晴れたらいいね

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  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (242ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334910419

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  • 『今日は四月の十七日だから…あと四か月。いまの自分の唯一の武器は、この戦争の終わりを知っていること。自分がこの場所にいる理由はそれしかない』。

    ロシアによるウクライナ侵攻。2022年2月に突如世界を震撼させたこの出来事は間違いなく未来の歴史の教科書に記述されることになると思います。思えば21世紀という時代に入っても、9.11と呼ばれるアメリカ同時多発テロ事件とイラク戦争、イスラム国(ISIL)による無差別テロ事件の数々、そしてロシアのきな臭い動きなど、世界は未だ平和とは程遠い状況下にあり、私たちの日常は一触即発な状況に置かれていると言えなくもありません。

    そんな中で私たちの国は先の大戦以来、一度も戦争を経験することなく今に至っていることに気付きます。毎年八月十五日の終戦記念日、テレビのニュース番組で、過去を振り返る報道がなされても今や限りなく他人事、そのことに強く意識を持たれる方などほとんどいないと思います。

    『正直言って、太平洋戦争の詳しいことなんてよくわからない。日本が負けて、昭和二十年の八月に終戦を迎えるということくらいしか、憶えていない』。

    入試で山掛けの対象にさえならない先の大戦に対する印象は、大なり小なりこのような感覚なのではないでしょうか。そういう私だって同じこと。あの時、あの場所で何があったのか、それを詳述する知識は持ち合わせていませんし、普段の日常の中で考えることは全くありません。
    
    『私たちは求められてここにいるのですよ。お国のために命を懸けて働くのです』。

    そんな言葉を聞くと、いかにも戦時下の、今となってはいつの時代?と思われるような、人によっては一種見下したような感覚にさえ陥ります。しかし、この国で今を生きる私たちに連なる人々の中にはそのような考えが当たり前とされ、その考えの中に死んでいった人たちがいたことは事実です。

    さて、ここに、ある出来事の中に意識を失ってしまった一人の看護師を描く物語があります。『大丈夫か?意識はあるか』という問いかけの中に、再び意識を取り戻すことができたその看護師。しかし、そこはまさかの戦時下、昭和十九年のマニラであり、他人の体の中に意識があるという衝撃的な環境の中に目を覚まします。この作品は、そんな女性が『従軍看護婦』として悪夢のような修羅場を体験する物語。『銃弾の胸部貫通、両脚切断、脊髄損傷』と今まで体験したことのない患者が次々運ばれてくる状況に対峙する看護婦の姿を見る物語。そしてそれは、命の危険を感じながらも、それでも『できるだけのことをしてあげたい』という気持ちがそんな彼女の中に芽生える瞬間を見る物語です。

