すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫 Aオ 2-1)

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  • / ISBN・EAN: 9784334752729

感想・レビュー・書評

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  • ディストピアものでは1984年に並ぶような作品であるが聞いたことなかった。ちなみに1984年もまだ読んでないけど。
    これが1931年に書かれたというのもすごい。あとがきでは核について記述がなかったことについて触れているけど、それにしてもフリーセックスやソーマという麻薬のようなものだったり、当時の社会の規範ではびっくりされるような内容だったろう。アルファだけの社会を実験してみたのも面白い。結局はうまく立ち行かなくなってしまったと。階級とそれを受け入れる気持ちというのは、例えば江戸時代とかもそうなのかもだが、社会の安定に必要なのかもしれない。現実に人間の能力差があって社会的な地位といった意味でも格差がある、でも人間は平等だという神話が逆に人間を苦しめてたりして。野蛮人ジョンも正常な人間の代表というわけではなく、ここでおれが言った正常もそれぞれの社会背景という文脈の中でのもので、正常なんてものがそもそも存在しないのかもしれない。

  • ここ最近のSFでは一番の当たりかも。

  • 未来小説の古典として1984と比較
    人間が機械と同等になる
    妊娠出産しない(フリーセックスと人工授精)
    宗教のない世界での支配者vsインディアン=野蛮人
    老いと死(の概念)がない世界で⇒自死という終末

  •  言わずと知れたディストピアの名作。最近読んだ『1984年』と比べると、あちらは「監視」が徹底しているのに対し、こちらは「管理」が徹底しているという印象を受けます。

     人間をあたかも工業製品のように製造し、その製品に一定の動作を行なわせることで、社会を安定的に運営するというのがこの物語の世界観です。

     管理されている人間たちは、あらゆる不快さから守られ、管理されながらただただ快楽を享受しています。いわば人間性のない生活なのですが、彼らはそれを楽しむように作られているのだから、幸せには違いありません。

     じゃあこの物語はめでたくおわりではないか。そう思ったときに現れるのが、優秀な欠陥品バーナードと、野蛮人ジョン。超管理社会の権化ともいえる世界統制官ムスタファ・モンドと彼らの問答は圧巻です。

     芸術や文化、宗教といったものを徹底的に排除し、ただひたすらに社会の安定性を追及していった結果うまれた社会。筆者が描くそのいびつな社会から、現代につながる技術と人間の問題が見えてきます。「やはり」と思うと同時に、その普遍性に戦慄もさせられる一冊。

  • 「1984」が大好きなので、この本も読んでみました。新訳というのも買うきっかけになりました。
    1984はうわーやだなーこんな世界…とおもいますが、本書で描かれる世界は、なんだか悪くないです。作中で「ソーマ」といわれる薬は、抗鬱剤やドラッグの良い部分を併せ持つような薬で、未来人たちはガンガン使って嫌な気分を吹き飛ばしてます。
    人々は結婚・出産・育児から開放されているのでフリーセックスを謳歌し、恥じらうこともありません。
    労働は完全に階級化され、新生児の段階から「条件付け」されているので、反抗心もないし進路に悩むこともなし。
    年取ったら苦しみなく美しいまま死ぬことができるのです。ブラボー。

    この作品が1932年に書かれたということがある意味びっくりで、この未来の楽園の一部分は、21世紀に実現しているかもしれません。
    ソーマはありませんが、一部の薬品は似たような効果があります。頭痛薬でも辛い頭痛から痛みを和らげる効果があるわけで、ある意味ソーマともいえるし、老化を止めることはできませんが、これからもっとアンチエイジング技術は進むのではないでしょうか。
    人間らしさとは何か。苦痛やめんどくさいことがなくなれば人は幸せになれるのか。「すばらしい新世界」の住民は、自由で苦痛ない世界なのに、結局やっていることは低次元の娯楽にとどまっています。
    技術や医療の進化はもちろん人間を幸福にし、苦痛を取り除いてくれてそれはそれで素晴らしいものですが、それがイコール人間の「幸せ」に直結しているかというとそれは違うのかもしれない。
    そのような皮肉な物語だと思いました。

  • 作中では時々、詳細な科学用語・物質名が引き合いに出され科学的にかなり発展していることが伝わり、その世界で宗教、文学、歴史が禁忌、禁書となっていることで「現在の我々読者の常識は非効率的な世界である」という雰囲気が出ている。

    しかし、性については野蛮人そのもので、誰とでも性交をするのが良しとされ、1人の人を愛する感覚がない彼らは果たして文明人と言えるのだろうか。

    また、異様なまでにシェイクスピアが引用されており、SFを描くにしては過剰な著者の文学的趣向が滲み出てしまっているように思えた。

  • ディストピア小説の古典とも言われる本著。しかし、1932年に書かれたとは思えない位、新感覚にも読めるし、あるいは既に社会に浸透した一種のSF的仮説の基礎とも読める。最近の作品では、貴志祐介の『新世界より』が影響を受けてるのかなと感じたがどうなのだろうか。

