読書について (光文社古典新訳文庫 Bシ 1-1)

  • 光文社
3.90
  • (107)
  • (130)
  • (94)
  • (15)
  • (6)
本棚登録 : 1591
感想 : 158
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (194ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334752712

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 哲学書の中ではかなり読み易い部類に入るだろう。全く哲学に触れてこなかった人や中学生くらいでもこれは読めると思うし、衝撃的ながらも「確かに」と首肯してしまう内容になっている。
    「読書について」とあるが、ショーペンハウアーはその冒頭で「読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。他人の心の運びをなぞっているだけだ」とバッサリ断じてしまう。しかしよくよく考えると確かにその通りなのだ。読書とは他人の思考をなぞる行為でしかない。下手な自己啓発本を礼賛する行為に嫌悪感を感じるのはそれが先鋭化されているからかもしれない。
    とはいえ、ショーペンハウアーは読書そのものを否定している訳ではない。他人の心の運びをなぞる行為であるからこそ、良書を読み、自身で思考する力を育めと言っている。ただこれは非常に難しく、果てしない作業だと思う。ショーペンハウアーほどの飛び抜けた才能を持つ人ならともかく、我々は良書と悪書の区別が最初からつけられるほど賢くはない。悪書を読むことで良書を知ることもあるだろう。ショーペンハウアーは現代に残る古典を読むことを良書のみに当たる方法としているが、さすがに古典だけを読むわけにもいかないしね。(あるいは古典を読み耽った後であれば現代の良書もわかるという意味かもしれないが、そこまで簡単にいくのか?と個人的には感じる)
    しかしそっちの系統を読んだ訳じゃないので賛同も反駁もできないけど、いくらなんでもフィヒテとヘーゲル嫌いすぎじゃないこの人?

  • 978-4334752712



    読書好きのみなさんにとって、本書の内容は耳の痛い話ではありませんか?なにを、どう読むか。あるいは読まずにすませるか。読書の達人であり一流の文章家だったショーペンハウアーが贈る知的読書法

  • 初ショペンハウアー!読書についていろんな考え方を知りたく、小林秀雄の「読書について」に続いて読んだ読書、哲学に関して述べられた本。これを機にほかのショペンハウアーの本も読んでみたくなった!

    著者は、文体や体裁のような「読みやすさ」から、作者の思想や思索の深さまで含めた様々な観点から良書/悪書とは何か、をはっきりと主張している。伝わりにくい文章や、よく練られていない内容を出版する作家を痛烈に批判しており、これまで以上に読んだ本に対して、評価する(その本を読むことに使った時間の価値を考える)ことができそうだ。
    これまではほとんど評価することはなく、自分にとっての新情報が発見できればいいや、くらいに考えていた。

    また、多読についても厳しい意見を述べている。本を読むことで「考える」ことを放棄するのはいかがなものかということである。興味深かった!
    ただ私は、良書を見極めるための眼を養うためには、一定期間、多読に挑戦しても良いのではないかと思う。著者が言いたいことはきっと、読書を自己研鑽の手段として位置付けているにもかかわらず、読書そのものが目的化している人への批判なんだと思うが。
     
    著者に考え抜かれた「読書とは」は、何度も読み返して咀嚼したいフレーズがたくさんあったので、ぜひ購入したい。(基本図書館で借りる人間)

    P106
    ・いい加減に書く人は、初めから自分の思想に大きな価値を置いていないと告白するようなものだ。というのも、自分の思想がいかに重要で真理を含んでいるか確認していれば、情熱がおのずからわき起こる。その情熱は、倦まずたゆまず、最も明瞭で美しい力強い表現を追求するのに欠かせぬものであり、一般の人なら聖遺物や計り知れない価値のある芸術品、金銀の器に対してのみ沸き起こるものだろう。

    P138
    ・無知は人間の品格を落とす。しかし品格の下落がはじめるのは、無知な人間が金持ちになったときだ。貧しければ、貧苦が枷となり、仕事が知識の肩代わりをし、頭は仕事のことでいっぱいだ。これに対して無知な金持ちは、ただ情欲にふけり、日ごろ目にする家畜と同じだ。さらにそうした連中は富と暇を、もっとも価値あるものに活用しなかったという非難がくわわる

    P138
    ・読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。他人の心の運びをなぞっているだけだ。(中略)したがって読書をしていると、ものを考える活動は大部分、棚上げされる。自分の頭で考える営みをはなれて、読書にうつると、ほっとするのはそのためだ。

