すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

  • 661人登録
  • 4.01評価
    • (49)
    • (54)
    • (30)
    • (4)
    • (3)
  • 68レビュー
制作 : Aldous Huxley  黒原 敏行 
  • 光文社 (2013年6月12日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (433ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334752729

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
レイ ブラッドベ...
村上 春樹
ウィリアム・ゴー...
村上 春樹
ヴィクトール・E...
ジェイムズ・P・...
ジャレド・ダイア...
J・モーティマー...
J.L. ボルヘ...
村上 春樹
有効な右矢印 無効な右矢印

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)の感想・レビュー・書評

  • 未来小説の古典として1984と比較
    人間が機械と同等になる
    妊娠出産しない(フリーセックスと人工授精)
    宗教のない世界での支配者vsインディアン=野蛮人
    老いと死(の概念)がない世界で⇒自死という終末

  •  言わずと知れたディストピアの名作。最近読んだ『1984年』と比べると、あちらは「監視」が徹底しているのに対し、こちらは「管理」が徹底しているという印象を受けます。

     人間をあたかも工業製品のように製造し、その製品に一定の動作を行なわせることで、社会を安定的に運営するというのがこの物語の世界観です。

     管理されている人間たちは、あらゆる不快さから守られ、管理されながらただただ快楽を享受しています。いわば人間性のない生活なのですが、彼らはそれを楽しむように作られているのだから、幸せには違いありません。

     じゃあこの物語はめでたくおわりではないか。そう思ったときに現れるのが、優秀な欠陥品バーナードと、野蛮人ジョン。超管理社会の権化ともいえる世界統制官ムスタファ・モンドと彼らの問答は圧巻です。

     芸術や文化、宗教といったものを徹底的に排除し、ただひたすらに社会の安定性を追及していった結果うまれた社会。筆者が描くそのいびつな社会から、現代につながる技術と人間の問題が見えてきます。「やはり」と思うと同時に、その普遍性に戦慄もさせられる一冊。

  • 題名がシェイクスピアから引用しているとは思っていなかった。というかこの物語を通してジョンはほとんどのセリフをシェイクスピアから引用している。しかしジョンが言う「すばらしい新世界」はとても皮肉に満ちていて、いかにもなディストピア小説だ。
    この新世界の人々の描くユートピアには家族がなく、人は生まれつき人生のレールをひかれていて、宗教もなく、ソーマという快楽剤を服用することにより感情の起伏を抑えている。階級付けされた人々もそれに疑問を抱くことなく享受している。なんとも孤独で生きがいのない人生だなぁと思いながら、きっとハクスリーはそれを伝えたかったのだと確信した。また時代はこの新世界へ向かっていくことの危険さを警告しているように思えた。機関さえ整えば、人間は簡単にこの新世界の制度に染まってしまう。
    読んでて最も苦しかったのはリンダが亡くなる場面。病院というよりもむしろ収容所に入れられた患者は誰に看取られるわけもなく、孤独に死を迎える、そしてその死の間際に現れる同じ顔をした子供たち。残酷でグロテスクで、悪気がないところがさらにジョンを苦しめているのではないかと思う。

  • 安定か、芸術か

    冒頭の「すばらしき新世界」の仕組みについての説明書き、
    想像すると気持ち悪くなった。
    同じ人間同士でなぜあんなことができるんだろう
    こどもをうんだ後なので余計にそう感じた

    色々なことを知らない方が幸せでいられるってむずかしい

  • ここ最近のSFでは一番の当たりかも。

  • いわゆるディストピア小説。人間が大量生産される世界。社会に奉仕して生きることを条件付けされた世界。幸福の代償として科学と芸術と宗教を失った世界。自由を意図的に排斥した世界。
    出生から、才能から、経験から、そのような世界に疑問をもつものが現れる…。
    ディストピア小説に惹かれるのは、それが理性のハイエンドを描いているからかもしれない。

  • ディストピア小説とSFの境目はぼんやりとしているがこの作品は十分に「科学的」なのでSFの傑作といえる。1932年に書かれたこの作品の世界はすでに現在でちょっと形を変えて実現されている。あな怖ろし〜〜。

  • ❖古臭い印象はあるけれどそこそこおもしろく読んだ。同じディストピア(国家・社会の暗黒)を描いた『一九八四年』との対比より、モリスの牧歌『ユートピアだより』との近似を見る方が(逆説的に?)本作の本質は(歪も)明確になるような気もする。作品中盤から存在感がうすくなるが、バーナードの人物像はおかしかった。屈折してアウトサイダーぶっているかと思えば好機を得て俗気を露わにする・・ただの嫌なヤツである。物語の終盤(終幕)、野蛮人ジョンのたどる末路、彼を追いこむ狂気(狂躁)はそのまま現代を映していると思った。

