「甘え」の構造 [増補普及版]

著者 :
  • 弘文堂
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  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784335651298

感想・レビュー・書評

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  • 「タテ社会の人間関係」(中根千絵)、「菊と刀」(ルース・ベネディクト)などと並んで、日本人論の代表作ともいえる本書ですが、切り口はかなりユニークで、「甘える」という概念から日本人を議論しています。甘えるとは他者への依存心でありますが、これはつきつめると他者との同一感、一体感を得たいという欲求でもあります。著者によれば人類、果ては犬までも甘える行為は見られるものの、「甘える」というような言葉は他の言語ではほとんど見られないとのこと(英語でも甘やかすという意味でのindulgeなどありますが、自分が能動的に甘える、という言葉はない)。つまり日本人は人間の本能的な行為をやまと言葉で発明したわけですが、甘えると関係した語彙が日本語には豊富であることを示します。

    ほとんどの人がそうだと思いますが、「甘える」という言葉自体は小さいころから知っていて(〇〇ちゃんは甘えん坊ですね、と親戚や知り合いの大人から言われる)、それが何を意味しているかはわかっているものの、著者ほど深く考える人はいないでしょう。私自身も人生で初めて「甘えるとは何か」というお題を深く考えさせられた気がします。

    甘えることは依存欲求ではありますが、より根源的には同一化欲求である、という説明は腹落ちしました。すると日本には「同調圧力」という言葉がありますが、実はその圧力は外部からというより自分自身の内部から生まれているのではないかとも感じました。またコロナウイルスによってサラリーマンの多くが強制的にテレワークをしましたが、テレワークに反発する人も多かったと聞きます。これなどは日本人の「甘え」、つまりテレワークでは組織との一体感、同一感が失われるとする危機感のあらわれと見ることも可能かと思いました。

    本書では日本だけでなく西洋(欧米)との対比もなされていますが、私が最も興味深かったのは、なぜ欧米人は個人主義が進んだのか、という点についての最後の著者の主張です。欧米でも中世までは単一組織にしか所属することが許されていなかったが、近代化の過程で複数の集団に所属することができるようになった。これこそが自己意識、あるいは個人主義の強まりにつながっているのであって、確かに1つの組織への忠誠を誓わされ、転職や副業も欧米ほどは容易でない典型的な日本企業に働いている人の場合は、「その組織から放逐されないこと(同一化を維持すること)」が最大の関心事になるのでしょう。つまり裏返せば、日本でも転職や副業/兼業が欧米並みに当たり前になったとき、「甘え」は徐々に見られなくなる、ということなのかもしれません。本書は様々な思考のきっかけを与えてくれる良書でした。

  • 第一章「甘え」の着想で著者が渡米した際に体験したカルチャーショックのエピソードが面白い。これは他の著者の本でも紹介されていて既に読んだ覚えのあるエピソードだが、改めて本家本元で読むとまた面白い。

    「甘え」は親しい二者関係を基盤とする。
    「甘やかし」と「甘ったれ」は無責任。

    『要するに人間は誰しも独りでは生きられない。本来の意味で甘える相手が必要なのだ。自分が守られていると感じることができなければ、ただの「甘やかし」や「甘ったれ」だけでは、満足に生きられない。』

    甘えの心理を示す日本語として「甘える」だけではなく、多数の言葉が甘えを表現している。たとえば「すねる」「ひがむ」「ひねくれる」「うらむ」はいずれも甘えられない心理に関係している。「すねる」のは素直に甘えられないからそうなるのであるが、しかしすねながら甘えているともいえる。「ふてくされる」「やけくそになる」というのは「すねる」結果起きる現象だし、甘えないように見えて根本的な心の態度はやはり「甘え」であるといえる。

    また、精神分裂病で異常な自我意識を持つ人々について
    『…甘え欲求は潜在しているが、しかし甘えによる他者との交流が過去に全く経験されていないと思われる場合である。彼らには「自分がある」という意識が発生する土壌がもともと存しなかったのであり…』と考察している。これなどは精神の病を来している人の歪みの根本をよく表しているように思う。

    『甘えは、人間交流を円滑にするため、欠くべからざるものである』
    人間的基盤をつくる上で、甘えの経験が必要なのだということがよくわかる。


  • 面白かったです。
    海外に住んでいたときに、その国と日本の文化との違いに悩むことがあり、モヤモヤすることがありました。
    この本はモヤモヤを言語化してくれているように感じました。

  • 2020年1月24日読了。相手に決断を委ねつつ期待して圧力をかける「甘え」という人間関係について、日本で顕著に認識されるそれが米国社会では容易に言語化できないこと、とはいえ精神病の治療現場の中ではこの概念が重要になること、また母子間では文化を問わず普遍的に見られること、などを論じて解説していく本。古典的な書籍だが、非常にスリリングに興味深く読めた。「甘え」のような、日本人なら誰でもそうと分かる概念や状態だが、英語で説明することは難しい、というものが度々紹介され、自分の認識している世界とは一つではなくある角度から・バイアスを伴って見ている世界の一部でしか無いのだな、ということを改めて思い起こさされる。これだから違う世界に触れられる読書は面白い…。「甘え」というと悪いものと捉えがちだが、それを観察し、その意味を考察することが大事か。

