月と六ペンス (光文社古典新訳文庫)

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制作 : William Somerset Maugham  土屋 政雄 
  • 光文社 (2008年6月12日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (433ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334751586

月と六ペンス (光文社古典新訳文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 読んでみたら思ったより読みやすくて、登場人物たちはみんなわかりやすいぐらい自分本位かつ下衆で矛盾に溢れ、不可解のまま放置された部分が多くて、そのくせ読後感は悪くないどころか良くて、後年また手に取るためにとりあえず本棚の奥に詰っこんでおきたいと思った小説です。

    それなりに優れた妻と子供達を持ち、生真面目で平凡に幸福な株式仲買人として17年間生きてきた40代のイギリス男ストリックランドがある日突然、仕事も妻子も捨てて画家を目指し、パリに出奔するところからはじまる物語。偶然彼に関わったことをきっかけにその人生を追憶することになる青年作家の視点で、この物語は淡々と語られていきます。

    初読の私には、対比の物語として印象に残りました。

    主人公のストリックランド自身の、職業的成功と家庭的幸福を得ていた筈の前半生と、はたからみたら大半が惨めと笑うだろうけど本人にとっては本望に終わっただろう出奔と流転の果ての後半生。

    矛盾と不可解の体現者であるストリックランドを追憶することになる小説家の、青年時代から中年期に至る考察力と対応力の差。

    ストリックランドに関わって人生が変わった三人の女の三者三様の選択。

    ずば抜けた審美眼を持つが故に、ストリックランドが天才であることに誰よりも先に気づいて彼が窮地のときには献身的に面倒をみたのに、結果的にストリックランドに人生を奪われたオランダ人画家とストリックランドの才能の差。

    ストリックランドの人生を追う中でふと思い出した、作家の友人二人の選択とその後の人生…など。

    一冊の中に多くの対比が含まれていることがとにかく印象に残りました。(ちなみに、対比は、登場人物たちだけではなく、色彩にも現れている気がします。)

    しかし、これはあくまで、読んだからには何かを読み取らなければならないと感じた私の思い込みかもとすら思えてしまい、印象深い小説だと思った反面、正直、半分も理解できなかった気がします。

    後年読んだ時に何を思うかを知るため、10年後に再読したいです。

  • 三流の画家がいます。恋女房と二人暮らし。病気になった貧しい友人を、自宅に引き取って世話をします。
    妻もはじめは反対しましたが、夫と共に、甲斐甲斐しく看護します。
    男二人、女一人の共同生活。

    引き取られた友人も画家。全く売れていません。
    でもこの人は天才。天才画家です。

    三流画家は、何とか上手く画を売って暮らしています。自分が三流であることも自覚しています。優しく、知性的で、画を見る鑑賞眼、批評眼を持っています。画が、芸術が好きです。
    そして、友人のことを、天才画家だ、と見抜いています。

    その天才画家は、画を売ることに全く関心がない。認められることに興味がない。最低限の生きていくお金を、怪しい仕事で稼いでいる。極貧。独身。寡黙。粗暴。野性的。傲慢。超絶な変人。世間のモラルの外で生きています。
    そして、黙々と個性的な画を描く。

    天才画家は、やがて快癒します。去る日がやってくる。ところが。
    三流画家の妻が「あたしも出ていきます」。
    天才画家は、三流画家の妻と、欲望のままに関係していました。

    天才画家は、無言です。彼は、どうでも良いんです。どっちでも良いんです。
    そのことを、三流画家も、妻も、よくわかっています。
    でも妻は「私はもう彼を愛しています」。

    三流画家は、妻に懇願します。哀願します。すがります。
    とうとう三流画家は、「愛しい君を、極貧の極寒の不潔な世界に追い落とすことはできない。僕が出ていく」。

    自分の快適なアパートメントを、妻と、天才画家のカップルに明け渡して、身一つで、パリの街に去っていきます…。

    #

    ゴーギャンのお話です。

    と、言うと正確ではなくて。画家として有名なゴーギャンさんをモデルと言うか、参考に?して、サマセット・モームさんが書いたフィクションです。

    悪魔的に面白い。

    #

    ゴーギャンさんは1848−1903。パリ生まれのフランス人。
    晩年は、理想郷を求めて?南太平洋のタヒチに移住しています。

    1848年生まれですから、ちょうど、ナポレオン三世の時代に生まれたことになります。

    ナポレオン1世が有名ですね。1815年に失脚して、フランスはなんとなくまた「王政」に戻りました。でも、ぼちぼち「王政」は時代遅れで。いろいろあって1848年に二月革命っていうのがあって、共和制に。その中からナポレオン三世(ナポレオン1世の甥)が選挙で選ばれて、やがて「共和制っぽい中で一応皇帝」という地位に着きます。
    この時期はヨーロッパの強国はみんな、アジアやアフリカに侵略して直民地にして、国家としてボロ儲けをする、という時代ですね。フランスもそうしていました。
    そして1870年、ゴーギャンさんが22歳くらいの頃にナポレオン三世は普仏戦争に負けて失脚、再びフランスは完全な共和制になります。それ以降、フランスは2016年現在までずーっと共和制です。