    《西暦2540年。人間の工場生産と条件付け教育、フリーセックスの奨励、快楽薬の配給によって、人類は不満と無縁の安定社会を築いていた。だが、時代の異端児たちと未開社会から来たジョンは、世界に疑問を抱き始め…驚くべき洞察力で描かれた、ディストピア小説の決定版! 》(アマゾン紹介記事)。

    ●著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
    ハクスリー,オルダス
    1894‐1963。イギリスの作家。祖父、長兄、異母弟が著名な生物学者、父は編集者で作家、母は文人の家系という名家に生まれる。医者をめざしてイートン校に入るが、角膜炎から失明同然となり退学。視力回復後はオックスフォード大学で英文学と言語学を専攻し、D・H・ロレンスなどと親交を深める。文芸誌編集などを経て、詩集で作家デビュー。膨大な数のエッセイ、旅行記、伝記などもある

    ●黒原/敏行
    1957年生まれ。英米文学翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

  • 衝撃だ。

    書籍は新しければ良い訳ではないことを、改めて感じさせられた一冊だ。

    今から80年前に書かれた作品であることから、現在を詳細にイメージできていたかというと決してそうではない。

    詳細にイメージされているのは、人間の行動そのものだ。

    このイメージを読んでいくと、80年という時代が経過したにもかかわらず、人間の進歩はないのではないかと思ってしまう。そのことから考えると、もしかして進歩が必要だと思っている我々が可笑しいのかもしれない。

    日本では想像できない、気づいていない階層社会を、明確に記し、それにらについてどの階層が幸せで、不幸せであるかと言うことはないと記されている。

    非常におもしろい、変かがないと言うことは、多くの人にとって幸せなことであり、それを上記のように記しているのだろうかと思えた。

    何にせよ、この80年間を、そしてこれからの歴史を考える上でも読んでみると為になるSF作品だ。

  • 本屋で勧められていたので購入、光文社の古典新訳なので読みにくいかなと思っていたけどサクサク読めた。現在自分の生活する環境や体験にも通じるところがあったからだと思う。
    前半は事実を並べたように物語が進んでいくのかなと思ったが中盤から登場人物の人間性考え方や関係性が現れてとても面白かった。
    よく文中にシェイクスピアなどの引用がでてくるのでまた読んでみたいとおもったし、筆者高い知性が感じられた
    また、解説やあとがきは考え方がのっていたり丁寧に書いてあったのでおもしろかった。

  • 超有名なディストピア小説。
    社会というシステムを合理的に形成する上で、排除すべきは不安定な要素を巻き起す感情。
    本作の世界では、”快楽””感情”さえも単純化し麻痺させた形でシステムに組み込む。
    文字だけ読んで噛み砕いてみると、この社会の思想は合理的で”素晴らしい新世界”に思える。でも、それは本当に歪まないのか?愛とはなんであるか?なにがなくなるんだろう?
    うーん。でも少しずつ、ここに近づいてるかもしれません。