    『午前二時半』、『ペン型の懐中電灯を手に、病棟内のラウンドに向かった』のは主人公の高橋紗穂(たかはし さほ)。『高齢者専門の病棟なので、劇的に回復することはほとんどな』く、『ここを、出る時は亡くなる時』という患者の部屋を見回る紗穂。そんな紗穂は『雪野さん、失礼します』と、『脳梗塞』と診断され『二年前から、意識がな』い雪野サエ、九十五歳の部屋に入りました。『点滴の滴下が正確か』等の確認を済ませ『問題なし、と。じゃあ失礼しますね』と部屋を立ち去ろうとしたその瞬間、『雪野が体をよじった』ような気がし、『雪野さん、雪野サエさん?』と声をかける紗穂。『左へ右へ、頭を小刻みに振る雪野の喉から「ううう」「うう」と掠れた声が漏れ』出し、両目が見開かれ、『紗穂を睨みつけて』きます。『脳血管障害で植物状態になっていた高齢患者の、奇跡的な回復』に驚く紗穂は、当直の長谷川に『八〇一号室の雪野サエさんの意識が戻りました。病室にすぐ来ていただけますか』とコールします。そんな時、『あなた、どこの班員?新しく来た看護婦?』と雪野が喋り、『背筋が冷え』る紗穂。『落ち着いてくださいね…いま先生を呼んでますからね』と諭す紗穂の腕をきつく掴む雪野。そんな時『足元が突然ぐらりと揺れ、視界がひしゃげ』ました。『部屋ごと激しく揺れ動いている』中、『地震だっ。頭を庇え』と長谷川が入ってきました。一旦収まりかけた揺れが再び激しくなる中、『どこかに体が吸い込まれていく』のを感じる紗穂。『強い吸引力で、上に?下に?とにかく強い吸引力 ー』。そして、『大丈夫か?意識はあるか』という声が聞こえた紗穂は、『雪野さん?聞こえてる?』と女性の声も耳にします。目を開けた紗穂を見て『佐治軍医殿、雪野サエが目を醒ましました』と報告する女性に『私の名前は高橋紗穂です』と伝えようとするも『首や肩に激痛が走り』思うに任せない紗穂。『状況が把握できない』まま困惑する紗穂は、『すぐにCTを撮ってください…』等懇願するも『雪野さん、いいかげんにしなさい。さっきから意味不明なことばかり…』と叱られます。そして、『ねえあなた、ここがどこかわかる』と訊かれ『東京じゃないんですか?』と慌てる紗穂に、女性は『ここは、マニラでしょう… 船に乗って一緒に赴任してきたでしょう?』と語ります。そして、『今日は昭和十九年の八月十六日』、『日赤の従軍看護婦として派遣されてきた』という現実を告げられ意識が遠のく紗穂は、『これは、悪い夢なのだろう。醒めたらすべて終わるはずだ』と思う中に涙を流します。そんな紗穂が、戦時下のマニラの病院で、傷ついて運ばれてきた兵士を雪野サエとして看護の日々を生き抜いていく壮絶な物語が始まりました。

    『ここは、本物のマニラなのだ…自分はまぎれもなく、昭和十九年のフィリピンにいる』と、現代に生きる一人の看護師だった紗穂が、看護をしていた患者の記憶の中に入り込み、事実上のまさかのタイムスリップかつその患者の若き日の姿になっていたという衝撃的な設定から物語がスタートするこの作品。タイムスリップは私の最も好きな分野でもあり、さまざまなシチュエーションを設定した数多の小説が刊行されてもいます。そんな中で戦時中にタイムスリップする作品としては”生まれてはじめて私が愛した人は、特攻隊員だった”という昭和二十年六月にタイムスリップした主人公が”今は何事も軍需生産優先…”という時代を生きていく汐見夏衛さん「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」が強く印象に残っています。そんな汐見さんの作品と、この藤岡さんの作品はいずれもタイムスリップを用いますが、タイムスリップ自体に比重を置いていないという共通点を持ちます。いわゆる”タイムスリップもの”では、それなりに科学的な説明が加えられたり、主人公がタイムスリップしたことで歴史が変わった…等、タイムスリップ自体の面白さを前面に出すのが普通ですが、汐見さんの作品、そしてこの藤岡さんの作品では、タイムスリップの表現は極めてあっさりしています。しかもこの作品では純粋な意味でのタイムスリップというより、『どうやら自分は、雪野サエという女性の記憶の中にいる』という不思議な概念を持ち出します。そう、数多の”タイムスリップもの”でも、少なくとも私は聞いたことのない、他人の身体の中に意識が入り込むという強烈な設定の中に物語が組み立てられていくのです。しかもそんな他人はマニラで『従軍看護婦』をしているとなると、もう普通には理解できないレベルです。しかし、寝ても覚めても状況が変わらないことを理解した紗穂は、『夢が醒めるまでは、ここにいなくてはいけない』という現実を見据えます。しかし、そこは戦時下のマニラです。『昭和二十年の八月に終戦を迎える』という位の知識しかないとはいえ、『フィリピンでも大勢の人が亡くなったということは知っている』という紗穂は、『とにかく、できるだけ早く自分だけは日本に帰らなくては。激しい戦火に巻き込まれる前に、悪夢から逃げ出す方法を考えなくてはいけない』と考えていきます。そんな中、怪しい行動をすることは危険と考え、

