グレート・ギャッツビー (光文社古典新訳文庫)

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制作 : F.Scott Fitzgerald  小川 高義 
  • 光文社 (2009年9月8日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (326ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334751890

グレート・ギャッツビー (光文社古典新訳文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 映画『華麗なるギャツビー』を観に行こうかなあと思っていて、そのまえにおさらいとして開いてみた。

    内容よりも先に、恐ろしいほど村上春樹な環境設定と言い回しにあふれていて驚いた。中流から上のクラスで生きる人々と彼らの服装の描写や、少々持って回った比喩と、短くて浅めの男女のやりとり。たしか、『ノルウェイの森』にフィッツジェラルドを読む青年が出てきているくらいだから、影響としては大いに受けているわけだし…と納得しながらも、登場人物の名前を「ワタナベ」とか「青豆」に置き換えていったら、ハルキストかつ海外文学を読まない人は、春樹作品としてがっつり食いつくんではないだろうか?とぼんやり考えたりした。

    それよりも意外に感じたのは、主人公であるジェイ・ギャッツビーから受ける印象が非常に薄いこと。大豪邸で夏の夜毎に繰り広げられる大宴会や、高級だけど洒落ものを超えた下品さのある着こなしがきらきらと描かれるわりには、彼自身はなんだかぼんやりして見えてこない。「実はこんな男でした」とネタばらしされても、「そういうの、あの時代ならあるよね」とあっさり納得してしまうし、彼がたどる顛末も、「やっぱりそういう感じなんだな」で終わってしまった。

    それは彼の運命の女・デイジーにしても同じように感じた。当時流行りのフラッパーかと思って読み進めていっても、そんなことは全然なくて、ダム・ブロンド(金髪おバカちゃん女)っぽく描かれてはいるものの、ごくごく普通のWASPのお嬢さまだった。中野翠さんの映画エッセイで、「リムジンの中から外を眺める人生」という表現があった(ゴールディ・ホーン主演の『プライベート・ベンジャミン』への批評だったと思う)けれど、まさにそういう感じ。たまたま窓から見かけて、「あら、素敵な殿方」と心動かされた瞬間があっても、結局は運転手に「行きましょう」と言いつけて去っていける程度のイケメンがギャッツビーだったんだろう。

    少女マンガ的な甘さと美しさ、あざといまでの切なさも見せるわりには、「全般的に薄い感じのドラマだなあ」と思って読み終わった。でも、この独特の浅さがアメリカ文学でもあるし、たぶん、語り手であるニック・キャラウェイの立場と現実主義の明晰さがそういう描写をさせるんだとも思う。主役ふたりが薄いから、トムとジョージの取った行動が強烈に残るのかな、とも思った。個人的には、ゴルフの女王・ジョーダンの、現実離れしたスーパーガールでありつつ、自分の足でニューヨークを歩いて行く姿が素敵だった。

    読後感はわりとさっぱりしているものの、もの足りないというほどではないし、微妙な感触。訳者・小川高義さんの訳者あとがきが自分にない視点で面白かったので、合わせ技でこの☆の数かと。

  • 何読目かの今回、ギャツビーはアメリカそのものなのかなと思った。
    金は得たけれど、歴史や積み重ねた文化がないことを恥じ、自分の中で美化したヨーロッパに憧れ続ける。
    私の勝手な読み方だけれど、そう思うと一層ギャツビーの滑稽だけれど愛すべき憐れさが胸に沁みた。

    ところでギャツビーの訳といえば、のオールドスポート問題、春樹訳のカタカナは怠慢じゃないだろうかと私はなじったのだけど、この新訳が取った手法は何と「訳さない」。
    お…おう…。
    思い切ったね…。
    そこは私は訳して欲しかったので、小説自体ではなく翻訳に星4つ。
    それ以外の大胆な訳は割と好きなんだけど。