    階級を容認し、寧ろ階級がある事を前提に構築される社会。そして、その階級意識を遺伝子操作というよりも、主には、オペラント条件付けにより、無意識下に学習させて統制させていく。一見、共産主義の思考実験による皮肉にも見えるが、恐らく、この仮定に主義は選ばない。資本主義であれ、その報酬は金銭の多寡をKPIとして、条件付け、刷り込まれたものであり、階級は偏差値や年収を指向する事で成立されている。右も左も、人間社会の本質を究極的にデフォルメ化して皮肉っているのではないか。

    社会とは、洗脳により与えられた報酬から役割を規定され、条件付けにより繰り返す事が労働である。成果物の搾取や交換、分配の手法が、主義の相違を生んでいるだけである。

    変な読み方をしてしまったかも知れないが、面白いな、素直に読んでもそう感じた。

  • 最っ高に面白かった

  • 効率よい労働力になるために規格化された手順で工場で生まれ育てられる人たち。トラブルやアクシデントが起きることもなく、常に十分な快楽が与えられ日々楽しく、とても幸せに暮らしている。考えもせず余計な意思も持たずに。不安や老いの苦痛、恐怖もなく安らかに死ぬところまで、一生が高度にコントロールされている社会。
    1932年に書かれた小説の舞台はその600年後の想定だが、100年も経たないうちにずいぶんと近いところまで来ているように感じる。

  • 2020年に、初めて読んだ。
    図書館で、光文社と、ハヤカワepi文庫の訳を2冊借りて、わかりにくい部分は、もう一方を参照したりしながら。

    光文社の訳の方が好き。

    それにしても
    これほど重要な古典的作品を、これまで読んでいなかったことに愕然とした。

    特に、オレは、ジョージ・オーウェルの『1984年』を、徹底的に読み込んだことがあり、その際、関連の深いこの作品をスルーできたのは、ナゼだろう?
    この小説の内容をよく知りもせず、軽視していた。

    読んでいて、軽いメマイを感じた。
    直感的に思ったのは、『1984年』より重要な作品かもしれない、ということ。

    そして、驚いたのは、あの『知覚の扉』の著者と、この小説の著者が、同一人物、という事実。

    気づかずに読んでたんだよね。
    読み終わってから、気づいて、もう、ビっっっクリした。

    『知覚の扉』は、1960年代の意識革命の発端として評価が高く、ハーバード大学の幻覚剤研究者であるティモシー・リアリーの理論の主柱となった。

    この小説にも、副作用のないドラッグ「ソーマ」が、重要な小道具として出てくるけれど
    ハクスリーは、知覚の拡大に興味があって、自身も、メスカリンを始めとする様々なドラッグを体験している。
    1963年に死んだ際の遺書は「LSDを100mg・・・」だった。
    その意味では、ソーマを描いた作者が『知覚の扉』の著者と同一人物であったとしても、驚くに値しないんだけど。

    しかし
    オレの中では、『知覚の扉』はすっげー先鋭的で実験的な書物であるのに対し
    『すばらしい新世界』は、たしかに現代社会を予見した、ある意味で先鋭的な小説なんだけど、一方では、やたらとシェイクスピアの作品が出てきたり、イギリスの階級社会をそのまま残したような未来世界の描き方や、フォードという前時代の神様が、いかにも古臭いんだよねえ。

    ハクスリーは、イギリスという、いまだに階級制度を残した特殊な国に生まれたエリートで、イートン校からオックスフォード大学に進学した、典型的な上流階級のお坊ちゃんだ。
    親戚関係も、歴史に名を残す特級のエリートばかり。

    今、ケインズの『一般理論』に関する本を読んでるから分かるんだけど、ケインズにも通じる、イギリスの特権階級特有のイヤミったらしさが『新しい新世界』には満載されてる。
    特権的な上級国民だったケインズもハクスリーも、どこかで、当時の大きなトピックであったはずのマルクスやレーニンのことを鼻で笑ってる雰囲気がアリアリと見える。

    だから、この小説の中では、来たるべき未来社会において、階級制度が必然的なものとして描かれたワケだが、その部分については、ずいぶんとまー時代遅れな未来像だなと、呆れた。
    もし、日本人や中国人やアメリカ人が書いてたら、こんな階級制度の残された未来社会なんか描かないんじゃない?

