アンナ・カレーニナ〈4〉 (光文社古典新訳文庫)

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制作 : 望月 哲男 
  • 光文社 (2008年11月11日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (434ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334751708

アンナ・カレーニナ〈4〉 (光文社古典新訳文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 最終巻はほぼ一日で読んでしまった。第四巻で最高なのはキティの出産を待つリョーヴィンのコミカルな描写。トルストイったら可笑しさを狙ってちゃんと可笑しくしてくる。ただリョーヴィンパート自体が面白いかというとそうでもない。リョーヴィンは善人だけど自分を俯瞰しようとはしないから(『ストーナー』のストーナーに感じるのと同じいら立ちがあるかも)。彼が拠り所とするものも思考停止に見えて好きじゃない。リョーヴィン推しのトルストイには「それでいいのか!」と言ってやりたい。

    自分を顧みないという意味ではもっとひどいアンナのほうは、窮地に追いやられて悪手ばかり指す流れが非常に不憫だった。これは結末が結末なのでひいきせざるを得ないのだが、彼女がもう少し聞く耳を持つ人であったら、他者に助けを求められる人であったら、とやりきれなかった。魅力的で能力があったから、逆に切り抜けられなかったのか。100%の愛を求めて止められないのは、生き延びるには大きな弱点なのかも。

  • 非常に恥ずかしながら、21年の生涯初のロシア文学。

    心のどこかで、いつかは触れるべきだと思っていながら漸く今回、読み終えることが出来た。
    今までの他の作品であれば、読み終えたあとは何らかの気持ちに加えて、読み終えたという達成感のようなものを感じていた。
    しかし今回は違う。
    達成感も感じてはいたが、それ以上に「もうこの作品の世界を味わうことはできない」といった寂しさを感じた。
    本作「アンナ・カレーニナ」を読むにつれ、アンナ、リョーヴィン、オブロンスキー、キティ・・・といった登場人物たちが私の日常生活の一部となっていった。
    彼らと共に過ごした時間をもうこれ以上共有できないと考えると、やはり寂しさが表に出てきてしまう。

    作品世界に関しての議論は私は専門家でも何でもないので、触れるべきではないが、少なくとも、この作品が人間のあらゆる側面を描き出しているということは断言できる。
    本当にこれが、時代も場所も違う1870年代ロシアを舞台にして描かれていたのかと見紛うくらい、人間という生き物の中にある不変な本質を私に伝えてくれたと感じている。

    我々は恋をする。
    しかし恋敗れれば悲しみもするし、時によっては自分を捨てた相手を憎むこともあるかも知れない。
    自分が愛していると思っている人が他の誰かを好きになる。
    当然嫉妬も起こるだろう。
    時代の流れの中で、以前は順風満帆であった事業に陰りが見られることもあるかもしれない。
    自分の子供が出来れば、あれやこれやと自分がしたいと思っていることを子供に託すこともあるかもしれない。
    このようなごくありふれた日常の様子・感情が実に細かく描写されている。

    内容の充実度も勿論のこと、表現の観点からも、私はこの作品が「Masterpiece」であることを心から感じている。

  • これは愛の物語だったんだなというのが、読了後に出てきた感想。それはミクロ的には恋愛や結婚、家庭などを扱いながらもその副産物としての嫉妬や不倫といった側面も描き出し、そしてマクロ的には祖国愛や政治芸術を取り上げなら、最後には宗教愛へと結実させる。いずれにせよ、そうした抽象的観念は地に足の付いた、つまり日々の生活の中から見い出していくものなんだろう。だからこそアンナの最後は悲劇的になり、リョーヴィンの生活は続いていった。例え思想無き行動が存在するとしても、生活に基づかない思想が存在することは不可能なのだ。

  • もしキティがアンナの人生を見届けなければ、キティもアンナのような人生を選んでしまったかもしれないし、リョービンがヴェロンスキーの人生を見ていなければ、リョービンもヴェロンスキーのようになっていたのかもしれないな。

    アンナ自身、リョービンとヴェロンスキーが同じであると見抜いていた通り。キティも無意識にそれは感じていたはずだ。

    人間は基本的には過去から学ばない生き物だとおもう。

    過去から学ぼうとするには、周りの人間の強烈な死を目の当たりにするくらいの現実的視野が必要なんだろうね。

    人間の生き方は凄くシンプルなんだろうけど、シンプルに生きるのは、とても難しく感じる。

    なぜなら理性があるから。
    考える、という行為がある限り、シンプルなものをあえて難しくしてしまう。

    苦悩から解放されたアンナが幸福であり、戦争にいく決心をした迷いなきヴェロンスキーが幸福であり、これからたくさんの苦悩迷いを味わうリョービンとキティが不幸だと考えてしまう自分は、やはり考えてしまうから自分は人生を難しくしている人間なんだと思う。

