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この作品からのみんなの引用
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余命二年と言われてから、私の下手なマージャンにタケエモンはずいぶんつき合ってくれた。
それで、私が余命二年ではなくなったとタケエモンに言ったら、「バカヤロー、死なねえのか」と笑って、それから誘っても、来てくれなくなった。ガンは暴力なのだとその時思った。
― 30ページ -
「ねぇ、プラダのセーターちょうだ」と昨日言った。私が死ぬからだ。でも冬までもつかもれない。
私は何故か腹が立たなかった。あんまり正直すぎるからだ。
そしてその時、天から何かが私に降って来たように、解放された。
私は今までの彼女のケチ、欲深を根に持つことからも解放された。
あー、何でもやるよ、全部、全部持ってきな。
物がいったい何だ、金がいったい何だ。
彼女は、神が私に与えたリトマス試験紙なのだ。
まるで即身成仏したような気分になった。
― 42ページ -
ケチはケチな人生しか生きられない。ザマー見ろ、でも口惜しい。彼女はそれに気がつかないほど善良だと思う。
― 42ページ
みんなの感想・レビュー・書評
死を間際に、私は一体、何を思い、何を感じるんだろう。 痛みに耐え、それでも世界を美しいと、言えるのだろうか。 もがき、くるしみ、それでも生きていくのだとしたら・・・せめてその時に見える世界は「美しく」あってほしいと切に切に。 ……………………………………………………………………………… 私は闘病記が大嫌いだ。それからガンと壮絶な闘いをする人も大嫌いだ。ガリガリにやせて、現場で死ぬなら本望と... 続きを読む »
親戚のお弔いに向かう車内で読みました。こんなときになんて本を持ってきてしまったのかという気まずさはどうしようもない。
闘病記ではない、本書をよんで、「どのように死にたいか」を考えさせられました。『人間は55歳くらいを過ぎたら、生物学的にはいらない』『人の命が地球より重い、なんてのは、おかしい』
人の一生で大事なのは、「命」そのものではなく、「人生」なのだ。
岸田今日子さんの、死んでから美しい死体になる、というエピソードが印象的でした。わたしも苦しまず、楽に、そして潔く、あわよくばきれいな死体になりたい。
人生の最後をどう迎えるか。
尊敬する作家、佐野洋子さんががんとの暮らしを書いている。
その時、自分はどうするのかな?
いろいろ、いろいろ浮かぶ。
佐野さんのエッセイはいつも痛快だ。もし、自分が余命を宣告されたら、こんなに潔く、且つ豪快に生活できるだろうか。もっとウジウジ悩んだり、死に対しての恐怖だったり、と不安で仕方がないと思う。いや、そんな宣告をされていないので、正直自分がどうなるかなんて分らない。だってまだ健康だから。ただ、私も佐野さんのような心構えでいたい、見習いたいと、そう思った。きっと、エッセイでは書かれていない、弱い佐野さんがいたハズだと思う。でも、最後まで気丈に振舞う姿勢はステキでした。我慢強い方なのでしょうね、きっと。
どうぞ心安らかにお休み下さい。
気持ちいいくらい,はっきりしている。
歯に衣着せぬ言い方?がいい感じ。
死について,正面から受け止めている潔さというか,
人の死に病院ではなく家で直接立ち会った世代の強さというか,
そんな感じがする。
私はまだまだ死ぬのが怖い。
余命2年を宣告された時の佐野さんのエッセイ、対談。
おととい、癌で亡くなったいとこのお葬式に行ってきたばかりで、いろいろ込み上げてくる。
言っていることが、そっくりなんだもの。。。。
もうちょっと、冷静なときにもう一度よみたい。
後半はどこも悪くない時の2週間のホスピス体験
前半が、がん告知されてのエッセイ。
間に医師との対談が入る。
やっぱり不思議な人だなぁ。
再発がわかってからジャガーを買う。
自分で運転してタバコもスパスパ。
「死の受容」がまったく当てはまらない、とのこと
父親のことに触れて「死に方の美学」についても一言。
20 小田実とベルリンの門
52 声がでかかった
56 才能の集まるところ、文学→漫画→ゲーム
57 カラヤンよりジュリーが好き
80 がん、早期発見できないと労力・カネ・精神的苦痛
86 脳卒中、一番困る。低空飛行ずーっと
後書きは関川夏央。
ハヤシシンイチのこと。
死ぬ気まんまんで生きた佐野さんは、人間らしいと言うか動物らしいと言うか…。こんな潔い生き方が出来たのは、自分自身を深く理解していたからだろうと思った。金と命を惜しまない生き方も、ホスピスで泣く看護婦さんの話も良かった。
友達のレビューに有り惹かれたので。亡くなられたのですね。著者は3名の兄弟を小さい時に失っており、死を感じて生きていたのだと思います。今の私達が長い歴史でみれば異常。昨日ちょっとだけ子供と死の話しをしました。以降は本からの引用です//私が愛する人は皆、死人である。死んだらお金はかからないということに気がついた。命と金は惜しむな。言葉を話すと、あの動物の孤独な目が失われ、目はあらゆる欲望の表現ツールになり…。他人の死は一時間しか続かない。55歳を過ぎると、個人差…。身体を借りているだけ。考えると悩みが出てくる、だから考えない。今もわからないことのほうが多いわけですから、「なんで」というところを大切にしてないとね。死ぬということが不条理…。自分なんて大したものじゃない。理性や言葉は圧倒的な現実の前にそんなに強くないのだ。