  • 1984年とはまた違う世界に関する本

  • ディストピア物語。

  • ・あまりにも有名なオルダス・ハクスリー「すばらしい新世界」(光文社古典新訳文庫)、 所謂ディストピア、反ユートピア小説である。オーウェル「一九八四年」やブラッドベリ「華氏451度」等と並ぶ名作である。久しぶりにこれを読んで、ハクスリーがかなり異質であるのに驚いた。その出自によるものか、あるいはその資質、思考によるものか。単純に物語に対する好き嫌ひといふ点から言へば、私は ハクスリーよりオーウェルやブラッドベリの方が好きである。こちらの方が物語としておもしろいし、それゆゑに分かり易くもある。
    ・「新世界」前半、苦悩せるバーナードとその友人ヘルムホルツの物語になりさうである。それはたぶんオーウェルやブラッドベリに近い物語となつていくはず である。ところがさうはならない。バーナードは優生学的に失敗作のアルファといふところである。それゆゑに劣等感を持ち、憂ひに沈む。その憂ひが反体制的 な想念を生む。ヘルムホルツはそれに共感する。その共謀を阻止するために、バーナードは左遷されさうになるのだが、その前に彼は恋人(とでも言つておく) と北米のインディアン居留地に行く。インディアンとは野蛮人である。基本的に私達と同じ生活様式である。生業も生活も私達の知るインディアンである。ここで出会つたのがリンダとジョンの親子である。ここから物語後半、リンダはかつて行方不明になり、この居留地の人々に助けられたベータであつた。それゆゑに 2人は居留地から「すばらしい新世界」に連れてこられる。ここに於いて先の2人に共謀の目は完全になくなる。バーナードはジョンの世話役となつて皆の注目の的、以前の劣等感はなくなつたかのやうである。この物語がどのやうに構想されたのか私には知る由もないが、ジョンの登場により、作者は反乱よりも新世界 のすばらしさを述べることに重点を移したやうである。それを語るのが世界統制官ムスタファ・モンドである。支配階層アルファの頂点に位置する人物である。 たぶんハクスリーはこの2人の論争を書きたかつたのである。それによりユートピアのユートピアたる所以のものから、その反ユートピア性を際立たせたかつた のである。同じく全体主義を描くといつてもこれが決定的な違ひである。強固な大堤防もアリの小さな巣穴から崩壊は始まるやうに、いかなる独裁体制、全体主 義体制も必ずどこかからほころびてくる。ハクスリーはそれを信じないかのやうである。モンドの論理は完璧な独裁支配の論理である。しかも、モンドは禁書を 何冊も読破した後にさういふのである。ブラッドベリと違ふのは新世界が予め定められた階級社会であるといふこと、誰も異論をはさまず、疑問を持たず、唯々諾々として生かされてゐることである。反抗は基本的に無い。バーナードとヘルムホルツはその希少な例外であるが、最後は喜んで極地に送られていく。ここまで人を飼ひ慣らしてしまふ社会である。ジョンが違和感を抱かないはずがない。そこでジョンははかない抵抗をするのだが、最後は自ら縊死するしかない。基本的な思考のベースが違ふのである。これではなかなか物語にならない。どうしてもお説教になる。実際、モンドはジョンにお説教してゐるのである。ただし、理 解できないことを百も承知で説教してゐるのである。だからジョンを泳がせ、縊死させる。それが全体主義だと言へばそれまでである。ただ、それでも世界はまだそこまで進んでゐないことに安心はするのである。いかな中国や北朝鮮でも優生学のかくの如き利用法を知らないはずであるし、反体制的な動き、反抗がなくはないからである。この完璧な新世界、いつ実現するのであらうか。

  • 「1984」が大好きなので、この本も読んでみました。新訳というのも買うきっかけになりました。
    1984はうわーやだなーこんな世界…とおもいますが、本書で描かれる世界は、なんだか悪くないです。作中で「ソーマ」といわれる薬は、抗鬱剤やドラッグの良い部分を併せ持つような薬で、未来人たちはガンガン使って嫌な気分を吹き飛ばしてます。
    人々は結婚・出産・育児から開放されているのでフリーセックスを謳歌し、恥じらうこともありません。
    労働は完全に階級化され、新生児の段階から「条件付け」されているので、反抗心もないし進路に悩むこともなし。
    年取ったら苦しみなく美しいまま死ぬことができるのです。ブラボー。

    この作品が1932年に書かれたということがある意味びっくりで、この未来の楽園の一部分は、21世紀に実現しているかもしれません。
    ソーマはありませんが、一部の薬品は似たような効果があります。頭痛薬でも辛い頭痛から痛みを和らげる効果があるわけで、ある意味ソーマともいえるし、老化を止めることはできませんが、これからもっとアンチエイジング技術は進むのではないでしょうか。
    人間らしさとは何か。苦痛やめんどくさいことがなくなれば人は幸せになれるのか。「すばらしい新世界」の住民は、自由で苦痛ない世界なのに、結局やっていることは低次元の娯楽にとどまっています。
    技術や医療の進化はもちろん人間を幸福にし、苦痛を取り除いてくれてそれはそれで素晴らしいものですが、それがイコール人間の「幸せ」に直結しているかというとそれは違うのかもしれない。
    そのような皮肉な物語だと思いました。