  • かなり昔読んで感銘を受けた本で、今一度読み直してみたくなって手に取った。
    読み直してまたそのすばらしさに感動した。
    日本人を考える上でとても参考になるし、今の世の中の問題点についても、ヒントになることが多く書かれていると思う。
    この生きづらい、世知辛い世の中は、甘えを必要とする日本人が甘えを許さない世の中に変えてしまったところに大きな原因があるのではないか。甘えを受け止めてくれる人が少なってしまったことが、生きづらい社会の要因なのではないか。年功序列、終身雇用を廃したことによって日本特有の甘えが許された家族的な会社ががなくなったことがが経済衰退の一因にもなっているのではないか。甘えの要素は日本人にとってとても大きなものであるように思う。

  • なんと初版1971年で、50年経った今でも版を重ねるロングセラー。本屋でよく目にしていたが、読んでみると思っていたのとは違い、言語学と心理学と宗教学の視点から「甘え」とそれと関連する言葉の分析がされている硬派な内容だった。
    ところで、こういう日本人と欧米人との違いとか日本人の特殊性について論じた本が昔と比べて減ってきているような気がする。
    日本人の外人に対するコンプレックが小さくなったのだろうか?
    年下に対して根拠もなく偉そうだと言われる高齢者の人は読んだ方がいいんじゃないかと思う笑

  • さすがにこのクラスの本になると、構成が明確だ。何のために章立てがあるのかわからないような、同じ繰言をウダウダ繰り返しているだけのような本が多い中、目次を読めば中身がおしはかれるという本のみほんだ。
    第一章 甘えの着想 第二章 甘えの世界 第三章 甘えの論理 第四章 甘えの病理 第五章 甘えと現代社会
    「悪は責められるべきである。しかしもしこの際、それによって自己自身の罪悪感がふっとぶようなら問題である。」

  • とにかく難しい!なんとなく分かるような、分からないような。ってことは分かってないということ。
    ただ、自分の気持ちをコントロールしたいと思うので、いつかまた再読する。

  • 普段何気なく使っている「甘え」という言葉。この言葉が一体何を意味するのか、その含蓄の深さにただただ感銘した。あらゆる人に読んで欲しい名著。

  • 独創的な日本人論として有名な本書の初版は1971年。
    既に40年近く前の出版ですが、2007年に増補新装版が出るなど、
    今だに読み継がれている名著です。

    「甘え」は良い意味で使われることはほとんどありません。しかし、
    本当にそうなのでしょうか?

    例えば、子どもは「甘えたい」という気持ちを素直に表現します。
    その気持ちを満たしてあげると満面の笑みで応えてくれますから、
    親も面倒を厭わずに気持ちよく甘えさせてあげます。そして、そう
    やって甘えられる親がいるからこそ、子どもは安心して自分の世界
    を広げていく冒険ができるようになるようです。つまり、「甘え」
    を素直に表現することは、人との絆を作り、自分の世界を広げるこ
    とにつながる。娘との付き合いは、そのことを教えてくれたのです。

    これは大人でも一緒だと思うのです。甘えを素直に表現できる子が
    親との絆を深め、自分の世界を広げていくことができるのと同様に
    自分の感情を素直に表現できる人ほど、人と深い絆を築き、自分の
    可能性を広げていけているように思えるのです。

    本書の中で、土居氏は「甘え」が人類に共通する欲望であること、
    西洋では「甘え」を抑圧してきたのに対し、日本は「甘え」を許容
    してきたこと、それが日本文化のユニークさを形づくってきたこと、
    を解説しています。「甘え」を無限定に肯定しているわけではあり
    ませんが、「甘え」に人間関係を円滑にする意味での積極的な価値
    を認めている点に、本書の独創があります。しかし、そのことは見
    落とされてきてしまったようにも思うのです。

    近年、すっかり自己責任や成果主義という言葉が定着しました。し
    かし、どうにも行き過ぎている感じがします。「個人の自立」は大
    切ですが、助け合いや協力のない社会はいかにも生きにくく、自己
    実現のしにくい社会です。家族や職場がギスギスして、個人の居場
    所でなくなっている背景には、「甘え」の欠如があると思うのです。

    土居氏も、2007年の増補に当って追加した文章の中で、本来の意味
    で甘えられる相手や場所がなくなってしまったところに現代の深刻
    があると述べています。では、どうしたら甘えられる相手や場所を
    確保できるのでしょう?

