与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記

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  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (305ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334910426

感想・レビュー・書評

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  • 副題にある通り、舞台は東大寺の大仏建立という大事業の工事現場の炊屋(食堂)。
    主人公は仕丁(しちょう 国に命じられ労役に当たる役夫)として近江国からやってきた青年・真楯(またて)。彼の目を通して、神仏とは何か、大仏像は何なのかを描いていく。

    仕丁は労役なので給金は無い。代わりに一日二升の米が支給され、仕丁たちはそれを宿舎で自炊するか、炊屋で一定の米と引き換えに食事を作ってもらって食べるという仕組み。
    広大な現場だけに炊屋と言っても部署ごとにあり、味の良し悪しも違う。真楯が働く造仏所の炊屋は炊男(かしきおとこ=調理人)宮麻呂の腕が評判で、他の部署からわざわざやって来るほどの人気だ。
    真楯は毎日宮麻呂の炊屋に通ううちに親しくなるが、次第に彼の暗い過去が明らかになっていく。

    仕丁の労役期間は三年。だが仕丁頭の猪養(いのかい)はさらに三年延長を命じられている。仕丁たちをまとめる能力を買われてのことだが、本人にすれば帰郷が叶わずたまったものではない。また真楯と同時期に労役についた小刀良(ことら)は故郷で疫病が起こり妻子を失うという悲報を聞いている。さらには陸奥からやってきた乙虫はその訛りと出身地から役人だけでなく同じ仕丁たちからまで差別されている。
    もっと書けば仕丁たちの下には奴婢という金銭で売り買いされる、人ではなく財産扱いされる奴隷たちもいる。幸いこの造仏所ではあからさまな虐待シーンはないしむしろ女性の奴婢頭や少年の奴婢など仕丁たちとやりあったりもしているが、実際は酷い状況だったのだろうと想像する。

    聖武天皇にとっては大仏建立は『国中の民をその霊威に与らせんとの志』の現れだが、真楯のように労役を課される民にはいい迷惑でしかない。
    だがその厳しい労役により命が尽きようとしている仕丁・浄頭(じょうず)は『御仏の慈悲に縋れる』と信じている。
    一方で宮麻呂は人を救うのは神仏ではなく人であると一貫して主張している。
    鋳師で百済人の公麻呂は、今や時代遅れと蔑まれる百済の技術の評価をもう一度高めたいと必死だ。
    官吏の安都雄足にとっては大事業の無事完了こそが一番であって、激しい私怨すら『大事の前の小事』と収める。
    行基は『人は過ちを犯すがゆえに御仏を求め、その末に悟りを得る』『釈尊はもとは愚かな人であったがゆえに尊い』のだと言う。
    様々な事件や人々の思いを見て、実際に大仏鋳造に携わって、真楯の大仏像や神仏への思いも変わっていく。

    調べると聖武天皇による大仏建立の詔が発せられたのが743年、実際に工事が始まったのが745年(作品の舞台はこの二年後からスタート)、開眼供養会が752年だが仕上げ作業が完了したのは771年ということだから26年もの大工事。
    真楯は途中で大仏が出来上がるまで見届けたいという思いに駆られているが、いつまで工事に携わっていたのだろうか。開眼供養まではいたのか。

    当時の日本では金は産出されておらず輸入頼みだったらしい。だが工事期間中に陸奥国から砂金が見つかるという報があり鍍金が無事出来たということだが、この史実をこのような形で使うのは面白い。

    『作事に携わった自分たちはみな、巨大なる仏の小さな欠片なのだ』

    大仏像は人によって見方が違う。ただの像という見方もあるだろうし芸術的視点、宗教的視点、建築学的視点、政治的視点など様々あるだろう。
    だが真楯のように命を賭して携わった人々や、直接携わらずとも宮麻呂のように様々な形で彼らを支えた人々などが『巨大なる仏の小さな欠片』となったことを思えば、大仏像が宗教的観点でなくともありがたいものに見えてくる。

  • 『与楽』とは、仏が与えてくれる慈悲のこと。
    奈良時代、聖武天皇が発願し、東大寺に巨大な毘盧遮那仏が造立されることとなった。
    全国から役夫が集められ、作業にあたる。
    近江から招集された「真楯」は「造仏所」に配属となり、直接、大仏の鋳造にかかわることとなる。
    その、造仏所の「炊屋(かしきや)」(食堂のようなもの)には、やたら旨い飯を作る「宮麻呂」という男がいた。
    彼が大きな過去の秘密を抱えていることが、やがて明らかになる。

    「大仏」というもの。
    大量の費用と労力を費やしてつくる、いわば中が空洞の、ブッダの巨大なフィギュアである。
    「仏作って魂入れず」ということわざがあるけれど、このフィギュアが仏像になるためには、魂を入れる必要があるわけだ。
    仏教の儀式的には、開眼供養会を行って、魂が入ったことになるけれど…
    儀式とは別に、様々な人が大仏に寄せる様々な思いこそが、この巨大な像を、仏になさしめて行く。