    パリの芸術家、ということで言いますと。
    ゴーギャンさんは、ルノワール、セザンヌ、スーラ、ゴッホ、といったあたりと同時代。交流もありました。ゴッホとの奇妙な友情は有名ですね。
    (この小説ではそこは触れていません。伝記ぢゃないんです)
    (ちなみにルノワールさんは普仏戦争に従軍しています)

    ルノワールさんが筆頭有名ですが、印象派というグループが台頭するのが1874年。第1回印象派展。

    その頃に同年代のゴーギャンさんは何をしていたか。なんと株式仲買人でした。それなりに成功も収めて、市民的に結婚して子供も授かっていました。余暇に画を描いていました。

    30歳過ぎ、40歳くらいから、なんでかはともかく、職業画家になろうとするんですね。世間は印象派華やかなりし頃。その中で、認められません。不遇。貧乏。事実上離婚。家庭と市民生活を捨てます。

    そのまま、徐々に一部から認められながらも、我が道を進み、南太平洋で暮らして死にます。

    (ちなみに、1868年、ゴーギャン20歳、この年が日本で言うと明治維新です。だからまあ、日本人で言うと伊藤博文とか、やや年上ですが坂本龍馬さんとか新撰組なんかと、同世代になります。
    幕末明治と日本の浮世絵が流入して、全てのヨーロッパの画家に驚きと賞賛で受け入れられ、強い影響を与えたそうです)

    (ちなみに、ピカソさんが1881年生、マティスさんは1869年生。ゴーギャンさんやルノワールさんよりも、30〜40歳くらい下になります)

    #

    小説「月と六ペンス」は、1919年に出版されています。ゴーギャンさんが、晩年にそれなりに有名画家になって、南太平洋で死んでから16年後。
    なんていうか、岡本太郎さん(1996年没)をモデルにした小説、みたいな距離感ですかね。
    描いたサマセット・モームさんは1874年生まれですから、「月と六ペンス」の出版時、45歳くらいでした。

    モームさんはイギリス人です。若くから成功した小説家で、パリでも暮らしていたから、フランスもよく知っているわけですね。
    でも、小説「月と六ペンス」の天才画家、チャールズ・ストリックランドはイギリス人の設定になっています。
    ゴーギャンと同じく株式仲買人として普通に暮らしていましたが、蒸発するように妻子をロンドンに残して、パリに行ってしまう。全てを捨てて、もう若くもないのに画家になってしまいます。

    そして、この狂気の天才、ストリックランドさんが、パリで無茶苦茶な人生を送った後、タヒチで過ごして死ぬまでを、知人のとある小説家「わたし」の目線で描きます。

    つまり、モームさん自身のような小説家が、「月と六ペンス」の語り部です。

    なので、狂気の天才の異常な人生を、「面倒で厄介な男だなあ…天才なんだけど」という距離感で眺めている人の語りで楽しむ趣向です。

    あくまで、狂気の天才の頭の中、心の中に、分かったようなふりをして入り込んだりしない。
    ここの仕掛けが、この小説の謙虚さであり、上品さであり、面白さであると思います。

    #

    ストリックランドさんは、極貧と不潔といかがわしさと孤独の中でひたすら画を描きます。彼はなぜ描くのか。
    それは本人ぢゃないから、わかんないんです。
    でもどうやら、彼は、自分の内側の何者かに突き動かされるようにして、自分の内側の求める至高の芸術の奴隷となって、描いているようです。
    そのストイックさ、世間との乖離具合は、怖いくらいです。

    ハッキリ言って、これで描いたものが評価されなかったら、生前だって死後だって、ただの異常者です。

    #

    ロマンチックな小説ではないなあ、と思いました。
    凄まじいイキモノの記録を、叙事的に突き放して楽しませてくれる感じです。
    むしろ、冒頭のお話の、「妻を寝取られた三流画家」みたいな、ストリックランドに振り回される常識人の悲哀のほうが、皮膚感覚としてはわかります。面白い。このあたり、小説として上手い。

    #

    それでも、貧しさと狂気のローリング・ストーンのような、ストリックランドの異常な人生は面白い。転がるように南太平洋の孤島について、現地の人々との暮らしに、一種の安住を見出してしまう。