    『翌日から紗穂は、雪野サエとして振る舞うことを心に決めた』。

    そんな中に物語は展開していきます。このように書いてくると、この作品がSFっぽい物語なのか?と思われる方もいるかもしれません。しかし、冒頭の設定が紹介されて以降、物語は全くの別物のような内容に変化して進んでいきます。それは、この作品の舞台が『昭和十九年のフィリピン』であることに繋がります。史実として歴史に刻まれた1944年10月に始まる連合軍のフィリピン奪回に伴う動きと、それに伴う”マニラ湾空襲”。この作品の舞台はまさしくそんな戦場となった場で次から次へと運ばれてくる負傷兵を看護する『従軍看護婦』たちが懸命に奉仕するリアルな現場です。上記した汐見さんの作品においても戦時下の緊迫した空気が伝わってきました。しかし、この作品はその次元をはるかに超えていきます。この環境に置かれてわずか数日の間に『銃弾の胸部貫通、両脚切断、脊髄損傷』といった『これまで見ることもなかった重症患者に接』することになった紗穂。『苦しくても「苦しい」とは口にせず、痛くても目を閉じてじっと耐える』そんな患者たちの姿は紗穂が今まで見たことのないものでした。そして、そんな患者たちも、『負傷兵は傷が癒えると再び原隊に復帰することになり、重傷者は陸軍病院へ搬送される』と回復することと引き換えに別れることになることを理解した紗穂は、『召集令状という紙一枚に運命を操られて出逢った者同士だからこそ、できるだけのことをしてあげたい』。『自分の中にいつしかそんな気持ちが生まれていたこと』に気づき、過酷な環境の中に『従軍看護婦』という雪野サエの役割を果たしていきます。

    そんな物語に強い説得力を与えていくのが看護師でもいらっしゃる藤岡陽子さんの本物の医療知識に基づく記述の数々です。そのベースの知識を元に戦場かつ昭和十九年という時代と場所を考慮された記述の数々を三つの場面でご紹介しましょう。

    ・『破傷風が重症化すると、患者はささいな音に反応して痙攣を起こす』という『破傷風の患者』を『寝台から転げ落ちていくから注意しなくてはいけない』と梅から申し送られた紗穂は別件で部屋を離れてしまいます。そして、部屋に戻るとその『患者が、犬の遠吠えのような声を上げている』のを美津が『なだめすかしてい』たという場面。

    ・『意識のない患者のオムツ交換をしようと、病衣を剝いだ時』、『太腿にある赤黒い傷口から白い粒がぽろぽろと溢れ出てきた』のに、『なにか…なにかが動いて』と戸惑う紗穂。『なんだ、蛆(うじ)じゃない。驚かせないでよ』と淡々と言う美津は『手際よく白い物体を箸で摘まんで』いくという場面。

    ・『傷口にわく蛆や、軍衣にはびこる虱(しらみ)。得体の知れない虫がそこら中を這い回り、悲鳴を抑えるだけで精一杯だった』、『死臭が鼻を塞ぎ、吐きそうになるたびに、カンテラに鼻を寄せて紛らわせた』という看護の現場を『地獄でした。あの場所は、墓場に入る前の、もうひとつの地獄でした』と振り返る場面。

    私などが言うまでもなく、戦いの場はゲームの一場面ではありませんし、敵はこちら側の人間の殲滅を意図して攻撃を仕掛けてきます。『陸軍病院は爆撃され』、『船体に大きく赤十字の印を打った病院船ですら攻撃されて沈められてい』くなかでは、安全な場所などどこにもありません。しかし一方で『患者の命を守るために』、『従軍看護婦』の面々は自身が倒れる寸前までひたむきに院内を走り回り、看護に明け暮れる日々を送ります。

    『米軍の空爆と砲撃によって負傷者は増しているのに、食糧だけではなく衛生材料も不足し、包帯の交換も週に一度に留めるよう、指示が出ている』。

    壮絶な戦時下に生きることとなった紗穂。雪野サエとなって生きる紗穂の物語を読む読者は次第に冒頭のタイムスリップ云々という前提が頭の中から消えていくのを感じます。そう、この作品の本質は戦時下にマニラに派遣された『従軍看護婦』の現実を描いた物語であることに気付きます。そして、物語はどんどん陰惨な状況を極めていきます。マニラの陸軍病院の過酷な現場がまだ天国だったと思えるくらいに信じられない状況下へと追い込まれていく紗穂たち。それが、『敵は赤十字の印を標的にしてくる』ことから、『マニラから北へ二百五十キロ行った場所』にあるバギオという街への移動でした。まさしく地獄の行軍とも言える状況、明日の命が全く保証されない中でのその移動が物語後半にこれでもか、と描かれていきます。

