- Amazon.co.jp ・本 (674ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334752972
感想・レビュー・書評
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同時に読み始めて、永井荷風の「四畳半襖の下張」から9日遅れで読み終えた。芸術か猥褻か、の判例で有名な作品だが、猥褻さはほぼ感じない。ベッドシーンはせいぜい数%程度か。(猥褻さは、村山由佳さんの「ダブルファンタジー」の方が十倍位えげつない。)
内容は、純愛小説のような、昼ドラ小説のような。身も蓋もない言い方をすると、体の相性が妙に良い39歳の森番と20代の若奥様がセックスに嵌る、というお話。妻は世間体を気にしながらも最後は夫に告白し、夫は人格が崩壊する。
純愛といえば純愛なのだろうが、恋愛のスイッチはどこにあるのかも分からなければ、いつオンになるのかも分からない以上、出会い頭の衝突事故のようでもある。
主人公2人のうち、コニー(女)の方は現代的で魅力的だが、メラーズ(男)の方は正直行けすかない。身分差はともかく、夫が荒れたのは分からないでもない。。
100年近く前の作品としては、新訳のおかげか随分読みやすかった。
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いつか読みたいと思っていたよ!
あの、最後死んじゃうやつね…!と思ってたら違った。夫人違いだった。(なんのネタバレよ)
原題は"LADY CHATTERLEY'S LOVER"、初出は1928年。木村政則訳。
最初に訳者まえがきがあることで、だいぶとっつきやすくなっていると思う。個人的にはメラーズの訛りはもっと方言ぽくてもいいと思うけれど、このへんは翻訳の限界ともいえそう。
舞台は第一次世界大戦後のイギリス。
准男爵夫人であるコニー(チャタレー夫人)は、若くして結婚するも、夫が戦争で下半身不随となり、性生活を営めなくなる。子供が欲しいと思いながらも夫の世話をする喜びのない日々を送っていた。
そんなときコニーは、屋敷の森番メラーズに心を奪われ、秘密の逢瀬を重ねるようになる…。
本作は100年もの間、世間をざわつかせてきた作品である。1928年に作者が不謹慎承知で、私家版として出版し、酷評もされつつ、一部では人気を博する。
イギリスで無削除版(という言い方が既にエロい)が公刊されたのは1959年。猥褻文書として告訴されるも、結果は無罪となる。
日本で初めて無削除版が出たのはそれに先立つ1950年。当局からは発禁処分を受け、出版社と訳者がわいせつ文書頒布罪で起訴され、有罪が確定する。これが、かの有名な『チャタレー事件』である。言論の自由とは、わいせつとは何かということが、何人もの著名人が出廷して証言し、法廷で真面目に論じられたのである。
一度は絶版という憂き目にあった完訳だが、社会通念の変化という(猥褻に寛容になった?)世の流れや、本国イギリスでの無罪も受けて、現在は完訳が普通に流通している。
急に濡れ場になっていたり(ぼんやり読んでたら、「はっ、何、もう始まってる!」と驚く)、コニーが性の悦びにふけり、やたらと子宮に注意を向けたりするし、セックス前後の男根の有様がリアルに描写されたりするもんで、なるほど、こりゃ1950年代なら『猥褻文書頒布』とか言う奴いるんだろうなと少し納得もする。(今では考えられないけど)
いや、でも面白かったです。確かに男女の性愛を描いているのだけど、主題の描写に必須だっただけで、殊更にエロを描こうとしてるんじゃないよね。読めばそれはわかる。夫も妻も、どこかしら、身につまされることがあるのではないかな。
やはり良きも悪きも、話題になるロングセラー作品には、普遍性が感じられる。
小説は読んで面白いと感じられるかどうかで、わいせつかどうかなんかを考える前に、純粋に作品として楽しんでほしいなと思う。たぶんロレンスもそう思っていたはず。-
土瓶さん
こんばんは!どうぞどうぞ〜おいでやす〜。