    それに、作中で描かれる、神の座についたフォードも、古臭い。すっごい昔、フランスのレギュラシオン学派が、やたらとフォーディズムやトヨタのカンバン方式(ポスト・フォーディズム)のことを論じていたのを思い出して、それって過去の話じゃん、としか思えなかった。

    だから、『知覚の扉』の先鋭さと、『素晴らしい新世界』の古臭さが、オレの中では、どうしても一致しなかった。

    だって、ハクスリーは、一方では、カリフォルニアへ移住して、ハリウッドでは、仏教やヒンドゥー教の関係者と交流し
    1950年代には、自らを被験者として、LSDとメスカリンを試してる、
    カウンターカルチャーを体現するような、過激な人物でもあったワケだから。

    サイケデリックという言葉は、ハクスリーの実験に立ち会った精神科医のハンフリー・オズモンド博士が、彼との手紙のやり取りの中で初めて使われた造語なんだって。
    スゴクない?

    こーゆー、まさにティモシー・リアリーの先駆けであったハクスリーが、イギリスの階級社会に固執し、シェイクスピアやフォーディズムといった時代遅れの小道具を振り回した小説家と同一人物だったなんて、信じられないんだよね。

    そして、最も驚いたのは
    ジョージ・オーウェルが、イギリスのイートン校で、ハクスリーからフランス語を習っていた、という事実!
    この2人が、歴史的に交錯してたなんて・・・・・・ノケゾったよ。

    ハクスリーが、オーウェルに送った手紙を見つけたので、備忘録の意味で、ここにコピペしておく。
    この手紙には、この作品の核となる、重要な着想が述べられてる。

    『支配的少数独裁者たちは統治と権力欲を満たす方法としてもっと困難と無駄の少ないやり方を見つけ出す、そしてそのやり方は私が「すばらしい新世界」で描いたものに似たものになる、というのが私自身の信じるところです。』

    この作品が極めて重要だと感じたのは、まさに「支配的少数独裁者たちは統治と権力欲を満たす方法としてもっと困難と無駄の少ないやり方を見つけ出す」という部分だ。
    これはもう現代社会において、すでに実現されてる。

    私たちは、フォードならぬ、グーグルやAmazonやフェイスブックやアップルに、その圧倒的な利便性と引き換えに、無条件で、ありとあらゆる個人情報を捧げだし、生活の全てを委ねようとしている。

    オレはジョンみたいな野人で、ヤハウェやキリストやフォーディズムを押し退けて、神の座に着いたグーグルさまに全てを捧げだすなんて、ジョーダンじゃねーフザケんな!と思って、必死に抵抗を続けてきたけど、もームリ・・・。グーグルさまには勝てない、って断念した瞬間が何度もあった。

    もしこれが、paypayみたいなキャッシュレスの世界になるとか、中国の「デジタル人民元」みたいな、政府が支配する電子マネーを使って暮らすことになれば、イロイロと便利なことがイッパイあって、さぞかしユートピアだろうけど、生まれてから死ぬまで、生活の全てが支配されてしまう、最悪のディストピアになる。

    これこそが
    「統治と権力欲を満たす方法としてもっと困難と無駄の少ないやり方」だ。

    そーなったらもう、誰一人として、グーグルさまやAmazonさまや、paypayさまや中国共産党さまには逆らえない。
    つーか、もう、そういう時代になってる。
    遅れてきた野人が何を言おうと、もう、手遅れになってる。

    これはもー、マジで恐ろしい「すばらしい新世界」だ。

    『次の世代のうちに世界の支配者たちは、未熟状態と麻酔催眠の方が警棒と牢獄よりもずっと統治の手段として効果的であること、人々が隷属を愛するよう仕向けることは鞭や蹴りで服従させるとの同じくらい権力欲を満たすことに気がつくだろうと私は信じています。言い換えれば「一九八四年」の悪夢は別の世界の悪夢へと変化する定めにあり、その世界は私が「すばらしい新世界」で想像したものの方により似ているだろうと感じるのです。この変化は効率を上げる必要を感じた結果としてもたらされるでしょう。』

    我々は、警棒や牢獄や、ムチや蹴りで服従させようとする権力者には、抵抗してきたが、新しい時代の、高度に知的で狡猾で独占的で、情け容赦ない(ベゾスが好きな言葉)支配者であるグーグル様やAmazon様やアップル様や、政府に支配されたデジタルな貨幣がもたらす圧倒的な利便性や快適なライフスタイルの前では、無条件で隷属を愛するようになるだろう。

    これこそが、新しい「隷従への道」であり、『1984年』の悪夢の後に訪れた、新しい悪夢だ。

    -------------------------------------------------

    オルダス・ハクスリーからジョージ・オーウェルへの手紙

    カリフォルニア、ワイトウッドにて
    一九四九年十月二十一日

    オーウェル氏へ

    あなたの作品を私に送るよう出版社へ言ってくれてありがとうございます。到着した時、ちょうど私はたくさんの参考文献を読み込んで調査することが必要な仕事をおこなっている最中で、見積もりが甘かったために自分のための読書で手一杯でした。「一九八四年」に取りかかれるようになるまでにずいぶん時間がかかってしまいました。

