- Amazon.co.jp ・本 (388ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334751562
作品紹介・あらすじ
プルーストが生涯をかけて執筆し、20世紀最高の文学と評される『失われた時を求めて』。本書は"大伽藍"とも形容される超大作の第六篇にあたり、シリーズを通じての主要登場人物アルベルチーヌと、語り手である「私」の関係に結末をつける、重要な一篇である。
感想・レビュー・書評
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現在、刊行中の『失われた時を求めて』(光文社古典新訳文庫)の一部ではなく、2008年に刊行された本篇のみの一部訳である。/
アルベルチーヌは消え去った。
恋とは七色に光り輝く玉虫のようなものかも知れない。
森の中でまばゆい光を放っていたそれは、虫籠に入れて家に帰ってくると、しだいに生気を失い、やがては死んでしまう。/
本書掲載のグラッセ版の「註」によれば、プルーストは当初、本篇のタイトルを「逃げ去る女」と考えていたという。
前巻のタイトル「囚われの女」とのシンメトリーからそう考えたのだろう。
だが、NRF(新フランス評論。1908年創刊のフランスの文芸雑誌。アンドレ・ジッドらが編集長を務めた。ジッドは1912年に『失われた時を求めて』の第1篇『スワン家のほうへ』の原稿が持ち込まれた際に掲載を断り、のちにこの作品の真価を悟り、プルーストに謝罪している。本作品の出版時は、ジャック・リヴィエール、ジャン・ポーランが編集長だった。)がタゴールの訳書を「逃げ去る女」というタイトルで出したため、プルーストはこの題の使用をあきらめたという。
ちなみに、本書並びに生島遼一訳(新潮社版)、吉川一義訳(岩波文庫版)が、
「消え去ったアルベルチーヌ」を採用しており、一方、保苅瑞穂訳(講談社世界文学全集版)、井上究一郎訳(ちくま文庫版)、鈴木道彦訳(集英社文庫版)が「逃げ去る女」を採用している。/
確かに「逃げ去る女」の方がしっくり来る。
「囚われの女」と「逃げ去る女」、美しいシンメトリーだ。
「囚われの女」は、囚われの日々によって次第に生気を失っていく。
「囚われの女」に想いを寄せるのは、「憂い顔の騎士」だけなのかも知れない。
「逃げ去る女」は、その逃走の一歩ごとに輝きを取り戻して行く。
歌劇「カルメン」のハバネラ(「恋は野の鳥」)の鳥のようだ。/
【逃げ去ったアルベルチーヌを、マスネー作曲のオペラ・コミック『マノン』に仮託して語り手は偲ぶ。
ー中略ー
以下、新しい順に四種の訳を並べる。
ああ、わが身を奴隷と思った小鳥は、
何度となくそれを逃れようと
必死の羽ばたきで夜のガラス窓に突きあたる。(鈴木訳)
ああ、牢獄の思いをのがれようとする鳥は、
夜、何度も何度も、
ガラス窓を打って必死に羽ばたく、(井上訳)
ー中略ー
ちなみに拙訳はこうである。
あなあはれ、囚はれと思ひし身をば逃れしも
ぬばたまの夜ともなれば、必死の羽音
硝子の窓に響かせて、戻らんとする鳥のあるかな】(訳者あとがき)/
高遠訳の続巻の刊行が待たれる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
人は自分のことになると皆目わからないということか。私の苦悩をただちに鎮めることが必要だった。私は自分自身にやさしくありたいという気持ちになって言い聞かせた。
あとほんの少しだけ我慢しよう。誰かが手を打ってくれるはずだ。まずは心を鎮めなくては。こんなことはたいしたことじゃないか。
私の人生で最大の不幸だった。にもかかわらず、不幸が私に与えた苦痛より、不幸の原因を知りたいという好奇心の方がおそらくは強かった。
心にこうむった衝撃の結果として生まれた苦しみはひとつのかたちにとどまることに満足できない。人は様々な計画を立てたり情報を集めたりすることで、苦しみを消し去ろうとする。あるいは苦しみが限りない変貌を繰り返すことを願う。その方が自らの苦しみが純粋な形で残るより、有機を奮い立たせなくてすむからである。
最初の苦悩はいったん断ち切られたあとでも、自律した生命力を躍動させ、いつのまにか私の中でよみがえった。慰めに満ちた決意より前から存在しているだけに相変わらず恐ろしい力を発揮した。本来であれば、久能を鎮めてくれたはずのそうした決意の言葉を、私の苦悩を知らなかった。
人は自分の魂の中に隠れているものを絶対に知ることができないものだ。
苦悩が消える?かつて私がそんあことを真剣に信じたことが一度でもあったか。死は存在する者を抹消し、残りの者はそのままにするとか、死は相手の存在がもはや苦悩の原因でしかないと感じている者の心から苦悩を取り除くとか、苦悩を取り除いたあとには何も岡中井といったことを私は信じることができたのか。