    ・『患者や救護班員への食事の配給がこれまで以上に乏しくなった。多くても一日に二回の粥が与えられるだけで、日によっては乾パンが一日一個配られるだけのこともある』。

    ・『砲弾は爆発したあとで弾体が炸裂し、その破片で人を殺傷する。傷跡には蛆が肉に喰らいつくようにわき、班員たちはピンセットでひとつずつ摘まみ上げ空瓶に落とした。全身からふつふつとこみ上げてくる怒りを原動力に蛆を潰すのだが、この怒りがなければ恐怖に負けていたかもしれない』。

    そんな陰惨な状況の中

    『乳房の膨らみはもはやなく、水に浸ると、波板のような肋骨に下着が張りついた』。

    過酷な環境の中で、それでも軍の命令に従わざるを得ない紗穂たち『従軍看護婦』の身体にも限界が近づいていきます。

    そんな物語がどんな着地点を目指すのか。ページが残り少なくなってくる読者を待つのは、”えっ!”という、あまりにあっけない、それでいてある意味納得感のある展開です。これは、上記した汐見さんの作品でも同じでした。確かにそれしかないと思われるその展開は、”タイムスリップもの”とこの作品を思う読者には恐らく物足りなさを感じる展開かもしれません。しかし、上記した通りこの作品の本質はそこにはありません。

    そう、この作品は『従軍看護婦』としてあの時代を必死に生きた人々の生き様を現代人の目を通して見る物語

    それこそがこの作品の本質です。一瞬の”えっ!”という感覚の後に私を襲ってきたもの、それはとめどなく流れる涙でした。残り少なくなっていくページ数の中、なんとも言えない感覚に包まれていく読書、そして読み終えた後すっかり放心状態に陥ってしまった私。

    『自分は命が産まれる手伝いをする看護婦だ。だから、命を簡単に懸ける戦争を決して許さない。命を生み出し、そして育むのに、女たちがどれほどの時間と力を費やすのかを、男は知らない』。

    私たちは平和なこの国に生まれ、平和なこの国に生きています。しかし、世界に目を向ければそんな平和はある意味偶然であり、この作品に描かれたような陰惨な状況下に生きることを余儀なくされることがないとは言い切れません。この作品では、タイムスリップといういわば飛び道具を利用した上で、私たち現代人が、あの戦争の真っ只中に、敗戦迫り来る地獄のような環境の中に生きることになったとしたらそこには何が見えるのかという視点で戦時下の陰惨な状況が丁寧に描かれていました。

    『私たちは求められてここにいるのですよ。お国のために命を懸けて働くのです』。

    今の時代を生きる私たちには『お国のために』命を落とすという感覚には抵抗を感じます。国が何をしてくれたのか、何もしてくれない国のためにどうして自分の命を捧げなければならないのか。現代に生きる私たちはそんな感覚の上に生きていると思います。しかし、そんな今の私たちがこの国で笑顔で暮らす日々を送れる背景には、かつて『お国のために』と考え、『お国のために』自らの命を犠牲に散っていった数多の命があったことを決して忘れてはなりません。

    『山へ行こう 次の日曜
    昔みたいに 雨が降れば 川底に
    沈む橋越えて

    晴れたらいいね
    晴れたらいいね
    晴れたらいいね』

    ドリームズ・カム・トゥルーの名曲「晴れたらいいね」が象徴的に歌われるシーンが登場するこの作品。そんなこの作品を読んで、今後間違いなくこの曲を聞くたびに、この作品のことを、『従軍看護婦』という言葉を、そして戦争というものがどれだけ恐ろしいものであるかを思い出すだろう、そんな風に思いました。

    読書という次元を超えて、私の中に強い衝撃を与えたこの作品。平和というものの大切さを強く、強く願う気持ちで胸が熱くなる絶品でした。



    追伸:
    藤岡さん、私は涙というものが、嬉しい、悔しい、そして悲しいといった場面だけで流れるものではないことを今日知りました。この作品を読み終えて流れた涙、それは、今までの人生で体験したことのない感情の中に流れ落ち、止まらなくなりました。

    藤岡さん、こんなにも、こんなにも、こんなにも素晴らしい感動をどうもありがとうございました!!

