「甘え」の構造 [増補普及版]

著者 :
  • 弘文堂
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感想 : 99
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  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784335651298

感想・レビュー・書評

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  • 2020.07―読了

  • 「甘え」という言葉に甘えている本。

    納得出来た部分も沢山あったけど、「甘え」を大きく取りすぎて、何かしら「共」にする関係性を甘えとしてしまっている様に感じてしまった。




    p. 21 ある国民の特性はその国語に習熟することによってのみ学ぶことができよう。国語はその国の魂に内在するすべてを含んでおり、それ故にそれぞれの国にとって最上の投影法なのである。



    p. 65 日本では、集団から独立して個人のプライベートの領域の価値が認められていない。したがって人格の統合の価値が認められるということもあまりない。このことは先に遠慮を積極的に価値づけるプライバシーの観念が従来日本に乏しい、と述べたことと関係がある。

  • なんと初版1971年で、50年経った今でも版を重ねるロングセラー。本屋でよく目にしていたが、読んでみると思っていたのとは違い、言語学と心理学と宗教学の視点から「甘え」とそれと関連する言葉の分析がされている硬派な内容だった。
    ところで、こういう日本人と欧米人との違いとか日本人の特殊性について論じた本が昔と比べて減ってきているような気がする。
    日本人の外人に対するコンプレックが小さくなったのだろうか?
    年下に対して根拠もなく偉そうだと言われる高齢者の人は読んだ方がいいんじゃないかと思う笑

  • 西洋にない日本独特の考え方として「甘え」という概念があり、これをキーワードに社会問題や精神構造にまで踏み込もうという本書。

    ではあるが、正直言葉の解釈ばかりでピンと来るものが無かった。古典的名著と言われているが。。

  • 「甘え」は「つきはなされてしまうことを否定し、接近欲求を含み、分離する感情を別のよりよい方法で解決しようとすること」と定義される。本書では、日本人の日常生活にしばしば見られる「甘え」とは何か、日本人の精神生活に根ざした「義理人情」などを取り挙げ、その観念体系を説明する。

    第1章 「甘え」の着想
    第2章 「甘え」の世界
    第3章 「甘え」の論理
    第4章 「甘え」の病理
    第5章 「甘え」と現代社会

  • 自分の周りのこと
    自分自身のこと

    について、読み終わった後に非常に腑落ちすることが多い内容でした。
    とはいえ、抽象度が高い内容で、全て理解した自信はありません。タイトルの「甘え」について、バシっと何処かで定義してから、議論を進めて貰えるともっと読み進めやすかったのですが、本書の構成が「甘え」というものの正体を徐々に浮き彫りにしていくといった形になっています。私が精一杯理解したところでは、

    「甘え」とは、自他の精神的分離を否定し、他者に依存すること

    でしょうか。つまり、自我が目覚める前の幼児が、自分と他人の区別がつかなく、周囲に依存している状態を、自我の形成後も意識的/無意識的に行なっていることだと理解しています。本書は、この「甘え」の内部構造と「甘え」によって影響を受けている日本社会の構造について、述べられてます。
    「甘え」というものの善悪は横に置いておくとして、確かに、家族であれ、企業であれ、日本人によって構成された組織やチームはこの「甘え」を前提とした関係性の上に成り立っていると言えます。例えば本書で、