    このように、「甘え」を通じて、自分の生き方や社会のあり方につ
    いて考えさせてくれるところに本書の古びない魅力があります。是
    非、読んでみて下さい。

    =====================================================

    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

    =====================================================

    「すねる」「ひがむ」「ひねくれる」「うらむ」はいずれも甘えら
    れない心理に関係している。

    甘えは、人間交流を円滑にするため、欠くべからざるものであると
    いう見方が成りたつと考えられるのである。

    天皇はある意味では周囲に全く依存しているが、しかし身分上は周
    囲の者こそ天皇に従属している。依存度からすれば天皇はまさに赤
    ん坊と同じ状態にありながら、身分からすれば日本最高であるとい
    うことは、日本において幼時的依存が尊重されていることを示す証
    拠とはいえないであろうか。(中略)いいかえれば、幼時的依存を
    純粋に体現できる者こそ日本の社会で上に立つ資格があることにな
    る。素直ということが古来最高の美徳としてもてはやされているこ
    とは、この点を裏書きするものといえるであろう。

    甘えとは、乳児の精神がある程度発達して、母親が自分とは別の存
    在であることを知覚した後に、その母親を求めることを指していう
    言葉である。

    むしろ甘えなくしてはそもそも母子関係の成立が不可能であり、母
    子関係の成立なくしては幼時は成長することもできないであろう。
    さらに成人した後も、新たに人間関係が結ばれる際には少なくとも
    その端緒において必ず甘えが発動しているといえる。その意味で甘
    えは人間の健康な精神生活に欠くべからざる役割を果していること
    になる。

    甘えの心性が幼時的であるということは、必ずしもそれが無価値で
    あるということを意味しはしない。無価値であるどころか、それが
    多くの文化的価値の原動力として働いてきたことは、現に日本の歴
    史の証明するところである。

    甘えは本来無邪気なものではないのか。それは人間を結びあわせる
    ために必要欠くべからざるものではないのか。かく観ずれば、甘え
    は非難されるよりも、むしろ賛美されて然るべきもののように思わ
    れる。そこから人生の花ともいうべき友情も師弟愛も、そして恐ら
    く恋愛も生れるのではないか。

    現代はむしろ情緒として「甘え」を体験する機会は少なくなってお
    り、その意味では甘えの欠如を云々することさえ可能かもしれない。
    しかしこのような事態は、甘えたい人間ばかりがふえて、甘えを受
    けとめる人間が極度にへってきたことが原因している

    親子の関係で(それ以外の関係でも妥当することだが)、親が子を
    甘やかすと、子は甘えた風を見せても、本当には親に甘えられなく
    なる。(中略)いいかえれば甘やかす相手は相手の同一化を先取り
    (preempt)してしまう。だから相手は甘やかす者には同一化でき
    ない、したがって甘えられなくなるのである。

    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

    ●[2]編集後記

    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

    快晴の昨日は、娘の子守りで善福寺の交通公園に行ってきました。
    ここは自転車を始め、豊富な乗り物で遊べるので、娘もお気に入り
    の場所です。

    最近、娘は補助輪つきの自転車に夢中です。まだ足が短いためペダ
    ルを一回転はできないのですが、届くところまで回して、ペダルを
    戻すこぎ方でも十分なスピードで前に進みます。それが面白くて仕
    方がないようです。

    小さな娘が、大きな子達にまじって健気に自転車をこぐ姿は本当に
    愛らしいです。この愛らしさがあるから、親は世話をしようと思う
    のでしょう。可愛くなかったら世話をするのは面倒ですから、可愛
    さというのは重要だと思うのです。そしてどんな子どもも親には可
    愛く見えるようにできているところに生命の知恵を感じるのです。

    そんなことを考えながら自転車をこぐ娘を見ていたら、後ろから来
    た男の子にぶつけられ、転んでしまいました。あららと思いながら
    娘を助け起こそうと近づいていったら、後ろから「すみません!大
    丈夫ですか?」と男の子のお父さんが飛んできました。そして「こ
    ら!謝らないとダメだろ!」と男の子を叱りつけています。お母さ
    んもやってきて、「本当にすみません!」と平謝りしています。

    娘と私はキョトンとしてしまい、「いや、大丈夫ですから、気にし
    ないでください」と言って、そそくさとその場を立ち去ったのです
    が、その後もそのご両親は男の子を「ブレーキしなきゃ」とか「よ
    けなきゃ」と講釈しながら、延々と叱っています。男の子はたまら
    ず泣き出してしまいました。

    なんか最近、こういう親って多いなと思います。子どもが自分で感
    じ、対処する前に、どんどん先回りして与えすぎてしまうのですね。
    或いは危ない目に合わないよう、先回りして、危険なものに近づか
    ないようにする。気持ちはわかるのです。

    でも、誰だってやろうとしていたこと、言おうと思っていたことを
    他人に先取りされると傷つきます。先取りは、個人の尊厳を傷つけ
    る行為だと思うから、どんな人との関係においても、厳に慎まない
    といけないなと思うのです。

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