  • 1932年に発表されたディストピア小説の古典。『1984年』(1949)や『華氏451度』(1953)よりもこちらのほうが先なのですね。

    近未来、試験管ベビーならぬ壜詰めベビーが「孵化・条件づけセンター」で製造されるのが当たり前の世界。出産は完全に規制され、赤ん坊は母親からではなく壜から生まれてくる。当然「家族制度」は存在せず、「母親」だの「父親」だのは死語どころか猥褻な言葉のように扱われ、反面、妊娠とは無関係なセックスは奨励されていて、家族制度がない以上、一夫一妻制も崩壊、特定の相手を作らず「誰もがみんなのもの」であることが最善とされている世界。(男性上司が勤務中に女性部下のお尻を触っても、セクハラどころか紳士的と評されます・笑)

    序盤の主人公(?)は、孵化・条件づけセンターで働くバーナード。劣等感ゆえに孤独を愛し、管理社会に違和感をおぼえる彼は、普通のSF小説なら体制を破壊するヒーローとして活躍するところだと思いますが、そうはならないところがこの作品の皮肉なところ。ちやほやされるとすぐ調子に乗り、立場が変われば意見も行動もあっさり覆す、そんな俗物なところもまあご愛嬌ですが、結局バーナードは後半ただの滑稽な脇役ポジションに。

    本当の主人公は、そんなバーナードがお気に入りの女性レーニナと一緒にでかけた「野蛮人居留地」(管理されていない未開人の村)で出会った青年ジョンのほう。彼はいわば、ジャングルで行方不明になった子供が狼に育てられていたのを発見されて人間社会に連れ戻されるも文明に馴染めない・・・みたいな状況の未来版。管理社会では禁書とされているシェイクスピアを愛読して育ち、一夫一妻制の古い貞操観念に捉われているジョンは、心惹かれているレーニナに迫られても、喜ぶどころか「この淫売!」よばわり(苦笑)。

    これもまたこの作品の皮肉なとことで、ジョンの目を通して、この「すばらしい新世界」の異常さが浮き彫りにされてゆく反面、ジョンはジョンでちょっと極端というか、潔癖すぎて自分を浄化するためと称して自らを鞭打ったりして(これキリスト教でもかなり異端だったかと)、いくら管理社会が異常だからといって彼に共感できるかというとそうでもないという(苦笑)。

    「淫売」と罵られたレーニナは確かに誰とでも簡単に寝てしまいますが、それは社会のルールに忠実なだけであって、彼女自身に罪はない。そもそも、何が罪や悪であるかという概念さえ、社会のルールや常識によって左右されるわけで、普遍的で絶対のものではないわけで。

    管理された社会で不満なく生きることは、確かにある意味幸福なのかもと、思わされる瞬間もありますが、ただ果たしてそれで本当に「生きている意味」があるのか、というのがこのジャンルの作品の普遍的な問いかけでしょう。

  • そんなにディストピアを代表する小説か、とは思った。ありうる社会像ではないか。「条件付け」で全てうまく行くほど、人間は甘くはない点が気になるが、薬の使用、大衆の好奇心はこちらの今の世界でも変わらない。科学、芸術、宗教については考えらさせられる。人間の弱さ、ダメさ、「世間」から外れる葛藤の描写も良かった。

  • 本書で描かれている世界はまさにすばらしい世界である。人々は現状に満足し、不満を感じることはない。大量消費、フリーセックス、ドラッグの溢れた世界で、「誰もがみんなのもの」が合い言葉になっている。厳格な身分制があるが、それすらも人々は当然のこととして受け入れるようになっている。T型フォードの発売以来、大量生産、大量消費を良しとする社会、そして、科学万能主義が蔓延する社会がいきつく未来が見事に描き出されている。ウェルズの『1984年』とともに20世紀のディストピア小説を代表する作品だ。訳、解説もすばらしい。

  • 勇気ある時代の異端児がことごとく迫害され、追い詰められ、死に貶められるのがディストピア世界観の見所だと思う。作中に数珠の如く散りばめられたシェイクスピアの名文。シェイクスピアを本気で読んでみようと思えた作品

  • 西暦2540年、長い戦争を経て、人々は科学的、生物学的に統制された階級社会を築いていた。そこでは、大量生産大量消費の草分けであったフォードをキリストの代わりに神とし、幸福と安定の追求を第一とする。過去は顧みず、未来に思いを馳せない。倫理観を睡眠教育で子供たちに植え付け、麻薬とフリーセックスを奨励し、芸術や真理は一顧だにされず、「誰もがみんなのもの」という社会。その社会ではみ出し者のバーナードは野蛮人居留地に赴き、現地で生まれ、インディアンたちと育ったジョンをイギリスに連れて帰る。そこでジョンはずっと憧れていた世界に来たが、どうもこの世界はおかしいと気づき始める…という話。