    評論家たちが既に書いているのでこの作品がどれほどすばらしく、どれほど深い重要性を持っているかについては改めて私が書く必要も無いでしょう。代わりにこの作品の細部……究極的革命……について書かせていただけるでしょうか? 究極的革命……この革命は政治と経済にまたがり、個人の心と肉体の完全な破壊を目指しています……の根本原理に関する最初の手がかりは自身をロベスピエール[1]とバブーフ[2]の後継者であり完成者であると考えていたマルキ・ド・サド[3]に見つけられます。「一九八四年」の支配的少数者の根本原理はサディズムで、これは性的なものの超越と否定から論理的帰結として導かれています。しかし実際のところ、この「人間の顔を踏みにじるブーツ」というやり方が永続的であるかどうかは疑問に思えます。支配的少数独裁者たちは統治と権力欲を満たす方法としてもっと困難と無駄の少ないやり方を見つけ出す、そしてそのやり方は私が「すばらしい新世界」で描いたものに似たものになる、というのが私自身の信じるところです。私は最近、動物磁気と催眠術の歴史について詳しく調べる機会に恵まれ、そこでのやり方に大きな衝撃を受けました。百五十年の間、世界はメスメル[4]、ブレイド[5]、エスデイル[6]といった人々の発見を真剣にとらえることを拒絶してきたのです。

    それは一部には広まっていた物質主義のため、また一部には広まっていた世間体のためです。十九世紀の哲学者と科学に通じた人々は政治家や軍人、官憲といった実務的な人々のための奇妙な心理的事実を研究したり、統治という分野に適用しようとはしなかったのです。私たちの父祖を自主的に無視したおかげで究極的革命の到来は五、六世代、先送りにされました。もうひとつの幸運な偶然はフロイト[7]が催眠をうまく再現できず、結果として催眠術を軽視したことです。これによって精神医学に対する催眠術の全体的応用が少なくとも四十年は先送りにされたのです。しかし今や精神分析は催眠術と結び付けられつつあり、またバルビツール酸系薬物の利用を通して催眠術は容易に、そして無限に延ばすことができるようになりました。そこには軽催眠や暗示状態も含まれ、それらは最も反抗的な被験者に対してさえ有効です。

    次の世代のうちに世界の支配者たちは、未熟状態と麻酔催眠の方が警棒と牢獄よりもずっと統治の手段として効果的であること、人々が隷属を愛するよう仕向けることは鞭や蹴りで服従させるとの同じくらい権力欲を満たすことに気がつくだろうと私は信じています。言い換えれば「一九八四年」の悪夢は別の世界の悪夢へと変化する定めにあり、その世界は私が「すばらしい新世界」で想像したものの方により似ているだろうと感じるのです。この変化は効率を上げる必要を感じた結果としてもたらされるでしょう。もちろん一方で、生物兵器や核兵器による大規模な戦争が起きる可能性もあります……その場合には私たちは別の、ほとんど想像もつかない悪夢を迎えることになるでしょう。

    本については改めてお礼を申し上げます。

    敬具
    オルダス・ハクスリー

    ^ロベスピエール:マクシミリアン・ロベスピエール。18世紀フランスの革命家、政治家。
    ^バブーフ:フランソワ・ノエル・バブーフ。18世紀フランスの革命家。
    ^マルキ・ド・サド:18世紀フランスの貴族、小説家。
    ^メスメル:フランツ・アントン・メスメル。18世紀ドイツの医師。「動物磁気」の存在を提唱し、これが後に催眠術の基礎となった。
    ^ブレイド:ジェイムズ・ブレイド。19世紀イギリスの医師。当時提唱されていた「動物磁気」を研究し、それが暗示によるものであることを証明し「催眠(Hypnotism)」と命名した。
    ^エスデイル:ジェームズ・エスデイル。19世紀イギリスの医師。インド駐留時に麻酔の代わりに催眠を使用して外科手術を行っていたことで知られる。
    ^フロイト:ジークムント・フロイト。オーストリアの精神医学者、心理学者。精神分析学の創始者として知られる。

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著者プロフィール

1894年−1963年。イギリスの著作家。1937年、眼の治療のためアメリカ合衆国に移住。ベイツメソッドとアレクサンダー・テクニークが視力回復に効を成した。小説・エッセイ・詩・旅行記など多数発表したが、小説『すばらしい新世界』『島』によってその名を広く知られている。また、神秘主義の研究も深め『知覚の扉』は高評価を得た。

「2023年 『ものの見方 リラックスからはじめる視力改善』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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