    「日本人は甘えを理想化し、甘えの支配する世界を以って真に人間的な世界と考えたのであり、それを制度化したものこそ天皇制であったということができる。(p.92)」

    と書かれていますが、以前勤めていた企業で社長と対談した際、社長が「昔、私が君くらい(20代)の頃の社長という存在は、天皇陛下のようなもので、こんな風に話すことなど考えられなかった」と仰っており、「天皇」という比喩が出たのは、ある種必然だったのかな、と妙に納得しました。つまり、伝統的な日本企業においても、「甘え」が制度化され、それを前提として組織が構成されているのだと思います。そう考えると、日本企業の生産性の低さにも関係しており、サービス残業を許容/強要していること、ハイコンテクスト過ぎるコミュニケーションが常態化していること、過度なセクショナリズムに陥っていること、必要不可欠なタイミングで人員を整理できないこと等もこの「甘え」が一因なのかもと思いながら本書を読んでいました。海外にいると自分も含めた日本人を非常に幼く感じることがありますが、それは我々が常日頃から、「甘え」を前提とした関係性の中にどっぷり浸かっていることと無縁ではない気がします。
    また、本書では触れられなかったのですが、よく言われる「自分に甘える」とはどういうことなのかも、読んでいて非常に気になりました。「甘え」の定義が、自他の精神的分離を否定し、他者に依存することなのであれば、自分の中でそれが完結する状態とは一体どのようなものでしょうか。思うに、「自分が理想とする自分」と「自分が律するべき自分」の二面性を自らの中に持ち、自分の主体を前者としながらも、前者と後者の境界が曖昧であり、前者が後者に依存している状態を言うのだと思います。私自身に置き換えると、先ず「自分が理想とする自分」と「自分が律するべき自分」を分けるところから始めないとと思い、自らを省みる良い機会にもなりました。

  • 日本人論
    たしかにそう言えるところもあり。

  • 現代で「甘え」というとなんだかネガティブな印象を受けてしまうけど、これは昭和46年(1971年)出版された日本人論の本です。
    甘えという単語を主軸に、その言葉の生まれた意味を日本の文化や伝統と絡めて理解していくことで「甘え」という言葉そのものの意味が優しく和らいで、なんということはないただの感情表現としてイメージできるようになりました。

  • 読んでいて、感情を表す言葉は、すべて「甘え」を絡めて説明できるんじゃないかと思った。何でもかんでも甘えに絡めてしまっているような気もするが。

    どちらにせよ、甘えというものの奥深さに驚いた。誰でも「こう考えるのは自分の甘えだ」と悩むことがあると思うが、甘えはそれだけでなく大事なものだと思えるようになる。

    『「甘え」という言葉がなければ、その感情を認識できない。』という説明があった。甘えに限らず、言葉で考えを表せると、自分がそれを受け入れる第一歩になる気がする。最近、心理学の本を読んでいてそう思う。言葉のおかげで、漠然とした感情がはっきりしたものになる。漠然とした、モヤモヤした、状態が一番しんどい。

  • 齋藤孝さんとの対談を読んで、元の本も読んでおかないと、と思い購入しました。しばらく寝かせていたのですが、昨日、読む予定だった本が取り上げられた(図書館で延長を申し出たら予約をしていた人がいた。最近刊行された「共感」という本)ため、じゃあ、ということで一気に読みました。実はその「共感」の始めに、幼い頃、甘えさせてもらえなかった子どもたち(チンパンジーでの実験と孤児院の様子から)が将来的にどうなっていくのかが語られていました。本書ではこの「甘え」という言葉が日本語にしかなく、そういう考え方自体が独特であるというふうに議論が展開されます。何でもかんでも「甘え」に結び付けているような感じがしないわけでもないですが、一つの切り口としておもしろく読みました。甘えることができるとか恥ずかしいという感覚がうすれるというのは本当に身近な存在に対してですが、旅の恥はかきすてなどというように、全く知り合いがいないような場では恥ずかしいことを平気でできたりもします。満員電車の中では見ず知らずの人と身体を密着できるというのも同じようなことかもしれません。くっつくことのできる人は誰?ということを考えると不思議です。「気」という言葉の使われ方についてもかなりの紙幅がさかれていますが、先日、結婚式のスピーチでこんなことを感じました。とてもよく気がまわる夫妻なのですが、私はスピーチで「気を使う」という表現をしました。「気が利く」とか「よく気が付く」とか「お気遣い」などというと良いイメージがあるのですが、「気を使い過ぎ」となると否定的な感じがします。「家庭でもそんなに気を使っていると疲れるから気楽にね」というメッセージだったのですが、どんなふうに聞こえたことでしょう。けれど、よく考えると、私も結構、パートナーに気を使ったりしているから、まあ、うまく回っていくための良いさじ加減を覚えないといけないのでしょう。もっと甘えてくれればいいのになあ、なんて思うこともときどきあります。

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