故郷/阿Q正伝 (光文社古典新訳文庫 Aロ 5-1)

著者 :
  • 光文社
3.44
  • (20)
  • (60)
  • (62)
  • (19)
  • (4)
本棚登録 : 700
感想 : 69
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (341ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334751791

作品紹介・あらすじ

久しぶりに再会した幼なじみは、かつて僕の英雄だった輝きを失っていた…「故郷」。定職も学もない男が、革命の噂に憧れを抱いた顛末を描く「阿Q正伝」。周りの者がみな僕を食おうとしている!狂気の所在を追求する「狂人日記」。文学で革命を起こした魯迅の代表作16篇。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ”そこで僕は自分に言い聞かせることにした。故郷は本来こんなものなのだ——進歩もないが、さりとて僕が感じているように悲しいとも限らず、悲しいのは僕が心変わりしたからなのであり、そもそも僕にとって今回の帰郷が、楽しいはずはないのだ。—『故郷』より(p.51)”

     中国近代文学の父、魯迅の代表作16篇を収録。全体として、心理描写はあっさりしている印象だが、上手くまとまった作品が多い。解説によれば、魯迅には芥川龍之介の短編を集中的に読んでいた時期があるそうで、なるほどと。

     中でも、書名にも選ばれている『故郷』と『阿Q正伝』、そして魯迅の自伝的小説『自序』が良かった。
     『故郷』は、中学校の国語の教科書にも採用されているのでご記憶の方も多いかと思うのだが、「僕」が二十年ぶりに故郷に帰ってきた際の顛末を描いた作品だ。今回中学ぶりに読み返して、気になったのは次の一節。
    ”僕は希望について考えたとき、突然恐ろしくなった。閏土が香炉と燭台を望んだとき、僕が密かに苦笑さえしたのは、彼がいつも偶像を崇拝していて、それを片時も忘れないと思ったからだ。いま僕の考えている希望も、僕の手製の偶像なのではあるまいか。ただ彼の願いは身近で、僕の願いは遠いのだ。(p.68)“
    「偶像」とは、語義通りには「崇拝対象を象って想像でつくった像」のことだが、おそらくここでは「手が届かないのに、手が届くフリをしている」ことと捉えるべきではないだろうか。「僕」=筆者自身を含めた中国知識人の抱く「希望」は、結局のところ閏土の偶像崇拝=旧い仕来り(=儒教?)と同程度のものでしかない、というのだ。
     魯迅がこの短篇を通じて、立場・境遇はそれぞれ違えど揃って貧しさに喘ぐ国民たちの姿を描いたと言うのは正しい。また、それとの対比で、互いを思い合う次世代の宏児と水生に「僕」が国民団結の美しいヴィジョンを見ているというのも勿論その通りだ。しかし、その「希望」は本当に手が届くものなのか、という疑念が筆者の中にあるのである。つまり、筆者は時流に翻弄される中国知識人の有り様を乗り越えられるべきものとして描くだけでなく、彼の批判的な視線は知識人の掲げる理想そのものにまで及んでいるのだ。このような中国知識人に対する自己批判は、他の作品でも見られる。例えば『狂人日記』において、「食人」行為とは旧い仕来たりのナンセンスで凶暴な性質のことであり、しかしながらそれに唯一気づいた「僕」が周囲から"迫害狂(p.270)"として扱われるのは、新しい思想の孤立無援さを表しているというより寧ろ内面的なこと、すなわち掲げる理想の正しさを信じてはいても、圧倒的多数の周りの人とすれ違うことによる不安感・疎外感を表現したものだと、僕は読んだ。また、『自序』によれば、そもそも筆者の創作活動は「新しい社会」に対する失望から始まっているという。
     上の一節は、こう続く。
    “希望とは本来あるとも言えないし、ないとも言えない。これはちょうど地上の道のようなもの、実は地上に本来道はないが、歩く人が多くなると、道ができるのだ。(p.68)”
    一人ひとりの力はたとえ微小でも、多くの人が同じ志を抱けば最後にはそこに大きな「道」ができる。だが、これを裏返して言うと、歩く人が少ないままだと社会は一向に変わっていかないということでもある。こうしたアンビバレントな感情の表現が、『故郷』の一番の魅力だと思う。
     余談だが、洋上の「僕」が「地上の道」を頭の中に思い描いているというのも、考えてみると面白い。「『僕』は、地上の道を進む歩みには加わらない(加われない)」という解釈も可能かもしれないが、これは少し深読みのし過ぎか。
     
