二十世紀の怪物 帝国主義 (光文社古典新訳文庫)

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著者 : 幸徳秋水
制作 : 山田 博雄 
  • 光文社 (2015年5月12日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334753115

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二十世紀の怪物 帝国主義 (光文社古典新訳文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 明治時代の思想家、幸徳秋水が1901年にまとめた本。1894~1895年に日清戦争、1905年に日露戦争という時代。この時期は今後の日本の方向性が決まったといえる、この重要な時期に書かれた、この本の内容は非常に興味深い
    章は「前書き」「愛国主義」「軍国主義」「帝国主義」「結論」と分かれている。

    愛国心の内容は現在にもつながる、いや国とは何かという大きなテーマで、今後も答えがでるか分からないテーマだ。ここで幸徳は自国中心の考えの元凶ともいえる愛国心を悲しむどころか「愛国心がのさばり蔓延することを許さず、必ず、これを刈り取らねばならない」と断言する。極端ともいえる意見に思える。だが、その40年後に「鬼畜米兵」「一億玉砕」「お国のために云々」というスローガンが生み出されていくことを考えると、軍国主義、帝国主義や戦争というテーマよりも先に愛国心の危険性を述べているのは、非常に興味深い

    次章の軍国主義では軍事拡張のロジックが成り立っていない点と政治家批判(特に山縣有朋。幸徳は日清戦争での日本軍横領をスクープ、真鍋斌を休職に追い込んでいる)を繰り広げる。正直、現代で言う政治家批判の論調を盛大にしている、というのが正直な感想だが、「軍人が政治を行うことへの危険性」を警告している
    さて、帝国主義であるが、ここで述べられているのは、やや散漫な印象を受ける。読み解くのが、当時の空気(歴史であり庶民の生活、思考等)がないと、しっくりとこないように思える。ここで述べられているのは帝国主義の目標が領土拡張という点。その目的が矛盾しているという点を論じている。だが、しっくりこない。なぜだろうか
    仮に日本が領土拡張は考えなかったとする。その場合にどうするのか、どうすればよいかが全くみえてこないのだ。当時は植民地戦争真っ盛り。白人以外は全てモノ扱いとして、アジアは単なる侵略先でしかなかった。それに対しての対抗策をどうするのかという点だ。
    日本が自国を守るには、朝鮮半島はおさえなければならない重要な拠点だ。朝鮮からすれば迷惑な話だが、日露戦争では、この拠点をおさえることで制海権を握ることができたのは事実だ。かといって、当時日本がそうせずにどうすればよかったのか。全く見えない

    この本を読んで、現代の問題を解決する何か新しい知識を得るというのは当然無理な話だ。だが、当時を考え、今現在同じような選択肢をとる失敗は避けられるだろう。そして、レーニンらに先駆けてこのような著書を世に送り出した人物が日本にいたということを知るのは誇らしく感じる(これって愛国心なのかしら?)

    なお、、この10年後に幸徳秋水は大逆事件の首謀者として処刑される。この本では「死刑の前」という未完の絶筆も掲載されているが、これも必見だ。死を前にした人間が書く文章とは如何に。
    そして、幸徳の思いとは別に日本は軍国主義をつき進んで行く。

  • 日清戦争後に書かれた著。

    帝国主義とは愛国心を縦糸とし、軍国主義を横糸として織りなされた政策である。帝国主義の隆盛により、軍費は天井知らず。金持ちは戦えば益々富が増え、一方貧民は何も得るところなく、ただ国家のために戦い奴隷(のような)境遇に見を鎮めるだけである、にもかかわらず敵を討伐したという過去のむなしい栄光にすがって甘い自己満足に浸る。

    これは現代日本とまったく同じ状況なのではないか?

  • 100年以上前の社会主義運動家の著者が書いた帝国主義の時代の批判であり、帝国主義とは何であるかというものを書いたもので、彼が国家により抹殺される(処刑:死刑)寸前に獄中で書いた死刑の前という未完の二編が収められている。

    読んでいて思ったのだが、今の時代(安倍内閣)に押し進められていることなどが実に合致すると感じた。

    軍備拡張の動機として
    政治家が軍備拡張を押し進めようとする動機は、一種の狂気、意味のない誇り、好戦的な愛国心であり、それがすべてである。また、軍人がたんに事件やさわぎの起こることを望み、多くの兵法・戦略をもてあそぶということもある。あるいは、武器や食料そのほかの軍需品を提供する資本家が、一攫千金の巨大な利益を得ようとして、軍備拡張をおし進めるということもある。
    ・・・・・
    軍人や資本家が彼らの野心を逞しくすることができたのは、じつは多数の人民が意味のない誇りと好戦的な愛国心に熱狂した機会に、うまくつけ込んだからである。

    実に今の時代に合致する部分がある。

    帝国主義とは何か
    帝国主義とは幸徳の定義によれば
    「愛国心」を経(たていと)とし、「軍国主義」を緯(よこいと)として、織りなされた政策
    であるとしている。
    まさに今の自民党の議員たちが愛国心愛国心と煽り、平和法制(戦争法案)を通そうとしていることがこれではないかと時代を100年さかのぼるような気持ちになる。

    世界の人を愛し、差別もなく、憎しみもなければ愛国心というものは生まれない。生まれなくていいのだ。
    他国の人々を憎むことによって自分の国に対する愛国心がある。子どもが窓から落ちそうになっている時にどこの国の子どもかどうかを考えていなければ全ての子どもを助けようとするが、戦争をしたり敵対している国があればその国の子どもであれば憎悪や侮蔑が生まれ、自分の国への愛国心があればそういう差別(区別)が生まれてしまう。愛国心でなく全ての人間を国は関係なく愛することが大事ではないだろうかと幸徳の根底にあるのではないかと思う。