  • 藤岡陽子『晴れたらいいね』 | BOOKS 雨だれ
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    晴れたらいいね 藤岡陽子 | フィクション、文芸 | 光文社
    https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334910419

    晴れたらいいね 藤岡陽子 | 光文社文庫 | 光文社
    https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334774950
    ※文庫のカバー画は中村至宏

  • 太平洋戦争末期の南方戦線へタイムスリップしてしまった看護師の話です。
    戦場に投げ込まれた非戦闘員である看護婦が、どのように日常を過ごし、死んでいく人々を見送り、いつ果てるとも分からない戦争を駆け抜けて行ったのか、息苦しくなる思いで読みました。
    いつ戦争が終わるのか分かっている状態で読んでいるので、早く終われーと思いながら読んでいましたが、当時の人々はこれがあと何年続くのか分からない状態だったんだから、なんともやりきれないです。
    詳細に資料を読み込んで紙面に反映しているのでしょう、なんとも言えないやるせない気持ちになりました。普通の人々が政府の愚策で死地に追いやられて行った現実。これは本当に忘れてはならない歴史です。
    主人公がもたらす明るさのようなものが、少しでも当時に有あったならば救いです。

  • 2015年、看護師として働く高橋紗穂は、95歳の患者雪野サエの容体をみていた。すると3年間目を覚さなかった雪野が急に意識を取り戻し、それと同時に大きな地震が起きて、紗穂は意識を失ってしまう。
    …そして目が覚めると、そこは太平洋戦争中のフィリピン、マニラで、周りの人たちは紗穂のことを雪野と呼ぶ。
    そう、紗穂は終戦まで後一年の時期に、当時従軍看護婦だった雪野サエになってしまったのだ。

    そこからは流れるように読み進められました。
    紗穂は早く平成の日本に帰りたいと思いながらも、戦友(と呼んでもいいだろう)たちと、兵隊の看護に明け暮れる。どんどん過酷な展開にもなっていくのだが…どんな風に過酷かは読んでみてほしい。
    読み進めていくうちに、同僚でサエの親友の美津や、美人だけど皮肉屋な民子、婦長さんたちなど登場人物たちのバックボーンが分かっていき、どんどん愛おしくなっていくのでおすすめ。
    だからこそラストは泣ける。

    というか、いくら現代の看護知識と経験があるとはいえ、主人公のガッツはなかなかのものだ。いや、ガッツありすぎ。
    いくら戦時とは異なるブラッシュアップされた教育や思想、知識を持っているとはいえ、なかなかこのよくわからない状況で上長に自分の意見を押し通すなど、ここまでパワフルに立ち回れないだろう。しかも1回や2回じゃない。主人公の生来のタフネスと明るさの賜物だろうか。
    私なら辛すぎて精神病棟行きだったかもしれない。

    ところで作中で歌われ、タイトルにもなっている「晴れたらいいね」はドリカムの朝ドラ主題歌だったんですね。調べて聞いてみました。このアップテンポの歌を険しい道を歩きながら歌うのは大変だっただろうな〜と平凡ですみませんが思いました。
    ただすっごく印象に残るメロディですね。当時の看護婦たちは、この新鮮なメロディを歌いながら気持ちが明るくなったのでは。
    紗穂は2015年時点で24歳。紗穂が生まれたくらいのころの歌なので、何か歌ってとリクエストされてこの歌が出てくるのは珍しいな、と。親がよくきいてたのかな?とかいろいろ思うけど、なぜ紗穂がこの曲をなんとなく歌ったのか気になるので書いて欲しかった。

    なにはともあれ、よかったです。
    現代の看護師が戦時中の従軍看護婦と入れ替わりタイムスリップだなんて、なかなかキャッチーで面白い。
    ティーンズの読者にもとっつきやすくて、看護と戦争、両方学ぶのに良いのではないでしょうか。
    さまざまな登場人物の立ち回りについて思いを抱くのもいいかもしれません。