     一方で、正直なところ、若干ピンとこなかったところがあるのも事実である。これは、僕が中国の習俗に馴染みがないため、戸惑ってしまったことが一つの原因としてあるのではないかと思っている。例えば、『薬』や『狂人日記』に登場する血饅頭。これは斬首刑に処された罪人の首から流れた血を蒸しパンに吸わせたもので、食べると肺病に効くそうだが、最初読んだとき何を言っているのかよく呑みこめなかった。また、科挙制度を知識としては知っていても、それが当時の中国社会にどのような影響を及ぼしていたのか、なかなか想像がつかない。それを前提として物語が語られる知識が残念ながら僕に欠けていて、実感を伴った理解には至らなかったという感じがある。

    訳者まえがき
    吶喊
    (孔乙己/薬/小さな出来事/故郷/阿Q正伝/端午の節季/あひるの喜劇)
    朝花夕拾
    (お長と『山海経』/百草園から三味書屋へ/父の病/追想断片/藤野先生/范愛農)
    付録—『吶喊』より
    (自序/兎と猫/狂人日記)
    解説
    年譜
    訳者あとがき

  • 漫画版で概ね流れを把握した上で読みました。
    ある程度予備知識を持った上で読みたい本です。
    なぜなら、魯迅が何の意図を持って作品を構築し、伝えたい事考えながら読まないと最後は「?」で突然終わりを迎える話が多いと感じたからです。
    阿Q正伝では「精神的勝利」に囚われた阿Qを通じてあらゆる事象を受け入れる精神状態の異常さ。
    周囲の人間たちが首切りを見に来たが銃殺だった際の反応の方向性の異常さ。が印象に残りました。

  •   岩波文庫の竹内好訳を読んでから、この本を読んだ。
     竹内好の日本語は見事だと思うが、原文の表現を生かし、現在の日本語で書かれた本書も大変良い。
    魯迅の文体に近い訳になっているというだけでなく、注釈、解説が素晴らしい。竹内好の注釈も非常に詳しいが、この本の方がわかりやすい。例えば「阿Q正伝」で、阿Qが県城に行ったあと、(竹内訳では「城内」)田舎に帰って、県城で誰でも「麻醤」を打っていると知識を披露する。竹内の注には「ごま味噌の意、麻雀と同音。このころは上層のごく一部でしか麻雀はやらなかった。」と書かれている。藤井注は「半可通の阿Qによる『麻将』すなわち麻雀の言い間違え。」とある。この注で、阿Qが都会に行った田舎者の常で、知ったかぶりして自慢していたということがわかった。同じく「柿油党」についても、竹内の注では意味が分からなかったものが、「『自由党(ツーヨウタン)』という言葉がわからず、似た音の『柿油党(シーヨウタン)』と解釈したもの」で、村人たちも阿Q同様、意味もわからぬまま感心していた、と読み取れた。阿Q正伝が伝えたかったことを考えれば、この辺のことが読み取れるかどうかはかなり大事なところだと思うが、竹内注では読み取れないのだ。(まあ、読み取れる人もいるんだろうけど、わかりやすい書き方ではない。)
     ただ、教科書に載っていた「故郷」をもう一度読みたいという人は、この本では同じ感動を得ることはできない。こちらの方が、より原文に近いのだろうが、高橋健二訳の「少年の日の思い出」や内藤濯訳の「星の王子さま」のように、その日本語訳があまりに広く長く読まれたため、たとえ多少間違っていても、なじみのある方に懐かしさを覚えてしまうのだ。竹内好は長い原文を短く切って、歯切れよく、印象深く訳している。「故郷」に関しては、竹内訳でよいではないか、と思ってしまう。
     『吶喊』には入っていない「藤野先生」や『吶喊』の「自序」の漢方医のことを詳し書いた「父の病」も入っていて、魯迅の代表作が網羅されている。値段は岩波よりちょっと高いが、これから買うなら絶対にこちらが良い。訳者による解説も大学の講義のようで面白い。


