読書について (光文社古典新訳文庫)

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制作 : Arthur Schopenhauer  鈴木 芳子 
  • 光文社 (2013年5月14日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (194ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334752712

読書について (光文社古典新訳文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 哲学者・ショーペンハウアーが、読むこと・書くこと・考えることについて綴った3つの文章が収められています。

    本を読むことは他人の頭で考えること。
    本に書かれていることを読んだだけ満足してるだけじゃ意味がない。
    自分の頭で考えろ!
    耳に痛い…と反省しつつ、「本を読む=いいこと」と言い切ることはできないということに気付かされました。

    お金を稼ぐためだけに駄文を綴る三文文士への切れ味鋭い批判は、痛烈ながら爽快感もあるのです。
    こんな風に言い切れたら、さぞ気持ちがいいのだろう!

  • 「誰だって、判断するよりも、むしろ信じたい」
    ドキっとさせられましたね。
    #
    ショーペンハウアーさん。
    ドイツの哲学者さんだったそうです。
    1788-1860、だそうなので。ご活躍は主に19世紀。
    日本で言うと、坂本竜馬さんとか新選組とかっていう時代に、死んだ人ですね。
    「二都物語」などの、イギリスのチャールズ・ディケンズさん。
    「三銃士」などの、フランスのアレクサンドル・デュマさん。
    「初恋」などの、ロシアのツルゲーネスさん。
    この辺が皆さん、ショーペンハウアーさんと同世代。
    ちなみに、ショーペンハウアーさんが生まれた年に、ロンドンでは新聞「タイムズ」が創刊。
    #
    グーテンベルグさんが15世紀。
    ルターさんが聖書をドイツ語に翻訳して出版、
    世界で初めて、
    「ラテン語が読めない庶民でも、
    聖書を書物として読めるようになった」
    これが、16世紀。
    イギリスから始まった産業革命が18世紀。
    つまり、中世から近世になる。
    いろいろあっても国家権力が整備される。
    街道ができて、商売が大きくなり始める。貿易が始まる。
    会計が必要で帳簿が必要で。
    読み書きの能力を身に着けた人口が膨張したでしょう。
    そして、
    「農民に比べると、時間の余裕のある、成功した商人」、
    という階層が成立してくる。
    #
    そういう流れを受けて。
    ディケンズさん、デュマさん、ツルゲーネスさん、
    このあたりからようやく、
    ●新聞・雑誌などが、特権階級以外の人々向けに
    娯楽・情報媒体として普及。
    「ジャーナリズム」「職業作家」が成立するようになる。
    ●「印刷物を愉しみとして読む」ことが、
    これまた、特権階級以外の広大な人数に普及。
    「本屋」「ベストセラー」「ベストセラー作家」が誕生してくる。
    という時代なんですね。
    ※もちろん、今と違って強烈な身分格差があったでしょうから。
    「貴族や役人以外が、活字を読むようになった」と言っても、
    「ブルジョワジー」「市民階級」と呼ばれていた人たちに過ぎなかったのでしょう。
    人口全体からみると、恐らく1割程度だったのでは。
    農民、労働者階級、は、まだまだだったと思います。
    ※ちなみに、日本は恐らく世界比較しても、かなりな「読書大国」。
    印刷技術は木版だったり、恐らくいろいろ違うのでしょうが、
    ほぼ同じ時期に同じような普及があったようですね。
    平和が長かった江戸時代のお蔭で、恐らくまずは京大阪、次いで江戸で、「出版物を娯楽として愉しむ余裕のある商人=ブルジョアジー」が成立したからでしょう。
    「好色一代男」(1682)、「曽根崎心中」(1703)、などは、出版物として話題になったそうですし、ちょっと下ると、
    「東海道中膝栗毛」(1802)、「北斎漫画」(1814)、「南総里見八犬伝」(1814)、と、今でも有名な出版物が続々ベストセラーになっています。
    東海道中膝栗毛は、「もうネタがないのに、版元が、売れるから書け、と言ってきてやめられない」という記録が残っているそう。
    うーん。2016年のマンガ界と、既に同じ現象(笑)。
    #
    閑話休題。それはさておき。
    ショーペンハウアーさん。「読書について」。
    ショーペンハウアーさんは、上記のような時代を受けて、1800年代の中盤くらいに活躍。
    つまり、「国家や貴族や国立大学という権威に認められる」というだけではなくて。
    「書きたいものを書いて、それを出版して、それが売れて話題になる」という選択肢があった世代の哲学者さん。
    プラトンさんとか、ソクラテスさんとは、違うわけです。
    また、曲がりなりにも2016年現在と同じように。
    出版界とかジャーナリズムとか、
    またその中にも、「売らんかな」の酷い媒体もあれば、
    岩波書店みたいな?インテリ向け硬派もある、
    という状況を生きていた人なんですね。
    すぐに忘れ去られるベストセラーもあれば、
    「永遠の古典」も本屋さんに並んでいる。
    そんな時代。
    ということを踏まえての、「読書について」。
    光文社古典新訳文庫。
    恐らく1850年前後くらいに、
    そこそこ老人で晩年のショーペンハウアーさんが書いた、まあ、今風に言うとエッセイ、と呼んでいい文章が3篇。
    ※①「自分の頭で考える」②「著述と文体について」③「読書について」。
