「ならずもの国家」異論

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  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334974251

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  • 【要約】


    【ノート】
    ・kinoppyの書棚で

  • 「ならずもの国家」と、きつい物言いのタイトルだけど、返す刀で日本をも斬る。
    アメリカの言いなりの日本。
    国が決めたことには無条件で従う国民性。
    根っこは同じだ。

    ”国家なんて自国の国益を優先的にかんがえるものです。したがってアメリカが自国の国益に反してまで日本を守るはずがない。”
    同盟を結んでいるからと言って、全て言いなりになるのではなく、自国の意見をきちんと表明するべきと言う。
    当然だよね。それが独立国家というものだ。

    日本の景気対策に必要なのは、大企業優遇ではなく、日本の経済を下支えしている中小企業が生き残れるような政策を立てるべき。
    中小企業に勤めている人の家族が、安心して消費にお金を使えるようになった時に、景気は上向くと思うんだよね。

    〝国家は宗教の最終形態です。大昔からある宗教をつぶそうなんてことは原理的に無理なのです。”

    そうか。
    国家って宗教と、そして土地だね。

  • 大学生の頃、めずらしく女の子に誘われて一緒にお茶を飲んだことがあった。浪人中に伸ばした髪が、何となく他の良家の子女たちとちがって見えたのか、同じゼミでもなければ、あまり話しかけられることはなかったのに、どうして俺が、と思いながら、学校の前にある喫茶店について行くと、突然「○○君は吉本についてどう思う?」と訊かれた。政治に関心のある学生なら誰でも吉本くらいは読んでいた時代だ。長髪が運動家に見えたのだろうか。

    当時は吉本よりも、彼の論争相手である、埴谷雄高や花田清輝の観念やレトリックの世界の方に引かれていて、吉本のいい読者ではなかった気がする。今となっては、論争相手は鬼籍に入り、独り吉本だけが、いまだに情況に対して発言を続けている。敗戦を契機にした日本の知識階級の身も世もない寝返りぶりにとことん愛想を尽かした吉本は、思想の根拠を日本の庶民、大衆の位置に置き、愚直なまでに自前の思想的営為を続けてきた。しかし、すでに時代の潮流は娘のばななの世代に移り、吉本隆明の発言にかつてほどの影響力はない。何を今さら、と思いながらも題名に惹かれて読んでみた。

    内容はといえば、北朝鮮の拉致問題やアメリカの対イラク戦争、それに不況問題と、どれも今日的な話題を、専門用語や特殊な知識を披瀝しない平易な言葉遣いで、市井の隠居が時事問題を語るという語り口が貫かれているので、読みやすいことこの上ない。たとえば、金正日は日本の天皇を真似た「生き神様」を目指しているが、まだ修行が足りない、だとか、拉致問題の解決は、拉致された当人が、どちらの国で生きたいかということにつきる、とか、至極真っ当な意見が多く、「異論」という言葉に興味をそそられた読者としては、少々物足りないこともない。

    しかし、敗戦当時いっぱしの軍国青年だった吉本には、他の識者にありがちな自分を高いところに置いて他を語るというところがないので、アメリカがイラク戦争に固執する理由を、ああだこうだ言ったりはしない。ただ、何かあるのだろうと示唆するに留めている。そして、太平洋戦争当時の艦砲射撃と、イラク戦争のハイテク武器の使用を比較しながら、アメリカという国は、やるとなったら徹底的にやる国だというのは昔から何も変わらない、と締めくくる。

    ガンジーの非暴力主義には敬意を表しながらもいざとなったら、自分や家族を守るためには、戦うだろうという吉本は醒めたリアリストに見える。その一方で、憲法九条は「思想的にも世界に先駆けた優れた条項で、どの資本主義国にもどんな社会主義国にもない<超>先進的な世界認識だ」とし、これを世界に広げるべきという理想主義的な言辞を吐いたりもする。いったいどっちなのだと言いたくなるところだが、そこはそれちゃんと落ちが用意されている。

    「憲法にしたがわなければいけないのは政府と自衛隊と官僚たちであって、国民一般は要するに個人でもあるわけですから、したがうまいと思ったらしたがわなくてもかまわないわけです」という指摘には虚をつかれた。「要するに憲法というのは、国家の行動に対してある程度基本的な枠を設けているだけのことなのですから、一般の個人にすれば何が何でもそれにしたがわなくてはならないなどということはない」というのが、吉本の理屈で、国家という「幻想の共同体」を実体と勘違いして酷い目にあった戦争中の経験から学んだ彼の原則である。

    九条の先進的なことも、国家が「幻想の共同体」であることも、景気回復は中小企業に視点をあてて考えるべきだという指摘も、自分自身が常々そう思い続けてきたことであって、何ら耳新しいことではない。しかし、他人の口からあらためて、それを聞かされると、なんだか悪い気がしない。ましてやそれがあの吉本であるなら、なおさらに。

    「文芸はもともとは空の空を構築するもので、これにたずさわるものは無用のものと言うべきだろうが、この無用はたくさんの実用と理論に支えられている。この事実を確かに認知するためには繰返して基層を明確にする作業がいると思う」という言葉に励まされた。マスコミに登場する知識人や既成政党には愛想を尽かしながらも、何だかだと、この国の行く末が気になる諸兄に一読をおすすめしたい。

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著者プロフィール

1924年、東京・月島生まれ。詩人、文芸批評家、思想家。東京工業大学工学部電気化学科卒業後、工場に勤務しながら詩作や評論活動をつづける。日本の戦後思想に大きな影響を与え「戦後思想界の巨人」と呼ばれる。著書多数。2012年3月16日逝去。

「2023年 『吉本隆明全集33 1999-2001』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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