世界は文学でできている 対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義

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著者 : 沼野充義
制作 : 沼野 充義 
  • 光文社 (2012年1月18日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (374ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334976767

世界は文学でできている 対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義の感想・レビュー・書評

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  • 『世界は文学でできている』
    沼野充義

    つまり、世界文学というのは、私が、あなたが何をどう読むのかだということなんです。突き放した言い方に聞こえるかもしれませんが、最初から与えられたリストに従って「これだけは読まなきゃ」と時部を縛りながら読むのではなく、読みたいものを夢中になって読んでいるうちに、次に読みたい本が出てきて、その結果、自分の世界が世界に向かって広がっていく、というのが本当は一番いいのでしょう。(p99)

    ★リストというのは目安としてあることを忘れてはならない。小学生のころ、無為に図書室で選んでいたことを思い出す。

     余暇自体は増えていないにもかかわらず、エンターテイメントのジャンルは多様化しましたから、限られた時間の壮絶な奪い合いが始まって、結果、本の売上げも、テレビの視聴率も落ちることになった。読書は今、そのサバイバルの渦中に投げ込まれています。(p108)

    ★なるほど。現在は多様化が生んだ状況。

    ……純文学畑の人たちは、僕も含めて、文学はもうちょっと人間が生きる上で大きな影響を及ぼすものだ。単なる束の間の興奮ではないということを言ってきたんだと思います。(p136)

    ★つまりは、そういうことだろう。そう感じられるかは私たちにとって大切なことだろう。

    つまり、「物語」(ストーリー)は、神話や昔話などに典型的に現れますが、さまざまな事件を生起する順番にアレンジした語りであるのに対して、「プロット」は因果関係などによってその事件を並べ替え、再構成したもので、小説家によって再構成されたプロットを読む読者は、記憶力と知性を要求されるようになる。(p138)

    ★難しい文章。例えば推理小説。死体から始まる。そして犯人へたどり着く。書かれる順番としては逆である。

    文学というのは自分で読んで、感じて、経験して、分析して、そこから何かを得ていくという「読む」プロセスが一番基本です。だからインターネットで情報が集まるのが速くなったからといって、パソコンが自分の代わりに読んで、感じてくれるわけではない。どんな便利なメディアが出てきたところで、それを使うのは自分の頭だし、本を読むのは自分です。(p151)

    ★インターネットはすぐ情報を手にできる。だからもう情報の価値は昔より変わっているのではないか。今求められるのは分析したり、自分で考える能力だ。

    そもそも彼らの小説は、宗教文学と呼んでもいいくらいでしょう。(p327)

    ★ドストエフスキーとトルストイについて。つまりキリスト教。

    たとえば「いじめ」を語るにしても、いじめられる側だけに理屈があるのではなく、いじめる側にも理屈がある、という善悪の相対化と言いますか、そういった視点が出ている。(p333)

    ★『ヘヴン』について。善悪の相対性がこの作品にも書かれている。

    『許されざる者』というのは不思議なことに、ドストエフスキー的なものとトルストイ的なものが混在している小説なんですよ。非常に贅沢な物語空間になっている。(p338)

    ……あれほどのことがったにもかかわらず、まあ、ほとんど普段どおりの平穏な日常を他の大部分の東京の住人と同じように送ってきたということを意味する。
     しかし、あれほどのことがあったのに、文学は前と同じでいいのだろうか。世界文学の読み方も変わるべきなのだろうか。それとも変わるべきではないのだろうか。(p360)

    ★それは私の心にもよぎった感覚だ。結論としてイエスともノーとも分からないと述べる。

    それはおそらく誤読ではなく、現代や状況を超えて生き、新たな力さえも獲得する文学の普遍的な力を示すものではないだろうか。(p370)

    ★震災前に書かれたものも、震災後にはその事を語っているように思える。それは誤読ではなく、「文学の普遍的な力」と述べている。なるほど。

  • 文学とは何か、これからの文学は、文学の楽しみ方……と多岐にわたる文学講義は、元々中高生向けに開かれた(らしい)イベントでの講義を本にしたものだから、たいへん親切で読みやすく、こちらの視界を自然に広げてくれて面白い。読書案内としても良質。知らない作品に興味を持つのはもちろん、村上春樹は食わず嫌いだったのだけど、読んでみようかな、という気になった。それだけ紹介の仕方が絶妙。

    そもそもは世界文学に興味を持ちたいと思って手にとったのだけど、のっけから「世界文学というくくりにどれほどの意味があるのか」「文学もグローバルである」という話で面食らった。安易にカテゴライズして苦手意識持ってすみませんでした。でも一番印象に残ったのはロシア文学という(カテゴライズされた)ジャンルでしたすみません。

    終わりに三・一一についても言及されている。学者として一人の人間としての葛藤がそのまま吐露されていて、あの災害の凄まじさが蘇った。蘇るということはつまり死んでいた、忘れていたわけで、己の浅はかさを恥じ入るばかり。こんなに真摯に文学と現実について懊悩する人がいる一方、文学を逃避か時間潰しにしか考えてない私がいる。バラストかな、なんて笑ってもいられないんだなあ……

  •  〈J文学〉ならぬ〈W文学〉――最初は早稲田文学のことか? と思った――を提唱した編者による、ゲスト・スピーカーを招いた連続講義の記録。何だか茫洋として掴まえどころがなかった〈世界文学〉というコンセプトに近づこうと思って手に取る。ゲスト・スピーカーはリービ英雄、平野啓一郎、ロバート・キャンベル、飯野友幸、亀山郁夫。