  • 魯迅 故郷

    中学生の時に教科書に載っていた小説で、
    大人になってからもう一度読みたくなり購入。

    短編集なのにこれしか読まないからずっと積読。


    子供の頃と大人になってからでは

    見える景色がまるで変わってしまう。


    わびしい気持ちに浸かってしまう、でもそれたまらなくが良い。

  • 私が興味を抱き続ける人が、吶喊を紹介した。
    その人のしてきたことは、吶喊の自序に書かれているようなことだ。

    文体、読みやすく、引っかかること無し。
    引っかかるのは、例えば「工、其の事を善くせんと欲すれば必ず先ず其の器を利くするの論」のような言葉が出てきて、その註釈を読もうと目を逸らすときだ。
    中国の歴史を知らないことでも引っかかる。

    革命の話に、たくさんの疑問がある。
    『むらぎも』の新人会や、貧困問題に取り組む活動や、魯迅の生きた時代に起きた辛亥革命など、体制と戦う人の心──どうしてより良い世界が創造できると思うのか、革命活動は教育によるものなのか、それとも生活の中で心が動いて自ら革命に向かっていくのか──を知りたい。
    私は革命など遠いところのことで、ただの生活者だ。
    より進んだ西洋があることを知らないから望みも抱かずに生きる教育の無い民と、教育されたゆえに、西洋を知り現状に不満を抱き革命に向かっていく者。

    私が不満を抱かずに生きているのは、もっと豊かに暮らす人のことを知らないからなのか?
    不満を抱いても、不満は私にはどうしようもないと
    思って解決を考えず、ただ嫌な気持ちを溜め込むだけだからか?
    ☆個人の性格的な感じ取り方と、革命に向かわないことの関係に興味がある。
    私の周囲の20代の人々は、精神的不安定に脳が占められているように見える。
    その不安を和らげるために、歌や動画を見て癒す。
    また、もう少し年齢が上がると、何かに熱するために、既存の受け売り言葉で政治への抵抗をしているようにも見える
    冷静な批判やよく考えた上での批判というよりも、そういう運動に加わることの熱を楽しむだけのようだ。
    この精神不安は、政治体制が変わり、学校や家庭まで影響が及び教育が良くなり貧困が和らぎ将来不安が減り階級差が縮まれば無くなるものなのか?
    とにかく精神不安の人々が多く、政治を考える余裕将来を考える余裕がないことが問題なんじゃないかと思う。
    私がそうだ。 

    日本小説の文語体から口語体への変化のようなことを魯迅はしたのか?
    訳されたものを読んでいるから中国語表記がどう変化したのかは分からない。
    西洋の手法を取り入れた初めての小説とあるが、魯迅以前はどんな小説が書かれていたのか知らない。
    魯迅以前の小説家は誰ですか?
    「口語文による新しい文体の国語によって民衆に国民国家共同体を想像させようとして文学革命を提唱した。」とある、当時、書物を買える者、書物が読める教育された者に向けて対象が絞られた運動だ。
    書物の読めないものは取り残されている。
    ルントウは読むの?
    書物を読むものが革命を起こして、政治が変わって、ルントウに影響が出る。
    ルントウにここがこう変わっていくといいという思考が生まれ情報収集するものになることはないのか?