    P141
    ・作家には説得力、イメージの豊かさ、比喩の才能、大胆さ、辛辣さ、簡潔化、優美さ、軽快な言い回し、さらにウィット、意表をつうコントラスト、簡にして要を得た表現、飾り気のなさなど、さまざまな特性がある。だがその作家の作品を読んだからと言って、そうした特性が私たちの身につくわけではない。しかし私たちが、そうした特性を素質として、ポテンシャルとして持っていれば、読書することでこれらを心に呼び起こし、自覚することができる。

    P149
    ・読んだものをすべて覚えておきたがるのは、食べたものをみな身体にとどめておきたがるようなものだ。(中略)身体が自分と同質のものしか吸収しないように、私たちはみな、自分が興味あるもの、つまり自分の思想体系や目的に合うものしか自分の中にとどめておけない。

    ・重要な本はみな、続けて二度読むべきだ。二度目になると、内容のつながりがいっそうよくわかるし、結末がわかっていれば、出だしをいっそう正しく理解できるからだ。また二度目になると、どの箇所も一度目とはちがうムード、ちがう気分で読むので、あたかも同じ対象をちがう証明のもとで見るように、印象も変わってくるからだ。

  • 私は少なからず読書信者なところがあるけど、そこに釘を刺される機会を与えてくれる本だった

    知識を蓄えることは大事だけど、何より大事なのは自分の頭で考えること
    それは自分の考えなのか他人の考えなのか吟味することを怠れば自分自身の核が失われてしまうだろう

    ✏こうして見ると、自分の頭で考える思索家と博覧強記の愛書家を、その話しぶりに接するだけで容易に見分けられるのは不思議ではない。自分の頭で考える思索家は、真剣で、直接的で根源的なものを取り扱うという特徴があり、自分の考えや表現をすべてみずから検証してゆく。これに対して博覧強記の愛書家は、なにもかも二番煎じで、使い古された概念、古物商で買い集めたがらくたにすぎず、複製品をまた複製したかのように、どんよりと色あせている。型どおりの陳腐な言い回しや、はやりの流行語から成る彼の文体は、他国の硬貨ばかり流通している小国を思わせる。すなわち自分の力ではなにも造り出せないのだ。

    ✏セネカが言うように「誰だって、判断するより、むしろ信じたい」(『幸福な人生について』Ⅰ、四)からだ。

    ✏だが真に価値があるのは、自分自身のために考えたことだけだ。思索者は第一におのずから思索するタイプ、第二に他者を指向するタイプ、この二つに分けられる。

    ✏第一のタイプは真の思索家だ。二重の意味で〈Selbstdenker〉、自分の頭で、自分のために考える人だ。本来の哲学者、知を愛する者だ。すなわち、かれらだけが真剣に問題と向き合っている。かれらの生きる喜びと幸せは、まさしく考えることにある。 第二のタイプはソフィスト、詭弁家だ。「~らしさ」を求め、他人の目に哲学者らしく映ることに幸福をもとめる。かれらはこれを真剣に追究している。二つのタイプのどちらに入るかは、やり方全般をみれば、ほどなく気づく。リヒテンベルクは第一のタイプの鑑であり、ヘルダーは第二のタイプに入る。

    ✏思想の価値を決めるのは、素材か、表現形式だ。素材とは「何について考えたのか」であり、表現形式とはどう素材に手を加えたのか、「どう考えたのか」だ。

    ✏したがって有名な本なら、それは素材のおかげか、表現形式のおかげか、よく区別しなければいけない。

    ✏しかしながら一般読者は表現形式よりも、素材にずっと多くの関心を向け、まさにそのためになかなか教養がつちかわれない。

    ✏何ひとつ悪とみなさない人間にとって、善もまた存在しない。

    ✏「どのように」考えたか、つまり思索の根っこにある特徴と一貫したクオリティを精確に写し出したのが文体だ。文体は、?その人の全思想の外形的特徴であり、「何を」「何について」考えていようとも、常に同じはずだ。

    ✏読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。

  • 切れ味鋭いショーペンハウエル節。

    自分の頭で考えろ、考えろ、考えろ、と何度も叱咤された感覚です。

  • 「著述と文体について」
    文章には主張・思想が必要である/それを伝えるために簡潔・明解でなければならない/したがって正しい言葉を使わなければならない、ということをブチギレながら3、4回は繰り返されるので、疲れる。サラウンドで怒鳴られている気分。自分がどこを歩いているのかわからなくなる。
    それを除けば、主張が丁寧に、何度も出てくるので読みやすい。

