カンディード (光文社古典新訳文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (293ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334753191

感想・レビュー・書評

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  • 面白かった。純粋で真面目で師匠の説く最善説をひたすら信奉するカンディード。苦難の旅で信じるものが揺らいでゆき、第二十三章では「この世界はいったい何なんだ」と悩むカンディード。第二十九章礼を尽くしてきた身分の高い恋人の兄を面と向かってとうとう「バカ殿」呼ばわりするカンディード(ここは笑いました)。人間について生きることについて現代でも解決できない同じことを、ずっと昔から人は悩み苦しんできたらしい。「リスボン大震災に寄せる詩」は素晴らしかった。よくも自分はカンディードとこれを読まずに今まで人生に悩んでこられたなと思う。詳しい解説がまた素晴らしく、目を開かされた思い。
    パングロス先生を私は滑稽とは思わない。その生き方も尊重されるべきで、彼がカンディードの支えとなり読者の思考を深める。
    解説でライプニッツ、ルソー等の本も紹介されている。本をめくりかえしながら、人生ってなんなのかを問うわたしの旅への出発はここからだなと気づく。

  • うーん、最初は読みやすいのかなー、と思っていたけど、物語はあっさりなのにも関わらず(思想の厚み)がでかすぎて、「だってえ〜、あたしって〜、こうだからあ~(チラッチラッ)」みたいな文章が続くのでしんどく息苦しく。その根っこの思想を理解していると面白さは違うんだろうけども、肩凝ったことない子供がジジババの肩をもんで意味があるのか!みたいな。肩こりを理解したものが揉むことによって初めて意味があるというか。

  • リスボン大震災に寄せる詩を目当てに読んでみた。
    あまりの惨事に、18世紀当時支配的であった最善説、すなわち、世界は神によって最善のものとして作られているのだから、いまここが不幸に見えてもより大きく見ればそれは最善なのだ、という考え方を疑うというもの。災害は天罰なのか、それともめぐりめぐって実は救済なのか、どう、この惨事を腹落ちさせればよいのか、という悩みは、現代もなお続いている。
    地震そのものの描写も興味深い。

    カンディードの方は、最善説を信じてよいのかと悩める冒険物語。理想郷としてのエルドラドの扱いや、ちらっと日本が出てきたりするあたり、スイフトのガリバー旅行記とも通じる感じがした。ほぼ同時代のもの(ガリバー旅行記の方が先)だし、影響があるのかも。

  • こんなにも笑える古典は初めてだ。
    たっぷりといたずらな皮肉が効いている。

    不幸の域値を越えて爆笑となる。
    だが中盤、あまりにも悲惨なので笑えなくなってくる。

    だが、終盤はもはやめちゃくちゃで哲学コントと言われるのもよくわかる。


    だが、ヴォルテールは至って本気でこれを書いているのだろう。

    本書を通じて一貫してあるテーマは、
    「人が生きるということは、善なのかそれとも悪なのか?」
    という人や人生の本質への問い。


    実は、ヴォルテールはルソーから批判の手紙を受け取っていた。
    「君の考えには人間の原始状態への考察への配慮が足らないよ」と。

    この『ガンディード』は、そのルソーへの暗黙の返答だったのだ。
    それを踏まえて読むとさらに面白い。

    ルソーとヴォルテールの議論を、この『ガンディード』という物語を通して垣間見ているようだ。


    結論として、
    ヴォルテールは議論している暇があったら働こう。なぜなら、退屈、堕落、貧困というのは不幸の元凶であり、働くことはそれらを退けることになるのだから、と。


    この働くということを重んじる思想は、
    聖書からの引用でもあるように、
    庶民は働かなければ(主に農業)生きていくことができない時代を反映しているものであり、
    それをそのまま現代に置き換えることは出来ないと思うが、
    それだけではないより深遠なメッセージがそこにあることを感じる。