  • よく聞くタイトルだけど、未だ手に取ったことがなかった。そして読み終わり、なんて言うか、嗚呼、アメリカンだなぁ、と思った。
    ギャッツビー氏は悲しい。大きな子どもにしか読み取れなかった。自分が信じてる世界が全てで、嘘も現実もまぜこぜになっている。彼が一途に(病的なまでに)愛しているデイジーもまた、大きな子どもだし、トムもまたしかり。
    金の万能性と、それに群がる人々の繋がりの薄弱さを鮮やかに描いているように思う。
    結局、ギャッツビー氏の葬儀に出席したニック、メガネの男、父親は、ギャッツビー氏の金には目もくれてない。ニックは彼の真実を、メガネの男は知性を、父親は出生そのものを体現化した存在として最後を飾る。逆に言えば、これら三つこそギャッツビー氏の隠し通したかったものとは言えないだろうか?
    最後に。
    情景描写と心理描写のリンクがとても巧妙で、美しいと思った。

  • 学生の頃、映画が唯一の楽しみだった私にとって、好きな女優の№1が、この前「サラバ!」に出てきたイザベル・アジャーニだったとすれば、男優の№1は間違いなくロバート・レッドフォードだったな。
    「明日に向かって撃て!」「スティング」「追憶」、そして「華麗なるギャツビー」。
    私にとって「グレート・ギャツビー」はフィッツジェラルドではなく、ましてやデカプリオでもなく、まあ、この映画だったわけですわ。
    ところが「ノルウェイの森」を読んだらば、遅ればせながら本のほうも読みたくなったので、今度もブックオフで物色。
    村上春樹訳を読んでみたかったが、小さな店には有ろう筈もなく、棚にあっただけでも良しとして、この本にする。

    実は「華麗なるギャツビー」は観ておらず、それでもしかし1920~30年代のアメリカの雰囲気は、昔は映画でもよく見た時代設定だし、読みながら絵柄を頭に浮かべるのはそれほど難しくない。
    どこにでもあるような、ある意味、陳腐な物語ではあるが、確かに魅かれるものはある。
    ギャツビーという男の謎めいた人物像。物語の語り手であるキャラウェイと、それを取り巻く登場人物。横柄で傲慢な友人・ブキャナン、天真爛漫なその妻・デイジー、デイジーの幼馴染みで女子プロゴルファー・ベイカー、素朴で実直な自動車修理屋の主人・ウィルソン、肉感的なだけが取り柄のその妻・マートル…。
    多くの人物が俗物で虚飾の世界に生きる中、今や人妻のかつての恋人に胸を焦がし、過ぎた時間を帳消しにしたいギャツビーだが、思いつめた相手のデイジーがそこまでの女性ではなかったところに、この話の哀れさがあるよな。
    村上春樹ではない訳者(小川高義)による解説とあとがきが適切的確でした。

    昔、この役がレッドフォードに似合うのかしらんと思っていたが、どんなに着飾っても田舎者の雰囲気が顔を出し、恋に対して時に臆病、時に傲慢ななんてところは、まさにレッドフォードだったよなぁと思える。
    デイジーがミア・ファローだったことまでは覚えていたが、他のキャストまでは頭になかったので、今調べてみたが、
    キャラウェイ=サム・ウォーターストーン(確かに実直そう)
    ブキャナン=ブルース・ダーン(なるほど)
    ベイカー=ロイス・チャイルズ(ちょっと美人過ぎ?)
    ウィルソン=スコット・ウィルソン(これはこれは)
    マートル=カレン・ブラック(うひゃ~、これはまたドンピシャ)
    いや、俄然映画も見たくなったぜぃ。

  • 序盤はなかなか読みにくい。登場人物どうしの会話でお互いに"知ってるでしょ?"という感じの、説明口調を免れた言葉のやり取りが多い。まだ関係性やノリをつかめてないうちは、自分にだけ関わりのない話を周りがしてて手持ち無沙汰になった時のような気分になる。