    ②は、ドイツ語の文法についての論で、これは正直サッパリでした(笑)。
    #
    けっこう、面白かったです。
    ショーペンハウアーさんというと。
    かつて昭和のインテリ文系大学生たちが
    「デカンショ、デカンショで半年暮らす」
    と言われたのですが、
    デ=デカルト
    カン=カント
    ショ=ショーペンハウアー
    の略ですので、つまりは「なんだかムツカシイ哲学者ベスト3」。
    色々と実は大事なんでしょうけど、存在とか真実とか定理とか認識とかっていうオハナシは、僕は一切、興味がまだ持てません。
    なので、「哲学者ショーペンハウアーは、つまり、どういうことを、訴えたのか」ということについても、実は興味なし。
    ただ、本を読むのは好きなので、
    「エライこと昔、読書という習慣が始まったばかりのころのインテリさんが、読書についてエッセイ書いてるんだー。読んでみよう」ということです。
    #
    で、だいたいどういうことを書いているか、というと。
    これがまあ、笑っちゃうくらい、2016年現在でも通用するお話ばかり。
    ※光文社古典新訳文庫、やはり読み易い。
    他社版とちょっと比べてみたけど、あまりに違う(笑)。
    「なんでわざわざそんな難解な日本語使うの?」
    #
    ●あんまり読んだ知識ばかり詰め込んでも、あかんで。自分で考えるのが大事やで。つまり、自己啓発本とか、ハウツー本とかに依存したら、あかん。
    ●特に、「今、これ、売れてます!みんな読んでます!」という広告に踊らされたら、あかんで。新しいものっていうのんは、悲しいかな、「いちばんおもろいもの」では、ほとんどないねんで。
    ●やっぱりな、読みにくいかもしれへんけど、読み継がれてきてるものにはそれなりに価値があんねん。古典をお読み。
    ●新聞、雑誌、ネット記事、みんなそうやけど、「伝えるべきことがあるから書いている」のと、ちゃうねんで。
    あれは全部、「売らなあかんし、〆切あるし、食べてかなアカンから、必死になってマスを埋めています」というだけやねん。
    取り上げている話題について、問題について、ほんまに深く考えて、愛情を持って、色々検証して、勉強して、考え抜いた末の文章...では、無いに決まっとんねん。
    早い話が、ベテラン俳優のインタビュー記事があって、書いてるライターがその俳優の重要な仕事を全部、観ていて、十分に比較検討して、考え抜いてインタビューしている...なんてことは、まず無いに決まっとんねん。
    上から言われて、お金が欲しいから、一夜漬けで無難なことを書いてるだけやんか。
    そんなん、読まん方がええねん。
    (活字じゃないけど、テレビもそうですね)
    ●もっと言うとな、匿名で書かれたものなんて、ロクなものはないで。
    結局雑誌かてネットかて、ほとんど匿名やろ?
    匿名で、誰かさんの誹謗中傷、あるいは尻馬で褒めそやす。
    オリンピックのメダリスト。スキャンダルの芸能人。
    ほめるにせよ、けなすにせよ、マッチポンプで、まともに取材もせんと、憶測と型にはまった物語に相手を押し込めて、二束三文の文章で、「一丁上り」。
    いやー、ほんま、物書きのひとりとして、腹がたって、しゃあないわ。
    #
    ...まあ、意訳すると、本当に、こういうことが書き連ねてあります(笑)。
    例えの部分は、当然僕が勝手に書いていますが、要点はほんとに、こんな調子です。
    そして、なかなかに、毒舌です。
    なんだか、筒井康隆さんの文章を読んでいる気分(笑)。
    ###
    ほんとうに、
    「自分で考えろ!
    なぜなのか、どうしてなのか、考えろ!」
    ということなんですね。
    「みんな言ってるから」
    「偉い人がそう言ってるから」
    「ネットで書いてあった」
    「新聞もそう言ってた」
    「テレビもそんなニュアンスだった」
    ...そういうことでは、アカンねん!
    ということ(笑)。
    そらまあ、確かにその通り。
    だって、たったの80年くらい前に、そうだったわけですからねえ。
    「みんな言ってるから」
    「偉い人がそう言ってるから」
    「ネットで書いてあった」
    「新聞もそう言ってた」
    「テレビもそんなニュアンスだった」
    なーんて信じているうちに。
    その頃だって、初めのうちは。
    「ほんとに戦争になんかはならない」
    「戦争になっても、すぐに終わるし、市民に実害はないよ」
    「だってねえ、正義は俺たちにあるんだからサ。あの国、あの民族が、だいたいおかしいんだよ」
    なーんて言われてね。
    信じてるうちに、何時の間にやら。
    ユダヤ人っていうだけで虐殺されちゃったり、虐殺する側になっちゃったり。
    聖戦だ神風だ非国民だ特攻だ「欲しがりません勝つまでは」、まで、行っちゃったんですからねえ。
    ...ま、そういうの、確信犯で始めたグループのメンバーで。
    「鬼畜米英」って煽ってたのに、敗戦後は、こっそりアメリカの言いなりになって。
    それでもって、「あの戦争は悪くなかった」「俺は悪くない」と言ってた人。
    そんな人のお孫さんが、長く君臨している国ですから。
    君臨させているのは、他ならぬ僕らなんですが。
    怖い怖い...
    #
    「誰だって、判断するよりも、むしろ信じたい」
    そこの弱さに、付け込まれるような情報の摂取。
    本、雑誌、ネット、テレビなど。
    つまりは、メディアとの付き合い方。
    「気を付けようね」。
    ...っと、ショーペンハウアーさんは、
    150年前におっしゃっておられます。
    いやあ、ほぼ衝動買いだったので、予想と全く違う内容の本でした(笑)。でも、面白かったです。薄かったし。