    【吶喊】 鬨がワーワー鳴く声。

  • 魯迅が漢方医学に疑問を感じ日本に留学、医学を目指していたのが、なぜ文学に道を変えたのか、という「自序」に始まり、「自国の窮状を憂え、なんとかしたい」というような短編が、冷静な描写だが叫びの迸るような作品群になっている。

    中でも中編「阿Q正伝」の内容は、現代のデストピア小説にも通じるものがあっておもしろい。たしかトルストイの民話風の作品にも、短いのがあった気がする。短絡的かもしれないが両雄とも、小説の気風として大陸的なものを感じる。悲惨だけれどもおかしみがあるようなところが。

    わたしが読んだのは、竹内 好訳『吶喊』
    ​(『魯迅作品集 1』 筑摩書房1966年発行より)

    「自序」「狂人日記」「孔乙巳」「薬」「明日」「小さな出来事」「髪の話」「風波」「故郷」「阿Q正伝」「端午の季節」「白光」「兎と猫」「あひるの喜劇」「宮芝居」の14短編が収めてある
    昔、教科書で習ったのは「狂人日記」「阿Q正伝」

    この光文社文庫​新訳には「明日」「髪の話」「風波」「白光」「宮芝居」はない。
    この新訳も読んでみたい。

  • 幾つかの短編を集成。なかでも、表題作「故郷」、「藤野先生」、「孔乙己」(コンイーチー)、「狂人日記」、そして同じく表題作「阿Q正伝」が印象に残る。

    ・「故郷」:野山を駆け回り、海や川で日暮れまで遊ぶ。そんな少年時代を送ったことのある者なら、誰でも、その頃、自然や野生動物の習性、釣りや狩りの技術に長けた、兄貴分のような子が居た記憶があるだろう。私にもそんな「兄貴分」の思い出がある。子供仲間のリーダー格ででもあるその少年への、尊敬や憧れの思いがあったのを思いだす。この短編「故郷」の閏土(ルントウ)もそういう少年だったようだ。「僕」は、十二、三歳の頃、幼い少年同士の無邪気さ、屈託の無さで、屋敷の周囲の自然で、閏土と共に日がな遊んで暮らしていたのだ。そして二十数年後、帰郷した「僕」は、その農村の屋敷で、閏土と再会する。だが、閏土は、土気色の顔で、深い皺が刻まれ、その手は節くれだっていた。つまり、老いていた。貧しく過酷な暮らしの歳月は、かつての輝くような少年の面影を消し去ってしまったのだ。それでも「私」は、懐かしさと再会の喜びと共に閏土に呼び掛ける。しかし閏土の言葉は、「旦那様!……」。 二人の間は、「悲しい厚い壁」が隔てているのを「僕」は瞬時に悟るのであった。人生のほろ苦さ、切なさがにじむ佳品。

    ・「孔乙己」(コンイーチー)は、その名で仇名された酒飲みの老人の顛末。「僕」が働いていた町の立ち飲み屋に、その老人はいつも姿を見せていた。定職に就かず、ツケで一杯飲って行く、貧しい男だった。それでも、知識人のはしくれのようである。かつて科挙試験に挑んでいたが、失敗を重ねるうちに老いてしまい、筆耕のような仕事で日銭を稼ぎ、糊口をしのいでいると言われていた。立飲み屋に通ってくる町の日雇い労働者からいつもからかわれている。だが、どこかに知に関する誇りらしきものがあるようで、『論語』の一節をひきあいに出したりもする。子供たちに、「お前は読み書きを習ったか?」と問うて、漢字の書き順を教えたりもする。粗野で無知な労働者の酒飲みのなかで、孔乙己の存在は、ちょっとした知の輝きみたいなものを感じさせる。だが、孔乙己老人は立飲み屋にいつしか姿を見せなくなる。彼は何処かで野垂れ死にした、という噂が流れる。少年だった「僕」は、大人になった今も、この老人のことを忘れることが出来ない。愛惜の念が滲む。哀しさのなかにも、ほのかな暖かみを感じさせて印象に残る。

