り投げないでよかったなあ、とも思った。 -
主人公のジュリアン・ソレルは、あらすじを読む限り、自らの出世のために女を利用した冷徹で計算高い男というイメージがあったが、確かにそういう部分はあるものの、非常に人間味があり印象的で魅力的なキャラクターであると感じた。
筋書きは実際に起きた事件からスタンダールが着想して書いたもので、当時の宗教・階級対立などの時代背景も面白いと思う。 -
ジュリアンがついにパリへ。
ジュリアンはもはや、線の細い男の子ではなく、パリに出してもおかしくない、深い考えとか世渡り術とか恋愛経験を吸収した美青年になっている。
私は古典とか歴史とか、趣味とするほど好きなわけじゃないので、心理とか恋愛テクニック方面の視点から読んでました。フランスの革命期の政治の所とかはすっとばし気味笑
ラ・モール嬢の感じた、「私は本当はあの人に恋などしていなかったのかしら?」という当惑が本当によくわかってしまった、21の秋!
その過去形の文体も。
ラ・モール嬢はその美貌と高貴な身分のせいか、自尊心が高まりすぎて、感情やら、イベントやらをまるで義務のようにこなす。はい、これもした!みたいな。うれしいのに、気持ちと正反対の態度や表情になってしまう…まさにだれかさんそっくり。
そう考えると、古典といえど悩みは全くもって現代的で、てか本当に現在進行形で、タイムマシンのよう。
1830年に書店に並んだ本だからね!!
にしてもすべては妊娠させてしまったことから始まったと思うな。
ラストは、それまで2.5人称で語られていたのにちょっと不思議な展開だった。 -
ジュリアンとラ・モール嬢との恋の駆け引きは、まるで小学生同士の小競り合いのように滑稽でおもしろかった。身分の違いは人の心に思いがけない光を宿らせる。
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上巻と出版社が違うのは、図書館で借りているからです。同じ出版社のものは誰か別の人が借りてました。
主人公ジュリヤンの隣からレナール夫人がいなくなり、彼はマチルダの美貌に興味はなく。色恋から離れたジュリヤンはこれから立身出世して行くのかと見守るが、なぜこのジュリヤンは秘書をしているのか。疑問。裏口の口利きで司祭目指してるのか。手段を選ばない性格ですね。
マチルダとの恋愛が始まった辺り、この二人の恋愛を見守るのがとても疲れました(面白くないという意味ではなく)。マチルダもジュリヤンも頭でっかち過ぎて、相手を振り回し相手に振り回され、どんどん焦燥して行って見える。それが読み手に乗り移る。
社交界の人物描写も面白い。その時代の社会風景なんて全くわからないし、名前覚えるのに苦労しましたが、外人の名前を覚えられないのはいつものこと。
途中で挟まった会議の存在意義はなんなのでしょう。疑問。
ラストまで来たら、主人公、出世よりも恋愛が大事になってしまっていて、期待していたオチは望めそうにないと判断。せっかく軍隊に入ったのに。
そして悲劇的な幕切れ。
端々でのぼった疑問は解説が拾ってくれていたのでありがたい。
ジュリヤンの姿は「俺ってばそのうちエライ奴になるんだからね!」とか言いつつ何者にもなれない現代若者の姿に通じるものがあって、これは自由主義が始まった当初から存在した問題なんだと思った。「ああ、19世紀よ!」という嘆きが好き。
下巻後半から、「自分は裁かれる義務がある」と感じだす主人公と、彼を救おうとするヒロインの姿に、罪と罰を思い出す。無駄に頭がよくて自尊心の高い人間は、自分を裁きたがる模様です。こういう系統の話が好きなのかなあ、自分。