「死ぬ気まんまん」は、今まで読んだどの本より文章が散漫になっている気がして、やっぱり病気で体力が落ちているのかな、しんどいのかな、と読みながら切ない気持ちになった。
「死ぬ気まんまん」の10年ほど前に書かれた「知らなかった」のほうは、鋭く、辛辣で、たくましくて、好き。
佐野さんが亡くなってちょうど1年がたった。死ぬことをちっとも怖がらず、自分が生きることへの執着もこれっぽっちもなさそうなのに(医者に宣告された余命より生きたら困る、とまで言う)、・・・なんというか、力みなぎるものがあって驚かされる。まさに「死ぬ気まんまん」(息子さんの言葉だそう)なエッセイ。
ご自分は何の宗教も持たないと何度も断言するけれど、スピリチュアルな感覚が研ぎ澄まされていて、それは死を前にしているからなのか、と思ったけれど、もともと授かった力なのだろう。
請求記号:914.6/San 資料ID:50062266
配架場所:書庫入り口横 学生選書コーナー・指定図書
佐野洋子さんが亡くなって、もう1年が過ぎた。 「シズコさん」を読んだ時 佐野さんが4歳くらいのときに お母さんと手を握ろうとして、その手を 振り払われた、と書いてあって そのお母さんもすげえなと思ったけど 4歳で、もう二度とお母さんの手は 握らないって決意したという佐野さんも 相当なもんだと思った。 佐野さんは大陸からの引揚者で 生まれて33日目の弟と、4歳の弟と たしか... 続きを読む »
医療や社会が発達しすぎて、死ぬ機会を失った人が増えすぎてるように思う。生きることは素晴らしいけど、死なないことは辛いことだと考える。
癌で余命宣告を受け、「死ぬ気まんまん」で生きる。「死ぬまで、どういうつもりで生きて行けばいいのか分からない」と言う。ホスピスで不意に「この世は美しい」とか「夕陽が毎日毎日ぞっとするほど美しく感じられる」心境。
ガンで余命いくらと聞いてからあたりの、
佐野さんの病と死に対するスタンスが面白い本。
またこれ世間的にだいぶ圧力かかりそうなことを
ざくざく言ってるし佐野さんが言える人だから読んでて痛快。
結構なダメージを受ける場合もあるだろうと思いつつ
少なくとも今の私にはすごく救われる文章。
本当にこの人は病気と闘おうとはしてないなあ、
と良い感情で思う。
このタイトルはなんだか人に見られるのに気を遣う。
闘病記と言えば「壮絶な闘い」を想像するが、そうではなく、タイトル通り「死ぬ気まんまん」だった著者のその時々の感情が真っ直ぐ書かれた作品。
対談では死について、自分なりに考えるきっかけを得られた。。死とは特別な事ではないと。
全体を通して…
私には痛快な一冊でした。
達観しているというのとは違う。
諦めているのでもない。
受容しているのだろうか……。ともあれ、実に明快に客観的に「死ぬ気まんまん」すぎて驚く。
そして、後半の「知らなかった」で書かれる生のエネルギーがうごい。10年でこんなに変わるのか。
生きているうちから、出版の準備をされていたそうで「お疲れ様でした」といいたくなる一冊。
珠玉の表現が、所々でグイグイと私を引っ張り込む。
文章は少々伝わりづらい部分もあり、言い回しが回り切らず「? ? ⁇」と何度か数行を読み返すもしばしば。
なのに、何故?
が故なのか?
胸にざりっと忍び込み、ぐらりと揺さぶるのだ。
死をなぞる。
それは生きているからできること。
佐野洋子
光文社 (2011/6)
佐野洋子さんの絵本 そして何よりもたくさんのエッセイを楽しませてもらいました
どれもおもしろい
最後のこれも痛快です!
よくぞ言ってくれました と
多分いえ 絶対無理でしょうが なんとか元気に死にたい私
そのためにはもっとしっかり生きなきゃねえ
フン なめないでよ って叱られそうです
≪ 眉上げて 死ぬ気まんまん 今生きる ≫
体調の悪い時にこういう本を読むべきではない。
とても重く苦しい内容だ。
あの優しい絵本を描いた人の人生が
こんなに暗く複雑なものだなんて
人は見かけではわからないものだということ。
最後まで気丈な人だったんだなあ。
息子さんがいてまだよかったね。
一人だったらどんなにさみしい最後を迎えられただろうと思う。
死ぬとわかってからの佐野さん、相変わらずマイペースで、ホントに表裏のない方だった。ホスピスの話になると淡々として、ちょっとしんみりするが、それが人間っていうものだろう。
この最後の一冊で、これまで佐野さんが書き残したものが、ますます輝く気がする。
『私がケチが嫌いなのは、ケチは伝染するからである。私はケチではないと思う。たかが金ではないか。ケチと会っていると私の中に深く埋蔵されていたケチが、頭をくねくね回りながらにゅーっと表面に出てくるのである』-『死ぬ気まんまん』 『私が学んだことは、全て貧乏からだった。金持ちは金を自慢するが、貧乏人は貧乏を自慢する。みんな自慢しなければ生きていけないんだな』-『死ぬ気まんまん』 もやもやとし... 続きを読む »