    リンダが常識と思ってやっていることが、インディアンたちとの倫理とは相いれないため、村の男と誰でも寝ると村八分にされ、ソーマのような快楽を求めてアル中になり、母親という概念を忌避しているためジョンを虐待するという、悲劇的状況になってしまうのが(倫理観が真逆なので当然ながら)滑稽だった。

    ジョンのレニーナに対する好意のしぐさが人間らしくて良い。周りの人間がそうでないという描写の中でそれがなされるのでよりいっそうそれが心に迫ってくる気がする。人間は人を好きになるとそうなってしまうな、と。レーニナがジョンを好きという気持ちで悩むのもまた良い。

    シェイクスピアが多く引用されるので、シェイクスピアが好きな人は楽しいかもしれない。

  • 『1984年』と並び称されることの多いディストピア小説。
    孵化・条件付けセンターによる、人間の大量生産と思考管理、塞いだ気分を副作用なしに取り去るソーマという薬、廃止された全ての文学の代わりに導入された触感を楽しむだけの愚劣な映画、「みんながみんなのもの」というスローガンのもとにフリーセックスに耽る、科学の力で若さを保つ人々…徹底された管理社会に生きる登場人物たちと、そこに放り込まれた「野蛮人」の物語。

    小説としては盛り上がりが少なく、設定にも粗さが見られるものの、現代に通じる示唆に満ちている。現実の世界には、何が幸せで何が不幸かを教え込む孵化・条件付けセンターはないけれど、人間は自分で自分に条件付けを行わずにいられないのかもしれないとも思う。

  • 1900年代初めに書かれたものとは到底思えない、トンデモ物語。
    考えることを放棄し、あらゆることを知らずに済むことは幸福である。しかし、そこは楽園か否か。
    引用文の多用やパロディ的要素に富んだ文章、そして一見突拍子もないように感じられる設定が、ある種のコミカルさと不気味なリアリズムを生み出している。翻訳作業はとても大変だっただろう。
    わたしたちの常識や善悪の観念、社会的体系の曖昧さについてひやりとさせられた。
    冒頭からウッヒョー!の嵐!くすり、どころか大笑いした台詞も多数。最高に面白かった。

  • ・管理幸福社会ディストピア
    ・不安のなかで生きる権利
    ・自由ー幸福
    ・不在という形であらわれる神
    ・社会安定の為の階級教育と幼稚性の保護

  • 西暦2540年。人間の工場生産と条件付け教育、フリーセックスの奨励、快楽薬の配給によって、人類は不満と無縁の安定社会を築いていた。だが、時代の異端児たちと未開社会から来たジョンは、世界に疑問を抱き始め…というのが粗筋。

    ディストピア小説の代表の一つと数えられていることもあって手に取ったのですが、刊行されたのが1932年と知って読み始めたこともあり、背筋が冷たくなるといいますか、読み進めて行くと不気味な印象を受けます。

    多分、刊行当時は”皮肉めいたおとぎ話”程度に読まれていたのだろうけど、昨今の世を眺めてみると所々現実味を帯びているのではないかな、なんて思ったりします。…いや、当時もどこぞの国では禁書扱いになったらしいし、今よりも危惧されていたのかもしれない。

    舞台は今よりもずっと未来の地球。
    ただ、ハイテクノロジーの類いは流石に出てきません。第二次世界大戦前ですし、ネットワーク云々もありません。それでも、今読んでみてもこうして考えさせられるのは、人間に対する本質的な問いかけが、今の世の中にも十分通用し、且つ、ここから派生した内容が今のSF作品などで問われ続けているからなのでしょうね。

    人の幸福とは何か?
    人は何故、人足り得るのか?

    SF小説の読書量は少ない方だと思いますけど、哲学めいた小説でありながら難解で読みにくい作品ということはありませんでした。

    作中、シェイクスピアの引用が多用されるのだけど、それも注意書きとして添えられているし、海外翻訳としては読み易い部類に入るんじゃないかな。

    とはいえ、普段小説を読まない方が本テーマに興味を持ち、エンターテイメント的な内容を期待して読み始めようとするなら、お薦めしません。

    物語の進行は遅めですし、ラストも救われない。

    なんだかんだ言っても、やっぱりSFーとりわけ社会や人間の在り方への考察が好きな方にお薦めの作品ではあります。

全68件中 1 - 25件を表示

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)を本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)を本棚に「積読」で登録しているひと

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)のKindle版

ツイートする