ピノッキオの冒険 (光文社古典新訳文庫 Aコ 9-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (387ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334753436

感想・レビュー・書評

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  • 2ヶ月ほど前にディズニー+で実写版が配信されましたね。まだ観ていませんが…
    今回はある読みたい本がありまして、その予習として本書を手に取りました。はじまりはじまり…


    原作を読んだのは初めて。アニメーション版はうろ覚えだけど、ストーリーは意外と忠実寄りかも。
    元はおしゃべりの棒っきれだったピノッキオが、ジェペットさんによって木製の操り人形へと生まれ変わる。生みの親を喜ばせようと「いい子」を目指し学校へ通おうとするが、行く先々で様々な誘惑に引っかかってしまう。「いい子」への道は激しく遠ざかり、九死に一生を得るような試練が彼を待っているのだった。哀れなジェッペットさんは、帰宅しない”我が子”を探しにとうとう海へと出るが…

    ピノッキオ君の学習能力がダメダメ過ぎる(T . T) 何度も忠告を無視するし、あっさり誘惑に引っかかるし。子育て経験さえあれば「子供は一発では言うことを聞かないもの」と諦めもつくだろうけど、こちらはイライラさせられっぱなしで感情のコントロールが難しかった笑
    主な読者層でピノッキオと同年代の子供達でさえ、これにはうんざりするだろうな。

    ここまでボロクソ書いちゃったけど、彼は完全な悪ガキではない。誘惑に負ける前も後も、ジェッペットさんを必ず思い出し、何とか親孝行したいと願っている。そして一番の願いは「いい人間の子になる」こと。
    彼の一助となったのは、コオロギに、旅の道中に出会う動物たち、そしてアニメーション版の「ブルー・フェアリー」にあたる仙女と、振り返れば結構いる。
    ピノッキオが遠回りをしながらも改心していく様子から、子供が怠け者に身を落とさないよう導いてあげるのが大人たちの役目なんだなと再認識した。

    注釈の内容も興味深かったりする。
    例えばロバに変身する場面。「何でロバ?うすのろっぽいから?」というしょぼい推測をしていたが、かつてヨーロッパの学校では劣等生に対して「ロバの耳」帽子を被らせていたのが由来との事。
    他にもフィレンツェ語にちなんだ命名etc.と、物語への間口を大きく広げてくれる解説が充実しており、読み飛ばすのがもったいなかった。

    翻訳者の解説にて、著者がピノッキオを丸々自身に投影させていたという事実も判明する。ピノッキオが仙女を母親として慕ったように、自身も母親っ子。作中ピノッキオへの援助が多くあったように、文筆家になれたのも多くの支援者がいたから。そして誘惑にもろ弱く、アルコール依存や賭博癖が酷かった。
    なるほど、だからあんな真に迫るほどのイラつきを観測したわけか笑 『ピノッキオ』は著者の自戒の書でもあるのか。


    アニメーション版よりも暗部が点在しており、その濃度も高かったです。そのぶん続きが気になり、サッと読破できました。
    さて、自分は次の目的地へと向かいます。ピノッキオ君のように道草も食うでしょうが、無事辿り着いた暁には真心を込めてレビューします。その日まで、皆様ごきげんよう…

  • とても小さい頃に絵入りの子ども向けの本で読んだ記憶がある。大きなクジラ(サメ)のお腹に飲み込まれてしまう場面とさし絵をぼんやりと覚えている。嘘をつくと鼻がするすると伸びるのも楽しい。

    そして今回初めて、フルスペックの内容で読了。改めて読んで新鮮な読後感を得た。児童書の多くは子ども向けに抄訳されたものであるのを実感。

    宣伝用の帯には「 ピノッキオはトラブルメーカーだった! 」とあったが、ピノッキオはむしろトラブルに巻き込まれる側なのであった。意志が弱くおつむも弱いので、ペテン師嘘や誘惑にすぐ騙されてしまうのだ。
    ほぼ同時代のイタリアで書かれた「クオーレ」は級友への思いやりや人への優しさや共感を直接的に訴える感じであったが、ピノッキオは彼の失敗や愚かさを通して教訓としているようだ。解説によれば、ピノッキオもやはり小学生くらいの子供達のために書かれたそうで、学校の副読本としても使われたという。
    1883年刊(完結)。

  • 岩波少年文庫あたりで過去に読んだことがあるのだけど、最近『クオーレ』を読んで、解説でイタリア児童文学の双璧的にピノッキオと比較されることが多いというのを知り、あらためて読み直したくなり新訳文庫で。