    そして、そこで、老いて。病魔に侵されて。
    死の間際まで憑かれたように描き続けた姿には、もはや、分かるとか分からないを超えて、突き上げてくるヒトの情熱みたいなものに、鉄槌で打たれるような味わいでした。

    序盤はちょこっと入りづらいですが、ストリックランドがパリに蒸発してしまうあたりから、俄然面白くなって、そのまま読み終わりました。光文社古典新訳文庫、400ページちょっと。

    モーム、西洋絵画、ゴーギャン、パリの絵描き、芸術家の物語、そんなものに興味あれば、実に楽しめると思います。
    丁度、フランス映画「モンパルナスの灯」を観たりもしたので、読みやすかった気もします。アレはモディリアーニさん(1920生)のお話ですが。

    #

    ただ、ちょっと思うのは。
    きっとこの小説は、「かなり創作しているけど、ゴーギャンさんがモデルですよ」という入り口で読者を誘っているんですよね。恐らく出版当時から。
    そして、「かなり創作しているんだろうけど、ゴーギャンもこんな感じだったんだろうなあ」と読み進める訳です。

    (どのあたりのエピソードまでが実際にゴーギャンさんの話なのか、そのあたりは分かりませんし、まあ、その辺は敢えて追求もしませんが…)

    そこンところ抜きにして、フィクションの物語として読んだ場合、どうなんだろうっていう気はちょっとします。

    だからと言って伝記小説でもないんで。

    ちょこっとズルいような気もしますね…。

  • 作家である「私」の視点で語る、天才画家ストリックランドの生涯(画家ポール・ゴーギャンがモデル)。よき父、よき夫、よき仕事人であったストリックランドは40歳を越えたある日、突然全てを投げ打って単身パリへ行く。

    冷徹で自分勝手で周りが何と言おうと自分のスタイルを崩さないストリックランド。彼は心も生活も全て絵を描くことに向かっている。その絵は全く評価されることはないが、不思議と周囲はストリックランドに惹かれ、手を差し伸べ、堕ちていく。
    中盤までは「私」が彼と付かず離れずの距離を保ちつつ目の当たりにしたエピソード、終盤は人伝てで聞いた彼の終生を淡々と綴る。

    温かい家庭とやりがいのある仕事。傍から見れば順風満帆そのものの人生。しかし結局その幸せのものさしは本人の中にしかなく、他人の尺度で計ることはできない。ストリックランドの終の棲家ともなるタヒチでの生活も、本人にとっては素晴らしく本望だったように思う。
    読みやすい翻訳に助けられながらも最後まで目を離せなかったのは、ストリックランドに振り払われながらも食らい付こうとした女性たちと同様にその野性的な人間くささに惹かれたせいかもしれない。

  • 再読。俗いなぁ。うん、俗い。ストリックランドを取り巻く人物も、高潔を装い俗人からは超越してる様に見えて性欲には抗えない彼自身も、西洋との対比でいかにも開放的に描かれるタヒチの風景も。とはいえ、徹底して通俗さを押し通すことでしか描けない人間性の本質というのもある訳で、そんな悪態を尽きながらも読み進めてしまう自分も、結局は通俗な人間ということか。それにしても男尊女卑的な視点は最後まで目に付いたのだが、解説を読み終えて目から鱗。ストリックランドに憧れる主人公のボーイズラブ小説、なるほど、そういう見方もあるのか。

  • 話が激しく展開していくのとは裏腹に、読みながらゆったりまどろむような気持ちになって、まるで童話のようだった。

    男女の機微が随分ミステリアスに描かれていてかわいいなあ、と思っていたのですが最後の解説を見て腑に落ちました。まあそんなの抜きにしてもオトコとオンナのことは第三者が見てわけわかんないくらいの方が素敵だと思います。恋や愛を言葉で説明したってしょうがないや。

    しかしこの登場人物と読み手の間の絶妙な距離感はなんだろう。冗談でも「あーわかるわかる」なんて言えない彼らのシンプルな神々しさは。

    どの登場人物をとっても「このひとはきっとどこで何しててもこういう風にしか生きられなかったろうな」と思わせる凄みがあって、それは生命力というのかもしれないし、使命とも宿命とも、あるいは呪いの様にも見えるんだけど不思議と怖くも嫌でもなくて、とても不思議なきもちになりました。

    その性格の頑固は、多くの人にはきっと滑稽だったろうけれども本人たちはなかなか満足そうだし私みたいな他人はなにも言えませんのである…。

    でもせつないなあ。寂しいなあ。
    こっそり言うけど。

  • ゴーギャンをモデルとしている画家ストリックランドの半生を追った作品。作家である「私」が、ストリックランドとの交流や、彼の死後にタヒチで会った人たちからの聞き取りのような形で話を構成している。

