みちづれはいても、ひとり

著者 :
  • 光文社
3.37
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本棚登録 : 578
感想 : 71
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  • Amazon.co.jp ・本 (228ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334911911

感想・レビュー・書評

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  • 「みちづれはいても、ひとり」、どことなく演歌の世界を感じさせるような、それでいて一見では意味を読み取れない、座りの悪い不思議な書名です。

    母親からの虐待、母親の自殺、失業、結婚と流産、そして別居、失業、極貧の生活を送る弓子、自堕落という言葉を象徴するかのような存在の楓。考えられる限りの負の設定を前提に物語は始まります。2名の主人公による23編に渡っての第一人称入れ替えで展開するストーリー。順番ではなくリズムを刻むようにタンタン トン タンタンタンという感じで変化をつけて第一人称が入れ替わっていくところが面白いです。そんなリズム感がゆっくりと物語を進めていきますが、こんな暗い設定なのに頭に浮かぶ世界は何だかほんわかしていてパッと見には闇を感じさせないのがとても不思議です。でもその裏側に流れるものは…。

    辞書によると『みちづれ』という言葉には『二人で同じ道を歩む』という意味と『相手との関係が深く、死ぬ時は一緒という状況にある』という意味があるようですが、この作品での意味合いは前者だと思います。なのに前者から受ける前向きな力強さ、楽しさ、愛おしさといったものは全く感じられません。この言葉を覆い隠してしまう『ひとり』という言葉の影、ここに引っ張られるのだと思いました。人は結局はひとり、最後はひとり寂しく死んでいくしかない生き物。

    登場人物があまりに心荒んだ、救いようのない人々ばかりだったということもあって、読後感も暗さが付き纏います。『もう負の感情のゴミ箱になるのは嫌だ』と叫ぶ弓子。

    『歩け、という声がする。頭の中で。』

    この世に生を受けた以上は、それでも前を向いて歩いていくしかありません。思った以上に深いところを突く作品でした。

  • 子供はいなくて、しかも夫と別居中で、ちょっと前まで契約社員で、今は職を探している弓子39歳。男とすぐに付き合ってしまうけれど、二股はかけない、不倫はしない、独身で休職中の楓41歳。

    弓子の逃げた夫を探す、不惑女二人の旅路。
    タイトルがこの物語を語る。

    みちづれはいても、ひとり

    この作品に出てくる人は、何かしら思いを過去を抱えている。
    でも、本文にあるように
    「ひとりだ、とまた思う。夫婦だって、友だちだって、一緒にいるだけで「ふたり」という新たななにかになるわけではなくて、ただのひとりとひとりなのだ」

    そう思いつつも人間関係でつい何かしら寄りかかってしまうんだよなあー。と反省しつつ読みすすめた。
    登場する女性はみなそれぞれ自分達の人生を進めてうく。寺地さんの作品にはいろんな課題と思われる要素が含まれる。
    夫婦や男女、親子関係、女性同士のしがらみ。
    だけどみな自分の道を歩く。しんどかろうが、こけようが。人に寄りかからず歩ける生きかたをしたいなと思い読み終えた。

    本文で気になった文章

    「歩け、という声がする。頭の中で。それは他の誰の声でもない私の声だった。」
    「私たちは、たとえ何歳になっても、自分の欲しいものを欲しがる権利がある。獲得しようとする権利がある。
    私はたぶん、いつも正しいわけではない。私の生きかたはきっと美しくはない。何度も間違え、何度も他人を傷つけ、罪と穢れを炎にくべて赦されようとする。それでも、自分が正しくも美しくもなく生きていることを知っている私はせめて、他人が心から欲するものを価値がないと嗤ったり、否定したりはすまい、と誓う。」

  • ★3.5

    子供はいなくて、夫と別居をしてて仕事を探している弓子39歳。
    男とすぐ付き合ってしまうけど、二股はかけない、不倫はしない、
    独身で仕事を辞めたばかりの楓41歳。
    仕事もない、男ともうまくいかない二人がひょんなことから
    弓子の逃げた夫を探す旅にでる…。

