メノン―徳(アレテー)について (光文社古典新訳文庫)

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著者 : プラトン
制作 : 渡辺 邦夫 
  • 光文社 (2012年2月14日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334752446

メノン―徳(アレテー)について (光文社古典新訳文庫)の感想・レビュー・書評

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  • うーん。ゆっくりと考えながら読んだら面白いのだろうが、、、

    ソクラテスの切り返しは面白い。
    あなたそれわかってんの?
    わかってないよね?この点どう考えてんの?
    っていう、議論する前に、その議題についてちゃんと理解しないとなーと思った。

    議論の出発点からズレること良くあるし。

  • 2015.10.29
    徳は教えられるものか、という質問から、そもそも徳とは何か、という問いに変わり、そこから様々に哲学的テーマが広がっていくプラトン初期の著作。思ってたより難しかった。ソクラテスの言うことが、いまいちわかってるような、わかってないような、納得できるようなしかねるような、しかしできないなら何にひっかかってんのか自分でもよくわかんないような、なんというか見事に痺れさせられてしまった。しかしこのような根本的な問いは、道徳教育の教科化が話題になる現代の教育問題に絡めてまさに議論されるべきことだろう。徳とは教え得るか、そして徳とは何か、まさに問題にされるべきである。この2つの問いに答えられず教科化というのは、いささか不安だと言える。解説もサラーっと読んだが、徳というのは卓越性の意味で使われていたらしい。馬の徳、耳の徳、建築の徳のように。しかしそうならば徳とは人間中心の有益性ということにならないだろうか。人間に対し有益な価値を提供することが、徳ではないか。屋久島の縄文杉は、材木にされるような品質でなかったために7000年近くの樹齢を持つ。これは、この杉が人間にとっては徳を持たず、しかし杉の視点から見たら長生きできた、つまり徳があったことになる。ならば人間の視点から見て、人間の徳とは、人間にとって人間が有益なあり方ということになる。この場合の人間とは、私から見た場合の、私も含めた人間全体である。それは私という個人から、友人、家族、社会、国家すべての人間に対し有益な姿勢ということだ。そしてそれはやはり、正しいということではないか。しかしこの正しさから自分を引き離そうという力が幾つかある。恐怖、傲慢、強欲などである。それらの悪しき力と戦う意志の力をそれぞれ、勇気、謙虚、節制というならば、徳というのは、正しきところに留まる意志の力のことを言うのではないか。しかしでは正しいとは何か。お金もよく使えば有益で悪く使えば害であるというところの、よく、とは何か。徳に関してはこれがひとつ。次に徳は教え得るか。それを知っていることとそれを教えることはまた別のようであるし、またそれを教えることと教えた相手がそれを学ぶことはまた別のように思える。教えられるものがなければ学ぶものもない、よって徳は教えられないというのはちょっと強引かなとも思う。反面教師という言葉もある通り、教えようともせず寧ろ徳のない姿勢から、何かを学ぶこともできる。つまり徳を得るには、学ぶ側の姿勢がものをいうということではないか。それがなければ教えても学びえない。では学ぶ姿勢とは何か、それは正しくありたいという動機ではないか、ではそれを身につけさせることはできるか、これもちょっとわからない。徳は教えられるかもしれないし教えられないかもしれない、それは学ぶ側の姿勢による、これがふたつめ。最後に、知るということのレベルについてである。ただ知識として結論のみ知っていること、なぜそうなのか原因まで知っていること、理解と了解の一致したレベルで知っていることなど、知るにもいろいろあるということがわかった。正義に留まることを徳とするならば、それは行為としてできなければ意味がない。ただ知識として何が正しいか知っていても強欲に負けるようでは意味がない。ではどうすればこのように、理解と了解が一致したレベルで知るということができるのか。このレベルで考えたらますます教えるということは難しいように思える。結局何が言いたいかというと私は徳についてよくわかってないし、またソクラテスと違い知識と同等の正しく考える力も持たないということである。正しく考える力、これが哲学で学べるものだろうか。厳密な原理的な思考法というものが欲しいなと思った。あと知的耐久力も。考えて考えてあーもうしんどーやーめた、という風になりがちである。あと、想起説について、正直私は神の世界も信じないので何を言ってんだと思っていたが、我々はすでに真理について知っていて学習とは忘れていることを思い出すことだというこの説の必要性を述べているp95から引用すると、"われわれは、自分が知らないことを発見することはできないし、そのようなものを探求すべきでもないというふうに考えるよりも、人は自分が知らないことを探求すべきであると考えるほうが、よりすぐれた者であり得る"というのは、感動した。つまりこの説が正しいのかどうかは別として、こう考えた方が、探求に対する励みになるのである。何故なら知らないことなんてなくて、忘れているだけだから。だから、知ったふりしてしまうくらいなら、無知の自覚を促した方がいいということである。よりよいフィクションを創造するという、知的探求に対する前向きな姿勢を感じられた。プラトンの著作はどれも、私自身が傍観者でなく考える1人にならざるを得ず、それによって思考の厳密さ、知の獲得の困難さ、無知の自覚の大切さ、不知の探求の面白さを教えてくれる気がする。しかしただ知的好奇心に伴ってではなくいかに生活または人生上に関わる切実な問いとしてその動機を共有できているかが大切だろう。徳とは何かという問いを通してお馴染みのソクラテス節を垣間見ることのできる作品。正直、そんなに徳って必要ですかね?そこんとこから鵜呑みにせず考えたい。