    登場人物は、ほとんど全員が胡散臭さか不快さを漂わせる要素を持っている。もちろん、件のギャツビーが一番胡散臭く、一応取り繕ってるのに所々で出てくるボロにはおかしみがある。そういう有象無象の存在が、金でできた楼閣とでもいうように象徴的に説明されるニューヨークや、対照的な暗さで描かれる灰の谷などの舞台設定と掛け合わさって見える。
    しかし、なんで第6章で正体をあけすけに語ることになったのやら。

    他方、ギャツビーの飛び抜けたロマンチストぶりも目立っている。デイジーとの馴れ初めを語るところの表現の詩的な並べ方は最たるものだし、何と言っても物語の最後の文章は(あくまで地の文ながら)物悲しさを煽りに煽るとどめのセリフだと思う。
    そのギャツビーが追い求めるデイジーについては、本当にひどいキャラクターだと思う。トムも大概だが、デイジーの振る舞いの酷さには眉をしかめる。恋は盲目か?

    いずれにしても、過去は取り戻せるのかという主題の大きなひとつを問いながら読むのが、より感情移入できて良いのかもしれない。
    あと、ディカプリオ主演の映画版はよく登場人物の性質を引き立てながら、限られた時間でまとめてあって、やっぱり面白い作品じゃなかったかと思う。

  • アメリカ小説の古典。1920年頃のニューヨークを舞台とする謎の多い男ジェイ・ギャッツビー。日本でも有名でディカプリオ主演で映画化もされている。

    正直全体を通して読みにくいと感じた。随所に上流階級と下流階級、東部と西部の比較が表現されている。当時のアメリカ富裕層の華やかな暮らしを垣間見ることが出来、一途な恋のせつなさも有り。

    再読したい。

  • 最後らへんが好きじゃないです。
    演劇でやるなら、デイジー役が重要そう。

  •  過去に縛られる男の話といえば、私の中ではやっぱり『秒速』だろうか。男は過去に、女は未来に。そんな二元論が嫌いなのは、それが幾分的を得ているのだという考えが自身の心の中にあるからなのかもしれない。

     本作の主人公であろう「ジェイ・ギャッツビー」は、かつて愛した女性に再開したが、彼女にはすでに婚約者がいた。あとはもう当然起こるであろう出来事の連続で、当然起こるであろう結末を迎える。これはもう様式美なのではないだろうかと思うほどに。

     主人公の名前だけのタイトル、冒頭の語り手の独白、物語序盤から始まるミステリアスな「ギャッツビー」像がだんだんとなくなってゆき、最後には実直な青年だった彼が現れる物語の運びが本当に上手くて、彼を終始疑問視していた語り手が最後まで彼に付き添うところは心憎い。

     過去は取り戻せないと述べる語り手に対し、「できるに決まってるじゃないか!」と言ってのけるギャッツビー。「何言ってんだよ」と思いつつも、語り手のように彼にどこか惹かれてしまうのは、読み手もきっと同じだと思う。

     解説では当時のアメリカにおけるこの小説の位置づけについて書かれており、また面白かった。

  • 映画の『華麗なるギャツビー』の原作本。映画を見た
    わけではないのですが、アメリカといえばギャツビー
    みたいなところがあるし、ギャツビーっていう単語で
    なんとなく派手で、かっこよくて、繊細で、おしゃれ
    な感じがするような気がします。
    ただこの本は初めて読みました。でもやはり面白く
    読めました。個人的には非常に好きなタイプの小説であった
    と思います。

  • 戦前に書かれた作品にもかかわらず、最新作のようなみずみずしさを感じるのは、新訳であるのが理由なのだろうか。
    それにしても、第二次大戦前から、純粋な愛情とうものは既に廃れたものという風潮があったというのは悲しい。

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グレート・ギャッツビー (光文社古典新訳文庫)の作品紹介

絢爛豪華な邸宅に贅沢な車を持ち、夜ごと盛大なパーティを開く男、ギャッツビーがここまで富を築き上げてきたのは、すべて、かつての恋人を取り戻すためだった。だが、異常なまでのその一途な愛は、やがて悲劇を招く。過去は取り返せる-そう信じて夢に砕けた男の物語。

グレート・ギャッツビー (光文社古典新訳文庫)のKindle版

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