本館工事は迷走しているので、こっちメインにするかもしれません^^;土瓶さん
こんばんは!どうぞどうぞ〜おいでやす〜。
本館工事は迷走しているので、こっちメインにするかもしれません^^;2024/04/06 -
2024/04/07
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2024/04/07
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本作を読んでいると、SNSには「成功という雌犬に腰を振る」ヤツばかりいるように思えたし、私自身も「ゴムとプラチナ」で出来てるヤツに思えてきて仕方がなかった。坑夫たちが鉱山に宿る霊ならば、コニーとメラーズは森に宿る霊だろう。やがて破壊される運命の森の霊。いつまで守れるかわからないけど、たとえ短いあいだであっても名もなき神に守られてほしい。柔らかく温かい二人の肉体は、森に咲く花々のように美しいけど、はかなく脆い。コニーとメラーズの心の揺らぎも、魅力的だ。生身の人間らしく、恐怖や不安に揺らぐ意識は、香水やスパイスのように、美しく、魅力的に描かれている。常に一貫性を保つブレない意識など、ありはしない。意識の揺らぎは、甲殻類的人間(外側が堅い甲羅で、肝心の中身が溶けている人間)ではない証左だろう。沢山の「ハイライト」をKindleに引いた。記憶に残したいフレーズが沢山あったからだ。主人公達以外の人物も、興味深く描かれていて、会話部分もお洒落である。
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D・H・ロレンスの書いた原書も、伊藤整の手掛けた翻訳書も、いずれも性愛に関する表現をめぐっては「芸術か猥褻か」で論争の的になったと聞くが、実際本作に目を通してみれば、それは純然たる文学以外の何物でもなく、猥褻さは微塵も感じられなかった
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新婚早々に戦地で負傷し下半身不随となった夫クリフォードとの生活に倦んでいたコニーは領地で働く森番メラーズの持つ独特な魅力に惹かれ、いつしかふたりの仲は相思相愛へと発展していく。やがて、コニーのなかにメラーズの子供が欲しいという抑えようのない気持ちが強まり、ある計画を遂行する
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拝金主義社会、工業化社会、階級社会に対する痛烈な批判を含むこの小説の主題は生の謳歌であり、あくまでも性愛はその象徴としての扱いだ。従って、セックスに関する描写だけを部分的に切り取って公序良俗に反すると評すのは愚の骨頂だろう。とは言うものの、不貞な関係を結ぶ身分違いの男女が全裸でお互いのアンダーヘアに草花を挿して(しかも男の方は自分のペニスに蔦を絡ませ)野外で戯れるなんてのは、百年前の人々からしたら相当ショッキングだったのは間違いなく、眉をひそめられるのも無理はなかった気がする。ロレンスはちょっと時代を先取りしすぎたのかもしれない
森番メラーズのイメージが想像していたのとはだいぶ違った。頁を開く前は偉丈夫でワイルドな無学の男(俳優に例えるなら若き日のマーロン・ブランド)を何となく頭に思い浮かべていたのだけども、文中に表されていた彼は中背で痩せた青白き容姿に知性と気位の高さを備えた男だったのは誠に意外。しかし、メラーズという人物が階級差を超えてコニーの愛してしまう相手と考えればこちらの方が現実味と説得力はある
メラーズがコニーに語る言葉のなかに、(軍隊所属時の)上官を愛した、とか、男が好きだ、などの記述が見られる。これらは彼がバイセクシャルなことを示唆しているのか。コニー自身は動揺する素振りもなく軽く受け流しているのだが、どう捉えたらいいのだろう。気になるところだ