    ディズニー映画あるあるだけれど、原作は全然テイストが違う。喋る木の板からジェッペットじいさんに作られたピノッキオは、生意気で世間知らず(ここまではいい)。しかしディズニー映画ではジミニー・クリケットというMC的キャラクターとなっている親切なコオロギの助言に聞く耳もたず(実際ピノッキオには耳が作られていない!)、ほんの序盤でいきなりこのコオロギをに木槌を投げつけ殺してしまう。以降、度々出てくるコオロギは幽霊。

    とはいえじゃあピノッキオが人の心を持たない残虐非道な悪童かというとけしてそういうわけではなく、おとうさん(=ジェッペットじいさん)の優しさはちゃんとわかっているし、自分を助けてくれたあやつり人形の友達のために犠牲になろうとする精神もちゃんと持ち合わせている。ただちょっと、思慮が浅く欲望や好奇心に負けがち。でもまあ冷静に考えたら彼はまだ「生まれたて」なのだから仕方ない。ピュアだけど愚か、いや、ピュアゆえに愚か、というべきか。とにかく未熟なので間違いを犯す。そうこれ、つまり実はまんま、人間の子供と同じなのですよ!(苦い薬を飲むのが嫌で駄々をこねるくだりなど本当に子供が言いそうで描写が秀逸)

    それにしても子供むけにしてはなかなかハードだなと思うのは、ピノッキオを騙すネコとキツネのやりくち(ものすごく巧妙な詐欺師!そしてピノッキオが従わないと縛り首にして木に吊るすという残虐性)や、ぶどうを盗みに畑に入ったピノッキオが罰として首輪をつけられて番犬の代わりをさせられるくだり(人間の子供で想像するとちょっとエグい)、仙女さまのおかげで一時的に改心して学校へ通っていたピノッキオを苛める不良たちの言いぐさが80~90年代の学園ドラマみたいだったり(そしてピノッキオも負けずに暴力で対抗)、なかなかに、悪のバリエーションが豊富かつ現実的なところ。お腹は減るけど仕事はしたくないピノッキオの言いぐさは、ある意味とても現代っ子な気すらする。1883年のイタリアの児童書が100数十年後の現代日本でもこれほどリアルに感じられるとは!

    今度こそいい子になると何度約束しても、また悪い友達の誘惑に騙されてフラフラと楽なほうへ流されるピノッキオ。仙女さまに明日人間にしてあげると言ってもらえたその前日に、木曜日が6日間(※イタリアでは木曜が学校休み)と日曜日しかないという「おもちゃの国」へ出かけて5ヶ月のあいだ遊び暮らし、ついにロバになってしまい、サーカスに売られ、失敗して今度は太鼓の皮にされかけ・・・とお馴染みの波乱万丈が続く。そしてクライマックス、巨大魚のお腹の中でジェッペットさんと再会。これ、元ネタの聖書のヨナの話も、アニメでもクジラになっていましたが、原作のこちらはサメでした。

    ところでこのヨナの話もそうですが、解説を読むとこのピノッキオの冒険、聖書との関連を結構深読みできるらしい。確かに構造は「放蕩息子の帰還」(父の元へ帰る息子の話、悪童も迷子の子羊も神は見捨てない)だし、ピノッキオが「おかあさん」と呼ぶ仙女さまは聖母マリアっぽいし、「おとうさん」であるジェッペットの名前はイエスの父ヨセフのイタリア読み、職業も木彫り職人で大工に近い等々、そうするとピノッキオはイエス・キリスト、磔にこそされないが木に吊るされて死にかけたところを蘇る。

    ジェッペットじいさんは、序盤では大工のチェリー親方と殴り合いをしたり結構荒っぽいんだけど、生意気なあやつり人形のピノッキオを息子として溺愛し、貧乏なのに自分の上着を売ってピノッキオの教科書を買ってあげたり無償の愛をそそぐ。放蕩しまくるピノッキオを探してまわり魚に飲まれちゃったりしてひたすら気の毒なんだけど、親が子にそそぐ愛情の深さをしみじみ感じさせてくれる。どんなバカな子でも親は可愛いんだなあ。そしてその愛情に気づいたときに放蕩息子のピノッキオも芯から改心する。

    アニメでは「ブルー・フェアリー」と呼ばれている仙女さまは、最初は「青い髪の少女」の姿で登場、人間を超越した存在なのに成長するのが謎でした。仙女という翻訳が一般的だけど、妖精でも魔女でもなく仙女って、原語はどういう意味なのかちょっと知りたい。

    あと本筋と関係ないけど、イタリアなので出てくる食べ物がおいしそうだった!ジェッペットじいさんがサメに飲まれたときの様子を表現するのに「ボローニャ風トルテッリーニを食べるみたいに」ぺろっといかれた的表現をしてて妙にツボったし、「バターをたっぷりつけたパニーノをカフェオレに浸して」食べるのとか、なんかわかんないけど無性に試してみたい!