  • ブロンスキーとの愛に生きようとしながらも、苦悩し、葛藤するアンナ――。『アンナ・カレーニナ』完結編。

    随分前に読み終わっていたのだけれど、卒論に気を取られていたせいもあって、感想を書くのが遅くなってしまった。
    読み終えたときの感慨をすっかり忘れてしまったことに、自分が一番がっかりしているところ・・・。やはり、感想は本を読んだらすぐ書かなくてはいけませんね。

    とはいえ、『アンナ・カレーニナ』は凄い小説であった。これは多分、間違いないと思う。

    ストーリーだけを見ると、全巻読み終わった今、納得のいかないところも多々ある。
    特にアンナのラストには、やりきれない気持ちが残った。こういう終わり方なのか、絶望した人間の行く末としてこれが選ばれたのか、と思うと憤慨にも似た気持ちが湧く。

    リョーヴィンの心情も、結局はよくわからなかった。彼は地主貴族という階級も、美しく聡明な妻も持っているのに、なぜそこまで自分の存在意義について悩み続けることができるのだろう? 
    それが悪いというのではない。しかし、私は人間というのは、日常生活で満ち足りているのに、その日常と同時に自分の存在意義について考えられるほど、タフな生き物だとは思えないのである。
    だから、それだけ素晴らしい環境を手にしているリョーヴィンが、そんな日々の生活をこなしながらも、抽象的なことを考え続けられるだけのそのエネルギーの源が一体何なのか、最後までわからなかったのだ。

    では何が素晴らしかったのか。何がこの小説を輝かせ、また人を引き付ける力となっているのか。
    私はそれを、「生きることへの確信のなさ」だと思った。
    今生きていること、自分が自分だけの人生を歩んでいること。その圧倒的な現実にしかし、誰一人確信を持って生きているわけではないこと。
    トルストイがこの物語で描いたのは、この「自分の人生が思い通りにいかないことに戸惑い続ける私」なのではないか、と私は思ったのである。

    これは恐ろしいことだ。自分で自分がわからないということ、人生は自分の思い通りには進まないということ、生きていく限り、自分は後悔を重ねるであろうということ。
    それはつまり、絶望のことではないか。
    しかし違うのである。個人にとってはそれは確かに絶望かもしれない。だが、周りの人間から見れば、それはあまりにも当たり前のことなのだ。
    私達は天才というのが滅多にいない、ほとんどいない、ということを知っている。もしかしたら、天才と呼べるような人物を一人も知らないまま、人生を終えるかもしれない。けれどそれで「ああ、私は天才に出会うことなく人生を終えてしまった」と後悔する人はいないだろう。しかし、いつでも自分に何かしらの才能があればいいな、と人は誰しも思っているのだ。
    要するに、それと同じことなのである。自分の人生が思い通りにはいかない、ということは当たり前のことで、他人がそんなことで嘆いていたってなんとも思わない。
    しかし、どこかで自分の人生は、自分の思い通りにできるという思い込みが、私達にはある。まるで、実は何か自分には隠れた才能があるのではないか、と思うように。しかし、そんなことはほぼない。けれどその不思議な思い込みは消えない。だから、いざ自分の思い通りにことが運ばないとなると、絶望的な気持ちになるのである。

    だからこの物語のヒロインであるアンナは、読者からすると「わがままだなぁ」と映るのかもしれない。絶望絶望って、それはあなたがわがまま言ってるからでしょ、となるのかもしれない。
    本人にとっては地獄、しかし周囲の人間から見ればただの日常の一部。その極限とも言える状況を、誰の手にもゆだねることなく、登場人物に誰一人として確信を抱かせることもなく、冷酷なまでの寛大さで持って描かれたのが、この『アンナ・カレーニナ』なのかもしれない。

    トルストイは恐ろしい人だなぁ。これだけ長い物語で、最後の最後まで「確信」を描かなかった彼の筆力、そして精神は驚嘆に値する。
    そう、人生にゴールなんてものはない。どこからでもが始まりで、どこまでもが自由なのだ。
    なんと茫漠とした世界。
    まるで、広い宇宙に身ひとつで投げ出されたような。
    私達はどこまででも赤ん坊で、どこまででも年を取れるのである。

    余談なのだが、私がこの『アンナ・カレーニナ』を読み終わったのは、トルストイの没後100年から2日前だったため、読み終わったすぐあとにトルストイの記事をいっぱい見ることができた。タイムリーで、ちょっとうれしかった。

  • トルストイの長編小説。非常に文量の長い作品であるが、大変読み応えがあり、さすがは世界の大文豪、と舌を巻いた。

    正直、ドストエフスキーやら何やらこの手の世界文学的古典には手も触れたことがなかったが、本作品を読み、その凄みをありありと感じた。これを皮切りに世界文学の世界に足を踏み入れていきたい。

    *   *   *

    本長編作品に、登場する二人(男女)の主人公、アンナとリョービン、時に二人は光となり闇となり、同じロシアを舞台としながら、全く別の世界をパラレルに生きていく。

    アンナとリョービン、この二人に共通する点は、「自分を偽れない」という点だと思う。ある意味とても純粋素直で、そのため通俗社会から、どうしても逸脱していってしまう二人。それでも本当の生き方や愛や信仰を摸索しながら、闘い、傷つき、心を膨らませる姿は似ている。