  • これまで、なんとなく知識を付けた気になるために、たくさんの本を読んでいた。
    そして、この本にたどり着き、怒られた。
    多読に耽る者はカスである。と、1800年代を生きた哲学者に、200年正論パンチを喰らわされた。
    辛い。

    • Subzooさん
      先生にしばかれたんや。いいね
      先生にしばかれたんや。いいね
      2021/12/03
  • 自分の頭で考えよう。思索しよう。
    暇と富を価値あるものに活用しよう。

    じぶんのあたまで考える
    ・思索しよう、自分の頭で考えたことは本を読んで思考を代用してもらった考えよりも素晴らしいよ。

    著述と文体について
    ・シンプルに表現しよう!
    ・比喩で伝えられれば、素晴らしい!それは洞察力の証拠だbyアリストテレス
    ・文章の表現の基本は、一度に一つのことについて
    ・「何について考えたか」「どう考えたか」

    読書について
    ・古典読もうぜ!現代の人が過去の人を紹介するのなんてハエみたいに増殖してくるからさw
    ・暇と富を価値あるものに活用しよう。

    私が感じたこと
    SEO的にシンプルに構造化するのは正しいし、現代で古典的な著述が有効されているとしたら、ありがてぇ!これは好機だ!

    古典なんて、あぁ〜そうですかなるほど〜なんてならないから面白い。
    だから繰り返し読んで、美味しい感じになるまで読み続けられる面白さ。

  • 正論を切れ味のいい辛口でズバズバ言い続けている本書。とにかく口が悪くて驚いたけど、自分の頭で考えることの重要性や自分の考えに責任を持つことの必要性を真正面から説いていた。ドイツ人の彼がドイツ国民をひたすら悪く言うのは愛情なのだろうか。祖国の未来を憂いて言っていたのか、愛想を尽かしていたのか。どちらだろう。

  • 「本を買うとき、それを読む時間も一緒に買えたら、すばらしいことだろう。」
    「読んだものをすべて覚えておきたがるのは、食べたものをみな身体にとどめておきたがるようなものだ。」

    本が沢山あろうとなかろうと、自分の時間は変わらない。そして、読んだ本を消化して自分の中に落とし込むのもまた時間が必要である。読んだ本を忘れない、という人がすごいと思ってた。でも、大事なのは内容を覚えてるだけじゃなくて自分の中に取り入れること。自分の、思索体系に。

    読めなくて苦労する本があっても、それは自分に間違いじゃないことがわかった。
    前読んだ岡本太郎の本に「知識は積み上げるな、むしろ蹴飛ばしてしまえ」と書いてあったのはこういうことか、と思った。岡本太郎もショーペンハウアーに読みふけっていたそうだ。なんとなく、つながった。

    『著述と文体について』ではドイツ語の乱れと金儲けのために物書きをする風潮を激しく批判しいる。ショーペンハウアーは言葉を非常に大切にしているのだと感じた。それゆえに考えなしに言葉を使うこと、もとより乱れた言葉を使うほど何も考えてないことを鋭く批判している。

    自分の頭で考えろ。

    哲学の先人に、言葉で殴られた気分になるほど目が覚める本だった。

全158件中 11 - 20件を表示

著者プロフィール

19世紀ドイツの哲学者。1788年、ダンツィヒ生まれ。富裕な貿易商である父と女流作家である母のもとに生まれる。父に連れられて幼少期からヨーロッパ諸国を旅行し、その経験が世界観・哲学観に影響を与える。父の死後、1809年よりゲッティンゲン大学で自然科学・哲学を学ぶ。1819年に主著『意志と表象としての世界』を刊行し、ベルリン大学の私講師となった。ショーペンハウアーの名が世に認められるようになったのは1851年に刊行された晩年の著『余録と補遺』であり、日本では『読書について』『自殺について』『知性について』などの抄訳で広く読まれている。戦前日本の若者たちには「デカンショ」として、デカルト、カントと並んでショーペンハウアーはよく読まれていた。

「2022年 『今を生きる思想 ショーペンハウアー 欲望にまみれた世界を生き抜く』 で使われていた紹介文から引用しています。」

アルトゥール・ショーペンハウアーの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ヴィクトール・E...
國分 功一郎
ミヒャエル・エン...
ジャレド・ダイア...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×