    アパートの隣人として知り合った二人の微妙な距離感が良い。
    ただの隣人ってだけでなく友人と言えなくもない二人が旅に出る。
    誰かと一緒にいても独りだと感じさせられた。
    何だか切ないけれど、夫婦であっても家族であっても
    友人といても…結局はひとりなんだ。
    旅先の離島に暮らすシズって女性がとっても嫌な人(*`Д´*)
    シズの口癖が「普通はこうあるべき」
    「普通はこうあるべき」の普通ってなんだろう。
    何がどうで普通なのか。
    普通は人によって全く違うと思う。

    弓子と楓ダメダメなふたりかもしれない…。
    でもダメダメで良いんじゃないかって言われた感じがした。
    ダメダメな二人を応援した気持ちになった。

    結構重いテーマで重いお話だけど、
    サラサラ読めました。
    心に響く言葉も沢山散りばめられていました。

  • 主人公の弓子と楓はタイプはちがうものの、隣の部屋に住んでいるという事だけではない心やすさを感じています。
    夫が失踪したがそこまで執着がない弓子。周りから見ると男女関係が派手にしか見えない楓。40歳前後の彼女たちは、周囲からの干渉に疲れています。
    遠く離れてまでずっと付き合っている関係ではないけれど、妙に気が合うし一生会わない事になったとしてもなんとなく心に残る関係ってありますよね。まさにそういう感じです。

    夫に逃げられたと思われる事も、男出入りが激しいと思われる事もイメージだけで、その人の本質とは違います。シチュエーションだけで人を判断する事ってあるし、自分でも勝手なイメージで人を仕分けしてしまう事沢山あります。特に女性は「こうあるべき」」論にさらされる事がいつまで経っても根強いです。
    題名はネガティブな内容なのかなと思いましたが、一緒に移動して支えあう瞬間があっても、一人一人各々の考えで生きて行動していくべきという意味なんですね。いつでも本当にそうありたいと思います。

    寺地さんの本を何冊か読んで感じたのはどれも構成が似ている気がします。全然嫌ではないのだけれど新鮮味はちょっと薄れて来たかなあ。

  • タイトルだけ見たときは意味がよくわからず、「?」という感じでしたが、読み終えたあとには「そういうことだったのか…!」と納得しました。

    寺地はるなさんの著作は、前に4冊読ませていただいていましたが、その4冊よりも「みちづれはいても、ひとり」というお話は、底を流れる暗さのレベルが一段階、あがっているような気がしました。
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    メインの主人公・弓子は、ある出来事がきっかけで夫と別居することになりました。

    義母・光恵さんの紹介で引っ越したアパートの隣人が、2人目の主人公・楓です。
    その後、夫は姿をくらましてしまいます。
    夫の姿を夫の育った島でみた、という情報を得て、弓子は楓とともに、その島へ行くことにするのですが…
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    弓子と楓の不規則な交代による語りで、物語は進んでいきます。
    2人とも主人公ではありますが、メインの主人公は弓子です。
    途中、急速にサスペンス的な展開になるところがあり、怖かったですが、最後の着地点まで読みつづけることができました。

    読みはじめたころは、タイトルの「みちづれはいても、ひとり」というのは、弓子が楓1人をみちづれにして、夫を探しにいくことを指しているのだと思いました。

    しかし弓子と楓それぞれの生い立ち、夫の過去が少しずつ語られていくなかで、「ひとりだった。唐突に気づく。」(199ページ)というくだりを読んだとき、「ひとり」というのは「楓のことではなかったんだ」と気づきました。

    この物語を読み終えたとき、弓子と同じように「人はどこまでいっても、ひとり」と思うのか。
    それとも「人はどこまでいっても、ひとり…だからこそ、つながりつながれる。」と思うのか。
    どちらを選ぶにせよ、その先をどう歩いていくのかは、自分で決めていいし、決めて歩いていくしかないんだ。

    そんな風に思いながら、最後のページを閉じました。

  • さらりとした筆致ながら読後はずっしりと何かが残る。アパートの隣人のアラフォーの弓子と楓。共に家族やパートナー、仕事に居場所が見つからず、何を目指して懸命にやってきたのか、自分自身と道を見失い、それぞれに漂う寂しさ、虚しさ、心細さが飾らぬ言葉で描かれる。精神的に不安定な母子家庭に育ち、自分の感情を押し殺して他者の事情を与するばかりの弓子は自分の感情が自分で解らない。一見奔放ながら、本当は危うさを持つ楓との関係の中、お互いが必要とされることの嬉しさと「自分が自分であること」の大切さに気付いていく。