    故郷に帰ることなく造物所で病に没した役夫の信仰。
    行基の元に集まる信者たちの信心。
    技術者たちの、匠としての矜持。
    真楯も、次第に、自分は世に残る大きなことに関わっているという誇りから、自ら作り上げてきた大仏に大きな愛着を持つようになる。
    大仏の空洞内は、そういった人たちの形の異なる思いや願いがたくさん詰まっているのだろう。

    作業所では、様々な事件も起きる。
    宮麻呂はなぜか仏教に大きな反発を抱き、「仏より、生きている人間が大事」という独特の考えを口にする。
    仕丁(全国から招集された役夫)にとって一番大切なのは、大仏を作り上げる事よりも、生きて故郷に帰ること、と彼は言う。
    徴兵された兵士に「一番大切なのは敵を殺すことより、自分が生き残ること」という考えと似ている。
    だから彼は、仕丁たちのために、手間を惜しまず、儲けを考えず、心をこめた食事を作り続けるのだ。
    それは、彼の贖罪でもある。
    「仏の業」という物もさまざまなのだ。

    奈良時代というと、あまりに昔過ぎて、知らない国のことのように思えるが、キャラクターたちの喜怒哀楽は生き生きと身近に感じられる。
    ただ、現代では良くわからない単語が出てきて難しかった。
    面白い小説だったが、かなり仏教・哲学を考えさせる内容でもある。

  •  時は東大寺造営の時代、造営に携わる人々が主人公、約1300年も昔の事なのに、社会や政治など蠢く人々の様子が今と変わりなくあり面白かった。
    大仏の製作工程の知識がないため、分かりづらい面があるのと、ルビが振られているものの字が難しかったが、ストーリーは起承転結がはっきりしていて良かった。
    活気が伝わる。エジプトのピラミッド、万里の長城、日本のお城の石垣等々、大昔の建造物がいかに大規模に人の力で造られたかという事に想いを馳せながら楽しめた。
    ‘’みちの奥‘’では人情を感じた。

  • 普段使わない漢字が多く読みにくいですが、内容は面白いです
    特に身分、門地のふれ方が良かったです

  • ならのだいぶつさん。どないしてつくらはったんやろか。

    こんな物語が大仏建立にあったらいいなと思った話。

  • (借.新宿区立図書館)
    時代小説といっても奈良時代。しかも大仏建立の仕丁の炊屋での話がメインというのはなかなか面白い設定。さすが同志社大学大学院で古代史専攻というだけある。下級官吏の安都雄足や行基集団を絡ませ、時々佐伯今毛人など上級官人もちらっと姿を見せる話も、古代史を少しかじった者にはたまらない。(古代史ファン以外はちょっとなじみがないかも)
    引き続き『火定』も読んでみる。

    ただ、少々気になったのは聖武帝を「首天皇」と称することはあったのだろうか。たしかに首皇子が天皇になってはいるのだが。また葛井氏を「くずい」と読んでいるが一般的には「ふじい」ではないのか。同志社ではそのようになっているのだろうか?根拠が知りたい。

  • 「孤鷹の天」をすでに読んでいるので、この作家の古代の描写のうまさは折り紙付き。

    東大寺大仏建立事業に全国から労役に狩り出された男たちと、炊事係の男。食事はいかにもおいしそうなのだけど、表紙をみて、ふとこの時代の庶民には箸を使う習慣があったのだろうか、と考えてしまった。

    第一話だけはもの足りなかったが、第二話以降から、炊男をめぐる謎と、仕丁や奴婢のいざこざ、政治的対立、過去の因縁が明らかになっていく。

    東大寺大仏という国家事業なのに、賦役の男というよりも、その食事世話係にスポットをあてたのかと思ったのだが、実はただのグルメ話にあらず。

    根底にあるテーマは、『満つる月の如し』で定朝を描いたときと同じく、魂の救済とは何か、ということである。

    奈良の大仏を見物したとにとき、その造形やスケールに圧倒されはしても、その建立に関わった人々がどのような想いを抱いていたかに考え及ぶことなどなかった。

    帚木 蓬生の『国銅』とはまた違った趣をあたえた、奈良大仏建立記。最後はみんなが丸く収まるまとめ方。宗教がほんとうはこういう機能を果たしてほしいと願わざるを得ない。

  • 名言多い。
    宮麻呂と行基のセリフには泣かされた。

    文庫になったら買おう。

  • 仏とはなにか、信心とはなにか。
    宮麻呂の作る飯には真心があり、それで身体を満たせば活力が灯る。自分も家族のために宮麻呂のような存在でありたいと思う。

  • 「仏はどこにもおらず、またどこにでもいる融通無碍なる存在」
    真楯(またて)の濁りのない心で、何が良いことなのか自分で判断する姿に、いろんなこと気づかされました。

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著者プロフィール

1977年京都府生まれ。2011年デビュー作『孤鷹の天』で中山義秀文学賞、’13年『満つる月の如し 仏師・定朝』で本屋が選ぶ時代小説大賞、新田次郎文学賞、’16年『若冲』で親鸞賞、歴史時代作家クラブ賞作品賞、’20年『駆け入りの寺』で舟橋聖一文学賞、’21年『星落ちて、なお』で直木賞を受賞。近著に『漆花ひとつ』『恋ふらむ鳥は』『吼えろ道真 大宰府の詩』がある。

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