    総じて、やっぱり量産型良い子洗脳ディストピア小説『クオーレ』よりも、ピノッキオのほうが圧倒的に人間くさくて可愛いし、面白かった。ディズニーアニメのピノキオももちろん可愛いし「星に願いを」は名曲だけど、原作のほんっとクソガキなピノッキオも大好きにならずにいられない。

  • ディズニーのアニメのようなキラキラしたのは一切なく、大人も学ぶ事の多い本だった。
    ディズニーのをイメージすると、奈落の底へ突き落とされる。
    自分を律していく事の難しさと、様々な困難や誘惑を周りの良い大人たちに教わりながら沢山の教訓を学び、人間らしく成長していく過程が主になってるけど、1人じゃ生きていけないという事と、またそれが子供のピノッキオだから自分もまだ遅くないのかもしれないという希望が持てた。
    親になる前の大人にも薦めたい一冊。
    親とは何か、大人が子供にしてやれる事は何か。
    また子供とはどんな生き物なのか。
    様々な視点から沢山の教えを貰った、良い本だった。

  • ピノキオと聞いて思い浮かぶのはディズニー作品のピノキオ。こちらの原作はイタリアの名作児童文学。ピノキオは人形に魂が宿ったものではなく、もともとイタズラ好きな棒切れだったとか、ディズニーとはずいぶん雰囲気が違う。(ロバになるとこ、鼻が伸びる、サメ(フカ)のおなかに飲まれるなどは原作通りだが)ファンタジーではあるもののかなりシニカルな印象。解説も50ページほどありボリューム大。子供用に端折られたり、描写が穏やかになっているものではなく、こういった形でピノキオに出会えたのは僥倖である。

  • いかに今までディズニーのピノキオに毒されてきたことか。もちろんそれはそれで面白いのだが、原作は輪をかけて面白かった。こんなひどい子供が変わるなんて。でもあとがきを読むと当時の世相や背景がわかって理解が深まった。

  •  2017年9月9日(土)に紀伊國屋書店梅田本店で購入し、同日読み始め、14日(木)に読み終えた。

     「ピノキオ」で知られるこの物語の原作をこれまで私は読んだことがなく、おそらくディズニーの映画やアニメなどでも観たことがなかったのだけど、どういうわけかピノキオは人間になれなかったものだと勝手に思い込んでいて、恥ずかしながら本書で結末を知って驚いた。訳者による解説を読んで思ったのだが、もしかするとコッローディがいったん物語を終わらせた第15章までの話をどこかで見聞きして、それをピノキオの結末だと思い込んでいたのかもしれない。

     特段の理由もなく、書店でたまたま目に入ったので手にとって読んでみようと思っただけなのだが、いろいろと悩み、落ち込んでいる現在の心境にちょうど適していて、いまこの時期に読むことができてよかった。

     道徳的教訓を押しつけてくるような説教がましいところは鼻につくけど、それでもたまには自分自身を反省するために素直な気持ちになって読んでみるのもいいかもしれないし、鬱陶しいかもしれないけど子どもに読んで聞かせたい物語のひとつになるのかもしれない。

  • 言わずと知れた、操り人形の物語。
    世間で広く知られる、純粋なピノッキオが誘惑に負けながらも、本当の人間になるために成長していく、というイメージとは全く違う。
    粗暴な操り人形が、誰の言うことも聞かず放埒に振舞う中で、仙女の愛と教えに従い、父を敬い、他者との支え合いによって、本当の自由と人間らしさを獲得する過程を描いている。
    ある意味キリスト教的で、教養小説としては馴染み難いところもあるかも知れない。
    しかし、インターネットの登場で他者との関わり方が変わり、一人一人に自立心や誘惑に打ち勝つ能力が問われる現代社会においても、通用する普遍的なメッセージ性があると思う。
    ただ社会に求められるだけでなく、どうあることが本当に「自由」で「人間らしい」のか、改めて考えたいと思った。

  • ディズニーの物語もしっかり見た事がなかったのですが、イタリアが好きだったので読み始めました。
    初めはやばい奴だった、ピノッキオ。
    物語が進むにつれてまともな奴になります。

  • EU企画展2022「Ciao!イタリア」で展示していた図書です。

    ▼金沢大学附属図書館の所蔵情報
    http://www1.lib.kanazawa-u.ac.jp/recordID/catalog.bib/BB22397725

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著者プロフィール

イタリアの作家。トスカーナ大公国のフィレンツェ出身。音楽・演劇・政治・文化批評など、その執筆分野は非常に多岐にわたる。代表作に『ピノキオ』。

「2016年 『ピノキオ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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