    働かなければ生きていけない時代から
    働かなくても生きていける時代の今。

    働かざるもの食うべからず、から
    働かなくても食っていいの現代。

    人はパンのために生きてはいない。
    だが、パンなしでは生きられない。
    そして、ただ何もせず無為に過ごす(働かないというのをその意味で使うならば)ことは出来ないのだ。

  • 自分の畑を耕せ。自分自身にとって、真実が何かについて考える。大事なのは、今此処にいる私である。

  • 津村の読み直し世界文学の1冊である。啓蒙主義のボルテールであるが、思想を示したものというよりも、哲学者の冒険を描くことで、教会の権威を借りたデタラメを描いたものである。カトリック、プロテスタント、イスラムについてその聖職者のでたらめな姿を描いている。

  • なかなかシュールでギャグ・コメディタッチなものの、ネタは皮肉・エロ・グロ、残りはこの世の生々しい真実で占められているためクスリとも笑えない。むしろ人間の醜さをこれでもかと見せつけられることで「人間の存在意義とは」みたいなことについて考えさせられた(こんなこと考えるのいつ振りだよ…?)。つまり哲学書なのだった。

    タロットで言うところの愚者であるカンディードが騙されたり残酷な目にあいながら地獄のような世界で何をよすがに進んでいくのかと言うと、それはクネゴンデに再会すること…つまり「希望」があるから人は生きていけるということなのか…。
    彼らの行く末には見事なオチがついている。

  • 18世紀の啓蒙思想家ヴォルテールの哲学的小説。波乱万丈の冒険譚を通じて「最善説」に疑問を投げかける。

    何やら哲学がテーマになっているというのでどんな小難しい話が出てくるのかと思ったら、冒頭からたたみかけるような災難・悲劇・試練のオンパレードで引き込まれた。息もつかせぬスピード感で波乱万丈の大冒険を繰り広げる主人公。彼はただ運命に翻弄されているだけにみえて、その胸には常に「恩師の教え『すべては最善である』は本当か?」という命題がつきまとっている。この「最善説」という考え方は、本書に反発したルソーのように色々な解釈ができ、多くの人を議論に巻き込んでしまう魔力のようなものがあるように思える。この物語の中でも主人公を中心に議論がたえない。悪や不幸を目の前にして、すべて神の創った最善といえるのか。それでは希望とは……。こちらも考え込んでしまうことしきりである。

    若者カンディードの冒険譚というメインラインだけでエンタメとして十分面白い。その上で議題の哲学的テーマについて、同時収録の「リスボン大震災に寄せる詩」と合わせ、一通りの思索をめぐらせる機会となった。あらゆる苦難・辛酸を味わった主人公が最後にたどり着く結論が感慨深い。最後の一行……人間にはこれしかないよなぁ、と。

  • ライプニッツの最善説、カトリックに対する痛烈な皮肉だが、そうならざるを得ない苛烈な現実認識があり、その元となった「リスボン大震災に寄せる詩」も収録されている。
    カンディードは、どんな無体な現実の体験をしても、哲学の眼鏡を通してしか認識することができないが、最後になってようやく、目の前の畑を耕すことの方が重要である、と言う事実に気づくことになる。
    カンディードのあまりに過酷な経験に目を覆いたくなったり、キリスト教的な道徳や、救いの少ない結末に違和感を持つ読者もあるだろうが、それが、リスボンの大震災の経験に基づいている、と思うと日本人としては途端に親近感を覚えることも事実。

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著者プロフィール

1694年にパリで公証人の息子として生まれ、20歳を過ぎた頃から83歳(1778年)で没するまで、詩、韻文戯曲、散文の物語、思想書など多岐にわたる著述により、ヨーロッパ中で栄光に包まれたり、ひどく嫌われたりした文人哲学者。著書に『エディップ(オイディプス)』『哲学書簡』『寛容論』『哲学辞典』などがある。

「2016年 『カンディード』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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