  • <自分の頭で考える><著述と文体について><読書について>の三部からなる哲学者ショーペンハウアーの新訳。「自分の頭で考えているか、そうでなければ誰の影響を受けたものなのか。自分の思考を自分で把握できているか。」というのは常に自分のテーマであるので、特に<自分の~>を読みたくて購入。ふせんを貼りながらじっくり読んだ。恥ずかしいことにドイツの哲学者やドイツ語について無知なので<著述~>は具体的に理解することは出来なかったけれど、迷いがある時や思考が自立できないと感じた時にはこの本に戻ってこよう。

  • 読書と叙述の作法。世の本の9割は糞だとか、本を沢山読むだけの奴は何も産み出す能力が無いだとか、ヘーゲルは馬鹿だとか(イミフのことばかり書いていると)、おっさんの罵倒芸炸裂。しかし皮肉の中に愛嬌があって憎めない。内容自体は全人類必読レベル。

    本の末尾にショーペンハウアーの略歴が載っていたので、著作をピックアップしてみた。「視覚と色彩について」「意志と表象としての世界」「自然における意志について」「余録と補遺」…72歳まで生きてたった4冊。分厚い本ばかりとはいえ、彼の美学を感じる。この姿勢の対極が中谷彰宏だろう。

  • 本を読むことが好きな人間で、この短小篇に凝縮されたショーペンハウアーの言葉に耳が痛くならない人はいないと思う。厳選された、価値ある書を取捨選択することを覚えなければ、その文化そのものが衰退する。正しい言葉を使い、良書を見極めることが、教養ある人間の責務だと。
    文中ショーペンハウアーは、現代社会は生活のスピードが上がり、情報量が増しているのだから、こうした手を打たないわけにいかぬと論じているわけだけれど、ここで言う現代は今より100年以上も過去なのだ。この書は時代を超えて読まれ続けるだろうけれども、時流の大勢は常に彼の主張と反対に進んでいるし、その傾向は悪化している。古典、名作を読み継ぐことの重要性を、ここまで痛切に思い知ったのは初めてだった。

  • 読書法を身につけようと思いつつも、
    その手の本がいまいち受け付けられず、それでも買った本。

    内容としては、読書法については3分の1ぐらいの量で、
    残りの3分の2は書き方について記されていると思う。
    読書法というよりも、情報の取り入れ方、といった意味合いだと思うし
    書き方というよりも、取り入れた情報をもとにした生き方、といった
    意味合いだと思う。これらの具体的な意味合いをもとにして、
    読書とのつきあいかたを、この本ではわりと痛烈な文体で読んでいける。

    私がこの本から受け取ったメッセージとしては、
    読書だけで生きていけると思うなよ、というものだ。

    ただ読んだだけで、ただ量を多く読んだだけで、だから何?
    それでお前は何が出来るの? 何をするの?
    という風に、読書なんてものは、あくまでも人の書いた文章を
    読んだだけであって、自分からは何にも生み出せていない、
    という点を突きつけられたように思う。


