- Amazon.co.jp ・本 (410ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334752521
作品紹介・あらすじ
「君は、みずからの人格と他のすべての人格のうちに存在する人間性を、いつでも、同時に目的として使用しなければならず、いかなる場合にもたんに手段として使用してはならない」。多くの実例をあげて道徳の原理を考察する本書は、きわめて現代的であり、いまこそ読まれるべき書である。
感想・レビュー・書評
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事物・言動の良し悪しの判断に、
普遍性となりうるかどうかと問うことが道徳性を備えたものであるかどうかの判断となる。
客観的かつ長期的かつ本質的な視点をもつ重要性を、気の遠くなるようなロジカルで組み立て、この原理の正当性と有効性を論じている。
難解な書と言われるカントの著書だが、
岩波文庫の『永遠平和のために』と比しても少し読みやすくはあった。
カントの超がつくほどの規則正しい生活感と、このロジカルな思考の組み立て方に、カントという人間の特質を感じて仕方がない。
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毎度のことながらカントの几帳面な議論の進め方に感動しつつも、厳密さにこだわるあまり、一見同じような内容の議論が延々と繰り返される、半ば宗教書のような展開には、集中力がきれそうになる。が、読み通せました。訳者による150頁以上にわたる解説も大変参考になりました。内容的には、ソクラテスやプラトンが訴えていた「善く生きる」ということを、ガチガチに理屈で固めて主張しているような感じです。
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哲学なんて自分とは何の関係もないし、興味もない――そう思っている方は、少なくないかもしれません。でも、次のように質問されたらどうでしょうか。
あなたは、どう生きるべきだろうか?
この問いは、あなた自身についての問いなのだから、あなたと無関係ではありません。自分の人生に関心がないという人も、ほとんどいないでしょう。だから、多くの人間にとってこの問いは興味深いものとなります。ところで、「どう生きるべきか」と問うことは「どう生きるのが一番よいのか」、つまり「何がよいことか」を考えることに他なりません。そして、それこそが(道徳の)哲学が扱いたい問題なのです。というわけで、上述した問いを出されたら最後、哲学は誰にとっても無関係なものではなくなってしまうのです(ああ恐ろしい)。
さて、万が一こうした問いについて考えてみたいと思ったら、やはり哲学者たちにヒントを求めるのがよいでしょう。今回はそのなかでも、18世紀ドイツの哲学者カントによって書かれた『道徳形而上学の基礎づけ』を紹介したいと思います。本書は哲学入門のゼミなどでよく読まれるように 比較的読みやすい作品でありながら、内容としては道徳の哲学史における一つの到達点にある著作です。
カントは、本書冒頭において「絶対的によいもの」は「よい意志」だけだと宣言します。確かに私たちは普段、様々なものを「よいもの」と捉えています。たとえば、「お金」や「勇気」といったものがそれにあたります。しかし、それらをよく活かそうとする「意志」が欠けていれば、「お金」も「勇気」も「よいもの」にはならないでしょう(たとえば人を殺す「勇気」は、よいものではない)。
また、私たちは普段「幸せになること」を人生の目的と見なし、「幸福な人生」=「よい人生」だと考えてはいないでしょうか。しかし、カントは「幸せ」だけを目指して生き方を決定すること(意志を決めること)を批判します。というのも、「何をすれば幸せになれるか」なんて、確実に予測することはできないからです。だから、「幸せになること」をモットーにして、自分がどう生きていくかを決めることはできないとカントは断言します。
では、何を目指した意志が「よい意志」なのか。カントが注目するのは、「人間は不幸になると分かっていながらも、正直に生きようとすることがある」という事実です。ここにカントは、私たちが生きるにあたって、幸せになることよりも優先している「よいもの」を見出すことになるのです。
長くなってしまいましたが、この先が気になる方はぜひ本書を手にとってみて下さい。とりわけ今回紹介した中山訳は、一人でも読み通せると評判のとても分かりやすい訳になっている のでオススメです。
(ラーニング・アドバイザー/哲学 KURIHARA )
▼筑波大学附属図書館の所蔵情報はこちら
https://www.tulips.tsukuba.ac.jp/mylimedio/search/book.do?bibid=1698072 -
久しぶりにトライしたが、やはり辛い。。
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めっちゃわかりやすい! カントじゃないみたい!
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大先生