    アンナは、本当の愛を求めた。リョービンは本当の生き方、といったところだろうか。

    この愛すべき二人の主人公の顛末、明暗を分けたのは、アンナの生き方が自己愛に満たされていったのに対して、リョービンは無私の精神に満たされていった点にある。また作品の解説にもあるように、アンナが一元的に、リョービンが多元的に生きることとなり、結果、アンナの世界が破綻していった、というのにも納得ができる。

    トルストイの本作品、19世紀を生きた若者の恋愛をテーマとしながら、社会全体を描いた作品の圧倒的スケール、かつ一人一人のキャラクターの内面世界の繊細な動きを捉えていて、よく一人の作家がここまで人間を描けるものだ、と感嘆した。

    人間の心の中の矛盾や葛藤をよく捉えている。そして読者にとってあまり理解できないような難解な比喩表現などに逃げない点も好感が持てた。

  • トーマス・マンが完璧な小説といった意味が分かる。紛れもなく、今まで読んだ本の中でベスト。
    カラ兄のように宗教臭くない。難しい小説、ではなく、全てが書いてある小説、と思った。
    何より面白い。し、細部が本当にリアル。
    心理過程の描写が、プルーストほどには長くない。

  • 4巻の長編だったけど、読み進めるほどどんどん面白くなった。またいつか読み返すだろう。

    生き生きと描かれている。説得力のある心理描写や比喩が面白い。
    それぞれの性格からはっきりと人生が分かれ、その人の個性と思考が露呈していく。

    リョーヴィンの気持ちがその時あった出来事によってころころ移り、かわいい感じもする。素直と頑固。
    義父のクラブの話で、ぶよぶよ卵というのを表現がおかしかった。

    リョーヴィンは生きる意味とは何かと哲学的に考えようとしたりする。でも答えが出ない。そしてある時、知る。
    リョーヴィンは生きる意味とは何なのかを知る。だからといって生活は今までと同じだ。だけど、知ったことでリョーヴィンは喜びを感じる。

    アンナは自分が招いたことだけど、人のせいにして、自分のマイナス思考は被害妄想に近く、自分で自分を追い詰める。だからヴロンスキーなどが何か言っても全部アンナは気に入らないのだ。周囲が間違った考えを正そうとしても嫌がり、フォローしても疑ってかかる。つまり、周囲は全てはアンナのおっしゃる通りですよと否定なしに肯定のみ、愛を捧げなければならないのだ。周囲は間違っているし誤解を解きたいけど、それをするとアンナはまた被害妄想で怒るのだ。早く精神科に行くべき状態。
    なぜそんなに追い詰められていくのか、その心理描写の移ろいがうまい。

    それにしても、最後、了と文字があった時「あら!ここで終わりなんだ!」ってビックリした。

    この小説でリョーヴィンの自分はいったい何なのかの考えを読んでて、私も「あぁ!なるほど!」と思った。そんな話は聞いたことがあるし、そう考えてる人には当たり前のことなんだろうけど、何だか実感したのは初めて。リョーヴィンがぱぁーっと喜んだように自分も同じ気持ちを共有した感じだった。
    多分、リョーヴィンに好感がもてるからだと思う。

    この小説は私の中でインパクトの強いものになった。
    またいつか読み返そう!

  • 女とは理解すべき存在ではなく、愛すべき存在である。

  • 真実の愛とは何かという普遍的なテーマを、不倫の恋という側面から切り取る、純文学的な物語でした。アンナはどうすれば良かったのでしょう? 愛してもいない夫の元に留まるのが真実の愛に即した行動だったのか…否。では夫には隠したまま不倫を続け、愛人の子を夫の元で育てるのが正しかったのか…否。では、やはり筋書き通り夫を捨てて愛人と逃げるしかなかったのか…そうかもしれない。確かに、アンナはヴロンスキーの愛さえあれば幸せであり続けられたのかもしれません。けれどそうはいかなかった。普通の人間は、彼女ほど愛に対して純粋ではありません。だから恋人に飽きられたって次の恋を探すなり、冷えた関係のまま共に暮らすなり、ともあれ「愛がないなら生きてはいけない」とばかりに自ら死を選ぶなんてことはまずありえません。彼女の何が、このような破滅を導いたのでしょう? なにが罪でなにが罰だったのか? いえ、愛に理屈など通用しないのだから、可哀相ではありますが、愛に純粋である彼女は、こうなるしかなかったのでしょう。
    中心テーマがアンナにあることは題名からも明白ですが、正直私はもう一人の主人公、リョーヴィンの物語の方が好きです。ハッピーエンドが好みなので…。『戦争と平和』のピエール・ナターシャ夫妻や、ニコライ・マリア夫妻でも思いましたが、トルストイの描く理想的な夫婦の描写が私は好きです。思想は違えど、互いに尊敬しあえる夫婦…。現実にはまず滅多にいないけれど、だからこそロマンがあって、微笑ましくて良いと思います。

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