  • とても読みやすい訳でおもしろかった。

    「徳とは教えられるものか」をメノン、ソクラテスとアニュトスとのディアレクティケーにより探究していくもの。

    人間でなかった時から、正しい考えが内在しており、それが質問によって呼び起こされるという「起草」の概念が興味深い。

  • 「借」(大学の図書館)。

    アレテーとは何かを問うている。
    ただ、前読んだ「プロタゴラス」より難しい気がする。

  • 読みやすい。

  • 系推薦図書 総合教育院
    【配架場所】図・3F文庫・新書 【請求記号】080||KO

  • 齢50にして人生初プラトン
    何より光文社古典新訳文庫の大胆な試みと訳のわかりやすさに感謝。高い値段は再読の価値ありの判断で納得です。短い内容であっても1日でプラトンが読めるなんて凄いです~
    アレテー(徳)の考察は洞察に富み、過去の拙い認識を改めることができます。
    哲学の入門に最適な新訳と思います。

  • “ソクラテス このような線のことを、学識のある専門の人は「対角線」と呼んでいる。したがって、きみ、この線の名がその対角線であるとすれば、メノンの召使いのきみがいう答は、

    「二倍の面積の正方形は、対角線を一辺としてつくることができる」

    というものになるのさ。
    少年 はい、まったくそのとおりです、ソクラテス。”[P.89]

    数学関係の講義でソクラテスとメノンの召使いのやり取り部分が紹介されたので。

  • 徳は教えられるのか?と言うふわっとした出だしから、そもそも徳ってなんだよ、定義は?という話になっていく、めんどくさい対話です。しかし、実社会において、自分で考えない人がいる以上、この古典は読まれる価値があると思います。

  • あれ、もう終わり?ってくらいあっという間の内容。薄くて読みやすい。もっとこの問答を見てみたい。

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メノン―徳(アレテー)について (光文社古典新訳文庫)の作品紹介

「徳は教えられるものでしょうか?」メノンの問いに対し、ソクラテスは「徳とは何か?」と切り返す。そして「徳」を定義する試みから知識と信念、学問の方法、魂、善をめぐって議論は進んでいく。西洋哲学の豊かな内容をかたちづくる重要な問いがここで生まれた、初期対話篇の傑作。

メノン―徳(アレテー)について (光文社古典新訳文庫)のKindle版

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