    最後に、紗穂がサエになっている間のサエさんの記憶はどうなってたんだろう、というのが不思議なところ。

  • 第2次世界大戦、マニラに従軍看護婦として働いた看護婦たちを現代からタイムスリップした看護師の目を通して描いている。南方戦線へ行ったのは兵隊だけではない。看護婦として女性も赴いたのだと改めて知った。
    これはフィクションではあるが、当然著者は取材や資料で当時の看護婦たちの実情を把握し小説にしているのだろう。彼女たちの置かれた過酷環境、状況は大変なものだったに違いない。
    現代からタイムスリップしたーー戦争がいつ終結するか、どのような未来があるかを知っているーー主人公を配することで、ある程度の安心感をもって読者も読み進められるが、やはりこの世界大戦の凄惨さを感じずにはいられない。女性の目線で描いた戦争だ。

  • 星が消えていく時って人が死ぬのに似ているの。
    いつの間にかなくなっているの。
    ただ人は星と違って、明日また同じ場所で光ることはないのよね。消えたらそれで終わり。
                    (本文より)

    1944年のマニラに、
    別人としてタイムスリップをした高橋紗穂。
    現代とは異なる時代に戸惑うことばかり。
    今では当たり前のことが、
    当時にとっては当たり前ではない。
    衛生管理、階級による治療の差…。

    “もし自分だったら“と考えるからこそ、
    当事者意識をもてるのだと感じました。
    戦争のことを学んだり、報道されたりしていても
    “昔のことだから“、“遠い国で起こっているから“と無意識のうちに考えてしまっていたような気がします。今だって起こりうるかもしれない。
    もし自分だったらという視点を大切にしていきたいです。

  • 「戦争って、誰のためにあるのかしらね。ヘイセイでは教わらなかった?」民子が星を見上げて呟く。ヘイセイの私たちも、「平和であることを祈り、感謝する」ことしかできなかった。

    看護師・紗穂が、1944年のマニラへ従軍看護婦としてタイムスリップする物語。終戦までの1年間、当時の戦時の描写が悲惨で痛々しい。
    「私は、自決なんて絶対しません。誰のためなのかもわからない、こんな戦争なんかで死にたくない」紗穂の叫びは、そのまま、戦争への怒りに繋がる。それは、平成であろうと、昭和の戦時下であろうと、思いに違いはない。
    私たちは、平和である今、起こるかもしれない戦争に対して、紗穂の叫びを胸に刻まなければいけない。

    最後に、「坑道病院」での秘話が語られる。日本は”人間”を大切にしない国です。こんな残酷な施設に閉じ込めて看護するより、ここでこそ、手榴弾を渡すべきだったのではないですか、もし、誇り高き最期というものがあるとするならば。一人の兵士が白旗を揚げて、投降することが、なぜできなかったのか、悩みます。天皇ですら、敗戦を認めたのに。

  • 現代の人が昔にタイムスリップする設定はよくありますが、現代の看護師が戦中の従軍看護婦にのりうつってからの、戦争下での病院の様子や苦労、また絶望的な状況下でも希望を失わない主人公の精神力など、丁寧に描かれていると思いました。ラストでの展開が素晴らしかったです。ちょっとこの作者の他の作品を読んでみようと思います。

  • 現代の看護師がタイムスリップして戦時中のフィリピンのマニラに行ってしまった。経験した事のない戦争体験、看護師としての兵士への対応、悲惨な実態を経験することになる主人公高橋紗穂、ハラハラドキドキの展開、終戦の日が早く来ないかと祈る気持ちで読んでしまいました。戦後70年にふさわしい作品だと思います。この作品を読んで心が晴れたらいいね。

  • 戦地での描写が細かくて驚きました。
    良かったです。

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著者プロフィール

藤岡 陽子(ふじおか ようこ)
1971年、京都市生まれの小説家。同志社大学文学部卒業後、報知新聞社にスポーツ記者としての勤務を経て、タンザニア・ダルエスサラーム大学に留学。帰国後に塾講師や法律事務所勤務をしつつ、大阪文学学校に通い、小説を書き始める。この時期、慈恵看護専門学校を卒業し、看護師資格も取得している。
2006年「結い言」で第40回北日本文学賞選奨を受賞。2009年『いつまでも白い羽根』でデビュー。看護学校を舞台にした代表作、『いつまでも白い羽根』は2018年にテレビドラマ化された。

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