    獄中でしに対して第一章を書いたところで処刑され未完となったものはその当時の帝国主義の国家がまともな裁判もせずに抹殺してしまったから、幸徳という思想家の生きていたら書かれただろう日本の財産が断ち切られてしまった。

    このような死刑は今の時代には出来ないだろうが、時代が100年以上経った今の日本に現在進行形で起きていることが、幸徳の批判した時代と変わらない部分が醸されてきていることに憂慮する。

  •  しかし考えてみるがいい。真に高潔なあわれみの心、慈善の心は、わが家かよその家庭科、友人か他人か、などという区別を決してしないだろう。いまにも井戸に落ちそうになっている幼児が、自分の子か他人の子か、などと分けへだてしないのと同じである。だから、世界各国どこでも愛情に満ちて正義を貴ぶ人々は、トランスヴァールの勝利と復活を祈り、フィリピン人のためにその成功と独立を祈った。トランスヴァールの敵国であるイギリス人にもそのような者はあり、フィリピン人の敵国であるアメリカ人にもそのような者はある。例の「愛国心」は、はたしてこんな振る舞いができるだろうか。(pp.28-29)

     国民が国家の威信や栄光に酔うのは、個人がブランデーに酔うようなものである。酔いがまわれば、耳はほてり、目はくらみ、気分はやたらに高揚して、屍の山を越えても、その悲惨が目に入らない。血の河を渡っても、それがけがれていることを知らない。むしろ意気盛んで、得意がっている始末なのだ。(p.59)

     こんなふうに言ってはいけない。「愛国心をもつ音は、人間の自然にそなわった性質だから、結局、しょうがないよ」と。こう考えるべきだ。「その自然から発生するさまざまな害悪を防ぎとめることが、人類の進歩する理由ではないのか」と。
     水は長いあいだ停滞して動かなければ、腐敗する。これは自然にそなわった性質である。もし水を流れるままに、どこにでも動くようにしてその腐敗を防ごうとするなら、「それは自然の性質に逆らうことだ」といって、咎めるべきだろうか。人が老衰し、病気になるのは自然なことである。これに対して「薬を与えるのは自然の性質に逆らうことだ」といって、責めるべきだろうか。(中略)
    人は自分から進んで自然の弊害を矯正するからこそ、進歩があるのだ。生まれながらにもつ自然な欲望をもっともよく制御する人民は、道徳のもっとも進歩した人民である。天然に算出される物に対して、もっとも多く技術を駆使し、人の手を加えて、人間に役立つものを作り出した人民は、物質的にもっとも進歩した人民である。文明の幸福と利益を享受しようとする者は、自然のいいなりにならないことが必要である。(pp.74-76)

    だから、知らなくてはいけない。迷信を捨てて知識を求めること、熱狂を取り払って理想と道義を求めること、内容空疎な誇りを捨てて真実を求めること、好戦の念を取り払って博愛の心を求めること、これが人類進歩の王道だということを。
    だから、知らなくてはいけない。いわゆる野獣的な本能を脱出することができず、今日の「愛国心」のなすがままに突き動かされてしまう国民は、品性いやしく、下劣であるということを。まして、そんな国民が「われわれは高尚な文明国民である」などと称することはできないということを。(pp.76-77)

    私は戦争が社会と文芸の進歩を邪魔するのを見たが、いまだ発達を助けるのを見たことはない。日清戦争の時にできた『うてや懲らせや清国を』という軍歌を、わたしはまさか偉大な文学であるということはできないのである。
    刀や槍や戦艦や大砲が改造され、性能が進歩して、堅くてじょうぶで鋭いものになるのは、ひょっとしたら戦争のおかげだと思えるかもしれない。しかし、これはみな科学技術の進歩の結果であり、じつは平和の賜物ではないのだろうか。仮に武器の改良が戦争そのものの成果だとしても、これらの発明や改造は、国民を高尚で偉大にすることに関係のある知識と道徳の面で、どれほどの貢献があるというのか。(p.98)

    帝国主義者のいう「大帝国の建設」は、必要ではなく、欲望であり、福利ではなく、災害である。国民的な発展と広がりではなく、少数の人間の大きな功名心と野心を満たすためのものである。貿易ではなく、投機であり、生産ではなく、強奪であり、自国の文明を植えつけるのではなく、他国の文明の破壊である。どうしてこれが社会と文明の目的であろうか。国家経営の本来の趣旨であろうか。(p.175)

    そもそも国民の誉れとなる繁栄と幸福は、決して領土の広大さにあるのではなく、その道徳の程度の高さにある。武力の強さ、盛んな勢いにあるのではない、その衣食の生産の豊かさにある。イギリスのこれまでの名誉となる繁栄と幸福は、あの厖大なインド帝国を所有していることにはなくて、むしろひとりのシェイクスピアをもっていることにある、というのはまことにカーライルのいう通りではないか。(p.176)

  • ホブソン、レーニンに先駆けて書かれた「帝国主 義論」の嚆矢。仏訳もされ、基本文献として高く 評価されている。師・中江兆民の思想を踏まえ、 徹底した「平和主義」を主張する「反戦の書」。 大逆事件による刑死直前に書かれた遺稿「死刑の 前」を収録。

  • この作品が世に出たのは1901年。日清戦争に勝って、日本が帝国主義まっしぐらのときだ。この時点で帝国主義を分析したことの凄さ。レーニンよりも早いもんね。公正な富の再分配を行わず、簒奪の手法でしかない帝国主義を批判している。
    と、そんなことより、この批判が現在の日本、特に政治に対して正鵠を得ているので、結果としてとても分かりやすい。今の世界も植民地問題は表に出なくなったけど、資本を介在とした帝国主義そのものなんだと分かるんだ。

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