    さらに、世に溢れる本や、もしくは文章を軸にした情報媒体は
    適当な単語と文体と文法で書かれている、読むに値しない文章ばかりだ、
    とさえ批判する内容も多い。同じような意味の単語を、しかし微妙なところで
    差異のある単語同士を、みだりに扱い、言葉を乱用していると批判している。

    そんな批判がつらつらと続く内容に、ちょっと耐えて読み続ける必要がある。
    読書について読みたかったのに、なぜ言葉の使い方に関する痛烈な批判や
    注意を促されなくてはならないのか…というように、耐えて読むしかない。

    しかし、書き方の批判は、書く側になったときに
    その痛烈さと難しさが身にしみて感じるようになる。
    というのも、自分もまた、ただ文章を読んで感動しているようだけど
    それは実際には、その誰かの文章や思考を反芻しているだけに過ぎないからだ。

    「読書は自分で考えることの代わりにしかならない。
     自分の思索の手綱を他人にゆだねることだ」

    この一言が、自分の考えを文字に乗せて表現しようとしたとき、
    一気に重く辛く感じるようになる。
    読むだけでは、何かを得ているように感じる。
    しかし、何かを成し遂げてはいない。
    そのことをきつく指摘されたと思う。

    本を読み、感想を持ったり、批判をしたりするのは、すごく楽だ。
    そこがひるがえって、文章を書く立場になると、まるで筆が進まなかったり、
    ちゃんとした日本語を扱えているかどうか不安になったりする。
    それは結局のところ、本を読んで得たものがあっても、
    しっかりと自分のものに出来ていない証拠だと思った。
    自分で何らかの形に仕上げ直せて、それで初めて、
    読書を活かせたことになるのだと、改めて思い直させてくれた。

    本を読むことを、いろんな視点や面から考えさせてくれる本でした。
    本ばかり読んでる人や、読書さえあれば! という人は
    読んでみると面白いかも。いずれにしても、読書から何かを得るだけに満足せず
    何かを成し遂げないと、著者の批判先になってしまいますが。

  • 自分の頭で考える、著述と文体について、読書のついての三編。


    本を読み知識を入れるよりも自分の頭で考えたことのほうが遥かに価値がある。自分の体験から引き出さずに、他人の経験でしか語れないというのは旅行案内書をながめて、その土地にくわしくなったようなもの。雑多な情報はあるが、曖昧な知識。一方考えることに費やした人は語るポイントを得ている。


    新作の本≠正しく、最新の情報が手に入る。
    これらは一時騒がれても、数年後には消えていることが多い。
    古典を馬鹿にする人は多いが、これこそ読むべきもの。古典の解説書があるが、それは間違いであり、原書をあたるべき。

    本には種類があり、考えたことをまとめた本と書くために行きあたりばったりに書いた本。
    後者は金を得るためだけに書いているため、根拠のない、ピント外れの、抽象的なことが書いてある点から判断できる。それに気付いたら本は処分すること。

    良書=具体的で簡潔な表現がなされており腑に落ちやすい
    悪書≠抽象的で難しい表現がなされており腑に落ちにくい

    良書は二度読むと頭に入りやすい

    <感想>
    書を読むときは絶対に古典をあたれ。
    原典を読むのは間違えではないと思うものの、私は最初に読む必要はないと思う。解説書か読むと解釈の違いによってバイアスがかかる恐れはある。そうではあるものの、本作のように原書が自身が精通していない外国語である場合にはそこから学びようやく読むことができる。そこまで興味が途切れなければ良いが、よっぽど気になることでない限りはそうはならないだろう。だから、解説書を数冊読み、原典に辿り着くことはあって良いと思う。

    本書を読むまでは現代とは文体が違うため、読みにくく避けていたものの、その考えが浅はかということを多少感じさせられた。

  • 本を読むことは他人の頭で考えること。沢山の書物に埋もれることより、価値ある数少ない古典に囲まれることの方が重要。文章は明晰に書くべき。書くべきことがはっきりしている著者は、下手に文章を装飾しない。2回は繰り返し本を読むこと。古い本について語る新しい人たち流行の作家よりも、古い本(古典そのもの)を読むべき、など、とても強い影響を私に与えてくれました。

  • 楽しかった。やはり人間性、絶対やってやるという気概。

  • 読書と向き合うことから生まれる自分。
    自分の頭でいかに考えるか。前編と後編より伝わる。
    悪書に手を出さず、また時間をかけず、長く付き合える書に出会い読みふけ、思考を育てたいものだ。

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