今回手にした新訳版の訳者は私と同世代の方(あとがきによれば名画座に足繫く通った映画ファンでもあるらしい)。活き活きとした訳文には全く古臭さがなく、あっという間に二度読み終えた。あらたまった英語と方言の使い分けに苦慮されたようだが、その甲斐あってかリズムがとてもいい。コニーの豊饒なヒップを撫でたメラーズがいとおしみながら呟く「いい尻してんなぁ」「君の尻はたまんねぇ」はなかなかの名訳
将来に渡り、折に触れて再読するであろう私の好きな類の作品。次はぜひ伊藤整の訳版にトライしたいと思う -
性の描写はそこそこあったけど、表現に美しさがあった。
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これは予想外!官能小説かと思っていたら、淫靡さよりも崇高さを感じさせる社会派。エロいっちゃエロいが(笑)。
近代化により失われていく人間性や生命力を見つめ、その本源的な回復を性愛に託して表現したというところだろうか。けっして単純に「わいせつ」という言葉だけで片付けられる内容ではない。約1世紀を経た現代にも通じる文明社会批判と、性を通じてスピリチュアルな高みにまでのぼる思想性が際立つ。
発禁や裁判などで有名な本作。過激な性描写と背徳感に満ちた世界観を予想していたのだが……。良い意味で裏切られた感と、その清々しい感動に今、他の翻訳も読みたくなっている。
こんな時代だからこそ、希望を胸に秘めて、本物の人生を生きろと語るメラーズはエロゲの主人公のようにカッコいい。 -
面白かった。猥雑性が問題となり有名な検閲事件を巻き起こした1冊。戦争から下半身不随となって帰還した夫クリスフォードとその妻コニー、コニーの愛人で森番のメラーズ、クリスフォードを世話するボルトン夫人、コニーの姉ヒルダ。上流階級の夫人であるコニーはメラーズと出会ったことで機械的なイギリス社会の現状、真に生を謳歌することとはなど新しい世界にふれていく。猥雑性が問題となった本でしたが、そこまで気になりませんでした。昔の日本はこの内容で大騒ぎしてたんだなぁ、、
お金を稼ぎ続けることが果たして人間にとって真の幸福なのか現代世界にも通じる問題だと思った。 -
なんというか、惹かれ合う二人がかわいいと思ってしまう。
花で飾ったジェインとジョン・トマスの結婚式に思わず顔がほころぶ。恋人同士は時にこんなちょっとしたおふざけをするものだ。
機械化が進み人々はお金を求め、大きく変化しようとしている世の中を悲観しつつ描かれるイノセントな恋に、ロレンスの繊細さが伺える。
草木を潤しイングランドの空気を感じさせる雨も印象的。 -
クリフォード・チャタレーの妻コニーは、“男と恋に落ちるには、まず言葉で親密な関係を築く必要(p21)”がありました。そのため、性生活をあまり重視しないクリフォードとの、“性を超え、男の性的な満足感も超えた自分たちの間柄に”、“多少の誇らしい喜びを覚え(p31)”ていました。
“ただコニーはどうしても子供が欲しいと思った(p31)”のですが、クリフォードが戦地から送り返されてきたとき、ずたずたの状態で、一命は取り留めたものの、体の下半分、つまり腰から下が永久に麻痺したままとなってしまいました。
いつしかコニーには、“自分を犠牲にし、クリフォードに一生を捧げてどうなるというのか(p151)”という“反抗心”がくすぶります。そして、森番のメラーズに恋をします。
裏表紙には“地位や立場を超えた愛に希望を見つけようとする男女を描いた至高の恋愛小説”と書いてあります。確かに二人の地位は異なっており、それでも関係なく惹かれ合う恋愛でした。
しかし、読んでいて二人はいつか別れるのではないかと思っていました。メラーズが妻バーサ・クーツとなかなか手を切れずにいて、彼女が下品な話を触れまわっているとコニーが知ったとき、“遠方に来ている自分までもが汚辱にまみれようとしている”と、“メラーズに怒りを覚え”(p550)ています。また、コニーが「赤ちゃんができたの(p572)」とメラーズに言ったとき、メラーズの顔からは、いっさいの表情が消えます。コニーが「うれしいと言ってちょうだい(p572)」と言っても、メラーズは言ってくれません。
それでも、最後のメラーズからコニーへの手紙は、美しく、愛している気持ちと、希望を感じることができました。