  • この話の女達にあまり共感は湧かない。が、人は共に過ごす人がいたとしても、ひとり。というのはわかる。「普通」に縛られるのに疲れた現代人の一編。その呪縛に気づくのが早いのは、女かも。

  • 子供はいなくて、しかも夫と別居中で、ちょっと前まで契約社員で、今は職を探している弓子39歳。男とすぐに付き合ってしまうけれど、二股はかけない、不倫はしない、独身で休職中の楓41歳。ひょんなことから弓子の逃げた夫を探す、不惑女二人の旅路。

    寺地さんの作品にしては珍しく、胸糞悪い人が結構出てくる。でもだからこそ、弓子と楓の凛とした飄々さが際立って、かっこよく見える。
    特に弓子の「他人は他人、私は私」とくっきり分けて考えるスタンスが好き。

  • 寺地はるな、3作目。ほんわかしてて見逃しがちだけど、思い返せば3作とも全部よかった。
    わたしのような甘えて生きたい人には、今後も頼りたくなるような名言がいっぱい、毎度。

    別居中のだんなさんが失踪して、特に探したいわけでもないのに、目撃情報を元に今のお隣さんといっしょに探しに行くはめになって、というストーリーです。ネタバレですが大丈夫、そのストーリーの中で、甘えるなということと、多少甘えてもいいんだよ、ということを言っていて、わりと前向きな気持で読み終えられるところがおすすめです。
    特に好きなのは、弓子が、自分はどんな辛いときにも泣かなくて、そうやって感情をむやみに表に出さないことが大人だと思っていたけどそれは痩せ我慢にすぎなかった、って省みるんだけど、一方で、お隣さんの楓さんは、大したことじゃないからって弓子が言わずにいることを、大したことないのなら言えばいいのにって腹を立てるところです。そんな優しいのがたびたびあって泣きたくなる。

    「一緒にいて死んじゃうくらいなら別れたほうがいいのよ」ともゆってくれています。甘えて逃げるだんなさまのことはだめだって言ってるのに、逃げないで頑張ろうとする人には、しんどすぎるときは逃げちゃえってゆってくれるの、それは寺地さんは毎回ゆってくれるの、だからまた読みたいです。

  • しみじみと嚙み締めたい、じんわりと沁み入るような一作だなと思った。
    私は生き方が雑なのか、心に小さく引っかかるくらいのことはわざわざ頭で言語化しない・言語化できるまで考えずにやりすごしてしまうのだけれど、そんな心に積もった引っかかりを今作でも寺地さんは的確に表現してくれている。
    世の中には何事もカテゴリーやセオリーに落とし込み当てはめてしか理解しようとしない(できない?)輩がいるけれど、あれってなんなんだろう?単純なのか、あまりに素直で思い込みが激しいのか、自分で考えて理解する能力が欠けているのか?例えば「中年」の「女性」という同じカテゴリーに入る人は全員同じ考え方をするとでも本気で信じているのかね?

    「『全然だいじょうぶですよ』ってなに?フォローのつもり?あんたがそれ言うことであたしが『そうなんだ、あたしってまだだいじょうぶなんだ、よかったー』ってほっとするとでも思ってんの?あんたにだいじょうぶかどうか査定してもらう必要ないの。だいじょうぶかどうか、それはあたし自信が決めるの」(57頁)

    「ねえ、大人になっても、世界は自分の思い通りになんかならない。自由にやれることはすくない。大人になってからも、周囲の人はいろんなことを言うよ。でもね、少なくとも自分で食べるものを、自分で用意することはできる。王子さまが現れなくても、自分の足で歩いていけるよ。
    だいじょうぶだよとは、私は言わない。そんな無責任なことは。でも、生きて。どうか生きのびて。心から、そう思う。」(202頁)

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著者プロフィール

1977年佐賀県生まれ。大阪府在住。2014年『ビオレタ』で第4回ポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。他の著書に『わたしの良い子』、『大人は泣かないと思っていた』、『正しい愛と理想の息子』、『夜が暗いとはかぎらない』、『架空の犬と嘘をつく猫』などがある。

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