    ゴーギャンを描いた本だと、ほかにマリオ・バルガス=リョサの「楽園への道」を読んだことがあるが、対象への踏み込み具合でいうとリョサの方が数段上である。「月と六ペンス」では「ストリックランドめ、墓まで秘密を持っていったか」という感じで、何か逃げてしまっているのだ。そのあたりがモームらしいところなのかもしれないが、ちょっと消化不良に感じてしまった。

  • 少し前に読んだ本だが、猛烈に印象が残っている。

    本書は19世紀に生存した画家、ゴーギャンをモデルとした作品である。ゴーギャン自体、私自身はあまり詳しくないがどうやら只者ではなったらしい。只者ではなかったとはつまり、かなりの変わり者だとか、気違いだとか、そういった意味においてである。

    この物語内でもかなりの部分、大変な代わり者の気違い男として描かれている。証券マンとして安定した収入と温かい家庭を突如として捨て、ボロ雑巾のように心の中にある何かを求めて絵を描いて生きる、彼の姿は多くの人の共感を得られるものではないだろう。ましてや結果的に彼の絵が評価される頃にはもう、彼はこの世にいない。

    しかし、彼は周りの視線や評価に対しては微塵も興味がなく、ただひたすらに自分自身の内なる声に忠実に生きるのである。それと対照的に彼の妻やその他大勢(これは現代の私たちの大半もそうだが)は何かを基準となるモデルに沿ったりそのコピーとして、自分自身の人格や人生を形作って、謂わば自分の物語を何かからデザインして生きている、ように思う。

    つまり、ゴーギャンが正真正銘「自分自身を生きる」を実践していることに、猛烈な印象というか、刺激を受けるのだと思う。常人にはこのような生き方はとても困難であろうし、彼自身が幸せだったかどうかもわからない。

    しかしながら何事かに煩わされず自分の信念だけを持って形振りかまわず生きる姿に、見習うべきことがあると思わずにはいられないのである。

  • これまた”百年の誤読”から。お世話になりまくってます。まず、タイトルから内容があまり見えてこず、作家に対するイメージも持ち合わせていないから、全くフレッシュな状態からの読書体験。ほぼ1世紀も前の作品にも関わらず、全く古臭さを感じさせられなかったのは、作品の持つ強さもさることながら、翻訳が素晴らしいから。土屋さん、「日の名残り」もそうだったんですね。どうりで、作品の持ち味を存分に堪能させて頂ける訳です。タイトルは結局最後まで出てこないけど、解説を見て、なるほど”月とスッポン”のことかと納得。でも六ペンスってあまりにも直接的で、それに関していうと、スッポンと比較した本国の諺に軍配が上がりますね。それはさておき、内容に関しては、人物造形がまず強力無比です。作中で語られる対象たる画家の、鬼畜ぶりといったら。あまりに極端すぎて、怒りやらを通り越してもう笑わせてくれます。そこまで酷い人間が、とうとう落ち着いてしまうタヒチって、ここで描かれる風景の美しさも相俟って、彼の地に対する憧憬が自分の中に溢れてきます。当時から結構売れた作品みたいだけど、現代においても全然輝きを失わない、魅力的な作品だと思いました。

  • 人間は本来矛盾を包含した複雑な存在であることが、ストリックランドやストルーブなどの人物像の描写から感じ取られた。知らない時代、知らない土地、知らない文化が頭の中に浮かぶような鮮やかな情景描写に惹き込まれた。小説自体とても素敵ではあったけれど、最後に解説を読んでいる時が一番楽しかった、という意味でもとても新鮮な感覚があった。
    訳本が素敵であるが故に、やはり英語で読めたらどんなにいいかと思わされた。いつか挑戦したい。

  • ストリックランドは絵を描くため突然家族を捨てたり、ストルーブの妻を奪った末自殺に追い込んだりと、“人間の屑”だと思います。けれど、ストリックランドの生き方には憧れてしまいました。「何が何でも描かねばならん(p88)」という情熱があり、「他人の意見などほんとうに気にならず(p99)」、「いまは幸せですか」という問いに「ああ(p147)」と答えられる、そんなストラスブールが羨ましいです。

    やりたいことがあって、他人を気にせずそれをやっている人たちが輝いて見えて、“幸せ”について考えさせられました。

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月と六ペンス (光文社古典新訳文庫)の作品紹介

新進作家の「私」は、知り合いのストリックランド夫人が催した晩餐会で株式仲買人をしている彼女の夫を紹介される。特別な印象のない人物だったが、ある日突然、女とパリへ出奔したという噂を聞く。夫人の依頼により、海を渡って彼を見つけ出しはしたのだが…。

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