    ・「藤野先生」は、魯迅自身の留学時代の恩師への思いを綴った小品。魯迅は、仙台の医学専門学校に学んだ。そこで出会った藤野先生は、彼を、丁寧に指導、激励。魯迅にとって、生涯、心の師となったのであった。そういう心の交流、信頼と尊敬があったことは、うれしいことである。その後、魯迅は北京の下宿部屋で、夜毎の夜学の際、壁に掲げた藤野先生の写真を見上げては自分を励ますのであった。その様子に、しみじみとしたものを感じる。この藤野先生は、太宰の中篇『惜別』にも描かれている。というか、太宰は、この「藤野先生」をモチーフにして『惜別』を書いたらしい。

    ・「狂人日記」は、奇妙な作品である。中学時代の友人が大病したと聞き、帰郷の折に見舞うが、病だったのは彼の弟だという。そして、その男が病のときに記した日記を渡された。という型式となっている。いわゆる「強迫神経症」というのだろうか、心を病んだ男の心象が描かれる。「自分は人が食いたいのに、人に食われるのを恐れている」などある。
    なぜか「人肉食」の観念が頻出する。なにかの暗喩なのか、時代精神への批判なのかもしれない。

    ・「阿Q正伝」:
     意味もわからぬまま革命党のひとりとして殺される愚かな男の物語。阿Qは、知性も知識も持ち合わせない男なのだが、ただ革命党の兵士たちの白い軍装に魅かれるように、彼らの後を追う。そして、革命党一行がある屋敷を略奪する現場に居合わせる。後日、阿Qは、官憲当局に連行される。読み書きの出来ない阿Qは、紙に「丸でも書け!」と言われ、それに従う。そして、処刑される。思想も持たず、状況への理解も持ちえぬまま、当局に殺されてしまうのであった。何も知らずに、「丸印」を書いた愚かさが鮮烈な印象を刻む。
     知識や教養、政治への無知、その愚かさ、危うさを訴えたものか。

     現代中国は、国威が増進し、中国共産党の強権的支配もあり、私には、恐れや脅威を伴う存在となっている。そうしたなかで、こうした中国の文学を読むとき、彼ら中国の人々の心に触れたように感じる。ひとりひとりの人間にふれた気がする。これは、大切なことであるように思う。

  • 魯迅がここまで面白いとは!
    でもあとがき曰く、翻訳者の友人の高校教師は「この訳だったら教科書には載らない」と言ったとあったので、この面白さは新訳のおかげかもしれない。
    阿Q正伝が短編だったことも知らなかった。
    読まずに人生を損していた!

  • あまりに竹内好訳に慣れ過ぎていたので、特に「故郷」などは訳に多少違和感もありましたが、巻末の「訳者あとがき」を読んで納得。
    随筆集「朝花夕拾」が秀逸でした。

  • 「故郷」からは自らのエッセイ風としての瑞々しさ,「阿Q正伝」は自らとは違う者の悲劇的展開の技術が見出せる。なお,Bokklubben World Libraryには,本短編集の変わり種である「狂人日記」が選出されていた。

全69件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

本名、周樹人。1881年、浙江省紹興生まれ。官僚の家柄であったが、21歳のとき日本へ留学したのち、革新思想に目覚め、清朝による異民族支配を一貫して批判。27歳で帰国し、教職の傍ら、鋭い現実認識と強い民衆愛に基づいた文筆活動を展開。1936年、上海で病死。被圧迫民族の生んだ思想・文学の最高峰としてあまねく評価を得ている。著書に、『狂人日記』『阿Q正伝』『故郷』など多数。

「2018年 『阿Q正伝』 で使われていた紹介文から引用しています。」

魯迅の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×