純粋理性批判〈4〉 (光文社古典新訳文庫)

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制作 : Immanuel Kant  中山 元 
  • 光文社 (2011年1月12日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (366ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334752231

純粋理性批判〈4〉 (光文社古典新訳文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 理性とは何か、弁証法、観念論、カテゴリー、合理的な心理学と、次々にでてくる難解なカントの議論だが、解説を「先に読む」とわりと分かりやすく理解できる。物自体を認識できず、認識できるのは現象だけ、という議論が繰り返され、これは僕の「感染症は実在しない」でも取り上げている。超越論的な観念論も「みなし」という点では、「お医者さんごっこ」に例示した「患者様が」医療を壊すの議論に通じている(と読めなくもない)。たぶんね。

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784334752293

  • ブックファースト渋谷文化村通り店で買いました。

    読み始めました。
    (2013年6月6日)

    「初版の誤謬推論」は、文章、論理の運びが美しい。
    酔いますね、これには。
    (2013年6月19日)

    読み終えました。
    (2013年6月20日)

  • 和図書 134.2/Ka59/4
    資料ID 2012200174

  • 系推薦図書 総合教育院
    【配架場所】図・3F文庫・新書 【請求記号】080||KO

  • 狭義の「理性」の領域へと話題は移り、いよいよこの著作の核心部分に入っていゆく。
    この巻で非常に興味深いのは<わたし>なるものについての考察である。この<わたし>は、人格とも「こころ」とも異なる、単なる「思考の主体」である。その上でカントはデカルトを論駁し、「我思う、故に我あり」という命題の論理的破綻を指摘、心身二元論をも批判する。
    だがカントの思考をたどってゆくと、「他者」なるものの確かさが危うくなる箇所がある。
    あの頑迷で尊大で、愚かな中島義道を独我論に導いたと思われる一節も見られる。
    「[思考する存在という]対象は、このわたしの自己意識を他の物に<移す>ことによって成立したにすぎない。」(P.108)
    しかしこれは私の考えでは倒錯である。
    人間は他者たちとの共同性から出発するのであり、<わたし>が出現するのは<他者>がそこにあって思考し、<わたし>にまなざしを向けるその地点からなのだ。だから<わたし>の方が後から現出した「仮象」なのではないかと私は疑う。

    それはともかく、デカルトを堂々と批判した点においてこの巻は痛快だった。なるほどカントには、決して古くさくはない面が存在する。
    さて次巻は例のアンチノミーだ・・・。

  • 超越論的な弁証論の巻。

    「わたしは考える」という命題の特殊性。これに尽きる巻です。

    合理的な心理学という枠組みを得ることによって理解しやすくなったです。

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純粋理性批判〈4〉 (光文社古典新訳文庫)の作品紹介

超越論的な分析論を終え、いよいよ超越論的な弁証論が始まる。この巻では、理性の誤謬推論として、心が実体(存在するもの)で、単純(分割できない)であり、破壊できないものであり、不死のものとして身体の死後も滅びることがないという伝統的な形而上学の霊魂論が批判される。

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