     直観的な印象として言えば、〈世界文学〉という発想を下支えしているのは、(1)世界的な(人)文学の退潮という大きなトレンドと、(2)ポストコロニアル以後の文学評価やカテゴリーの再編成という要請、そして(3)(とくに日本の文脈では)教養主義以後にいかに文学の価値を担保するか、という切迫した問題意識という三者のアマルガムではないかと思う。その意味では、まさに21世紀的な文学のコンセプトだし、ポスト〈国民文学〉の未来を拓くためには、それなりに有用ではあろう。
     ただし、やはりまだ茫洋とした面があることは否めない。沼野は、世界文学とはカノンの目録ではなく、あくまで読み方の問題だ、というダムロッシュの言葉をたびたび引いている。確かにそれは元気の出る一節ではあるものの、ならばなぜ〈世界文学〉という名称を用いるのか、それは限りなく〈わたしの文学〉ではないのか、という疑問は拭えない。この点、もう少し勉強したうえで、考えてみよう。

     だが、本書の最大の魅力は、沼野と多彩なゲスト・スピーカーたちによる具体的なエピソードと、本読みのプロたちによるブック・ガイドにこそある。早速本書から、ぜひ読みたいと思うものをメモしてしまった。本書のおかげで、わたしの〈文学の世界〉は、確実に拡がったわけだ。

  • おすすめ本を読みたくさせるだけの力がある。読んでいて楽しい。

  • 対談としてはかみ合っていない。進行役の沼野氏が話しすぎ。これならば、沼野氏の単著として構想した方がよりよい本になったのでは。

    だからといって、内容に眉をひそめる部分があるとか、得るものがないという訳ではない。

    対談者を生かし切れていないのでは、という残念さが残った。

    最後の亀山氏は良かった。
    「おわりに」の言葉は力があった。

    ・日本文学も世界文学
    ・途上国から、本当の文学が登場するかもしれない
    ・文学はどれを読むかではなく、読み方
    ・「ここに骨を埋めるか」という質問への怒り

    ・ノスタルジーの感覚こそが、生命感覚の根幹部にあり、それこそが生命の結晶なのではないか。ノスタルジーとは深い意味において、復活と蘇生の感覚。

  • 対談の本。ゲスト: リービ英雄、平野啓一郎、ロバート・キャンベル、飯野友幸、亀山郁夫。沼野氏は読み方の問題を強調している。……。図書館本。 075

  • 沼野充義「世界は文学でできている」 http://www.kotensinyaku.jp/archives/2012/01/005177.html … 読んだ。おもしろかった。対談録だけどどこかで開講された講義録らしい。対談とは言えどの回も前半は沼野充義の膨大な導入で占められるのでやや物足りないというかゲストの考えを聞きたいというか(つづく

    言語と国籍と意識、文学全集の役割(もはや定番はない、とか)、日本文学/世界文学という枠組みの違和感、サリンジャーの新旧訳比較、ドストエフスキーの小説の意義、などなど。サリンジャーの訳が小説世界の成り立ちに影響しているとは考えなかった。特にゾーイーのラストは結構衝撃(つづく

    「フラニーとゾーイー」は一番好きな話で、そんなに世界が違うなら積んだままの原著を読まないと、と思ったほど。編集中に例の震災が起きたとかであとがきで震災とそれ以後の世界についての思いが書かれていたけど全く無用。都内在住であの地震でそんなに影響受けるなんて、なんてナイーブなの(おわり

  • 3.11震災直後に発行された対談集。
    こんな有事に「文学」なんかを語っている場合なのか?と自問する著者、沼野充義氏。
    しかし、「小説は単なる読み物のようにみえるものの、相当複雑なことの出来る知の競技場のようなもの」と文学の持つ力を信じきる。
    スラブ文学研究者でありながら、書評でもおなじみのように、現代日本文学も幅広く読み込み、本書では特にドストエフスキー的なものを現代の日本文学作品に見いだし、紹介してくれている。
    ともすると沼野先生の書評は、(書評対象の作品よりも)ずっと面白いケースもあるので、騙されることも多いのだが、それは自分が沼野先生レベルの「読み」が出来ていないせいも大きい。
    本書の対談の中では、特にリービ英雄氏との「越境文学」論、平野啓一郎氏の小説の構想論、ロバートキャンベル先生との日本の古典の読み方、亀山郁夫先生とのドストエフスキー論が面白かった。
    また、ポールオースターの詩を翻訳している飯野友幸氏との対談で、飯野氏がオースターの詩は「カルピスの原液」のようだという話を披露していて、オースターの詩も(いかにも難解そうだが)読んでみたいと思った。
    あとは、遅ればせながらTerry Eagletonの「文学とは何か」(大江健三郎が筒井康隆にこのイーグルトンの『文学とは何か』を贈り、その後『文学部只野教授』が完成したという逸話を持つ本)も読んでみたいと思った。

  • 面白かったです。

  • 言語で文学を区切ってばかりでいいのか?第一線で活躍する文学研究者や作者の対話が、ことばを越境する雄大な文学世界を案内してくれます。

    九州大学
    ニックネーム:天神(あまがみ)ルナ

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